第4話 オープニング 騎士

 一夜明けて、食堂でエイミーと居合わせて気まずい感じになりながら、俺は砦の兵士に用意された朝食をアンの好意で食べさせてもらう。アンも明日には王都に帰るそうだ。俺はリコールスクロールを使うとどこに飛ばされるのかわからなくて、まだ帰る気になれない。午後になる前にクリストファも王都に帰って行った。


 俺はいまだ部屋にひとりで解説書を読んでいる。

 やっと戦いの全容がつかめてきたところだ。各職のスキルにはクールダウンタイムのないものが一つずつある。それが作為的に思えて注目していたら見えてくるものがあった。それらを組み合わせるのが肝であるように思える。

 すでに何通りかのチームパターンが頭の中で出来てきた。


 そこで俺は解説書を閉じて、リコールスクロールを破いた。

 すぐに転送の魔法が開始されて足元から光に包まれる。そして景色が一変した。


 急な変化に驚いて、俺は持っていた剣を取り落とした。あわてて拾い上げると、周りには見慣れた高校のクラスメイトたちの顔があった。もしかして、あれでゲームクリアだったのだろうかと考えていたら、どうやらそうではないことが分かった。


 体育館にみんなで集められているのかと思ったが、高校の体育館は石造りの壁ではない。しかも周りには同級生だけじゃなく、見知らぬ人たちまでいる。

 サラリーマンから老人まで、幅広い年代の人たちが広間を埋め尽くしていた。


 俺は急に自分の格好が恥ずかしくなった。すでに羽毛はすべてなくなり、ただ派手な色したビニール袋くらいの暖かさしか提供しないダウンジャケットに、鋼鉄製の胸当てを付け、手には古びて使い込まれた剣まで抱えている。

 周りでそんな恰好をしているものは一人もいない。


 しかし、周りの興味は俺ではなく、一番前で壇上に立つ男の話に向かっている。その男は、どうやらこのゲームの仕様について説明しているらしかった。

 俺が受けていたのは本当にチュートリアルだったようである。このような事態になった原因について、俺は心当たりがあるのだ。


 推薦入試で大学に合格した俺は、遊びに行くような感覚で自習の授業しかない学校に来ていた。その自習中にあまりにすることがなかったので教室を抜け出してゲームをしていたのだ。

 そこで俺は地面に落ちていた変なゲームディスクを見つけた。そのディスクをゲームに入れた途端、まばゆい光が発生して、その光が町を包むんじゃないかってくらいのスピードで広がっていったのだ。


 そして気づいたら、俺は砦でアンから剣と魔法の講習を受けていたという次第である。それにしても、あのチュートリアルを受けたのは俺しかいないような感じであった。

 壇上の男は、魔王を倒すために異世界から勇者候補を召喚したというような内容のことを喋っている。そして、過去にも何度か召喚し、俺たちが最後であるというようなことも言っていた。つまりこの世界には、異世界に召喚された先輩方がいるということになる。


 俺のせいでゲーム世界に飛ばされたはずなのに、最初の召喚は三か月も前に行われたと言っている。それに俺がチュートリアルを受けていた時間との齟齬もある。周りのみんなの混乱具合からみても、召喚されてきたばかりといった感じなのだ。

 つまり、俺は二日ばかり早くこの世界にたどり着いて、さらには三か月も早くたどり着いていた者もいるということになる。


 何か変わったことはないかと確認すると、以前は開けなかったステータスとインベントリのアイコンが反応するようになっていた。そのアイコンを押すと念じると、俺のステータスウインドウが目の前に開いた。そして待望のボーナスポイントと職業の選択肢を見つけることができた。


 ステータスを割り振ることができるのは、力、体力、技術、知力、信仰、魔力、移動の七項目である。各項目にはそれぞれの恩恵が書かれていた。

 力の欄には攻撃力と近接スキルダメージの上昇とある。その他、体力はレベルアップ時のHP増加と所持重量増加、技術は遠距離攻撃力の増加と命中率の増加、知力は攻撃魔法のダメージ増加と魔法成功率の上昇、信仰は回復魔法の回復量増加と魔法成功率上昇、魔力はレベルアップ時のMP増加と魔法抵抗値の増加、そして移動は移動速度上昇と物理攻撃回避率上昇である。


