第2話 みのる、しゅうがくりょこう

 空には綺麗な晴れ間が広がっていた。いつもの重たい通学バックは弁当と筆記用具、そしてしおり、一冊の本しか入っていない。それを、大きな右手で大和は持ち上げた。母にいってきますとだけ告げ家の階段を猛スピードで駆け下り、五段目からジャンプした。庭に出て、靴を履いている間、周りを見渡す。辺り一面、緑色の雑草が生い茂っている。自分が遊んでいた時は、きれいだったのにと過去を振り返りつつ自分が成長したことを大和は実感していた。

 足早に庭を駆け抜け、家から飛び出すと目の前に人影があった。急ブレーキをかけて止まった。小柄ながらいい体つきをした制服姿の女の子が真新しいピンクと白のリュックサックを背負って立っていた。

 香椎美南。

 陸上部のキャプテンを務め、校内トップクラスを常に保ち続けるその少女は、凛とした真顔で大和の顔を見ていた。今日の朝はここで待つ約束やったやろと、遠回しに美南は説教を始めようとした。

 「あー、美南ちゃん。久しぶりやねー、元気にしてた?」

大和の背後から、聞き慣れた母の高い声がした。一気にその場の緊張がほぐれ、美南はペコリと頭を下げて元気よく挨拶を交わした。そして、笑顔を保ったまま、自分の話もそこそこに大和の約束破りの件について長々と話を始めた。しかし、耳を傾ける母の顔は怒っていなかった。

 「ふーん、そうか。まあ、せっかくええ日なんやから、仲良く学校行ったらええんちゃう。」

今日は、特別な日であることを理由に、母は怒らなかった。そして、美南に近寄り何やらささやくと、笑顔でいってらっしゃいと送り出してくれた。

 「大和のお母さん、修学旅行でなんかあったらまた教えてって言ってたよ。」

歩き出すと、先ほど母がささやいたことを教えてくれた。顔を俯けると、心配しなくても大丈夫だからと、肩を叩いてきた。どうやら、今日のところは美南はあまり怒ってないようだ。

 「今日はけっこう大変やな」

修学旅行のしおりを見ながら、大和が語りかける。

 「うーん、午前は流れで行くからええとして午後が大変だよね」

 「あー、京急のエアポート快特か。早く乗りたいな」

 「かいとく?なにそれ?」

待っていましたと、ばかりに大和は鼻を鳴らす。

 「要するにこの辺で言うたら新快速とか大和路快速とかと似てるな・・・。うーん微妙だな。この辺にはあんな列車あらへんもんな。大阪の方に、関空快速ってあるけどアレとはまたちょっと違ってんねんな。関空快速は停車駅はほぼ同じやし」

 「じゃあ、特急みたいに早いってこと」

 「そうだね、快速特急の略だからね、基本的に成田と羽田を結んでいる。途中の停車駅はタイプが三つあって・・・」

 「ああ、もういいもういい。このまま聞いてたら、私の耳潰れてしまうで」

 聞き手が感心を示さなかったことに大和は落ち込む。とは言っても彼の話に耳を傾けるものなど今までに片手ほどしかいないのだが・・・。

 ふーんと、すまし顔で美南は空を見る。梅雨を控えた空は、西の方に小さく雲を散らしてそれが、朝日に照らされていた。

 「そういえば、大和ってこの前の中間テストの結果どうだったの?」

不意を突かれたのか大和はあたふたとする。それを見た美南は、周りの田んぼ中に広がる笑いを高らかに響かせた。

 「なんや、先週の一緒に帰ろかって話してたのに逃げたのはコレの影響か」

でも、大和は内心、今回こそは美南に勝てる自信があった。

 「じゃあさ、美南はどうだったの?英国理社数の順に言っていこうよ」

さては、勝てる自信ありってことね、と美南は心情を察する。

 「英語は九二点やったな、まあまあ、不定詞やから百点満点取りたかったな」

 「俺は、八十二や。うわー、十点差か。話にもならないな」

お前が、私にテストで勝つなんて百年早いと美南は笑う。

 「国語は、九〇」

 「六〇」

 「えーー、アホやなお前。授業ちゃんと聞かへんと点取れへんよ」

関係ないやろ、と大和は反論するが効果はなしだった。

 「八八や、理科は化学やったからあともう少し取れたな」

 「ふ~~ん。俺は九二だけどね。めんどいから社会と数学、一気に行かへん?」

同時に行くか?と美南が提案する。大和は自信たっぷりにうなずく。

 「九〇、九四」

 「どちらも百点満点」

あまりにも大きな二人の声は、軽トラに乗った近所の老夫婦を驚かした。

 「へー、社会と数学だけはできるのかー。頭の構造が問われる成績やな」

 「まあね、あの二つは俺の専門だからね。美南は四五四点で、俺が四三四点。」

勝ったことを、確認した美南は、ガッツポーズをした。

 「一位は奈々美かな?」

当たり前やろ、と大和は笑いながら応える。

修学旅行の集合場所は、膳所本町駅だ。二人は住宅地を抜け、ただ駅に向かってトボトボと歩いていた。

 「おーい、仲良しお二人さん。元気ないな。今日は修学旅行だぞ」

横から声がして、二人は同時に飛び上がる。真新しい自作の小さな電気自動車に乗った人物の口からガハハハと大きな笑い声が、聞こえてくる。笑い声の主は、着慣れない真新しいスーツに身を包み、満面の笑みでこちらを見ている。

 矢板総司。三年生の学年主任、進路指導、特別支援学級など、重要な役目を一手に引き受ける定年間近の理科の教師だ。

 「先生、うるさいでやめてくれんか」

 「わかったわかった。まあ、駅で待っとるからな」

 彼が、颯爽と走り去ると美南はガックリと肩を落とし、道端にしゃがみ込む。

 「どげんしたん?腹でも痛いのか?」

 素早い大和の質問に、美南はブンブンと大きく首を振る。

 「違うの違うの。全く腹痛いこともないし、走れるし、修学旅行は行きたいけど、でもでもでも、行きたくないの」

この矛盾した発言に、大和はふと自分を美南の立場に置き換えてみる。すると、なぜかさっき通った矢板の顔が引っかかった。しばらく考えた彼は、ポンッと手を打つ。

 「もしかして、同じ班に相内がいるからか」

コックリと美南は、頷く。確かに、相内がいるイコール矢板もアンハッピーセットで、もれなくついてくるからなと、大和は同情する。

 「だってさ~、あいつら二人が居るせいで、浅草の自由行動もいいところ行けへんし。旅行中ずーっとあの変態ジジイの話し聞かされるし、もうさんざんやで。唯一の助けと言ったら、ホテルの部屋は、あんたのところの、真依と亜莉沙、あと奈々美がおってくれることだけやな。まあ、それだけでも幸運ってことかな?」

 「でも、どうしようもないからなー」

 「なにー、そのどっちでもいいみたいな態度は?」

 大和は、ホントは俺もなんとかしたいと思っているよと、機嫌を取る。

駅前の広場まで歩いて行くともうほとんどの生徒がホーム上に整列していた。そのなかには、真依や亜莉沙、奈々美の顔もある。また、列の端にはピンクの趣味の悪いリュックサックを背負った相内が一人で文庫本らしき本を読んでいる。

相内の姿を認めた美南は、また一つ大きなため息をつく。その落ち込んだ姿の見た、大和の頭にある記憶がよみがえってきた。


                 *   


修学旅行の半月前に行われた体育祭でのことだ。陸上部で短距離の絶対的エースである美南は、周りの女子に押されて仕方がなく一五〇〇メートルに出場した。二〇〇メートル以上を走ったことのない彼女にとって中距離走は、まさに未知の世界でしかなかった。レースの結果は、五位で三年生では最下位。おまけに、美南が出るはずだった二〇〇メートルは、出場者全員が四位以下という大敗だった。三年一組は、最終的に団体種目で得点を稼ぎ、優勝したのだが、美南にとっては非常に面白くない体育祭だった。


                 *


そのことを、間近で見ていた大和には、さっきとは違い彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。体育祭の種目決めは、陸上部のエースというプライドと美南のお人好しな性格を逆手に取った女子たちの汚い作戦だということを大和はわかっていたからだ。今回も、同様に班決めで他の女子が一方的に議論を進め、結果的としてあまりものとなった相内を美南は押し付けられてしまった。

 「君のこころはわかるよ。でも、前に進まなかったら、何も良くならないよ。長距離走だって、走りたくなくても走ったら一位になる可能性があるんだ。人生何が起こるかわからないよ。相内だって人間なんだから、ヘマをして班から外される可能性だってある。」

