第44話 ドッペルゲンガー①


 二日目に入って冷静さを取り戻してきた俺は、なんだかクレアに悪いことをしたなと思えてきた。しかし、今日は朝からクレアが怒ったような態度で俺を無視しているので、話しかけても返事は返ってこない。

 だから一方的に慰めてやることにした。


「アイリの貧乳も見てるだけなら綺麗でいいんだけどさ、使うことを考えたらお前の体の方が上だぜ。実際、俺が理想としてる体つきだったよ。正直に言えば、裸のお前に何度も鎖で縛りつけられてたら変な趣味が目覚めそうだったもんな。俺がこんなに手放しで人を誉めることはないぜ」


 俺の慰めが届いているのかいないのか、クレアは返事ひとつ返してこない。

 これはグリムリーパーを間に挟みながらの会話である。飛び回るコウモリの羽音がうるさくて非常に話しにくい。しかもコウモリの体当たりが意外と強くて、気の抜いたら吹き飛ばされる。


「あんな男に、あんな風に批評されるなんて、私は考えただけでも恐ろしいよ」

「同感」


 後ろの方でそんなことをひそひそ話している声が聞こえた。

 この森にいるボスが三体だけだとは限らない。だからワカナはしきりに違う場所でやった方がいいよと提案してくるが、それはワカナとリカ以外の全員から、ふーんみたいな感じで流されている。


「おい、リカ。ワカナと無駄口叩いてないで、さっさと敵を引っ張って来い。足りてないぞ」

「了解」

「まさに狂気だよ」

「ワカナ、なんか言ったか?」

「なんでもない」


 ボーンドラゴンはゴールドしか落とさない。そのかわり、二千ゴールドくらいをコンスタントに落としてくれる。これは普通のモンスターとしてあり得ないほどの額である。

 グリムリーパーはポーション類を落とした。普通は素材だけだから、これもボス以外では今までにあまりなかったことである。

 デビルは普通のドロップだったが、人型だから装備類をレアとしてドロップするに違いない。


 経験値的にもランク40になってから初めて経験値バーが動くのがわかるほど入ってくる。明日にはみんなで41にランクアップするだろう。

 ここ以外では経験値など入っているのがわからないくらいしか経験値バーは動かない。

 しかもボスであるドッペルゲンガーは、変身した者に必要なアイテムを落としてくれる。


 これは変身した職業に必要なものではなく、変身した者に必要なアイテムであったことが不思議だ。俺に変身したドッペルゲンガーは、余ったMPの使い道になりそうなものを落としている。

 クレアに変身したドッペルゲンガーは、相手のHPに応じた追加ダメージを与えるフルティングという剣を落とした。レイピアのような軽い剣だが、攻撃ごとに相手のHPの2%がダメージとして加算される。


「いいアイテムだよな」

 ふいっと横を向いて、クレアは俺の言葉に取り合わないという仕草をした。

 だいたい何を怒っているのかわからない。いつまでも無視されるのは面倒だから、クレアが無視できないようなことを言ってみることにする。

「そんなに怒られても、お前の気持ちがわからない俺にはどうしていいのかわからないんだよ」

 案の定、クレアは無視していいものか困ったような表情になる。

「よく私の形をしたものに斬りかかれたわね。もし間違ってたらどうするつもりだったのよ」

「そりゃ片方は裸だったし、名前のところに『変身したドッペルゲンガー』って表示されてたからな。間違えるわけないだろ」

「血だらけの女の子を斬りつけるなんて、心は痛まなかったの」

「言うほど出血のエフェクトなんて出てなかったよ。俺の攻撃なんて全てかすり傷だったぞ。俺にはバフがかかってなかっただろ、お前を出血させるほどのダメージを出せるわけないじゃないか」


