第41話 メエ


 早朝だと思っていたが、すでに誰もリビングにいなかったから、それなりの時間だったのだろう。それなのに外の空気は、適当な恰好で出てきてしまった事を後悔するには十分なくらい寒かった。


「ダラムのダンジョンの高台から降りない覚悟はどうなったんだ。貸した金は返ってくるんだろうな。すでに一日目から稼ぐ気もないようだけどさ」

「心配すんなよ。まだ誰もダラムには行ってないんだ。移動をどうするかとか、パーティーはどうするかとか、決めなきゃいけない事が沢山あるからな」

「へえ、それでお前はコンパニオンを買ったらどうするんだ。ランクは上げさせてやるのか」

「どうだろうな。本人の希望も聞いてみなきゃわかんねえよ。あー、それにしてもついにあの子が手に入るのか!」


 朝っぱらから道端で変な奇声を上げているタクマは迷惑極まりない。それにしても、こいつが金を貯められたのは奇跡としか言いようがない。様々な偶然が重なったおかげだ。

 今回出たアイテムを買い取れるというコウタも、高級セクシャルコンパニオンを買えるくらいの金は持っているという事になる。


「もうメエは買われちゃってるかもな」

「今朝、奴隷商人を叩き起こして予約してきたから大丈夫だよ。俺がそんなところで抜かるはずないだろ」

「凄い行動力だな。恐れ入る。だけど予約なんてシステムあるのかよ」

「良いも悪いも、半日程度ならいいでしょうと言ってくれたんだ」


 市場通りにやってきた俺たちは、いつもの場所にコウタの顔を見つけることができた。寝ないで金策に走り回っていたのか、コウタは目の周りにクマを作っていた。


「ずいぶん儲かってるようじゃないか」

「ええ、まあまあですね。ユウサクさんにご贔屓にしてもらってるおかげですよ」

「それで金は作ってくれたのか」

 タクマが俺たちの会話に割り込むようにして言った。

「ええ、なんとかなりましたよ。ツケで買っていた人たちから回収するのは思っていたよりも大変でした。それじゃあ、細かい明細についてお話しますね」


 コウタはその場でアイテム一つ一つの買い取り額と、その金額になる理由を説明してくれた。もっとどんぶり勘定でもよかったのだが、取引には必要なことであるらしかった。

 アイテムの値段というのは、その時の噂や流行りなどに左右されて流動的だから、説明して納得してもらわないと後々で揉めることがあるのだろう。


 その説明が終わって、やっと俺はお金を受け取ることができた。タクマから俺の取り分である210万ゴールドを受け取った。そこから60万ゴールドをタクマに貸し付けるために渡す。

 本当に返ってくるかは微妙だが、ダラムの方で稼げるのだから大丈夫だろう。ここで貸さなかったら一生言われ続けそうだから仕方がない。


「へへっ、ありがとうごぜいやす、ありがとうごぜいやす」

「常にそのくらい腰を低くして生きろよ」

「無理に決まってるだろ」


 それでコウタと別れて市場を歩いていたら、コンパニオンの画面を覗き込んでいるアイリを見つけた。なにを探しているんだと声を掛けようとしたら、知らない男がアイリに声をかけた。

 アイリは困ったような顔で対応している。顔だけはいいから声を掛けられやすいのだろう。

 そこで困り顔のアイリと目が合うと、こちらに手を振って駆け寄ってきた。アイリに声をかけた男は俺を見ると、どこかへと行ってしまった。


「お前も色々と大変だな」

「そうね」

 と言って、アイリは笑った。最近は本当によく笑うようになった。

「なにを買いに来たんだ」

「アルクが装備するのに、なにか良さそうなものはないかと思って見てたのよ」

「一人で見て回るのが大変なら、こいつの用事が済んだあとで一緒に見てやってもいいぞ」

「なによ。それはデートに誘ってくれてるの」

「まあな」

 アイリはいちいちめんどくさいことを言ってくる。一人だと大変そうだから手伝ってやろうと思っただけなのだ。

「そう。本当は今日もアルクと一緒に森に行く予定だったの。でも、午後からにするわね」


「ちょっとまって、ちょっとまってっ! なになになに、なんなの!? なんでサラシナさんはこいつにデートに誘われてなんでそんなに嬉しそうなの。本当にコイツのことが好きなのっ!?」