今までの大和にはなかったビシっと決まった優しいような厳しい言葉に、美南は腰を上げて大きく背伸びをした。

 「確かに、そのとおりだね。体育祭のときも、走ったから最下位にならなかったんだし。人のことを気にせず自分らしく振る舞ったほうがいいね。」

 彼らの通う、大津市立なぎさ中学校を見ながら二人は駅舎を目指して走る。大津市立なぎさ中学校は、大津市立と名乗っているが、パソコンを使った最先端の授業を行い進学率がよいことで有名だ。なぜ、駅前にあるのに「なぎさ」とつくのかと、ツッコミが入りそうだがそのへんは許される範囲の誇張といえるだろう。

 駅舎に入るとちょうど、駅横の小さな踏切をゴォーーと音を立てて、始発の石山寺行きが走っていった。京阪電鉄石山坂本線の列車は、そのほとんどがラッピング列車列車でありそのバラエティさから、ときたまホームや線路横に大きなカメラを構えた人を見ることが出来る。勿論、大和も例外ではなく沿線住民という特権を生かして、小学生の頃からすべての編成のラッピングをコンプリートとしてきた。撮影場所はすべて、膳所本町駅と統一されていることもあり、彼が撮った写真を集めて載せているホームページの訪問者数が非常に多い。

石山寺方面のホームに行くと、担任の上郡が立っていた。

 「えーと、階上と香椎だな。前日に送った荷物の入れ忘れとかはないな?」

 二人は、顔を合わせて笑ってから、何も忘れてませんと元気よく答えた。

 「うん、元気があって良いな。これで全員が揃った。先日に述べたように一組は、一番最初に出発する。よって、出発式はない。電車は、さっきいったばかりだから、余裕はあるが速やかに班のところに行き、再度今日一日の予定を確認するように」

 「了解でーす。」とまた口をそろえる二人。

先に大和は駆け足で班員のもとに向かう。それに続いて美南も小走りでついていく。それを見送った上郡は、天を見上げて微笑んだ。

 「グッドモーニング」

駆け寄る大和に向かって明るい挨拶が飛ぶ。

 「なんで英語やねん?」

 「グローバル化が進んでるこの時代に英語なんて当たり前やろ?」と西代奈々美が言う。

 西代奈々美。

 ツインテールと桜色のほっぺたがトレードマークの明るい笑顔が絶えない吹奏楽部のキャプテン。また、学年トップの成績を保ち続ける超真面目な少女だ。小学校の教師を志す大和にとっては、必ず中学卒業までに勝ちたい相手だった。

相手の実力を思い出して、大和は無性に腹が立った。でも、周りの存在に感づき、すぐに開き直って班の輪の中に座り込んだ。

 「あー、早く乗りたいな、N700系」

 「奈々美は、新幹線なんて存在感すらあらへんな」

 その言葉に周りが頷く。どうやら、新幹線とは全く異世界の乗り物のように思われているようだ。そんなことを考えながら時刻表に目をやっていると列車の到着を告げるアナウンスがホームに響いてきた。

-二番線に列車が到着します。-

二面二線の相対式ホームの片方に、小さな二両編成の電車が滑り込んでくる。向かいのホームには、朝早いためか黒いジャケットを着た若い男性がスマートフォンを熱心そうな目つきで見ている。おそらくアクション系のゲームをしているのだろう。その男は、激しくタッチを繰り返している。勢い余って線路に落ちないか心配になるくらいだ。スマホを持っている奴の大半は、ゲームとソーシャネットワーキングサービスしか使っていない。他にカメラを使うときがあっても、よからぬ人の行動などを写真に写して、ツイッターやラインのSNSに流して物笑いの種にする。世界の最先端技術も大半の人間にかかればただのおもちゃに過ぎないと、大和は考えている。とは言っても、彼が自分のノートパソコンをどれだけ有効活用しているかと言うと、大して活用できているわけではない。プログラミングもやったりするが、そこまでのめり込んいるとはいえない。何かやりたいことがあっても、何故か色んなサイトをハシゴしてしまい、時間がなくなってしまうこの悪循環を断ち切れないことが大和の悩みだった。

 「あんたどうしたん?頭痛いんか?旅行キャンセルでええんちゃう?」

 頭を抱えて、駅の柱にもたれかかっていた大和を見つけた、亜莉沙が声をかけてきた。

 「なんでもないよ。ちょっと思い出したことがあって、考え事してたんや」

 「ふ~~ん、ホンマや?早めに言うといたほうがええで。」心配しているのか、旅行キャンセルを促しているのか、よくわからない彼女の態度には腹が立った。

 「なんやねん?俺に恨みでもあんのか?」

 「エェーー、なになに?いきなりキレて、ふざけて言うただけやん。」

その言葉を聞いた、大和はあることをひらめいた。そうだ、ふざけて言うただけやんって後付でいうたら大丈夫やろ、と独り言を心のなかで呟く。そして、亜莉沙の顔を見て笑顔を見せると彼は話を急転換させた。

 「そういえば、噂で聞いたんやけどお前って誰かと付き合ってるやろ?」

その瞬間、亜莉沙の顔に焦りのようなものが感じられた。唇がブルブル震えている。これは行けるぞと、思った大和は質問を続ける。

 「なんで喋らへんの?いつもみたいにすぐに反論すればええやん。」

何を言っても、同じだろうと思った亜里沙は、大和が予想もしなかった行動に出た。目の前に立っていた黒縁メガネに白のブラウスと紺色のスカートを履いたロングヘアーの少女は、後ろを向くと一人の男に抱きついた。

 「うち、雅史のことめっちゃすきやねん。」

なんの前触れも無く抱きつかれた坊っちゃん頭の大釜雅史は苦笑いしながら、なんのためらいもなく亜莉沙の肩に手を回す。

「あんたみたいな、腹黒男とうちの雅史はちゃうからさ。ええやろ。まあ、お前には指くわえて見とることしかでけへんやろうけどな。」

勝ち誇ったような顔で、亜里沙は言い放つ。

 「わかった、わかった。どうぞお幸せに。」嘘だとわかっていても、言葉が頭に浮かばない大和は、時刻表の前に行き、時計をみる。背後からは、何やら亜莉沙が雅史に話しかけている声が聞こえてくる。なんで春樹が同じクラスにいてくれればと、普段は絶対に思わないような感情が大和の心に出てきた。しかし、亜莉沙の本当の彼氏である高井田春樹は、C組のためこの修学旅行で合う機会はほとんどない。唯一、全クラスが同じ場所に集まるのは、ディズニーランドに行く二日目の昼から夜にかけてだが、確率として彼に会うことはほとんど無理だろう。仮に会えたとしても、彼が亜莉沙と雅史の付き合っているシーンを自身の目で確認することはありえない。

無性に腹が立つ、大和は仕方なくホームに向かって制服のズボンに付いたゴミを払った。

 「あんなアホな奴ら放っときな。自分が損するよ。」

綺麗な声に思わず、振り向くと奈々美と真依が立っていた。どちらが言ったのかよくわからなかった大和だったが、おそらく奈々美だろうと思いつつ、ありがとうと言いながら頭を下げる。

-電車が近づいて参りました。黄色い線までお下がりください。

少し老けたおばさん声の自動放送がホームに流れると、白い制服を着た集団が一斉に荷物を持って黄色い線まで歩み寄る。それと同時にゴォーーという音を立てて、旧特急色の列車がホームに滑り込んできた。

 「降りる人優先やぞー。車内のマナー守れよー。」

上郡の声が、ホームに響く。その声を聞きながら、制服姿の集団が小さな電車に慌てて乗り込む。その光景を、四十代過ぎのベテラン運転士は温かい目で見守っていた。彼は、ホームが閑散としたのを確認するとドアを閉め、どっかりと運転台の前に腰掛けた。

 「出発進行!」

 前方の出発信号が進行現示であることを確認する定番の一言が、車内に響くと列車はゆっくりと加速していった。

 「あんな、この次の中ノ庄ってな、車内放送の英語が人物名のナカノショウって聞こえるってネットで有名らしいよ」

 背後から、若桜真依が前日にツイッターで仕入れた情報を話してきた。ちょうどその時、制限二〇の看板が横の窓から見え、列車が大きく右に傾く。この急カーブが多いのも石山坂本線の特徴だ。とは言っても、京阪電鉄自体、通称京阪電気鉄道カーブ式会社といわれるほどカーブが多く、日常的にこの鉄道を利用する人でも慌てることが多々ある。

