どうなんですかね
夏の空に輝いていたのは花火だった。赤い光がきらきらと眩しくとんでもなく大きな音がしている。
都立上川高校は偏差値高めの進学校だ。校舎の屋上で僕は一人花火を眺めていた。どうして僕がこんなことをしていなきゃいけないのか。本当はクラスの男友達や女の子たちと一緒に川辺で花火を見るはずだった。
だけれど僕には友達があまりいない。
中学校では割と普通だった。
高校に入った途端クラスの雰囲気に馴染めずに地味な存在を演じている。
周りの奴らは僕のことを見下しているか笑っているに違いない。
身長は普通。体格は中学までバスケをやっていたせいかがっちりしている。成績は不良。教師と親から疎まれている。
屋上でドオオオオオオオンと花火が炸裂した。きらきらと眩しくて僕はじっと見ていた。
校舎の屋上の落書き。倉庫の扉。教室へとつながる階段。ざわざわと騒がしい外の景色。
眺めているだけで実際には僕はクラスの友達と遊びたいのだ。ゆらゆらと悲しく木々の葉が落ちていく。
どうしてこんなにも物悲しいのだろう。そしてどうしてこんなにも心に深く刺さったような孤独感を感じるのだろうか。
制服のワイシャツは汗で濡れていた。せっかくの夏休み前をこうして自暴自棄に過ごしている。
僕は鉄の柵にうなだれながら、じっと空を見上げていた。音のない世界のようだ。ウォークマンの音楽も聞き飽きた。
「こんなところで……」
後ろから女の子の声がした。
「ん?」
僕はびっくりして後ろを振り向く。
「何してるの?」
白いワイシャツとスカート姿の女の子がこちらを見ていた。
「誰ですか?」
僕はとっさに聞いた。
「私の名前は秋穂。趣味でバニーガールをやってるの」
「バニーガール?」
「うさぎの耳をつけたちょっといやらしい服を着た女の子よ」
バニーガールっていったいなんだろうと僕は思った。
「ところでどうしてあなたはここに来たんですか?」
「別に。ちょっとあなたをずっと後ろから隠れて見ていただけ。ところであなたって私の衣装に興味はないの?」
「衣装ですか?」
「うん」
彼女はおもむろに屋上の扉の方へと歩いていった。
何するんだろうと僕は彼女の方を見ていると暗がりの中で急に服を脱ぎ始める。僕は唖然と引き締まった彼女の下着姿を見ていた。
そして彼女はバッグから黒い衣装を取り出して素早く着替える。
「いったい何をするの……?」
僕は茫然とつぶやいていた。
彼女はうさぎの耳をつけてこちらにやってくる。どうしてそんなにエロチックな衣装を着ているのか見当がつかない。
「どう?」
「どうって?」
「いいと思わない?」
「別に」
「じゃあこんなのは?」
彼女は腕を引き寄せて谷間を作った。おもわず僕は見とれてしまう。
ふいに遠くで花火が鳴った。あまりにも大きい音に僕は体を震わせた。
瞬間とんでもなく大きな音と共に、見たこともないほど巨大な閃光が辺りに炸裂した。
「魔法の国へようこそ」
バニーガールは静かにそういった。
「魔法の国?」
「冴えないあなたのための魔法の国」
彼女はそう言って少し笑った。
辺りがゆっくりと変化していく。空が少しずつ絵具のように色が薄くなっていき明るく青くなる。
地鳴りが響き渡る。校舎が激しく揺れる。
「いったいこれは?」
「魔法の国が始まるの」
彼女はやけに静かに僕のことを見ていた。
地鳴りが収まると、校舎はすっかり洋風の建物に移り変わる。
いったいここがどこなのか自分でもわからない。彼女の目を見てもその目はやけに澄み渡っていて、そしてなにより体の曲線がいやらしい。
街はすっかり不気味な城や蔦の巻き付いた森へと変わってしまった。僕は彼女の方を見ていた。彼女が僕に微笑みかける。
「目が覚めたら」
「何?」と僕はとっさにいう。
「あなたは魔法使い」
ゆっくりと辺りがおぼろげになっていき、僕は眠りの世界へ引き込まれた。
