流星の降る夜

 朝、初冬。冷たい雪の粒が舞う。僕は大学生。彼女は高校卒業後にパン屋で働いていた。朝早く彼女が家を出る。僕はぼんやりと彼女の背中を追う。

 静かな町の景色。開けっ放しのベランダの窓から僕は遠くの景色を眺める。開けた町の世界はなぜか郷愁を感じさせた。

「お母さん」僕はそっと枕元でつぶやく。

 一年前に母親が死んだ。当時僕は一人暮らしをしていた。父親と母親と僕の三人暮らしだった。

 母親ががんで亡くなった後、父親と僕で約束をした。

「一家離散だ」

 陽気な父親はそう言って、半年後に家を売り払い、父親は田舎に帰り祖父母と暮らすといった。

「仕事はどうするの? 会社は?」

「向こうに土地があるから、そこで農業や地元の友達の会社を手伝おうと思っている」

「じゃあ僕は?」

「がんばれ」

 結局僕は大学の近くで一人暮らしを始めた。夜、寝るのが寂しくて、僕は地元の友達と電話をしているうちに、彼女の詩織と出会った。

「話って?」」

「つまり、僕と付き合ってほしい」

「いいけど……」

「なんだよ」

「だって本当に私のこと好きかどうか怪しいから」

「好きに決まってるだろ」

「じゃあいいよ」

 そうやって僕たちは付き合い始め、十分すぎる資産で借りたマンションにいつの間にか二人で住み始めた。

 付き合い始めた当初問題ばかり起きた。いろいろとそのせいで喧嘩したりした。まだ二十歳の僕らはあまりに若すぎる。二人で布団を引いて寝る。初めのうちは緊張したが、そのうちに僕らは性行為を始めた。

「ねぇ」詩織のことを僕は抱いていた。

「何? 慶君」

 夜の性行為が終わり、僕はシャワーを彼女と浴びる。なんやかんやお互いの性格から冷たくなることがある。すれ違う心をどうにかしてつなぎとめようとする。彼女は僕に冷たくする。僕はへこんだとこを見せたくなくて、逆に怒ってしまう。

「もう実家に帰るからね」

 何度も僕に詩織はそう言った。

 やっぱりお互いのことを知るには若すぎたのかもしれない。僕はすぐに自信を失う。

「うるせえよ」僕は時折怒鳴る。絶対に近所迷惑だ。

 一人で夜に散歩することもあった。夜中に飲むカフェラテの味は格別だ。時折高校生とすれ違う。その度に僕は少し怖くなる。つまり自分と似ている人に無性に腹が立ったり、怖くなったりする。

 夜の町の静かなことと言ったらない。公園には誰もいない。居場所を失った僕はとめどなくそこから逃げようとする。

 公園のベンチで煙草をふかしていると、近所の老夫婦が歩いてきた。僕は気まずさから目をそらす。

 彼らは僕の存在に気づきつつもそっと僕の前の通りを歩いてゆく。

頭の中で音楽が鳴り響く。ずっと昔に聴いたことのある音楽だ。音符の配列が頭の中に刻まれていく。とある夢から覚めてからずっと僕の頭を占有するのは音楽だった。ピアノもろくに弾けない。才能なんか自信はない。しかし、心の奥底に自己陶酔する性質が眠っている。

ふいに頭の中に主旋律が浮かぶ。そういう時、僕はとっさに家に帰った。


 詩織のことを僕は部屋の彼女のいないリビングでずっと待っていた。一人で過ごしていると詩織から連絡がくる。

―今日は先輩と飲みに行くから

 メールが来て、僕は弁当屋へ向かう。頭の中にあるのは嫉妬心だった。人を傷つけたい、優しく言えばいじめたい衝動。

 弁当屋でチキン南蛮弁当を買い、一人寂しく家に帰る。大学のレポートもほどほどにバイトのシフトを確認しながら、僕はビールを開け、飲みながら弁当を食べた。ほかほかで温かいごはんとチキン。タルタルソースがなんとも言えず揚げた鶏肉と合う。サッポロビールの喉越しも素晴らしい。

