第3話

「もしもし、お父さん?」

 少女は父親の携帯電話の番号へかける。海外ローミング機能により発信はアメリカ合衆国の携帯電話網に転送され、つながった。

『ああ、美夏か。さっき電話したばかりじゃないか』

「うん、そうだけどさっき、何か不思議な夢を見たの」

『不思議な夢、か?』

「うん、──」

 少女は堀川を遡り、下って、また遡ってきたとあるウナギの一生を淡々と語っていく。

『──つまり、名古屋を襲ったウナギは駿河湾で巨大化したと、そう言いたい訳だな?』

「あくまでも夢、だけどね」

『なるほど、参考にしてみるよ』

 電話を切り、身を投げ出す。一応彼女の父親は生態系の研究者としてある程度の名が通っている。このことを言えば研究の参考になるだろうと、そう思って電話したのだ。ただ彼女は、父親の第二の顔を知らない。

「……この曲は何で、このタイトルなのかなぁ」

 十八回目のリピート。『海へ…吹奏楽の為に』というこの曲、情景はなんとなく浮かぶのだが、はっきりと「これだ!」というものはない。

「……ウナギ達はわざわざ堀川を遡ってどこに行くつもりだったのかなぁ」

 巨大な身体を狭い川に潜り込ませて。川の水自体もほとんど庄内川から導水している。なら何で川幅の広いそちらへ行かなかったのか。河口に水門もない、庄内川へ。水自体は変わらないのに

「やっぱり昔いた所の方が、いいのかなぁ……」

 少女にはその感覚が、よく解らない。今でこそ落ち着いたとはいえ、小学校のときは八回も転校を繰り返したのだ。両親の実家に行ったこともない。そんな背景があり、特定の場所に執着するといった感覚を彼女は持ち合わせていない。

 少女はいつも学校へ行く時に使っているかばんから、楽譜を取り出す。五線譜が十段、合計二枚。ヘ音記号で書かれたパート譜である。それを見ながら改めて模範演奏を聴き、自分の音を追っていく。何回も何回も繰り返して、イメージを固めていく。楽器は学校に置いてあるので、今日の段階で出来るのはここまで。

 もう寝ようかな、やることないし。少女はソファーで横になった。そのまますぐに、少女は眠りに落ちたのだった。

 翌日。とりあえずテレビを付けてみたが面白いと思える番組はない。NHKに合わせておいたまましばらく放置していると、ニュースが始まった。


 東海大震災で大きな被害を受けた愛知県で、第二次補正予算案が賛成多数で可決されました。災害復興予算の第一次分としては異例の規模となっています。

 二〇☓☓年愛知県沖東海地震。地震の揺れや津波だけでなく、巨大ウナギにも襲われることになった愛知県では自衛隊による治安出動が行われました。今回の予算の焦点となったのはその出動費用について。関係機関による調整が行われた結果、治安出動分については国が半分・県が三分の一・名古屋市が六分の一を負担することで決着し、県知事より報告されました。また警察の銃弾補充費用に計上されていることも災害復興予算としては異例です。

 財源としては基金を取り崩すほか、「あいち復興県債」を発行することで確保する予定となっています。

 予算案は今朝、委員会を全員一致で通過しており、本会議で審議が行われた結果ほぼ全会一致で可決されました。

 これについて永田知事は「早期に災害予算が通ったことは素晴らしいことである。復興を迅速に進め、愛知県を震災前以上に魅力のある県にしたい」と述べています。

 さて、次のニュースです。──


少女はテレビを切ると携帯電話をいじり始め、何となくツイッターを開く。友達や先輩の呟きをチェックしていると、フォローしていたニュースサイトのアカウントが目に入った。


「ウナギ巨大化は放射能の影響」名理大・藤林教授

news47.XXXX.XXXXXXXX.com/524331.html


 藤林教授、つまり少女の父親の発言がニュースとして取り扱われている。表題から嫌な予感がしつつも、そのアドレスをクリックした。出てきたのは複数の新聞社が合同で運営するニュースサイトのページ。