 全項目の初期ステータスは5だ。

 壇上にいる男は、各職業に必要なステータスの項目を説明しているようだった。格闘家の攻撃は魔法攻撃扱いであるが、攻撃力の判定は力のみで算出されることや、魔銃士の使う銃のダメージも技術のみに影響されるなどだ。俺は既に知っていることばかりなので興味がそそられず、まったく別のことを考えていた。


 もし俺が最強のパーティーを作るなら、自分はどの職業を選び、どんなステータスにするかである。ここで失敗すれば出鼻をくじかれる。単騎で最強の道は既にあきらめている。ならば俺が選ぶべきは、もっとも見つけにくいであろう職業とステータスの組み合わせではないかと思う。俺が欲しいメンバーの一人に、体力に全振りした騎士というのがいるが、そのくらいなら見つけられると思うのだ。


 なにせ騎士はタンク職であり、HPの増加と相性がいいのは明らかだ。つまり、ここで俺に必要なのは誰の目にも失敗とわかるような組み合わせを選ばなければならないということである。しかし、俺の考えが正しくなければ、本当にただの失敗ということになる。そんな可能性のある選択をしなければならないというのは勇気がいった。


「それでは、最後に重要な情報があります。もし魔王を倒す者が現れた時、召喚されし皆様方はもとの世界に帰ることができると、預言書には記されております。それでは、皆様の活躍を期待しております。ステータスと職業の選択を済ませた方は、この場所から出ることを認めましょう」


 壇上の男は、そう言って説明を締めくくった。魔王を倒せばもとの世界に帰れるなんて、なんともゲームにありそうな設定だった。周りでは、がやがやと相談を始める声がする。

 それにしても簡単な説明だけで職業とステータスを選ばせるやり方はどうなんだろうか。広間には解説書も置かれているが、この状況でそんなものを読む余裕のあるやつはいないだろう。


 だけど、だからこそ職業やステータスに、その人の願望や目的が反映されやすいとも思えた。このゲームを作った奴はそれが目的なのかもしれない。

 そんなことを考えながら周りを見やると、すでに職業とステータスを決めた者たちが何人もいた。ゲーム慣れしていないのがありありとわかる。こんなの、最も慎重にならなければならない部分なのは明らかではないか。


「なあ、お前はもう決めたのか。勇者と魔王だなんてさ、なんかわくわくするな。ところで、その装備はどこから見つけてきたんだ」

 俺に話しかけてきたのは、クラスでも仲のいい日高だった。『魔法使い タクマ・ヒグチ』と表示されている。

「タクマ、お前もか」


 ゲームが好きな割に、すでに躊躇なく職業とステータスを決めてしまっている。できることなら俺のパーティーに入れたかった奴なのに、なんてことをしてくれたんだ。

 ステータスウインドウを覗き込むと、知力に4と魔力に2振っていた。駄目だ。

 あのなあと文句を言おうとしたら、素行が悪いクラスメイトのグループが話しかけてきた。


「おう、日高は魔導士を選んだのかよ。いいじゃん、俺たちのグループに入れよ」


 クラスメイトの聖騎士が、タクマにそんなことを言った。力に4、体力に2振っているのがステータスウインドウに表示されている。防御力に長けた聖騎士が攻撃もできるようになったら最強じゃねみたいな考えが透けて見える。隣には力に2、体力に4振った侍だ。


 なんだか、その滅茶苦茶なステータスを見ていたら俺の悩みなど小さく思えてきて、俺は職業の魔剣士をタップした。魔剣士というのは、要するに魔剣が装備できる剣士である。俺は職業を決めたそのままの勢いで、ボーナスステータスを魔力に全振りした。


「うおっ、こいつ今スゲーことしたぜ。何考えてんだよ。馬鹿じゃねーのか。武器で攻撃する職業は、MPをあんまり使わねーって言ってたの聞かなかったのかよ」


 聖騎士のダイスケ・ヒグチが大騒ぎを始めたおかげで、周囲の注目が俺に集まる。俺は無言でステータスウインドウを閉じた。まったく迷惑な奴らだ。俺は少しカチンときて言った。