朝起きる。僕はベッドの中にいた。目の前に昨日見たバニーガールの女の子の残像を思い描く。彼女の大き目の胸や腰のくびれや奇妙な衣装なんかが鮮明に蘇る。
どうして僕は布団の中で目覚めたのか記憶がない。校舎の屋上で奇妙な光景を見てからいったいどうしたのだろう。クーラーの効いた部屋で僕は毛布にうずくまりながら時計を気にする。
八時ちょうどだった。どうやら今日は遅刻してしまいそうだ。急いで僕はベッドから飛び起き制服に着替える。
クラスの友達武田に連絡をする。宿題もやっていなかったし、レポートの提出もあったはずだ。
携帯電話と財布をバッグに投げ入れて僕は部屋を飛び出す。リビングには母親が作った朝食がある。
母親はもう仕事にいったきりだ。僕は母親を疎ましく思い朝食をそのままにしてマンションの一室を飛び出す。
ガチャンと音がして、僕は急ぎ足で学校まで走っていく。陽ざしがやけに強くて街の道路が光っている。若干憂鬱な僕は学校までの道を駆けてゆく。コンビニエンスストア、薬局、自動販売機、いろいろなものが街に並びいろいろな人が通りを歩く。
僕は通りに黒い猫が通るのを見つけた。黒猫の目がやけにさえわたっている。そして気付いた瞬間に猫がこちらを向いた。
僕と目が合うと猫はゆっくりとこちらへ向かってきた。時間がないと思った僕はすぐにまた走り出す。
「待て」と耳元で声がした。
黒猫がこちらをじっと見ている。
猫の声らしい。猫と言ってもその声は独特でまるでアニメのキャラクターみたいだ。
「バニーガールには……」
猫がそういう。
「気をつけろ」
さっと猫は走り出し視界から消えてしまう。
僕はいったい何が起きたのかわからずにただ茫然と辺りを眺めていた。
駅に着くまでにすっかり体中は汗だくだった。なにより猫の声が聴こえ、そして昨日の不思議な光景が鮮明に蘇ってくるのだ。
ホームにはまばらに人が立っている。僕はその光景を眺めている。おじさんから女子高生まで幅広い年代の人がホームに並び僕はぽつんと立ち尽くしていた。
遠くから電車がやってくる。僕は遠くを見ていた。ガタンゴトンと音がする。瞬間ぶわっと辺りが赤と紫の空間に包まれた。
周りの乗客たちは皆消えてゆく。僕一人がただその奇妙な空間に取り残された。
電車というよりは長方形の異物が僕の目の前に現れた。いったい何が起きたのかもわからずに僕はただ茫然と辺りを眺める。
「昨日振りねー」
グロテスクな電車から降りてきたのはバニーガール姿の昨日見た女の子だった。
「お前は……?」
僕は咄嗟につぶやく。
「私の名前は秋穂よ」
彼女は背中の後ろに隠した右手を振り上げてナイフを僕に投げた。
ナイフは僕の顔の真横を通過する。
「あなたのための」
「ん?」
「魔法の国」
彼女が左手を振り上げ僕に向けた瞬間にもう一本のナイフが僕の胸に突き刺さる。
辺りはまるでふざけたようにゆらゆらと景色が移ろってゆく。僕は胸の激痛に歯を食いしばり涙を浮かべる。
「ここから先は……」
「お前はいったい?」
僕はその場に倒れこんだ。そして意識を失う。
目覚めると僕はベッドにいた。朝の陽光が部屋を照らし、クーラーの風が吹いている。さっき僕はバニーガールに殺されたはずだった。しかし、時計を見るとちょうど八時。今日は七月十五日の夏休み前でさっきと同じ日付だ。
僕は全身から鳥肌が立ち、そーっと部屋のドアを開けた。リビングのテーブルには母親の作った朝食が置いてある。
僕は気だるげなままキッチンで水を飲んだ。冷たい水が喉を鳴らす。いったい今が何時でいつなのかわかっているということがとても不安で仕方がない。
水を飲み終えた僕が後ろを振り向くとそこにはバニーガールがいた。
「秋穂」と僕は言う。
「なあに?」
「いったい何が起きているんだ?」
「あなたのための魔法の国」
「僕には意味がわからない」
「とりあえず学校に行きましょ」