「どうしてそこまで発狂するんだよ」

「そんなことまで周りに話しているのね」

「違うって。こいつのギルドのミカって人がそういうことを言ってるんだ」

「あの話。本当だったんだあ……」

 驚いたことにタクマは本気でへこんでいるようだった。

「貴方、ハーレム豆電球って言葉に心当たりはないかしら。さっきも言われたのよ」

「あるよ。俺のことを、そういうふうに言ってる奴らがいるんだ」

「貴方のそういう評判のせいで、私までハーレムメンバーのように言われているのよ。そんな風にみられてるなんて心外だわ」


 どうしてくれるのよという態度でアイリは怒っている。しかし、そんなのは俺のあずかり知らぬところで言われているのでどうしようもない。


「こんな奴のどこがいいんだ!」

「わっ」

 いきなり大声を上げたタクマに驚いてアイリが小さく飛び上がった。

「目を覚ますんだ! サラシナさんはコイツに騙されてるんだよ!」

「おい、やめろって。こんな場所で騒ぐなよ。それに俺のことを指さすな」

「サラシナさんは、本当にこいつのことが好きなのか!?」

「え、ええ。好きなのよ」

 アイリはタクマの質問に馬鹿真面目に答えて顔を赤くした。

「おお、神よ……」

 そう言って、タクマは膝から崩れ落ちた。そしてすぐさま飛び起きて俺の肩を掴む。

「おい、ユウサク!!」

「もうやめろよ。お前の嫉妬は度が過ぎるぞ」

「世界にあるべき姿を取り戻さないと」

 急にタクマは憑き物が落ちたような顔でそんなことをつぶやいた。

「気狂いめ」


 そのままおかしくなってしまったタクマを引っ張るようにして、市場通りの外れにある奴隷商館へとやってきた。

 その建物を前にすると、今度は違った意味でタクマの態度がおかしくなる。


「どうしよう、なんだか気恥ずかしくて中に入れないよ」

「腰抜けが。さっさと用事を済ませて出ようぜ」

「この建物って、奴隷を売買しているところじゃないの」

「そうだよ。こいつが買うんだ」

「そんなことばらすなよ!」

「そんなもん、買えば街中に広まるぜ。いまさら何を恥ずかしがってるんだよ」

「はあ、心臓が痛い」

「最低ね」

 アイリがタクマを流し見しながら言った。

 そしたら「はううう」と心臓を抑えて倒れこむ。

「おい、こんな場所で茶番はやめろ。さっさと中に入れ」

「サラシナさんに最低って言われた」

「俺なんか毎日言われてるよ。ほら、立てって」


 店の前でそんなことをやっていたら必要以上に目立つので、俺はタクマを担ぎ上げて奴隷商館の中に入った。そのまま二階までタクマを押し上げるようにして階段を上る。

 どういうつもりなのか、こいつは震える足で二階に上がるのをあらがってくる。朝っぱらから、どうして俺はこんな狂気に付き合ってやってるのかと馬鹿らしくなってきた。


「悪趣味のお仲間を増やそうと必死なのね」

「違うよ。こいつは腰抜け過ぎて、こうしてやらないと何もできない奴なんだ」

「どうして、こんなものが必要なのかしらね」

「そりゃ誰もがお前みたいに可愛い女と付き合えるわけじゃないからさ」

 可愛いと言われてアイリは顔を赤くした。

「貴方は私と付き合えるじゃないの」


 そんなことはない。だからこそ俺は誰よりも必要になるのだ。

 タクマを二階まで押し上げると、そこには奴隷商人がメエと一緒に俺たちを出迎えた。これは客に怖気づく隙を与えないようにする奴隷商人側の配慮だろう。

 あれよあれよという間に、タクマは金を払わされて手続きの書類にサインさせられている。


「こちらのメエは、私どもイチオシの商品でございます。いやあ、タクマ様はお目が高い」

 俺の時も同じようなことを言っていたので、その言葉に重みはない。

「ねえ、前から思っていたんだけど、名前の付け方がちょっと投げやりじゃないかしらね……」

 アイリが耳元でささやいてきた。

「確かに、ちょっと雑だよな」


 タクマは書類にサインしながら、緊張で顔も上げられない様子だった。

 アイリは興味深そうにキョロキョロと部屋の中を見回している。壁にはアイドルのポスターみたいなものが張られ、貸し出し用のサンプルだと思われる装備やメイド服などが並べられている。