「俺が馬鹿なのか、お前らが馬鹿なのか、ボンクラなお前らにもそのうちわかるだろ」

「なんだぁ。人が親切で教えてやってんのによ」

 険悪なムードになりかけたところで、タクマが割って入ってきた。

「わりーけど、俺は他で一緒にやらないかって誘われてんだ。だから他を当たってくれよ」

 空気を換えようとしたのか、タクマがさっきの質問に答えてそう言った。

「そうか。まあいいや。お前もついでに誘ってやるかと思ったけど、やめにしとくわ」

 ダイスケが俺に向かってそんなことを言う。それに対してタクマが言った。

「いや、こいつはゲームに関しては天才的だぞ。今のだって、考えあってのことだぜ」


 ダイスケは完全に馬鹿にした態度で、そんなの知らねーよと言い残して去っていった。

 それにしても、ゲームが始まってもいないのに、各々ステータスについて所感を持っている様子である。これでは、俺の理想のパーティーを作るのにも説得は難しそうだ。

 それどころか、周りを見れば、もうほとんどの奴が職業とステータスを決めてしまっている。考えをまとめるのに手間取って、完全に出遅れてしまった。


 職業とステータスを俺に決めさせてほしいなどと頼むのは、もとよりかなりの難題なのだ。これはもう、ゲームが始まってから探すしかないかもしれない。

 それにしても、周りにはまったく期待できそうにないのが心配だ。この様子じゃ、俺が頑張って魔王を倒さないと、一生この世界から出られそうにない。


「そういや、誘われたって言ってたけど」

「あ、ああ。あっちの女子のグループにさ、ゲームとか詳しいでしょって言われてよ。お、お前も来るか?」


 タクマが指し示す方には、三人の女子グループがいた。その中に、タクマが好きな女子の姿を見つけて納得した。俺は断りを入れて、自分のパーティーメンバーを探すと言った。タクマはしつこく、本当にいいのかと聞いてきたが、俺は最強を目指すと決めているのだ。何度か断ると、入りたくなったらいつでも来いとだけ言い残して、タクマはさっきの女子グループの方へと行ってしまった。


「ねえ、ちょっといい?」

 次に声をかけてきたのはクラスメイトの顔見知りだ。その女の子には「冒険者 ワカナ・サクライ』と表示されていた。隣には『冒険者 リカ・フクハラ』もいる。

「ちょっと相談したいことがある」

 とリカが言った。この二人ならまだ職業も決めていないが、さすがに女子よりはゲーム慣れした男をパーティーには入れたかった。

「相談って?」


「私たち、こういうの苦手だから、教えてもらおうと思って。どうしたらいいのかな」

 ワカナがいつもの消え入りそうな声でそう言った。

「まずは何をやりたいのかだな」

「そうね、私は戦うのとか苦手だから、あんまりこのゲームには参加したくないかな。でも誰かの役に立つような事はしたいの。リカは?」

「私は戦い自体に参加したくない。とにかく嫌」


 俺はすでにこのゲームを始めているという優越感で、なんとなく先輩風を吹かしてみたくなった。だから丁寧に教えてやることにした。その結果、ワカナは聖職者で信仰に6、リカは忍者で移動に6というステータスに決まった。二人とも、本当にゲームには興味がないようで、俺に言われるがまま職業とステータスを決めてしまった。


「ちょっと、私も相談したいことがあるんだけど、いいかしら」


 そんなことをしていたら次のお客さんが現れる。上から目線の態度で、そんなことを言ってきたのは同級生の『冒険者 アイリ・サラシナ』である。彼女の後ろでは、女子グループがやめた方がいいんじゃないのとか言っている。しかしアイリは中学も一緒だったので、俺がゲーム好きなことを知っている。