彼女はそう言って玄関を出ていった。僕はいったい彼女が何者なのかもわからなかった。
バッグを手に取り制服に着替え、僕は学校へと向かった。学校までの道はずいぶんと平凡で今回は電車に乗っても何も起こらなかった。
学校に着いた僕は下駄箱で靴を履き替え、そして教室へと向かった。
教室の扉を開ける。そこには誰もいない。僕はゆっくりと中に入る。
「さぁ」
後ろから声がする。
「ここからが魔法の世界だ」
僕の目が急に熱を帯びる。咄嗟に声のする方を向くと、若い黒づくめの男がこちらを見ていた。
「秋穂」
僕は咄嗟に名前を口にする。
「秋穂か」
男がそうつぶやく。
「いったい何が起きてるんだ?」
僕の服はぼろぼろに裂け始めた。そして目から赤い光が漏れている。髪の毛は逆立ち始めた。
「「魔法の国へようこそ」」
秋穂と黒づくめの男の声が重なって聞こえた。
気付くと僕は完全な異世界へと飛ばされていた。
明らかに舗装されていない道路にレンガでできた家が立ち並ぶ。そこには高校の生徒たちが奇妙な布でできた服をまといながら歩いていた。
僕は一人の同級生の河合に声をかけた。いままでほとんどしゃべったことないクラスの人気者だ。
「河合」
河合は僕をちらっと見て不信そうに歩いていってしまう。僕はただ茫然と街を歩いた。街には僕の知り合いしかいない。
僕は数人に声をかけたが、「あなたは?」「だれ?」と言われて去って行ってしまう。
皆僕は知っているのに相手は知らないようだ。
「秋穂」
ふいに僕はバニーガール姿ではないやけにかわいらしい彼女の姿を見つけた。
「やっとここまで来たのね」
秋穂はそう言って僕の目を見つめる。
「いったいこの世界はなんなんだよ?」
「あなたが望んだ魔法の国。現実に嫌気が指していたあなたが心の底で眠っていたことがなんでもできるの」
「なんでもって?」
「あなたは魔法を使える。そしてこの街にいるクラスメイトたちを救う運命を背負っているの」
「なんだよ。それは? まるでゲームじゃないか?」
「ゲームよりもっと切実なのはね」
彼女は深刻そうに声を出す。
「もうあなたは元の世界には帰れない。そしてここで死んだら人生は終わりなの」
「終わりって、もうお母さんには会えないのか?」
「あなたのお母さんはそこにいるわ」
ギラギラと照る太陽に輝く道で骨とう品を売るぼろい服を着た女がいた。そしてその女はよく見ると母親だった。
「いったいこいつらは誰なんだよ」
僕は激しく問いただす。
「あなたと同じようにこの世界へやってきたの」
僕はわけがわからずに頭を抱える。
「こいつらも死んだらいなくなるのか?」
「もちろん」
彼女は僕の方を振り向いた。
「同じような現実がいつまでも続くなんて甘い考えは捨てて。あなたにはあなたの人生しかないの」
太陽がゆっくりと沈んでいく。僕は秋穂と二人で小屋の中で夕日を見ながら紅茶を飲んでいた。
「啓君はいままでの人生は楽しかった?」と秋穂は僕に聞いた。
「まぁ楽しい時もあれば辛い時もあった。中学の時のバスケ部でけがをしてからは割と鬱屈していたな」
「ふーん」と上目遣いで彼女は僕のことを見ていた。
「バスケで活躍してなんて夢を高校でも思い描いていたけど、なんかどれもこれもいまいちでただなんとなく日々だけが過ぎていくんだ」
「死ぬ覚悟は?」
彼女は真剣に僕に問いただす。
「もちろん」
僕は右手の甲に刻まれた六芒星の円陣を眺めた。
「街で買い物でもしない?」
秋穂はそう言って僕を通りへと連れて行った。
通りには人がまばらに歩いては去っていく。冷たい風が吹き、砂埃が舞う。太陽の沈んでいく世界の中で僕は彼女の隣を歩き、そしてもう何も特に望むことはないと思ってしまうのだ。
僕らは一人の青年からパンとハムとチーズを買った。そして隣の店でワインの瓶を買った。