「そう。じゃあ、許してはあげないけど怒らないでおいてあげようかしら」

「お前にも乙女心があったんだな。そんなことで傷ついてたのかよ」

「ちょっと、まさか私がアンタのこと好きだとか、また変な勘違いしてるわけじゃないわよね」

「してないしてない。そんなこと夢にも思わないから安心してくれ。だけど、もうちょっと日に当たった方がいいんよな。体中、真っ白けじゃないか」

「そ、そんな話はやめなさいよ! 私はまだ許してないのよ。本当に無神経な馬鹿ね。どうして言わなきゃわからないのよ」

「せっかく仲直りしたのに、言い合いはやめようぜ」

「仲直りはしてないわよ」


 いくら俺だって斬りつけるときは躊躇したし、何度も確認はしていた。しかし、そんなことは絶対に言わないというだけだ。

 枯れた木が立ち並んだだけの、薄気味悪い霧に包まれた瘴気の森でも、一通りの敵を倒してしまえば特に何も感じなくなっていた。

 作業のごとく敵を倒していたら、昼飯時になった。


「こんだけ歩いても、まだ森の終わりは見えてこないな」

「寒くないのは、ありがたいわね」

 そう言ったアイリはまだ機嫌が悪そうだ。一体何に怒っているのだろう。

「ねえ、そろそろ帰ろうよ。もっといい場所が他にあるよ」

「どうしてここは雪がないのかしらね」

 ワカナの提案を遮るようにクレアが言った。自分とアイリだけが犠牲になるのは、やはり釈然としないものがあるのだろう。

 そんなことをしているクレアの装備も、かなりのガタが来ている。

「そろそろキングパイアから出たレアだけじゃきつくなってきたな。ランクが上がって俺たちが強くなるよりも、出てくる敵が強くなる方が早いから、装備だけは良くしていかないとな」

「レアが出そうな場所を知ってる」


「リカも往生際が悪いな。レアが出そうな場所はここだろ。いいか、変身したドッペルゲンガーなんて自分とは関係ない何かだと思ってりゃいいのさ。自分の裸が晒されてると思うから恥ずかしいんだ。本当に細部まで同じだなんて保証はないだろ」

「そ、そうよね。そうよ。あれは私とは違うのよ」

「当り前だよ。お前の乳首はあんなにきれいな色じゃないだろ。そういうことなんだよ」

 アイリに耳を思いっきり引っ張られて、俺は地面に転がされた。なにかが引き裂けるような音まで聞こえてきた。

「でも、あんなの悪ふざけが過ぎると思わないかな。絶対におかしいよね」

「あー、ワカナに化けたドッペルゲンガーに会うのは楽しみだなあ」

「爆炎でユウサク君の視界を塞いで、その間にリカに倒してもらうから、たぶんユウサク君がそんなものを目にする機会はないよ」

 ワカナが鋭い目でこちらをにらんだ。

「きったねーな。そんな算段を立ててるのかよ。ま、せいぜい頑張れよ」


 これまで唯一真面目に戦っていた俺を、周りのみんなが邪魔したから、ドッペルゲンガーとの戦いはそれなりのピンチを招いてきたのだ。

 ワカナのドッペルゲンガーくらいなら、そんなに深刻な事態になることはないだろうからいいようなものの、アイリとクレアの時は、かなり際どかった。


 特にアイリのドッペルゲンガーは、この魔法抵抗だけを上げまくってる俺までワンコンで沈めてくれたのだ。

 そこまで考えて、ふと恐ろしい考えが頭をよぎった。このドッペルゲンガーが、もし本来は六体一組で出てくるものだとしたらどうだろうか。


 アイリの魔法攻撃の後に、俺のデストラクションがクレアにでも入れば、確実にしかも一瞬で全滅という事態になる。

 そこまで行かなくても遠距離物理攻撃のできる誰かとアイリの組み合わせだけでも、一人二人はロストの可能性がある。正直、魔法ではとどめが刺せないという条件に救われた感じがあるのは否めない。