 メエはすでにタクマの横に寄り添うように立っていた。


「手が震えてるぞ。大丈夫かよ」

「なななななんでもねえよ」

「ずいぶん素敵な子を選んだのね」


 メエを見ながらアイリが言った。メエは少しだけアイリに似ているところがある。というか、美人というのはどれもこれも同じ顔に見えるものだ。

 しかしメエはアイリよりもボリュームのある胸をしているし、病的に白いアイリと違って、みずみずしいオレンジのような肌色をしている。


 手続きが済むと、メエは「よろしくお願いしますね」と言って頭を下げたが、タクマはもじもじしていて言葉が出てこない。

 メエに一目ぼれしたと言っていたのは聞いたことがあったが、本当に惚れていたようである。そのくらいタクマの態度はぎこちない。


 奴隷商館から出てもタクマは何もしゃべらなかった。話しかけても上の空で、何の反応も返ってこない。

 仕方がないので、二人を引き連れながらアイリと市場を回ることにした。


「なあ、アイリ」

「なによ」

「どうして、そんなに怒ってるんだよ」

「デートなのに関係ない人がついて来てるからでしょう」

「そんなのしょうがないだろ。たぶん、まだ二人きりになるのは怖いんだよ。何もしゃべらないんだし、影とでも思っておけば気にならないだろ」

「私はそんな無神経になれないわ。ユウサクとは違うのよ」

「このネックレスなんてお前に似合うんじゃないのか」

 俺は機嫌を取るためにそんなことを口にした。

「この魔法は使えるわ。意味ないじゃない」


「アクセサリーとして似合うかどうかって話だよ」

「驚いたわ。そんなに気の利いたことが言える人だったのね」

「性格の悪い女だよな。どうして、そうやっていつもいつも馬鹿にしてくるんだよ」

「馬鹿になんかしてないでしょ。人並みの事が出来るようになったって褒めてるのよ」

「それを馬鹿にしてるって言うんだよ」

「それにしても可愛いわよね。あの子」

 声を潜めてアイリが言った。

「そうなのか? 俺はニャコもお前たちもみんな同じに見えるけどな」

 俺の言葉に一瞬だけアイリは殺気のようなものを放ったが、気を取り直したように続けた。

「私的には、かなりのものだと思うわ」


 まあ、お前よりはいい女だろうなと言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

 こいつは自分の気に入らないことは全力で否定しに来るから、下手なことを言うのは怖い。クレアと同じつもりでからかっていたら、命がいくつあっても足りないことは身に染みている。

 だから別の言い方に変えた。


「まあ、お前くらい可愛い顔してるよな」

「私にもし犬の尻尾と耳が付いて売られてたら、ユウサクは買ってくれるの」

「まさか。お前はペットショップに行って、朝から晩までギャンギャンわめく、どう考えても頭が狂ってるとしか思えない、カリッカリの狂犬をくださいって言うのかよ。言わないだろ。誰だって、無駄吠えしない性格の大人しい飼いやすい犬をくださいって言うんだ。俺だって同じだよ」

「だれが狂犬よ。ぶっ飛ばすわよ。ねえ、誰が狂犬なの」

 アイリが青筋を立てて詰め寄ってきたので、俺はさりげなく話題を変えた。

「やっぱりさ、剣だけ買って、鎧はモーレットに作ってもらうのがいいんじゃないか。アントクイーンのプレートが余ってただろ」

「えっ、そ、そうねえ……」


 もう少しで噛み殺されるところだった。俺はめんどくさい二人を連れてどうしたものかと途方に暮れた。

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