 「ようこんなところに駅作れたな。こんな住宅密集地域に。」

 隣に座っていた奈々美が外を眺めながらそういった。

 この言葉を聞いた途端大和の目がキラリとひかる。それを見た、真依が慌てて止める。

 「説明いらへんよ。あとでネットで調べるから。」

 コンパクトに言うから大丈夫やと大和は説得するが効果はない。

 「暇やでさ、なんかやらへん?しりとりとか」

 「ええな。やろか」

 奈々美の提案に、すぐに真依が食いつく。

 「だったら、範囲は中学校の教科書に載ってる範囲で、条件としてその言葉の意味を説明すること。それでええやろ。」奈々美がルールを決める。

 「じゃあ、順番は俺、奈々美、真依でええか?」

 「OK!!やったら、修学旅行のしから始めな」奈々美のワンマン運転になりそうな予感がするしりとり対決が、小さな電車の車内で始まった。

 大和は少し悩んでいる。どうやら、説明付きというのが難しいようだ。

 「シリコンバレー。アメリカの地域名で、IT産業が発展しているところや。」

 地名かと奈々美は呆れ顔で、天井を見上げる。

 「レッド。赤の英語の意味。」

 お前こそ英単語とかひどいやろ。大和が文句を言うが、ルール違反ではない。

 「ドイツ。ヨーロッパで1番の工業大国で、ええっと首都はベルリン。」

 「あー、んがついた。真依の負けや。」

 窓の外を眺めていた大和が、負け判定を出す。

 「お前こそ負けやろ。真依が言ったのは、ドイツであってベルリンはちゃうぞ。よく考えろよ。ボケーっとしとらんと。」

 人間やから間違いはしょうがないでしょと大和は反論するが、またもや無視された。どうやら、奈々美は人をバカにする行為には敏感なようだ。さすがは小学校の教師志望ともいうべきか。そんなことを大和は考えていたが、将来の夢が小学校教師なのは同じはずだ。

 「津。三重県の県庁所在地。」

 こうなったらうちも流れに乗るでと、奈々美も本気モードだ。

 「月。地球の惑星ですね。」

 それ小学校ちゃうの。真依がツッコミを入れる。重箱の隅を突くツッコミに大和は、口をモゴモゴさせて、考えているふりをする。それを見ていた、奈々美が、笑いながら助け舟を出してくれた。

 「天体で出てくるから大丈夫だよ。中学校の範囲で、間違いではないね。」

 くっそー。と真依が言ったような気がしたが、誰も相手にする気がない。

 「京都。京都府の県庁所在地。」

 ざまあみろと真依は、高らかに笑いながら、運転士の真似をして楽しんでいる。確かに、運転士の行う、指差点呼は非常に興味深く、大和もプライベートで出かけるときは、自然と体が動いてしまう。

 「徳川家康。江戸幕府を開いた人物で、江戸城を中心とした、現在の東京の原型を造った。現在は、日光の東照宮で祀られていている。」

 今度は人物かー。と言いながら、大和は頭を抱える。すから始まる名前といえば、野球のイチロー選手は、鈴木が苗字だが、習っていないので使えない。あたりを見渡していた大和は、何かに気付いたのかポンッと手をうつ。

 「菅原道真。菅家とも言われた、平安時代の人物で、百人一首に、このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに。という句を残しています。彼を祀った太宰府天満宮は、学問の神様として有名で、毎年多くの受験生がこの地を訪れますね。」

 「あそこに梅の木が植わってるからか。」

 大和の視線を横から追っていた奈々美が、民家に植わっている梅の木を指して言った。

 「ネガティブ。否定的を表す英語。」

 英語で来たか。と言いつつ奈々美は、いつもと同じで冷静だ。

 「ブタ。日本では、宮崎や鹿児島などの九州地方で、飼育されている動物です。」

 ヤッターマン。と大和は、目を光らせて、待ってましたとばかりに真依に反撃の一発を与える。

 「高松。徳島県の県庁所在地ですね。瀬戸内海に面する港町で、かつて国鉄の宇高連絡船が就航していたこともあり、四国の玄関口として四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、多くの全国的規模の企業の四国支社や支店、また四国電力やJR四国といった、四国全域を営業区域とする公共サービス企業の本社などが置かれ、四国の政治経済における中心拠点担ってんねん。現在、高松市の人口は平成の大合併などを経て42万人を擁し、さらに高松市を中心とする高松都市圏の人口においては約84万人と、香川県の人口100万人の過半数に達する四国最大の都市圏を形成している。江戸時代には譜代大名・高松藩の城下町として盛え、高松城天守がこの街の象徴であったが、明治時代に破却され、現在では2004年、平成16年に完成した高松シンボルタワーが、それに替わる新しいランドマークとしての機能を果たしている。また、中心商店街である丸亀町商店街では、大規模な再開発が行われており、活気溢れる商店街として多くのメディアで紹介されている。そして香川県の人口重心は高松市国分寺町福家と、高松市中心部からみて南西の市内にあり、県の地理的中心でもある。」

 「はいはい、あとは自分で調べますからいいです。」

 奈々美の、何か動物を落ち着かせるような優しい一言で、大和の地理の講義が終了した。

 「筑波。茨城県の都市で、つくば研究学園都市がある。」

 バかー。と奈々美が呟く。そして、窓の外を眺めながら考えこんだ。それにつられて真依と大和も窓の外に目をやる。いつの間にか、JR琵琶湖線をまたぐ橋を列車が渡っているところだった。車両の後ろに目をやると、数人がドアに向かって歩きかけていた。

 「なんか、貸切列車みたいやったね。」

 真依が嬉しそうに奈々美に話しかける。奈々美はただ頷くだけで、一心に運転士の手元を見ている。停止時のブレーキ操作を見たいようだ。確かに、この動作は大和もいつ見ても飽きないものの一つだ。列車が停車すると、奈々美はデジカメで、運転台を撮影するとホームに飛び降りた。

「エレベーターなんか使わずにさっさと階段を登って、JR石山駅の改札に向かってください。」

 上郡の声が、ホームに響いている。

 その上郡の横では、駅係員が清掃をしながら、先生も大変ですねとささやかな気遣いをしている。礼儀としてか、上郡は嫌な顔をせず、ペコリと頭を下げていた。

 「アブナイで走ったらアカンで。」改札口を1番に抜けた雅史が一目散に走っていくのを見て、奈々美が注意する。

 「西代うるさいな。黙っとけ。」

 調子に乗っているからか、いつもはすぐに言うことを聞く雅史が珍しく反抗する。

 呆れた奈々美は、仕方なく大和に目で指示を出す。大和は頷くと走りだした。所詮は、ヘタクソ卓球部員だけあってかすぐに捕まった。それを見た、奈々美と真依は胸をなでおろす。人にぶつかって迷惑をかければ厄介なことになりかねないからだ。

 「てかさ、なんで亜里沙は何もしないの?」

 奈々美は、後ろにいる亜莉沙に矛先を向ける。

 「だって、勝手に走って行っちゃったんだもん。」

 「それで通じると思ってんの?」

 「大体、中学三年生でしょ。あんなの自己責任だよ。」

 恋人同士じゃないのと、奈々美が攻め立てる。

 「恋人だからって、注意しなければいけないわけ?」

 自分に責任を負わせられたくない、亜莉沙は懸命に対抗する。

 その時、真依が奈々美の手を思いっきり引っ張る。

 「早く行かないと先生に怒られるで。」

でも、と奈々美は諦めたくなさそうだったが、仕方なくJR石山駅の改札に向かう。

スカートをひらひらさせながら、その場を立ち去っていく二人を亜里沙見つめながら、内心で自分のした行動に後悔していた。

 「どうして逃げたん?やるところまでやったらええやん?」

いきなりその場を立ち去った奈々美と真依を追いながら、大和が質問する。

 「後で詳しく話したるから、今はあんまりあの二人に構わんといて」

真依が、小声でささやく。後ろを振り向くと、雅史と亜莉沙がボッーと、運賃の書かれた路線図を二人で眺めながら何やら話していた。

上郡が、手で近く集まるよう指示しながら、周りに迷惑にならないように話をする。

 「全員揃ったか?今から、新幹線に乗り換えるために京都まで行きますので、改札口を出たら、左側の階段をおりて、しおりに記載してあるように4,5号車に分割して乗るように。わかりましたね?」

 はい。とはっきりとした返事が駅構内に響く。周りの客が一様にこちらの方に目を向けてくる。朝早いためか、スーツ姿の通勤客は見かけない。自分の父もそうであるが、子供がいつも学校の行き帰りの歩きが大変だというと決まって親は、自分は満員の通勤列車に乗って朝から散々な目にあって会社に言っていると言いはる。だが、それならばあえて通勤ラッシュ時に出かけていかなくても、電車はあるのだからもっと遅い時間か、もっと早い時間に家を出て行けば済む話だと大和はいつも思っている。とは言っても、直接それを親に伝えるのは気がひけるのでしたことはない。