 たった一人の夜に僕は弁当を全てたいらげて、ビールを飲み干す。食後に煙草をベランダで吸う。遠くには山が見える。銀色の流星がふいに目の前を通ったのを僕は見た。

―これはいったい。

 僕が心の中でつぶやくと無数の光をまとったオレンジ色の流星群が町の広大な空間へ向かってくる。町はふいに人気がなくなって、僕一人が流星群が降り注ぐ町の中にいた。

 暗がりがオレンジ色に染まる。流星は変形した暗く青い空の町へ降り注ぎ弾ける。

―いったいなんなんだろう

 不思議と僕は目の前の光景に恐怖するより心を激しく揺さぶられた。


 ふいに僕は夢から目覚める。いったいどこからどこまでが夢だったんだろう。隣には詩織の寝ていた痕跡があった。気付くと朝の六時だった。詩織はもう家を出ている時間だ。週末の金曜日。今日も僕は授業があった。

 僕の専攻は文学で本当に後悔している。音楽がやりたいと気付いたのは大学からで、でも僕はそういうサークルにも入らず、もくもくと物流倉庫のバイトをしながら家のパソコンで作曲をしていた。数万の機材で僕はリラックスミュージックみたいのを作り、動画サイトに上げていた。

 洗面所へ行って顔を洗い歯を磨き寝癖をスプレーで整える。朝は国立大学へ向かう電車の出発時間の前に食べる。詩織の勤務先と僕の大学のちょうど間くらいだ。詩織の働いているパン屋は繁華街から少し外れたところにあって、洋風な建物で古い感じがするが落ち着きがある。

 朝食はコンビニのおにぎりを買い、僕は電車に乗る。ホームで食べ終えたおにぎりの包みを僕は袋の中に入れて、ぼんやりと外の景色を眺めていた。

 窓の外に輝くのは朝焼け。明るい川原、遠くのビル、芝生、青い水、橋。とめどなく世界は移り変わる。電車の音に乗せて体が揺れる。乗客の声がまばらに聴こえる。ふいに夢に見た光景を思い出す。あの流星群はいったいなんだったのだろう。

―僕はいったいどこから夢を見たのだろう。

 電車が駅に着くと、僕はそこを降りた。周りに学生はいない。朝早く授業が始まる前に行って、カフェテリアで作曲をする。小型のウィンドウズのノートパソコンと、小型のシンセサイザーで。

 僕はカフェテリアの机の上にパソコンを広げ、手始めにもう何度も聴いたベートヴェンの「英雄」を再生する。ぼんやりと着想を得る。もちろんそれはベートヴェン的だ。様々なものを組み合わせる。楽譜もなんとか音にするが、いまいちしっくりこない。頭の中には溢れるほどのメロディが浮かんでは消えてゆく。

 五線譜の上のメロディが騒ぎ出す。一音一音慎重に重ねてゆく。ピアノの音に変換して再生すると趣が変わる。こんなことをかれこれ二年やっていた。

「よお」と少し離れたところから声がする。

「何?」あいつの声だと僕はわかった。

 そいつは半笑いでこっちへやってきた。声がでかくていかにもこわもてだ。

「昨日バイトで寝てねえんだよ。隣で寝ようかな」

 桜庭清は同じ学部の友達でテニス部とバーのアルバイトをしている。将来は自分で店を開きたいなんてことを言っていた。

 桜庭は俺の隣の机でつっぷして寝始めた。僕はなんかよくわからないが緊張していた。彼の寝息だったり体が微妙に動く振動だったり、いろいろと僕の胸に刺さる要素はあった。

 桜庭が隣で寝ているのを少し意識しながら僕は作曲を始めた。桜庭は相変わらずつっぷしたままだった。

 いいころ合いまで出来上がると僕はラテンアメリカの小説を読み始める。大体いつもこんなものだった。小説も書くが、あまり筆が進まない。それよりは作曲に没頭した方が楽だった。しかし本を読むのも好きだ。

 一時限の授業が始まる頃に桜庭は講義室へ行ってしまった。今日の僕の講義は二時限から四時限までだった。文学部の講義なんかレポートで済んでしまう。

 二時限が始まる前に僕は購買でサンドイッチを食べ、そして講義に向かった。講義室の机で僕はぼーっと講義を聞いていた。わりに面白い。それで僕はノートを取りながら、いろいろと考え事をしていた。

 昼食は学食でかつ丼を友人たちと食べた。そしてまた講義に向かう。坐りっぱなしの授業だった。四限はゼミで発表をした。

 終わるころには夕暮れで冬だったが暖かい日差しが射し込んでいた。オレンジ色の夕日が僕の頭上から降り注ぐ。綺麗な雲が浮かぶ。駅まで歩いて改札を通り抜けるとちょうど電車が来ていた。いったい詩織はどこへ行ったのか考えながら僕は電車に乗り込む。