ラベルのはがれそうな明らかに古い赤ワインとパンなどが入った袋を抱えて、僕は歩いていた。
太陽が背後で沈んでいく。街には僕ら二人しかいない。そして胸の中に灯るのは秋穂への恋だった。
「私はこの世界で生まれたの」
秋穂は僕に小さな声で言った。
「啓の住んでいた場所とこの世界が融合したとき私は偶然啓を見つけた」
「それはいったい?」
「啓は偶然にも私に選ばれたのよ」
僕らは小屋へと戻った。小屋の中にランプを灯す。眩しい明かりが室内を照らした。テーブルの上に二人で座る。
ナイフでパンとハムとチーズを切り分けて、皿に載せる。
僕らはただ黙って向かい合いながら食事をした。コーヒーを飲みながらパンをかじる。
「二人っきりで食事するのも奇妙だよね」
僕は照れ交じりにそんなことをつぶやく。
「明日は仕事を探しにいきましょ」
彼女は僕の方を向きながらそういった。
十七歳の僕にはバイト経験もなかったが、いったいどんな仕事をするのかただ奇妙に思った。
シャワーを浴びた後に僕は服を着替えて、ベッドの中で眠りについた。秋穂が僕の隣で眠っていた。
僕は興奮で夜に眠れずただ窓の外から月を眺めていた。
光のない部屋の中でただ毛布の暖かさと隣で眠る彼女の面影だけを感じる。
「秋穂」
僕は小さな声でつぶやいた。
その日は僕は明け方まで眠りにつくことができなかった。そしてその間昔の世界をずっと思い描いてきたのだ。
父親がまだ生きていた時母親と三人で遊園地に遊びに行った思い出。父親が死んだとき、母親はただ泣いていた。僕も激しく泣いていたが、当時の僕にはただ母親と二人だけしかないという事実が孤独だった。
眠りについてから数時間後に秋穂に僕は起こされた。そして僕らは昨日の残りを朝食として食べた。
「今日は仕事だっけ?」と僕は言った。
「石工職人のところと猟師のところへ連れていこうと思って」
「僕にできるかな?」
「がんばってね」
朝食を食べ終え、僕は秋穂と並んで街を歩く。時折それはとても奇妙だが、僕の知り合いと出会った。
「どうして僕のことを覚えていないのだろう?」
「彼らの記憶が入れ替わっただけ」
「それはいったい?」
「簡単に言うとここに来てから新しい過去の記憶を植え付けられたの」
「どうして僕は?」
「私があなたを主人公にしようと思ったから」
僕は釈然とした自分に都合がよすぎる猜疑心を抱えながら秋穂と歩いていった。
石工職人の元では十数人の男と数人の女が建物などに使う石材を作っていた。そういえば街の中心には石でできた建物があった。
「お前は?」
一人の職人が僕に向かって話しかけた。
「ここで働きたいと」
僕は咄嗟にそういった。
「じゃあこれを削ってみろ」
僕は職人の元へ行って大きな石を金づちで削った。
僕がもくもくとやり方もわからずに削っている間、秋穂と職人は何か話をしていた。
ようやく僕は大きな石をチョークで書かれた大きさに削り取った。
職人は僕の削り取った石材を見て、「これじゃあ駄目だな」と言った。
「え?」
「不合格だ」
職人はそう言って去っていった。
僕は理由もわからず工房を去った。
次に僕らは数キロ先まで歩いて、狩猟をしている場所へと向かった。
彼らは矢を使って、獲物を狩っていた。
「どうした?」
猟師は秋穂にそう言った。
「彼を雇ってほしい」秋穂はそう言った。
「じゃあやってみな」
秋穂と僕は猟師と共に森へと入って行った。森の中はうっそうと木が生い茂っている。僕はその中を進んでいく。遠くには大きなとんびが飛んでいる。パタパタと羽をばたつかせて森から遠くの山へと飛び立っていく。
いったい何が始まるのか奇妙に思っていると猟師たちは僕に矢を向けた。一秒で僕は見抜いた。この世界が僕の生まれた時代特有の僕個人の物語であると。
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