 「へー網干行きの快速かー。って網干ってどこやねん?よく聞くけどな」

 改札口の前で、真依が駅改札の上にある電光掲示板を見上げて、声を上げる。後ろにいた大和は、そんなことより早く行ってと彼女の背中を押す。

教えてくれたってええやんと真依はムッとしながら改札を抜ける。その前では、奈々美がケラケラと笑っている。

 「何がおかしいねん?」

 自分がバカにされていると感じた真依は奈々美の肩をグッと掴む。

 「特になにもないよ。単に真依のしゃべり方が面白かったから笑っただけ。いつもあんなアホみたいな話し方しやへんやん」

それを聞いた真依は、顔を赤らめてほっぺたに手を当てて、さっきのことは忘れといてと呟く。どうやら、彼女にとっては恥じずべき行為だったらしい。

奈々美は、その姿を見てウフフと意地悪そうに笑うと、トイレに行ってくると荷物をその場においてかけて行った。

 真依は、その姿がトイレに消えるのを見届けると、振り返りさっきの質問の答えとは、話を振ってきた。

 「えーとね、網干駅は、兵庫県姫路市にあるJR西日本山陽本線の駅や。駅の西に網干総合車両所があって、送り込み回送を兼ねてこの駅を始発・終着とする大阪・京都方面への列車が多く、夜間滞泊を行う列車も多数設定されとる。駅の構造を言うと、十二両編成対応の単式ホーム一面一線と島式ホーム一面二線、合計二面三線のホームを持つ橋上駅で、一番線が上り本線、二番線が下り本線、三番線が上下副本線になってる。この他にも、三番線の南側にもホームのない待避線が敷設されていて、主に姫路駅から回送されてきた入庫列車が使用している。あと北側のホームには工事用車両のための切り欠き線がある。今日乗る列車みたいな、網干止まりのやつは、三番線で乗客を下ろしたあとそのまま網干総合車両所にひきあげて、次の運用まで待機するか、入庫する。歴史は、結構古くて一八八九年に山陽鉄道ってのが、今の山陽本線になる路線を作った時にこの駅も作られたらしいけどあまり詳しいことはわからないな。ダイヤは、多分上下合わせて八本ぐらいじゃないかな。そのうち半分は、網干発着のものだからね。乗降客数は、八千人ぐらいだったと思う。隣にはりま勝原駅ができたんだけど、新快速が来てるからこっちのほうが、断然利用者が多いけどね。はりま勝原駅は、JR西日本にとっては誤算だったところが多かったんじゃないかな。」

 大和が、長い長い講義に終止符を打つと、パチパチと周りから軽く拍手が起こった。周りを見ると、今から一仕事しようとか大きな荷物を抱え、黄色いヘルメットに青色の作業服をきた十人ほどの保線区員が、大和と真依を取り囲むように立っていた。

恥ずかしさに慌てる大和を見て笑いながら、真ん中にいた男性が話しかけてきた。

 「君、すごいね。ネットで前日に調べていたかもしれないけど、暗記力がすさまじい。がんばって勉強してJRに入社してくれると嬉しいな。」

 話しかけてきた男性は一人だけ他の人と違い、しっかりとネクタイを締め、小柄な体格をしている。構内図の書かれたホワイトボードを持つ手をよく見ると、女性かと思えるほどにきれいに揃えられている。奈々美や真依の手を少し大きくしたような感じだ。信太と書かれた胸の名札のあたりからは、成人男性としては貧弱な様子が見受けられる。小学校のころから、放課後は室内の習い事で埋め尽くされ、中学高校は私立の一貫校に通い勉強だけのつまらない六年間を過ごし、有名国立大学に進学し、今に至る。自分の今までの人生とは、かけ離れたまさに異次元の人生が、大和の頭のなかに浮かんだ。

 「おい、階上。いつまでグダグダとここにいるつもりだ。東京には行く気がないのか。そろそろ電車が来るから、さっさとホームに行け。」

後ろを振り返ると、申し訳無さそうな様子の奈々美と真依を後ろに従え、腕を組み靴で床をカツカツと叩いている上郡の姿があった。

大和は、上郡の顔を見るやいなやバックを肩にかけ、一目散に階段に走った。それに続いて奈々美と真依が待ってと言いながら追ってくる。上郡は、何やら信太に話しかけられ、ついてきてはいなかった。やっとの思いで、ホームに降り立ち時計を見上げるとまだ三分ほどの時間はあった。ホッとして待合室のガラスにもたれかかる。向かいのホームには、ほとんど人影が見えない。京都方面を見るとさっきの保線区員たちがこちらを見て手を振っている。気楽だなと思いながら、大和は手を大きく振り返す。いきなり背中を押されそのまま、ホームの端の方まで連れて行かれた。

足でブレーキをかけながら何すんねんと言うと、後ろからいいからホームの橋まで行ってよと聞き慣れた声が聞こえた。真依の声だ。

 「さっきの事なんやけど、亜莉沙と雅史に関して話したいことがある。」

真依が奈々美を後ろに連れて、小声でささやく。

 「あのね、恋っての恐ろしいほどの力を持っているの。いい方にも悪い方にも。だから、あの二人には触れないほうがいいと思う。絶対に関わると底なし沼で抜けられなくなる。あたし、知ってんねんけど、亜莉沙の親は怒るとめんどうだから。でも、いい方向に行くと恋は続くよ。どこまでも、どこまでも。そうあの有名な電車の歌。線路は続くよどこまでも♪みたいにね。」

 そういうと、真依はみんなが整列している七号車の乗車位置の方向に颯爽と歩いて行った。揺れるスカートの下から血色の良い足が見え隠れする。奈々美は、遅れてはなるまいと駅舎の方向に駆け出す。大和も慌てて奈々美を追う。ホームには新快速網干行きの到着を告げる案内放送が流れ始めた。

-まもなく二番乗り場に何時何分発新快速網干行きが十二両でまいります。危ないですから、黄色い点字ブロックまでお下がりください。十二番乗り場に電車がまいります。ご注意ください。-

 列車が、ゆるやかにカーブを描いたホームに滑り込んでくる。巴投げ式と言われる謎の板を車両前方に取り付けた二二五系だ。アレがあったからってマンションに飛び込んだら同じじゃないかと大和は、頭のなかでつぶやいていた。

 列車が、停車すると普段電車に乗り慣れていない数人が急いで車内に駆け込む。この時間帯だからいいが、新幹線や帰りの京都駅で同じことをされたらたまったものではない。そう思ってか上郡が、大声でゆっくりとした乗車を促す。

 車内には、真新しい暖色系の転換型クロスシート二人+二人席が並んでいる。ほとんど人影は見えず、閑散とした空間が広がっている。

 大和は、ドアに入ってすぐ右にあるトイレ前のボックスシートの窓側を陣取る。あとに続くように席を取れなかった奈々美と真依、そしてなぜか美南が残りの席を埋める。ゆっくりと坂を降りてくる、石山坂本線の車両を眺めていた大和はびっくりして車内に目を向ける。よく見ると自分の座っているボックスシートにおしゃべりな女子三人がいる。その横では上郡がつり革に掴まって発車を待っていた。それを見て大和は、慌てた表情を見せる。恥ずかしそうに顔を赤らめながら、窓に視線を戻す。背後から、重なった笑い声が聞こえてくる。駆け込み乗車がいたのかドアの開閉が二回ほど行われる。ドアがしっかりと閉まり、車掌の笛がなると列車がゆっくりと走りだす。

  ー次は大津、大津です。ー

 若い女性の車掌らしく、さわやかなアナウンスが車内に響く。車内には、笑い声や喋り声が流れている。これからの一日を全く考えていないような騒ぎようの生徒もいる。上郡は、近くにいた一人の女子生徒に声をかけ、静かにするよう指示する。

 「修学旅行の班のメンバー、この構成やったらよかったのにね。」

 嫌味混じりの声がして、皆の視線がその方向に向く。見ると、亜莉沙がトイレを終えて出てきたところだった。

 「本牧さん。そんな言い方ないでしょ。何かこの四人に言いたいことがあるのですか?せっかくだから、私もいることだし。言ってくれれば何か対処の方法が見つかるかもしれませんよ。」

 さすがは、熟練の中学教師だ。即座に、亜莉沙の心情を読み取ったようだ。大和は、何か技のようなものを肌で感じた気がした。鋭く胸に突き刺さる言葉。痛いような、痛くないような、何か無性に逃げ出したくなる。場の空気が一変して、固くて重い空気になった。車内には、次の停車駅が山科であることを告げるアナウンスが流れる。窓に目をやるとちょうど列車が、逢坂山を間近にトンネルに吸い込まれていくところだった。

 「なんでもありませんよっ・・・。」

 亜莉沙が、上郡に捕まれていた右手をエイっと振りほどく。コラ待て、本牧。という上郡の言葉はもはや馬の耳に念仏だった。彼女はスタスタと歩いて自分の席へと帰っていった。

 上郡は、何を思ったか数秒の追尾で諦めた。そして、クルッと体を回転させるとまたこちらにやってきて溜息混じりの声で言った。

 「大事な修学旅行の日に何があったんですか?」

 「・・・・・・・・。」

 誰ひとりとして質問に答えようとするものはいなかった。お互い顔を見合わせ状況を伺うだけだった。質問に答える様子がないと判断した上郡は、亜莉沙の歩いて行った方向に歩いて行った。相内の横に行くと、矢板に何やら声をかけてまた戻ってきた。