 電車は先へと進んでいく。僕は頭の中で夢想にふける。そして時間が経つと僕は周りの景色がおかしいことに気付く。乗客の姿がない。瞬間頭を何かで殴られたような感触と共に僕は汽車の寝台に寝転がっていた。

「いったいここは?」と僕はつぶやく。

 汽車の中に僕以外乗客はいなかった。ただガタゴトと音を立てて山道の中を汽車が進んでいくのがわかった。いったいどこへ行くのかもしらない。森の中針葉樹林が立ち並ぶ冬の岩肌の間を縫うように汽車が進んでいる。僕はぼんやりとした意識の中、寝台から降り汽車の中を彷徨う。

 ふいに甘い匂いがした。僕はおそらく汽車の食堂のようなところへと向かう。

「どうしたんですか?」と白髪の小柄な女の子が僕の方を向いているのが見えた。

「いったいここは?」

女の子は黙って僕の方を見ている。

「ここはどこですか?」

「どこですかって? ここは魔法の国マカロニア王国への汽車です」

「それはいったい?」

「あなたの紋章を見せてください」

 女の子はそう言って僕の方へつかつかと歩み寄る。僕はふいに自分の服に目をやる。僕が来ていたのは麻でできた服だった。

 女の子は僕の腕をまくって、腕に刻まれた紋章を見つけた。

「これが魔法使いの印です」

 やけに深刻そうに彼女は言った。

「魔法使い?」

「ええ、つまりここは地球と異世界をつなぐ、一本の道なんです。あなたは流星を見たでしょ?」

「はい」

「それが魔法使いへの招待です。地球上で一万人に一人が魔法使いの運命を背負います。魔法使いは一度このマカロニア王国へ来た後にもう一度地球へ帰るんです。そして地球の隠した重大な事実を知ってしまいます」

「それはいったい?」

「地球に住む吸血鬼の姿を見てしまいます」

「吸血鬼?」

「詳しいことは後で話しましょう。お食事は?」

「まだです」

「じゃあこちらへ」

 カーテンを開けるとそこには白い服をまとった詩織が食事をしているのが見えた。

「どうしてここにいるの?」僕は驚き交じりに詩織にそう聞いた。

「私があなたの彼女だと思って?」

 詩織はそう言って笑う。

「とにかく話の続きをしましょ」詩織はそう言って僕を寝台まで連れていった。

「ねぇ、どこから話そう」

 彼女は僕を寝台の上に押し倒して、僕の上に乗り、頭を両手で鷲掴みにした。

「ねぇ、私のこと好きだったの?」

 彼女はそう言って歯をむき出しにする。八重歯は鋭くとがり、目の中央が赤く光る。その表情は不気味でありながらどこかエロチックだった。

「まさか、お前は?」

彼女は肩越しに服を脱ぎ、僕を誘惑する。

「吸血鬼」

 僕は寝台の上の寝そべりながら、彼女のされるがままに血を吸われていた。

「魔法使いの味は」彼女は続ける。

「なんだか魅惑的」

 彼女が僕の首筋から顔を放すと一滴の血がベッドのシーツに垂れるのが見えた。なんとも言い難い快感と体から血を抜かれた脱力感と彼女の胸や腰の感覚が残っていた。

「幸せ?」と彼女は僕に聞いた。

「うん」と僕は小さな声でつぶやく。

「吸血鬼は」彼女は僕の目を見つめる。

「魔法使いと結婚するの」

 汽車がマカロニア王国へ着く頃には、夜が明けていた。

「昨日見た流星はあなたへの招待状」彼女はそう言って笑い、僕の唇にキスをした。


 ばっと僕は布団の中で目覚めた。汗がすごい。隣には詩織が眠っていた。いったい今の夢はなんだったのだろう。いったい今僕はどこにいてそしてどこへゆくのだろうか。

 現実と夢の境界線もわからないまま、僕は部屋で詩織を起こさないように洗面所へ行ってシャワーを浴びた。

 ふと携帯を見るとラインに昔の友達から昨日の夜連絡が来ていた。

―いったいお前は誰だ?

 僕はそう自分につぶやいた。

―俺はどこにいる?

 外には風が吹いていた。何もできない僕はただ世界が移り変わるのを見ていた。昨日見た流星の閃光が僕の目の前で弾ける。

 夕闇の中、弾けるのは流星の光。何億光年もの歴史と、古い夢が、交錯して交わりあうのが世界。幻影を追い求めた脳内でさえ、見たこともない光景に心を奪われ、茫然と空を眺めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る