【愛東新聞】 先月名古屋に襲来した巨大ウナギについて、名古屋理科大学生物学部の藤林弘文教授は「近隣の御前崎原発から微量に漏れ出していた放射能が遺伝子に異常を与えた可能性がある」との見解を明らかにした。

 これは現地時間12日(日本時間13日)にアメリカ・サンディアゴで行われた講演会で発表されたもので、「一般的に考えて原子力発電所から全ての放射性物質が外部に放出されないとは考えにくく、微量ながら放出されていると考えるのが普通」とした。その上で「駿河湾海底にウナギを巨大化させ得る栄養分はないはずで、また通常の養殖でウナギが巨大化したという報告もない。よって遺伝子異常による変化を考えるのが妥当。するとその要因として放射能の影響によるDNA損傷が有力となる」と述べ、御前崎原子力発電所が巨大ウナギ発生の要因と推測されることを強調した。

 この発言について中日本電力は本社の取材に対し「詳細を把握していないのでコメントは控えさせていただきますが、中日本電力は今後も原子力発電所の安全に最大限努めてまいります」と回答した。

 なお現在、御前崎原子力発電所三~五号機は地震の影響により運転を停止している。


 ふと気になって少女は父親の名前を検索サイトに入れる。すると検索結果で出てきたのは、環境活動家としての父親の姿。ウナギについての発言を追ってみると「巨大ウナギ発生は人為的要因」という主張を下敷きにして「生活汚水に含まれる成分が原因」「環境ホルモンが原因」など、微妙に発言は揺れている。今回は日本社会が未だに「原発アレルギー」気味であることを衝いて、大手のニュースサイトに載ったらしい。

 それとはぜんぜん違うことを私、電話で言ったのに。少女は落胆した。やっぱり、父親は身勝手な人間だった。私のことはちゃんと扱ってくれないのか、と感じる。講演会を開くからには色々準備があるだろうし、裏付けなんてない話だから胸を張って発表なんか出来ないかもしれないけど。でもそれを言うなら今回の発表もひどい。ほとんどが推測で構成されているのに、事実のような印象を与えようとしている。

 何も言わずにはいられなくて、少女は父親に国際電話をかける。

『藤林です』

 よそ向きな対応で始まるのは、国際電話で発信元の電話番号が表示されないからってことは解っている。しかし今回はそれが壁のように感じた、というのはあくまで少女の思い込みなのだが。

「何なの、あの記事」

『……ああ、美夏も見たのか。あれはあくまで、一つの見方を提供したに過ぎない』

「まるで、それが真実であるかのように述べられても?」

『それは、新聞社の裁量だ』

 言われてみればそうかもしれない。でもただの誤魔化しにそう切り返したのではないかという確信を、少女は持っていた。

「お父さんは環境活動家としてもそこそこ有名らしいね」

『……それが、何か?』

「今までも色々発表していたんだよね、あくまで人為的原因、人間の生活が悪いって前提で。そしたら私の話なんて無視するしかないよね」

『だから、それはそれ。真実が解ったなら、ちゃんとそれを発表するのが研究者の職分だ』

「……本当、自分勝手なことを言うね、お父さんって。だからお母さんも見捨てたんだよ」

 ここで少女は大きな爆弾を投下した。

 母親が突然いなくなった翌日、少女の許に電話がかかってきている。そして告げられた、失踪の理由。それは父親があまりにも自分本位すぎてついていけないから、だった。母親がいなくなった理由を父親は話しておらず、時には一緒にいるといった嘘も付く。自分に非があることを認めたくない性質ということは、もう少女には解かり切っていた。特に、自分が見捨てられた、なんてことは。

『……もう家には帰らん。お金もやらん』

「何それ? 自分の思いのままにならないからって、保護者の役割も放棄するの?」

 電話が切れる。正確には、切られる。本当自分勝手な人間だ、と少女は思う。同時に、これからどうやって生きていこうかな、とも思う。あの人は、やるといったらやってしまう人だから。

(とりあえず、外に出てみよっかなぁ)

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