 「あのー先生。私と亜莉沙の班を変えてもらっていいですか?」

 ずっと俯いて首すら動かさずにじっとしていた美南が顔を上げて話す。

 「それはできません。」

 即答だった。やはり、何かあった時に対処が面倒になるからだろう。返事を聞いた美南はまたガックリと肩を落として手に持っていた小説に目を落とす。

 その次の瞬間。奈々美と真依の目がキラっと光ったのがわかった。前に座っていた真依が準備は良いかと言いたげに目配せをしてきた。大和は、それに笑顔で応じる。横からその顔を見ていた奈々美が、右手でオーケーサインを出してくる。二人が頷くのを確認した奈々美は、上郡の顔を向ける。

 「この西代奈々美と若桜真依、階上大和がご説明いたしましょう。」

 まるでシナリオがあったかのように真依がそれに続く。

 「事件の発端は、今から二ヶ月ほど前に遡ります。」

 「えっ。そんなに前から続いている話なの?もっと早くに言ってくれればこんなことにならなかったのに。」

 上郡が頭を押さえる。真依がポンポンと大和の膝を叩く。続きを話せという意味だろうが、大和はこの部分を知らないので首を横にふる。了解したのか真依が話を続ける。

 「それは一年生がまだ学校に入学して間もない部活見学の時のことです。ソフトテニス部に所属する本牧亜莉沙は友人たちとスマートフォンをしていました。それを見ていた陸上部キャプテンの香椎美南は、一年生を集合させた時にこう言いました。」

 ここで奈々美にバトンタッチする。

 「皆さんは分かっていると思いますが、スマートフォンなど授業や学校生活に必要ないものを持ってきて使用することは陸上部では特に厳しく取り締まっています。もし、どうしても持ってこなければならない人は先生に申し出て預かってもらうようにしてください。間違っても、他の部活のようにスマホを片手に校内を歩くことがないように。わかりましたか?」

 「はい!」

 真依が、わざと幼稚な声で返事をする。ここまでリアルにするかと大和は笑う。その思いは、上郡も同じだっただろう。奈々美は知っていたのか、いつものことなのか真顔だ。

 「で、続きをお願いします。」

 「先生。この後、どうなったかわからないですか?」

 上郡の表情が歪む。どうやら悩んでいるようだ。だが、それは答える言葉を選んでいるのか、答えがわからないのか検討がつかない。修学旅行に合わせてきれいに整えられたショートヘアが揺れている。大和の経験上、こんなとき先生は生徒の質問をまともに答えようとしない。その時、上郡が腕組みをといて口を開いた。

 「そうか、要するに香椎は集団的ないじめに遭っているということだな。」

 そう言うとメモ帳を取り出しながら、まあな、ちょっと歯車がずれただけなんだがと上郡は呟く。

 「ただ、僕らが知っているのは氷山の一角だと思いますよ。これは、なんとしても出来るだけ早く解決すべきだと思います。まずは、亜莉沙を美南とトレードすることですね、」

 「それ切りだすのちょっと早かったんとちゃう?」

 「ええやん。これ言いたかったし。」

 「ホンマ、お前は考えが浅いな。」

 真依は、そう言ってフンっと鼻を鳴らす。

 「そういえば、階上。お前はこの前の中間テスト良くなかっただろ?」

 「は、はい。確かに、四百点を割っていましたし、ミスが多かったです。」

 どうせ凡ミスのオンパレードでしょと真依が突っ込む。ここぞとばかり、見下してやろうと思ってか席から身を乗り出して、満面の笑みを見せている。

 そこで、それまでしばらく静かに反対側の窓の外を眺めていた奈々美がポンっと手をうった。

 「だったら、奈々美たちが大和に教えてあげるよ。美南も点数は良いんだから何か方法を知っているはずだよ。うん、亜莉沙と雅史を放出して代わりに美南と誰か男子を入れたらいいんだよ。しっかりとしている真面目なやつを。」

 「誰かやってくれないかな。雅史の代わり。」

 真依がそう呟く。おそらく誰かはある程度決めているのだろうが、旅行中なため軽々しく変更するとはできない。

 「あの~、先生。もうすぐ京都ですが、降りなくて良いんですか。って矢板先生が言ってましたよ。」

 「おったーーーー。」

 きっちりと制服の腕部分のボタンとワイシャツのボタンを一番上まで閉めた一人の男子生徒を見た途端、奈々美と真依、そして大和の声がきれいにハモった。さすが関西人といえようか。この辺の対応は共通のものがある。

 「嫌ですよ。雅史の代わりにこの班に入れなんて。僕だけが頭悪いじゃないですか。」

 少し空気を読みつつその男子生徒は反論する。

 「ルンバは黙っとけよ。車内清掃でもしたらどうなの?そうや、お前だけ網干までこの電車に乗って行ったらええやん。なんぼでも電車あるから、心ゆくまで掃除が楽しめるよ。」

 嫌味たっぷりの大和の言葉に、ルンバと言われたその男子生徒は、顔を真っ赤にして反論する。

 「お前さあ、その呼び方で茶化すのやめてくれる?すごく腹立つ。」

 「俺もお前の標準語にめっちゃ腹立つ。」

 大和も今までの退屈な時間に対する怒りをルンバにぶつける。

 それを見ていた上郡は、時間がかかると見たのか、すぐに男子生徒に戻るよう指示した。

 帰っていく男子生徒を見送りながら奈々美が話しだす。

 「やっぱり、ルンバしかいないでしょ。」

 「ルンバね~。アレはバカ真面目って言うんじゃないの?」

 「ええやん。害になるものでもないし。雅史とかいるだけでお荷物やろ。」

 話は奈々美と真依の二人だけでどんどん進んでいく。これは、誰も止められまいと上郡も静かに二人を見ているだけだ。ルンバとは何か。とあるメーカーの開発したお掃除ロボットの商品名だ。すなわち、完璧に掃除をこなす人間を表している。勿論、他にも掃除を頑張っている人はたくさんいるわけで、とりわけルンバなる人物がきれいに掃除しているわけでもない。では、なぜその人物にルンバというあだ名が付いたのか。それは、非常に掃除をする姿がルンバに似ているからだ。ルンバというロボットは、平たい円形のロボットで左右にパタパタと動くものが付いているのが特徴だ。誰もそのパタパタが何に使われているのかわからない。おそらく、あれでゴミを集めているのだろうということだ。その人物は、いつも掃除に限らずパタパタと体のどこかを小刻みに動かすところがある。そのただ一つだけの共通点によってルンバというあだ名が付けられたわけだ。切ないといえるこのあだ名だが、考案したのは誰かわからないらしい。おそらく、グループで固まっていた時に誰かが言い出したのをそこにいたメンバーが聞いて、あたかも日常的に使用したためルンバというあだ名が広がったと大和は考えている。その人物が、京田辺健太郎だ。

「ところで、あいつせっかちやな。」

 思わず真依が矢板の発言にツッコミを入れる。だが、もう一言言いたそうな真依を上郡が静止する。そして、彼女は全体に下車準備をするよう指示する。

 窓の外を見ると、新幹線が隣を走っている。左前方からは、JR奈良線の百三系がちょうど京都駅から出て行くところだった。城陽と書かれた行先表示器からは、時代を感じさせる車両だ。JR西日本によると、この百三系は順次新型車両へ置き換えると発表している。そのため、熱心なファンが駅や沿線でカメラを構える姿が多く見受けられる。

 -京都、京都です。嵯峨野山陰線、JR奈良線、新幹線、近鉄線、地下鉄線はお乗り換えです-

 駅到着を告げるアナウンスが車内に流れると、電車に慣れていない数名が大慌てで荷物を持ってドアへと向かう。それに釣られるように次々と列を作っていく。眺めているとあっという間にドアの前を先頭に長蛇の列が出来上がった。

 「学校で練習したように、三つのドアに分割して並べ。」

 あまりにもひどい状況に上郡が、急いで指示を出す。

 「あそこに立っているはげたおっさんは誰やろな。」

 真依が笑いながら指差す方向を見ると、生徒と一緒に何食わぬ顔で矢板が長蛇の列の真中付近に並んでいた。奈々美は、思わず吹き出してしまい、すっかり元気になった美南の肩に寄りかかって笑っている。

 列車は、ゆっくりと駅に滑りこむ。ホームには、きちんとネクタイを締めたビジネスマンがまばらに並んでいる。駅そばを見ると満席になっている。家で食べれば良いのでは、と思うこの光景は昔から変わっていない。

 列車が、停車位置通りキチッと止まる。ドアが開くとまるで弾き出されるパチンコ球のように制服姿の団体がホームに降りる。ドアの横では、数人の中年男性がその光景を微笑ましく見つめながら、自分の座る場所を伺っている。

 全員が降りたことを確認して、ホームに降りた上郡は申し訳無さそうに周りの乗客に会釈してから、こちらに向かって歩いてきた。

 「京田辺さんっている?」

 「えっ、あっ、は、はい。上郡先生。何ですか?」

 慌てた様子で、ルンバが出てきた。えっ、あっ、は、はい_____というのは彼の応答の時に、必ずついてくる言葉だ。大和にすると、非常にムカつく一言だが、常に全身全霊をモットーにしている彼にとっては仕方がなにのかもしれない。

