ムギさんと白くまシチュー
その日僕は、喫茶店のカウンターで「ことわざ辞典」を読んでいた。猫に関することわざだけでも結構な数があって面白い。そのことわざがムギさんに当てはまるだの、当てはまらないだのを話していると、ツヅキがやってきて、2枚のお皿を僕たちの前に並べた。
「なんだいツヅキまで。猫に小判じゃなくてお皿ってわけなのかい?」
「猫に小判? ああ、ことわざね。そうじゃなくて、これは普通にシチュー用のお皿よ。今夜は白くまシチューを持ってきてくれるというから、その準備をしているのよ」
ツヅキはニコニコと笑いながらお皿を並べ、マスターも嬉しそうにカウンターから外へと出てきた。お皿は全て真っ白で、底の少し深いシチュー皿だ。皿をのぞき込んでいたムギさんが、振り返ってマスターに尋ねる。
「白くまシチューというと、あの大鍋で作っているシチューの事かい?」
「ああ、白くま幕府の白くまたちが、直径6メートルの大鍋で、一年中絶えることなく煮続けているあのシチューさ。味も絶品なんだよな。俺も久しぶりで楽しみだよ」
「へえ、そんな白くまたちがいるんだ。それは楽しみだね」
そういえば熊に関することわざというのは聞かないね、なんて話しながら窓の外を眺めると、いつの間にか雪が降っていた。雪空の下には、氷の瓦を
「ほら、ご覧。あれが白くま城だよ」
「へえ。白くまは、お城に住んでいるんだ」
「それはそうだよ。だって白くまというのは、白くま幕府のお侍だからね」
喫茶店が広場に停車すると、2人の白くまが食缶を
「よう、ナオシゲにタカノブ。今日もごちそうになるよ」
「こんばんは。お久しぶりですマスター!! ようこそ白くま城へ」
「ご無沙汰してますマスター!! 歓迎のシチューをお持ちしました。大鍋から取り立ての熱々でござるよ」
ナオシゲとタカノブは、せっせとお皿へとシチューをよそい、最後に自分たちの分のシチューをよそい終わると、カウンターに並んで腰かけた。白くまシチューは真っ白なクリームシチューで、その中にジャガイモやニンジン、ブロッコリー、そして鶏肉が色とりどりに並んでいる。
「うわあ、これは凄く綺麗だね」
「本当だね。見ているだけでも美味しそうだよ」
ナオシゲとタカノブは得意げに鼻をぴくぴくさせている。
「その通り! なんといっても白さが自慢でござる」
「そして味も自慢でござる。ささ、冷めないうちにどうぞ」
僕は白くまシチューをスプーンですくって口に入れた。とろっとしたスープがあっという間に口の中に広がっていく。ジャガイモやニンジンは、ほろほろと崩れるようにとろけ、シチューの塩気にほのかな甘みとなって溶けていく。そしてぷりぷりの鶏肉の美味しいことといったら! 僕は夢中になってシチューを食べた。猫舌のムギさんはというと、僕の様子を見ながら程良くシチューが冷めるのをじりじりと待ちきれない様子でつばを飲み込んでいる。
「いやあ、いつ食べても美味いな!」
「本当、今日もとっても美味しいですね」
マスターとツヅキも、白くまシチューに大満足の様子だ。ナオシゲとタカノブは満足げにうんうんと頷いている。
「そうでしょうそうでしょう。なにせ白くまシチューですからね」
「白さと美味しさの白くまシチューですからね」
意気揚々とシチューを自慢していた2人だったが、ことばが途切れると、急に溜息を付いて頬杖を付いて落ち込み始めた。
「どうしたんだい2人とも。なんだか元気ないけど」
「ええ、この白くて美味しい白くまシチューなのですが、ひょっとしたらマスターたちに食べていただけるのも、これが最後になるやもしれません」
「えっ、なんでそんな事になっているの?」
僕は驚いて尋ねた。ナオシゲとタカノブは説明をしようかどうか迷っている様子だったが、マスターとツヅキも心配そうにしているのを見て、話す事に決めたようだった。
「実は、焦げが原因なのです」
「そうなのです。長い間大鍋でシチューを煮ていると、どうしてもなべ底に焦げが出てきてしまうのです。白さが自慢の白くまシチューなだけに、その焦げをどうするかで大騒ぎしているのです」
「焦げかあ、ずっとかき混ぜてりゃ済む話じゃないのかい?」