「どんなことをやりたいんだ」

「活躍できるのがいいわ。戦いでもなんでも、とにかく強いのがいいわね」

「じゃあ、魔術師で知力に6だ」

「でも、説明では魔力に振らないと、すぐにマナがなくなってしまうと言っていたわよ。適当に言ってるんじゃないわよね」

「適当じゃないって。それでも知力に6だと思うね。俺は」

「そう、わかったわ。ありがとう」

 まだ疑うような感じがあったので、俺の言った通りにするかわからない。だがアイリはそれで他の女子を引き連れて行ってしまった。


 そこで周りを見渡すと、すでにほとんどの奴らが部屋から出て行ってしまった後だった。残っているのも、俺が欲しいようなのはいない。俺は先が思いやられるなと腰を上げて、出口のところにいた人に両手剣と三万ゴールドを貰って外に出た。すでにインベントリの中には片手剣が入っているが、貰えるものはもらっておくに越したことはない。お金もインベントリの中に入れておいた。


 外に出ると、周りはそこそこ栄えた街の広場だった。視界の端にセルッカの街とあるが、それがどこなのかはわからない。周りでは、広間にいた何百という人たちが相談をしているようだった。

 空を見上げると、ちょうど昼くらいの時間だろうか。俺は近くの雑貨屋でメシの実を一つ買った。なんと支払いは金をインベントリに入れたままでもできた。便利だなと思いながら、それを広場の噴水に座って食べる。メシの実には食べ物の名前が書いてあって、さっき俺が買ったのは天ぷらうどんである。


 このゲームにはサブの職業もあって、その中には農作というものもある。もしかしたらプレイヤーがメシの実を作り始めるまでに、在庫切れということがあるかもしれない。そう思い立って、さっきの店でメシの実だけをいくつか買い足しておいた。インベントリに物を入れると多少は重さを感じるが、軽減されているらしく、大したことはない。


 さて始めるかと思い立って、俺は人が集まっていそうな場所に向かった。先行組がいるというのなら、まずは情報集めからだ。システムにはモンスター図鑑とマップというものがある。そこにインポートとエクスポートだと思われるアイコンを見つけたので、先行組から情報を貰うというのが最初にやろうと思ったことだ。


 しばらく歩いていると市場のような場所を見つけた。その異様な光景に俺はのけぞった。

「この、ぬいぐるみみたいなのは、いったいなんなんだ」

「ああ、もしかして今日呼び出された人ですか。これは商売用のマスコットですよ。サブ職で使えるようになるやつで、代わりに物を売ったり買ったりくれるんです」


 俺はなるほどと頷いて、その親切に教えてくれたコウタという男に、マップと図鑑の情報を交換させてもらった。交換といっても、こちらの情報はゼロに等しいが、コウタは快く請け合ってくれた。さらに市場で暇そうにしている人に話しかけて、次々と情報交換を済ませる。


 次に俺は塩を買い込んで、スライムの狩場に向かった。まずは、ちまちま自分でレベル上げせずに済ます方法はないか試してみるべきだ。周りに人もいなかったので、スライムに塩をかけたりしてみたが、塩で倒せるということは全くなかった。このゲームはシステムを守るためには浸透圧もお構いなしのようである。次に落とし穴を掘って、その中に、剣を立ててスライムを追い込んでみたが、それでスライムが倒せても経験値は入ってこなかった。


 どうやら、こんなズルのたぐいは出来ないようである。となると、剣を振り回してレベルを上げなければならないということになる。俺は剣を回収し、穴を埋めた。残っていた塩は捨ててしまった。ちょっと期待してないではなかったが、まあ寝ながらレベルを上げられても、それは俺がしたい冒険ではないのでいい。


 俺は市場に戻って、持っていたすべての装備を売り払った。

 そして次に、全財産をはたいて攻撃力53のバスターソードを買う。今の手持ちでは、とても魔剣など買うことはできない。しかし職業の特性で、剣と名がつくものなら何でも装備できるパッシブスキルを得ているので、攻撃力の一番高い両手剣を買った。


 俺は買ったものをインベントリに仕舞うと、街の近くにあるダンジョンへと向かった。途中で出くわしたモンスターからは全て逃げている。ダンジョンは敵が多く危険だという情報は得ている。しかしレベルを上げるためには、モンスターを多く倒さなきゃいけないのだから、ダンジョンはうってつけなのだ。


 ダンジョンに入ってすぐ、俺は道中の敵全てを無視して地図の一点を目指して走り始めた。道中の敵はすべて振り切る。簡単に振り切れるかと思ったが、敵の足はかなり速くて全力で走る必要があった。特にスパイダーと表示された蜘蛛のモンスターの足が速くて、振り切れずに三匹ほどついてきてしまっている。しかし、これで死んだところで俺に失うものはない。