 上郡は、慌てて出てきたルンバの肩を叩いて、落ち着かせる。承認するかどうかの、二択の質問なだけに落ち着いて話を勧めたところなのだろうか。

 「あなたね、西代さんの班に入ってもらえない?」

 「えっ、あっ、は、はい。わかりました。誰かと交換ということですか?」

 「はい。あなたは、大釜さんと変わってもらいます。」

 「そうすると、俺の班はどうなるんですか?まさか、雅史を班長にするんですか?」 

 「心配はいりません。香椎さんも西代さんの班に入ります。香椎さんは、本牧さんと交換するので結局、プラスマイナスゼロだから、大丈夫ですよ。」

 「えっ、あっ、は、はい。わかりました。では、雅史と修学旅行のしおりを交換しておきます。名前さえ変えておけば大丈夫ですよね。」

 「そうですね。そうしてください。交換に至った経緯については、西代さんたちに聞いてください。新幹線の並び順を間違えないようにね。」

  ルンバは、わかりましたと軽く上郡に会釈すると、向かい側の奈良線ホームを指さして、亜莉沙と話している雅史のもとに向かった。

 「先生が、俺と美南を、お前ら二人と交換するっておっしゃってたよ。」

 ふーん。素気無い二人の対応を見て、良かれと思ったルンバは、こっちに向かって歩いてきた。

 「あいつらの性格は、ホンマにブスやな。」

 真依が、いつもの調子で暴言をブチ負かす。これは、彼女にとっては通常運転なのだが、ときたま行き過ぎた発言が見られる。普段の授業や学校生活では、奈々美たちと同様に扱われている真依だが、彼女の発言については誰もが口をつぐむ。もう少し言葉使いがきれいだったら良いのにねと言って、二年生のとき二ヶ月間付き合っていた彼氏に振られたのにも関わらず変わる様子はない。本人曰く、その付き合っていた彼氏は陸上部員だったらしく、美南の協力を得て、その後お払い箱にしてやったと鼻を鳴らしていた。だが、それでも男女問わず人望が厚い彼女には、ただただ大和は感心するばかりだった。

 「まあいいじゃないの?あいつらだって悪者じゃないんだから。」

 ルンバが、真依をなだめるように後ろから話しかける。真依は、ムッとして後ろを振り向き何やらルンバを罵倒していた。勝ち目のない勝負はするまいと、ルンバはそっぽを向いている。徐々にホームには人が増えてきた。東の方を見ると、明るい六月の太陽が、薄っすらと新幹線の高架橋と音羽山の間から見えてきた。大和がそれにうっとりと見とれていると、後ろから奈々美が新幹線の切符を持って横に並んできた。

 「あの太陽の方向に、東京があるんだね」

 「うん。」

 「なんか、大阪も京都も神戸もええけど、知らない場所に行くのは、ちょっと怖いようで、楽しくワクワクするね。」

 「確かに、不思議な感じがする。いつも過ごしているメンバーで行くから、また家族で行くのと違うんだろうな。」

 その言葉を聞いた奈々美は、びっくりしたのか一歩前に飛び出し下から大和の顔を伺っている。

 「えっ、あんたって、東京言ったことあるの?」

 「ないよ。だけど、ほら、俺らのクラスでも何人かおったやん。ディズニーなんて、知り尽くしてるからおもろないとか言って偉そうにしている奴が・・・・。まあ、誰とはね、言わないけどね。」

 奈々美は、フフと笑うと知っとるくせにと言いながら、軽く大和の右肩を叩いた。

 「あっ、そうそう。これ切符ね。先生には、班長がしっかりと降りるまで保管しろって言っていたけど、あんたが持っといて。無くさへんやろ。当たり前やけど。」

 「わかった。まかしといて。」

 大和の笑顔を確認すると、そろそろ行こかと、真依たちに声をかけ、先頭をきって階段を登っていった。それに、そんなに急がなくてもといいながらルンバがついていく。

 大和が、続こうとすると美南が行く手を阻む。

 「陸上部たるものここは、階段駆け上りで勝負やろ。」

 「よかろう。」

 「ここ京都駅大阪方面ホームで行われます、中学生男子共通階段駆け上り競争、まもなくスタートです。

 思わずえっと思い、右横を見ると、美南の横で真依が満面の笑みでスターターの構えを見せている。

 「オン・ユア・マーク」

 「セット」

 今までざわざわしていた京都駅の七、八番線のホームと改札口を結ぶ階段付近が一気に静かになった。周りを、ビジネスマンと数人の野次馬が取り囲んでいる。忙しいそうな一部のビジネスマンを除いては、殆どの人が二人の修学旅行生に競争を見ようと立ち止まっている。

 パンっと乾いた音が、階段に響き渡る。体が前に進んでいることを体全体で感じる。しかし、いっこうに上には上がれない。懸命に腕を振り、横の美南に気を取られずに、ただひたすら改札階を目指す。

 パッと周りが開けて、目の間に明るい空間が広がる。勝敗のほどは分からないが、体が達成感で満ちていることを実感した。

 やったーという声を聞いて、我に帰ると奈々美が満面の笑顔で、両手を挙げハイタッチをしてきた。

 「どうしたん?なんでそんなに嬉しいの?」

 奈々美は、口元を萌え袖の右手で覆いながら、ウフフと笑っている。

 「えーー。知りたいの?」

 「だって、俺が勝ったからって何かあるわけでもあるまいし・・・。大体、こんなことやったのが先生にバレたらエライことやで。」

 「それがあるんだな。まあ、知らへんほうがええやろうけどな。」

 そう言うと奈々美は、ルンバを従えて颯爽と改札口へと向かっていった。一五〇センチ程度の小さなツインテールの中学生が、同じ中学生ながら中年男性と言われてもおかしくない背格好の男を従えていくのを見ると、何か抵抗を感じる気がした。

 奈々美の言葉を思い出し、大和は首をかしげる。胸ポケットから切符を取り出した彼は、腹を抱えて大笑いしている美南と真依を駆け足で追って、改札口へと向かっていった。

 ・二章

 「そんなに嫌やったんか?まあ、あれでこの前のテストの答案がどんなんやったかわかったわ。」

 美南が不思議そうな顔で、大和の顔を伺う。

 落ち込むなよっ、とちょうどトイレから戻ってきた奈々美が大和の肩を叩く。

 この加速はやっぱりいいね。と言いながら真依は、窓の外の景色を眺めている。誰ひとりとして、大和を本気で慰めようと思っているものはいない。寂しさに、大和は、窓の下枠部分についているテーブルに方杖をついて車窓を眺めた。頭の中は、空っぽで何一つ思いつくことがない。することといえば、不思議と潤む目を、ただこするだけだ。

 列車は、まだ名古屋を出たばかりだった。大和たちの座っている席は、運転席付きの十六号車だ。そのため、自分たちが他の連中より速い気がする。三列シートを回転させて、向かい合う形にして座る。ボックスシートを知るものは誰一人いないのに何故か旅行らしく感じるのは、小さいころに読んだ絵本で植え付けられた古い固定概念だろう。

 車窓には、某大学の大きなキャンパスが見えてきた。近年は、私立大学の数が急激に増加し、この東海地方でも競争が激化しているようだ。そのため、この某大学が考えた方法は少々土地がかかっても、アクセスの良さで生徒を集めるというものだった。

 「なあ、あんな感じで駅にめっちゃ近い大学って、大阪の高槻にもあったよな。」

 低い声に思わず、車内に目を向けると右斜め前に座っているルンバが、身を乗り出して話を持ち出してきた。

 「そういえば、俺らの部活の顧問は、あの大学の卒業生やったな。でも、アレは全然良くないって言っていたな。なんでも、キャンパスのすぐ近くに、大型複合商業施設があって、先生はいつも講義の合間をぬって、そこに遊びに行っていたらしいよ。大学の場所も考えものだって言ってた。」

 「ふーん。あの先生は、高槻の大学に行ってたんや。それは、初耳だな。そやけど、あの先生に関して言えば、大学で成績トップやったらしいし、別に問題なかったんじゃないかな。」

 「あっ、あれって中日ドラゴンズの球場やん。」

 今度は、大和の隣に座っていた美南が、窓を指差して嬉しそうに叫んだ。その声に、びっくりして、美南の隣で小説を読んでいた真依は、腹が立ったのか、軽く美南の頭を叩く。

 「ああ、悪い悪い。お前は、熱狂的な燕押しやったな。」

 ふてくされたのか真依は、リクライニングを倒して寝入った。まあ、少々朝早いため、疲れも重なっているのだろう。軽く寝息が聞こえてくる。

 真依が、寝入ったのを確認すると、美南が質問を出してきた。

 「そういえば、皆どこのプロ野球チームが好きなん。」

 「えーと、奈々美はどこだろうな。やっぱ阪神かな。」

 「同感です。大和もそうやろ?」

 「勿論です。」

 「そうか、ここのアホだけか。トラ押しじゃないの奴は。いつか、抹殺したいやつがおったらコイツにしたろ。」

 阪神タイガースファンの熱狂ぶりは、非常に有名で多くの本などで取り上げられている。また、その熱狂度ぶりは性別、年齢、国籍を問わない。大和は、この場では静かにしていたものの彼もまた熱狂的なファンで、聖地巡礼とも言われる阪神甲子園球場での公式戦観戦は今までの人生で欠かしたことは、ほとんどない。音楽の授業では、ピアノを弾けるにも関わらず、歌がヘタクソな彼も、甲子園球場で流れる、六甲颪だけは超一流と言っても過言ではない。