 やっぱり他の場所でやった方がいいのかな、とも思えたが、まだ六体一組と決まったわけでもないのだから、こんなにおいしい狩場を逃すのも惜しい。


「まさか、変なことを思い出してるわけじゃないでしょうね」

 俺の顔を覗き込みながらクレアが言った。人が真面目に考え事をしているというのに、どうしたらこんな穿った考え方を出来るのだろうか。

「大丈夫、思い出さなくても、あれから一度も忘れてないよ」

「そういうこと言ってると、本気で怒るわよ。その頭がなくなっても知らないからね」

「暴力なんかとは縁がありませんって顔して、よくそういうことができるよな」


 そんな話をしていたら、突然バキバキという音がしてリカが上から降ってきた。枯れ木の上で見張りをしていたはずだが、なにか心を乱すことでもあったのだろうか。

 落ちてきたリカは、いつもの無感動な態度ではなく青い顔をして震えていた。


「次はお前に変身したようだな」


 その言葉が終わらないうちに、俺に数本の手裏剣が刺さった。

 どうやら今度もまたクールダウンタイムもキャストタイムも無視してスキルを使ってくるドッペルゲンガーであるらしい。俺のHPはすでにミリしか残っていない。

 手裏剣が飛んできたであろう方向を見ようとしたら、リカに目隠しをされた。


「おい、真面目にやらないとロストすることになるぞ」

 俺がリカの手を振りほどいて回りを確認した時には、敵の影はどこにも確認できなくなっていた。

「逃げたわ」

「逃げたわじゃないだろ。倒さなくてもいいのかよ。お前は自分の裸姿がそこら辺をうろつきまわってて平気なのか」

「平気じゃない。探して倒してくる」

「おい一人で行くなって。変身したドッペルゲンガーはお前より強いぞ」

「だけど私しか追いつけない」

「ただ逃げるだけとも思えないから、MPが回復したころ戻ってくるだろ。みんなも気を付けろよ。鎧を着てる俺ですら瀕死になったんだ。俺とクレアとモーレット以外が攻撃を食らえばロストもあるぞ」

「戻って来なかったらどうするの」

「そしたら放っておけばいいだろ」

「絶対に嫌」

「そんなことにはならないから安心しろよ。きっと戻ってくるからさ。ここからはクレアのリバイバルの範囲から出ないようにしようぜ。リカもだぞ」


 リカは神妙な顔で頷いた。確かに自分の裸がそこら辺をうろついているなんて嫌に決まっている。だけど逃げてしまって戻ってこないなら、何のために変身したのかわからない。

 必ず俺たちを倒そうと戻ってくるという、俺の予想通り、リカのドッペルゲンガーは戻ってきた。しかし、敵と戦っているところにやって来て、横合いから手裏剣をしこたま投げてくるという迷惑極まりない戦い方をしてきた。


 ダメージが分散したから助かったようなものの、そうでなかったらやばかった。そしてMPが尽きたら、またどこかへと逃げようとする。

 リカがそれを追いかけたが、MPが尽きているなら勝てるだろうから止めはしなかった。

 しばらくしてリカが戻ってきて言った。


「駄目、絶対に追いつけない」

「まあ、能力は同じなんだからそうなるだろうな」

「私の方が足は速い。だけど煙玉を使われた」

「なるほどね」


 それからもリカに変身したドッペルゲンガーからの、嫌がらせのような攻撃は続いた。手裏剣が飛んできたかと思えば、もうケツくらいしか見せずにどこかへと行ってしまう。

 魔法の範囲にも決して入ってこないし、音もなく近寄って来ては、戦いのどさくさに紛れて手裏剣だけ投げたらどこかへと消える。


「早く倒して。コシロのヌケサク」

「俺に当たるなよ。お前って意外と下が毛深いよ―――なッ!」

 あろうことかリカは怒りに任せて手裏剣を投げてきた。

「ヌケサク!」

「お前なあ……」

「どうしたらいい」

「移動阻害の魔法を当てるしかないだろ。手裏剣が飛んで来たらお前が近寄って、そこからはモーレットだ。やることはわかってるな」

 モーレットが頷いた。

「アイリに変わればいいんだろ」

「そしてアイリが移動阻害付きの魔法を当てれば倒せるだろ」

「ええ、大丈夫よ」


 任せておきなさいとばかりに、アイリは自分の胸をたたいた。倒す算段を整えて、もう一度ドッペルゲンガーの襲撃を待っていると、ほどなくして奴は現れた。

 しかし、リカにモーレットが入れ替わり、そしてアイリに入れ替わるうちに、リカに変身したドッペルゲンガーは木の陰に隠れてしまった。


 しかも破れかぶれに放たれたアイリのアイスランスよりも、ドッペルゲンガーの逃げ足の方が速かったのだから、これでは当たる気がしない。

 敵の放った手裏剣は全部俺に刺さった。


「こんなに木が多いところじゃ無理だわ」

 さっきまで自信たっぷりだったアイリが困惑気味に言った。

「いや、次は倒せるよ」


 俺はおでこに刺さった手裏剣を抜きながらそう言った。

 倒すことにムキになっているリカのかわりに、クレアが俺の目を塞いできたので、俺は手裏剣を避けられなかったのだ。

 その手を振りほどいた俺にクレアは不満げな眼差しを向けている。


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