 俺はすでに失敗を悟っているが、それでも死ぬのが何となく怖くて目的地を目指して走った。ついにその目的地が見えた頃には、後ろに引き連れているのは十匹近くにまで増えていた。ところが俺は目的地で人影を見つけてしまった。このままでは引き連れているモンスターで無関係の人を殺してしまう。


 暗い洞窟の中で、ライトの魔法の下に佇んでいたのは金髪の女騎士だった。俺はその横を通り過ぎることに決めて、スピードを落とさず走り抜けようとした。しかし、その人物は俺と、俺が引き連れているモンスターに気が付くと、スキルを使おうとした。


「何もしなくていい!」


 俺は必死にそう叫んだ。しかし、俺の言葉がわからないのか、その女騎士は躊躇することなくメイヘムのスキルを放った。カキンという音と共に、彼女の頭上に掲げられた剣先に光がともり、広範囲にわたって多段魔法攻撃が放たれる。攻撃自体は最小ダメージしか持たないが、そのスキルを受けた敵はすべて、そのスキルの使用者をターゲットにしてしまう。


 金属のプレートアーマーに身を包んだ彼女が走って逃げられるとも思えない。そもそも女の足ではモンスターから逃げられないだろう。放心する俺の前で、彼女は確実に敵の数を減らしていった。何度もポーションを使いながら、その女騎士は全ての敵を倒した。


 倒しきる自信があったわけではないだろう。俺はライトの魔法を使っていなかったから、引き連れていた敵の全体像すら見えていなかったはずだ。それでも彼女は迷うことなくメイヘムを使ったのだ。


 彼女が近づいてきて、その顔が見えた。彼女は俺が知っている人物だった。知っているといっても、朝の通学バスが一緒というだけで話したこともなければ名前すら知らない。さらさらの金髪に細身の体で、きれいだなという印象の子だった。俺はこの時、初めて彼女の名前を知った。その可憐な見た目の少女は、俺の前までやって来ると静かに言った。


「危ないじゃないの。もう少しで死ぬところだったのよ」

 それは彼女のことじゃなくて、俺のことを言っているのだとわかるような優しい声だった。

「そっちも死ぬところだっただろ。どうして放っとかなかったんだよ」

「そんなこと出来るわけないじゃない。私は騎士なのよ」


 それはキャラクタービルドの一つだろと言いかけてやめた。かわりに立ち上がってお礼を言った。彼女はどういたしましてと返した。彼女はそれだけ言うと壁にもたれかかって休憩をするようだった。

 色々と問題はあったが、俺は目的地に到着していた。せっかく来たのだから目的は果たしたい。しかし人に見られながらやるにはちょっと恥ずかしいことをやろうとしている。それに最初の一体だけは彼女の力を借りたい。


「ちょっと敵を倒したいんだけどさ、攻撃を受ける役をやってもらえないか」

「わ、私はそういうことはしないの。ごめんね」


 そういうことをしないというのは、どういうことだろうか。彼女はタンク職であり、攻撃を受けるためのスキルしか持たないはずである。そんなことを考えているうちに最初の敵が現れてしまった。俺は急いでインベントリからバスターソードを呼び出した。


 後ろから視線を感じつつ、俺はそのバスターソードを肩の上に担ぎ上げた。敵はオルトルスと表示されている。見た目は双頭の犬だ。俺は魔法で戦うことも考えたが、犬の姿をしたそれは動きが機敏だった。俺は慎重にタイミングを見計らい、敵の攻撃に合わせてその体を飛び越えた。そして後ろから剣を振り下ろす。俺の攻撃が当たって敵がギャンと鳴いた。


 俺はもう一度、敵が攻撃してくるのを待つ。次は口から炎を吐き出してきたので、横に大きく転がってその攻撃をかわし、全力で剣を振り下ろそうとした。だが、相手は頭が二つもあるので隣にあった頭まで炎を吐いてくる。俺はその攻撃を避けきれずに食らって地面に倒れた。