 ルンバも大和と同様で、家族総出で、いつも阪神タイガースを応援している。いつか、ルンバから聞いた話では、彼の父は阪神タイガースの公式ファンクラブの会員を二十年近くやっており、ダイヤモンドプラスと呼ばれるファンクラブの会員の中では最高の位置にいる。

 そんなことを思い出しながら、ゆったりと車窓を大和は眺めていた。

 「うわーー。大変大変。この電車、倒れちゃいそう。」

 見ると、奈々美が座席の横に付いている肘置きに両手で掴まって、この世の終わりのような慌てた表情を見せている。

 それを見た、大和とルンバと美南は、思わず顔を見合わせると、腹を抱えて大爆笑した。それぞれ考えていることは、まったく違っていただろうが、とにかく、面白かったので一分ほど笑い転げていた。車内の半分ぐらいまで聞こえるボリュームでたっぷりと三人は笑うと、奈々美の顔色を伺う。

 「そんなに面白いんかっ。」

 その言葉を聞いた三人の顔から、一気に笑顔が消えた。今までに感じたことのない恐ろしさだった。鳥肌が立つとは、まさにこれのことだろう。

 「スイマセンでした。」

 ポツリとルンバが、頭を下げると美南と大和もそれに続く。

 「次は許さんからな。お前ら、覚悟しとけよ。真依と一緒にジコク行きにしたる。」

 そんなにも、他チームのファンが憎いのかと思ったが、ここは口を噤む。

 「それにしても、大和の中間テストの点数は悪かったよね。まあ、それよりもっと悪いのは内申点やけどね。」

 「うーん、どうしたら上がるんやろ。」

 フフフッと、奈々美は笑うと、ピンと背筋を伸ばした。

 「私も気になってたし、教えてあげるよ。」

 真剣さが大和に伝わったのか、彼はメモを取り出す。自分も遅れを取るまいとルンバは、早々とメモとボールペンを手に前傾姿勢だ。通常運転とは言っても、この真面目さというかすべてのものに対する、積極性は彼の長所だろう。

 「まずは、内申点だね。これは、今日からなんとかなるからね。」

 「どうせ、授業態度とかでしょ。あれは継続が難しいんだよね。」

 「それがあかんのやで。内申点を上げるのに必要なものとして、やっぱり継続力は必要やで。スポーツでもいると思うけどな。」

 そう言うと、奈々美は首を捻って、美南にどう思う?っと聞く。

 美南は、とっさの質問に、読んでいた小説を、口元に当てながら、少し悩んでいるようだ。

 「そうやな。最重要ってわけではないけど。何に越したことはないものだと思うよ。でも、大和みたいな駅伝選手には必要やな。」

 「俺、テニス部なんですけど・・・。」

 「アホいえ。四月から新居浜先生に呼ばれて朝練だけ来てるやないか。先生が言ってはったぞ。今度の朝練からテニス部の階上ってやつ入れるから、長距離のやつも、短距離のやつも、中体連と駅伝はうかうかしとれん。アイツやったら、リレーのアンカーに今すぐ入れても問題あらへんのやからな、ってね。」

 「へーー。新居浜先生は、俺に対しては、テニス部がアホなことやらかして、朝練なくなったから、テニス部代表として心技体で鍛え直したるって言っていたけどな。あの人も適当やな。何も考えてへん。」

 永遠に続きそうな、先生に関する討論が始まりそうになったが、静かに聞いていたルンバがいきなり話を断ち切る一手を打つ。

「まあまあ、二人とも新居浜先生のことはどうでもいいから。奈々美もボーッと窓の外見とらんと話し続けて。」

「あっ、もう話し終わったの。早いな。てか、ルンバが断ち切ったの?それでは、授業を続けましょうか。」 

 ルンバという呼び名に、京田辺はムカッとしたのか、地面を軽く蹴る。しかし、奈々美には効果がなく、西代奈々美の成績向上のための授業が始まった。

 「まず、必要なのは、先程も述べたとおり、授業をしっかりと聞くことです。勿論、人間はつかれている時や、眠たい時が多々あります。だから、しっかりと授業を聞くといっても先生に授業に真摯に取り組んでるところを見せれば良いのです。」

 「要するに芝居をすればいいやな。簡単やな。ということは、内申点がええ奴らは皆、机に座ってドラマの主人公のものまねしとっただけか。」

 「おいおい大和、それは言いすぎだよ。」

 ルンバが、何を思ったか反論してきた。大和は、ムカッとし、ルンバを睨む。さっきは講義を途中で止めないように、わざわざ人の話を断ち切ったくせ、自分の意見だけはとうしたがる態度に腹が立ったからだ。

 「先生がたまに、答えのない質問をしてくることってあるやん。そんなときってどうすればいいの。この前の大和なんて、国語の時間にこの詩の作者は何が伝えたかったのでしょうか?って言う質問に、自分の勝手な思想とかいって、えらい怒られとったやん。」

 奈々美は、右の人差し指を口元に当て、目線を上にやりながらしばらく考えた。突然、思い出したのか、いつもの様に萌え袖の右手で口を覆って、一分ほど笑い続けていた。

 顔を真っ赤にして、たっぷりと奈々美は笑うと、講義を再開させた。

 「その大和が言った言葉は論外として、答えがわからない質問に対する答えを最も正しい方向に導き出すには下準備が必要です。まずは、授業の趣旨を知っておくことですね。国語の授業なら、教科書のどこかに文部科学省か出版社が提示したねらいが書いてあるはずです。それを見ておくだけで大体はなんとかなります。」

 大和は、奈々美の講義の穴をつくように疑問を投げかける。

 「そうはいうけれど、道徳の時なんてどうしようもないよ。いきなり変な写真見せて、思うことかけって言われるだけや。」

 「確かにね、道徳のやつは難しいんだよね。なんて言ったら良いかな。まあ、正直道徳なんていらないよ。捨てろ。」

 「それは正直すぎやろ。」

 何がおかしいのかわからないが、ルンバが笑いながら突っ込む。

 「うるさいな。正直すぎんのはお前の性格やろ。高校入学までにどうないかせいよ。そのバカ真面目。」

 それまで、静かに寝ていた真依が起きて、暴言トークを始めた。口元には、笑顔が見える。どうやら、勝ちを確信しているから、目覚ましにちょうどいいということだろう。人の扱いがひどすぎだ。

 それに対して、少し顔を赤くしたルンバが、腕を組んで席にもたれかかり、睨みつけている。

 「ええやん。個性派なんやで。」

 「へー、何でも個性派なら良いんだ。」

 そう言うと、真依は懐からメモと筆ペンを出した。ペンのキャップを取り、何回かペンを回転させると何やら書き始めた。

 「バカルンバ 個性だけでは 使えない」

 ワッとばかりに拍手が沸き起こる。近くにいた車掌さんが、何かあったのかとかけてきたほどの盛り上がりだった。

 「座布団十枚。もってけドロボー。」

 「さすが、若桜真依師匠。レベルが違う。」

 「真依師匠、俳句だけでなく新時代の川柳を切り開きましたね。あっぱれ。」

 大和、美南、奈々美が次々に感嘆の声を上げる。真依は、リクライニングにもたれかかり上機嫌だ。

 「ルンバ君 個性個性と しつこいな」

 真依の手から、大和はメモと筆ペンを取り上げると、一句を読む。

 「初心者にしてはなかなかやな。」

 悪口にしか聞こえんと真依は、ケラケラと笑っている。

 奈々美は、真依が笑い終わったのを確認すると話を始める。

 「では、続けましょうか。あっ、短気な人は、女の子に嫌われますんで、大和くんも忘れないようにね。」

 「そうそう、誰かみたいにね。」

 美南はそう言うと、ルンバの顔色を伺う。いつ爆発してもおかしくないような真っ赤な顔がこちらからでもわかる。

 「それって、ホントの話?」

 「さあな、女のセカイには顔をあんまり突っ込まないほうが身のためやと、アドバイスするぞ。わかってるとおもけど・・・・・。」

 「わかったわかった。怖いから話し続けて。」

 震える大和の指先を、見て軽く笑うと奈々美はまた話を始める。

 「ここで質問です。皆さんノートはなんのためにとっていますか。」

 「そんなの復習のためでしょ。」

 「バカモン。」

 ルンバのおもしろなさ満点の回答は即座に却下された。声の主は、さっきから絶好調の真依だった。

 「なんや、またお前か。どんだけケンカ売りたいの。」

 「いやいや。別に何円ともこちらは掲示してないんですけど。」

 「腹立つな。ケンカ売るって言葉の意味知ってる?」

 真依は、フーと息を吸って、天井を見上げてから、ポツリと私が知らないとでも思ってったと静かに言った。

 「一つは、他人にケンカを仕掛けること。もう一つの意味は、仕掛けられたケンカを、他人に負わせて逃げること。」

 「へー、一つ目は知っていたけど、二つ目は知らなかったな。お前は、なんでそんなの知ってるの?」

 真依は、右手の人差し指と中指を軽く額に触れさしてから、スッと離して前を向くと、すました顔で呟いた。

 「まあね、実力の違いってことかな。」

 「はー、実力か。どうしたら、そんなにみんな知識豊富なんやろ。俺だって頑張って勉強してるのに。」

 そう言うと、ルンバは頭いい人はいいなとボヤきながら、周囲をぐるりと見渡す。ルンバ以外の全員が目を合わせる。奈々美が頷くと、それを受けた大和が、真依と美南にオーケーサインを出す。

 「やっぱりね~。ある程度は予想がついていたけど、全くわかっていないとはおもわんかった。大丈夫やで、教えたる。」

 「ありがとう。何も教えてもらってないのに言うのも何やけど、この班に入れてもらってよかったな。」

 ルンバは、これまでにない満足感を得たのか、笑顔でうんうんと頷いている。幸せものと言ったら聞こえは良いが、ただの楽観主義者だ。

 「おそらく、大和とル・・・、あっーーー。ナンデモナイデス。せっかく、ここで皆仲良くなったんやから、この班だけのアダ名を考えへん。いつまでも同じことで揉めていたらただのアホやで。」

 奈々美の言葉に、異論はなさそうだ。皆、居心地の悪そうな顔で軽く頷く。

 「うーん。とは言ってもね、あんだけバシッと型にはまったやつがあると考えるのに難儀するな。」

 しばらく沈黙が続き、列車がトンネルに入ったところで、真依が腕を組みを解きながら呟いた。今までは、面白がって人のアダ名を使ってからかっていたのに、珍しく少し真剣に考えているようだ。

 「普通に健太郎で良いんじゃない。どうせみんな名前で言っているんだからね。どうかなあ?」

 美南が、奈々美に尋ねる。アダ名をつけられる本人に聞かないところが、彼女の面白いところだ。

 「それでイイんじゃない。あとは本人次第だよ。正直、どっちだって良い話題なんでね。こんな話。」

 「皆と同じなんだからそれでいいよ。」

 「よし決まった。話をすすめるで。」

 奈々美はにとっては、アダ名などどっちだってよく、この話し合いの時間が非常に長く感じられたようだ。グーッと言いながら背伸びをすると、軽くペットボトルの水を飲んで気を取り直す。

 「私も疲れてきたから、ローテーショントークで行こか。」

 「了解。順番は、奈々美、私、大和、真依でいいよね。健太郎も配慮してやってや。別にかまわんやろ。」

 「えっ、あっ、は、はい。って、ローテーショントーク。」

 顎を下げて、タジタジ声でその部分を話し、目を見開くのが健太郎のもう一つのくせだった。

 パシッと音がして、健太郎が頭を押さえる。

 「痛いな。何すんねん?」

 健太郎の目線の先には、メロンパンを片手にすました真依がいた。

 「えっ、あっ、は、はいとか、タジタジな態度といい、腹立つな。しかも、真依の朝ごはんにするつもりだった、メロンパン潰れてしもたし。」

 「俺が食べる。ちょうど小腹になんか欲しかったところやし。」

 嬉しそうな顔で、大和がメロンパンに食いつく。周囲からすると、彼の好物としては不思議に思えるが、食べているのを見えると嘘でないことがわかる。

 「そろそろローテーショントークを始めよか。」

 奈々美は、大和が半分ほどメロンパンを食べて、水を飲んだところを見て、提案する。大和は、残り半分を口に入れながら左手でオーケーサインを出す。

 「まず大切なのは、」

 「勉強を勉強らしくやらないことやな。」

 「楽しんでやらなあかん、」

 「真面目にやるだけじゃ面白ないしね。」

 「今の時代にかできないことを、」

 「活用することが非常に大切。」

 「例えばね、そうだなー、youtubeとかね。」

 「検索すると結構、面白おかしく、中学の範囲を教えてくれる奴がおるんや。」

 「それで、勉強できるとはとても思えへんやろ。」

 「それが出来るんだな。」

 「基礎を固めるのにってか、ざっとおさらいしたりするときに動画は使うね。」

 「暗記なら歌、ダジャレ、語呂合わせとかを使うと良いよ。」

 しばらく、目をあっちこっちに動かしてキョロキョロしていた健太郎は、よく話がわかったのか、大きく頷いていた。

 「なるほど~。そうすれば良いんだね。でも、暗記の時に歌で覚えたら、口で言うときおかしくならない。英語の発音が変になったりとか。」

 「いやいや、あのね。用途を考えなきゃ。必ずしも全部を全部の教科に使えって言っているわけではないからね。」

 美南が、健太郎の間違いを指摘する。ふーんと健太郎はわかったようなわからなかったような微妙な様子だ。

 「でも、そんなことしなくても暗記はできるけどね。」

 大和が、得意そうにそう語ると、美南がほほーと、嫌らしいそうな顔で腕を組み、一つお披露目してほしいなと言った。

 「えっ、そんなにすごいの。どんなのか楽しみやな。」

 うんうんと頷きながら、面白半分の周りの視線が一変に大和に向けられる。

 「じゃあ、駅名でいいやろ。ちょっと時刻表借りるからね。」

 そう言うと、美南がスッとバックの中を勝手に探って、時刻表を引っ張りだす。

 「えーと、まずは得意の姫路から長浜まで。」

 フーっと大和は、息を吸うと、右手を軽く動かしてリズムを取りながら、流れるように駅名を歌いだす。

 「姫路・御着・ひめじ別所・曽根・宝殿・加古川・東加古川・土山・魚住・大久保・西明石・明石・朝霧・舞子・垂水・塩屋・須磨・須磨海浜公園・鷹取・新長田・兵庫・神戸・元町・三ノ宮・灘・六甲道・住吉・摂津本山・甲南山手・芦屋・さくら夙川・西宮・甲子園口・立花 尼崎・大阪・新大阪・東淀川・吹田・岸辺・茨木・摂津富田・高槻・島本・山崎・長岡京・向日町・桂川・西大路・京都・山科・大津・膳所・石山・瀬田・南草津・草津・栗東・守山・野洲・篠原・近江八幡・安土・能登川・稲枝・河瀬・南彦根・彦根・米原・坂田・田村・長浜 ♪」

 パチパチと周りから拍手が鳴り響く。何か今までにない、達成感で大和の体は満ちていた。思わず、ガッツポーズをすると、美南がこんなん余裕やろっとささやく。

 「もう勘弁して下さい。結構今の緊張した。」

 「メンタルが弱すぎるよ。YDJでしょ。もう一曲やってよ。」

 右の人差し指をピンっと立てて、微笑む奈々美の顔は、何故かほっぺたを中心として真っ赤になっていた。キラキラと光る彼女の目に大和は、吸い込まれそうな感覚を覚えた。

 ふと、我に返ると列車はちょうど富士山を横目に見ながら走っているところだった。

 窓に映る、富士山を指で麓からなぞっていく、ちょうど頂上に達したときもう一つの小さな綺麗な指が、大和の指にあたった。

 指から腕を伝って、見ていくと、笑いと必死にこらえて真っ赤な顔をした、奈々美の姿があった。

 「へー、大和と奈々美って案外、仲良しさんやね。」

 嫌味っぽい声が背後からして、一斉に視線がその方向に動く。見ると、亜莉沙がスマホをあわててスカートのポケットにしまいながら、立っていた。無駄に、折り曲げられたスカート。ちっとも可愛くないのに、わざわざ軽く日焼けた薄い小麦色の太ももを出して、歩いているのは、恥ずかしいと思わないのだろうか。

 「なんやねん。言いたいことあるなら、突っ立っておらんと喋れよ。」

 真依が、下から嫌味混じりの言葉を発する。

 「・・・・・・・・・。」

 何か口から発しようとしたのだろうが、亜莉沙の口からは何も出てこない。ただ、軽くバカにしたような、フッという声がしただけだ。

 亜莉沙が去ると、奈々美はありがとうと真依に告げる。

 「ええって、気にしなくてもいいよ。いい出発の仕方だと思うよ。」

 真依は、そう言うと反対側の窓に顔を向けた。

 ポカンとしているのは、大和と健太郎だけだった。

 その時、大和は自分に好意を持っている人がいることに気づいていなかった。



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