「ちょ、ちょっと!」


 俺にとどめを刺そうとするオルトルスに、後ろで見ていた彼女がまたしてもメイヘムを使って助けてくれた。そして騎士のスキルであるリバイバルによって、俺は戦闘不能状態から回復する。オルトルスは彼女によって倒されてしまった。

 リバイバルは騎士と聖騎士を除く味方に対して使える復活スキルである。


「貴方、ランクは」

「1だよ」

「な、なんかすごい派手な戦い方だと思ったら、どういうことなのよ。普通はスライムから倒すものでしょ。なんでこんなところにいるの」

「なんでって、そりゃ君と同じ理由だよ」

「同じって?」


「同じ経験値だったら、一番HPの少ない敵を倒すのが効率いいだろ。それで、ここにいるんじゃないのか。この階層のモンスターは、ほとんどランクが一緒だから、経験値も同じだし、騎士一人でやるには攻撃力が足りないから、ここでやってるんだろ」


「色々と考えているのね。私はなんとなく、ここの経験値が一番多いかなって感じだけど。でも、どうしてランク1のあなたがそんなことまで知ってるのよ」

「まあ、ゲームの基本ってやつかな」

「でも、失敗したじゃない」

「そう、だから手伝ってほしかったんだ。最初の一匹だけどうにかできれば、なんとかなるはずだから」


「じゃあ、いいわ。一回だけ手伝ってあげる」

 彼女は次に来た一匹に一回だけ攻撃した。俺は後ろに回ってオルトルスのケツに向かってバスターソードを振り下ろす。二回攻撃しただけで、オルトルスは光の粒子になった。

 ドロップアイテムの211ゴールドは、勝手にインベントリの中に収納されたらしく、獲得したとの表示だけが視界の中に現れる。


「それで、ランクはいくつになったの」

「6まで上がったよ」

「そう、じゃあもう助けは必要ないのね」

「ああ、助かったよ」


 ランクアップでHPが回復したので、俺はさっそく次の敵を探した。すぐに見つかって、俺は敵が吐き出した炎を避けながら攻撃を入れる。避けきれずに攻撃を受けてしまったが、HPは一割ほど残る。HPの警告表示がうるさく鳴り響く中で、俺はすぐに次の攻撃をかわして剣を叩き込んだ。それで敵は倒れて俺はランク8に上がる。それからは何度か危ない目にはあったものの、順調に敵を倒してランク10まで簡単に上げることができた。


 HPは220まで増えて、MPに至っては360まで上がっている。敵から1000ゴールドほど得ているが、それだけでは何も買えないだろう。

 体の軽さや力が増えたような感じはほとんどない。攻撃力はパッシブスキルでしか上がらないので、まだスキルを得ていない俺は変わりようがない。

 どうも強くなった実感が得られない。


 しかし、ランク10になった途端、まったく経験値バーが変動しなくなる。一匹倒しても数ミリしか経験値は増えず、先行きが一気に怪しくなった。やはり一人でやるのは効率が悪い。体力初期値の俺が自然回復でやろうとするとインターバルが長くなりすぎる、それに敵はHPが回復するまで待ってはくれない。ここまではランクアップがあったからまだマシだが、ここからランクアップなしでやるのは気が遠くなる。


 俺はすぐ近くで狩りをしていた彼女に話しかけることにした。

「なあ、やっぱり一緒にやらないか。パーティー組もうぜ」

「パ、パーティー? えっと、その、駄目なのよ。私、ほら、役立たずだから」

「それは、その称号のことを言ってんの?」

「う、うん……」


 彼女の横には『錆びた戦士 クレア・ハートフィールド』と表示されている。普通、騎士の第一称号は戦士だけのはずだ。最初の広間でも、それ以外の称号なんて見たことがなかった。

「ステータスウインドウを見せてくれないかな」

「い、いいわよ」


 クレアは泣きそうな声になっている。どういうことだろうと、俺はクレアの開いたステータスウインドウを覗き込んだ。

 なんと彼女は、俺の探していた体力に6振った騎士だった。HPはすでに500を超えている。

 そして称号のところに、俺とは違って文章が追加されていた。そこには『攻撃力と防御力が30%減少する。この効果は魔法によって消滅しない』とあった。


 俺は奇跡的な出会いに飛び上がりそうになった。これはとんでもない拾い物をしたかもしれない。このゲームは俺以外のプレイヤーに対して、基本的にフェアであろうとしているのだ。そんなゲームで、このようなデバフが付くということ自体、秘めたるものを感じずにはいられない。


「こんなだから駄目なのよ。わかったでしょ」

「ぜひ俺のチームに入ってくれないか」

「どうしてそうなるのよ。私はこれのせいで誰とも一緒にやってこれなかったの。貴方が思っている以上に、この30%は大きいわ」

「そんなことないから俺のチームに入れって」


「わかった、気を使って言ってくれてるのね。だけど私は攻撃もホントに弱いし、最初にいたパーティーも居づらくなって自分から辞めちゃったの。だから私と組んでも、すぐ辞めちゃうかもしれないわよ」


 確かにランクが低い頃に30%も削られたらゲームにならないだろう。しかし、今のランクならば最初ほどの影響を受けていないはずだ。それに、パーティーを組むなら騎士の攻撃力など必要とも思えない。


 誰とも組めなかった彼女は、こうして地道な努力でランクを上げてきたのだろう。最初はさぞきつかったはずだ。ずっとこの初心者用の洞窟から出られなかったからこそ、彼女はオルトルス狩りに行きついて、俺と出会ったのだ。騎士はもともと攻撃力が低いのだから、攻撃力がないに等しい彼女がHPの低い敵に行きつくのも自然なことだ。


「私なら大丈夫なのよ。神様はね、人に試練を与えるとき、その人が乗り越えられないような試練はお与えにならないそうよ。だから、きっと私は一人でも乗り越えられると思うの」

「そんなもの、俺と組んだら試練ですらないぜ」

「だって、足を引っ張るわよ。それに私、あんな思いはもうしたくないから……」

「なら、そんなことにはならないって誓ってやるよ」

「ホント?」

「ああ」

「ホントにホント?」

 クレアは目頭に涙をためながら繰り返した。俺は彼女が不安にならないように、力強く頷いた。

「引け目を感じさせたりとか、肩身の狭い思いとか、絶対にさせないよ」

「なら……、なら、私はこの剣をあなたに捧げます」


 そう言って、彼女はひざまずいて剣を差し出した。ああ、もしかしたらこの子は本当にイギリスあたりの騎士の家系に生れたのかもしれないと思った。

 俺は自信のない所作で剣を受け取り、その刃を彼女の肩に乗せてから、それを彼女に返した。まったく自信がないが、確かこんな感じだったと思う。


 彼女は剣を鞘に戻して立ち上がると、思わず一目ぼれしてしまいそうになる笑顔を俺に見せた。

 この間、ずっとオルトルスがクレアの背中に炎を吐き続けていたが、自然回復の方が勝っているらしく、彼女はそのことに気が付いてもいない様子だった。

 壁役はこのくらいじゃなきゃ駄目だと思う。壁役のタフネスさというのは、魔王の一撃にすら耐えうるためにあるものなのだ。


 それから二人で狩りをしてみたが、びっくりするくらい簡単だった。俺は敵に二回剣を振るだけでいい。攻撃を避けるために飛んだり跳ねたりする必要が全くない。

 オルトルスがリバイバルストーンを二十一個と約6000ゴールド落としたところで、俺たちは街に帰った。クレアにアイテムを得たか聞いてみたが、獲得アイテムはパーティーリーダーに全て入るようになっているという答えだった。

 こんなに必要とも思えないが、リバイバルストーンは騎士が使う消耗品なのでクレアに渡し、3000ゴールドずつ分け合った。


 そのあとはクレアが使っているという安宿に泊まることになった。素泊まりで一泊1500ゴールドだから、稼ぎの半分が消えてしまったことになる。

 まあクレアと本気でやったのは数時間ほどでしかないから、最初はそんなものだろう。

 けっして寝心地がいいとは言えない、ぼろいベッド一つしかないきわめて簡素な部屋だった。

 備え付けの椅子に座り、晩御飯のカレーライスを食べながら、明日は歯ブラシなんかも買わなきゃなと思った。

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