マスターが聞くと、ナオシゲは腕組みをしながら頷く。
「理想的な所を言えばその通りなのでござる。ただ、いかんせん鍋は大きくて、その上シチューというものは、いったん火にかけたら、煮続けなくてはいけません。焦げが出てくるのは、ある意味、仕方のない事なのです」
「そうなんだ」
「はい。問題はそこからで、焦げができた鍋を、そのままかき混ぜると、焦げが鍋底からこそげて混ざり、白さが自慢の白くまシチューが黒くなってしまうのでござるよ」
タカノブは棒でも握るように両手を重ね、ぐるぐるとシチューをかき混ぜる動作をしながら説明する。
「なるほど。確かにそうだね。でも焦げの部分も美味しいって聞くよ」
「その通りでござる。しかし、白くまシチューというのはやはり、白くなくてはいけません。そこで、白さを保つために、焦げのある鍋底をひっかかないように、上の方だけをくるっとかき回す方法が編み出されたのでござるよ。そうすれば、お客様に出すシチューは白いままなのです」
「へえ、そういうやり方もあるんだね。でも、そうすると、だんだんと焦げが鍋底に貯まってきてしまうんじゃないの?」
ナオシゲが、我が意を得たりというように大きく頷く。
「そこでござる。今、白くま城の大鍋は、結構な焦げが鍋底に張り付いている状態なのでござる。それをどうするかで、いろんな意見の派閥、いや、くま閥ができてしまい、揉めに揉めているのでござるよ」
ナオシゲとタカノブは指を折りながら説明を続ける。
「このまま焦げを無視して、上の方だけかき混ぜ続けるべきだという〝
「なんだか大変そうだね」
「そうなのでござるよ。皆、白くて美味しい白くまシチューを作りたいという目的は一緒なのですが、もう、会えば雪玉の飛び交う大喧嘩ばかりなのです」
「以前は、かき混ぜ係だけでなく、その時その時で気が付いた白くまが、めいめいに大鍋をかき混ぜていたのです。ですが、焦げが大きくなってからは責任の押し付け合いになってしまい、自由にかき混ぜる事もできません。逆に勝手にかき混ぜようとすると怒られてしまうのでござる」
「うむ。今では、みだりなシチューかき回しは打ち首
ナオシゲとタカノブは大きな体をぶるっと震わせた。
「鍋をいったん洗うわけにはいかないのかい?」
「そういう意見もあるのでござるが、シチューというものは、一度煮始めたらそうそう火からは下せないものでござる。味にも関わりますし、我々の代だけではなく、次の代の白くまたちが困ってしまいかねません」
「しかし、実際問題、焦げを溜めてしまうのも困りものなのでござるよ。このままでは子供たちの作るシチューは、白くまシチューではなくて、こげ茶くまシチューになってしまうなんて言う者もおります。ここだけの話、焦げを見られたくない白くまが、鍋を洗う事に反対しているという事情もあるのでござる」
「これ、タカノブ。そのような事を言うものではありません」
ナオシゲがタカノブをたしなめると、タカノブは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そういったわけで、白くま城の白くまシチューも、取りやめになってしまう日も近いかもしれないのでござる。なんと言っても大きいのは、この揉め事を聞いて、評判の方もだんだんと落ちてきているという事なのです。ああ、困った困った」
「困ったでござる」
2人があまりにも落ち込んでいるので、僕はなんとか励ましてあげたかった。が、気の利いた言葉も解決方法も思い浮かばない。仕方ないので、とりあえずさっき読んだ本に書いてあった、月並みなことわざを口にしてみた。
「まあまあ、2人とも。『ピンチの中にチャンスあり』とか、『死中に活あり』とか言うじゃない。きっと何かいい方法があるよ」
すると、2人ががばっと顔を上げたので僕はびっくりした。
「今、何と申したでござるか!?」
「え、『ピンチの中にチャンスあり』かな?」
「そうではなく、もう1つでござる!!」
「『死中に活あり』の方?」
「「それでござる」」
2人は同時に膝をポンと叩いた。
「シチューにカツ!! これは美味しそうでござる」
「うむ!! 分厚いとんかつではなくて、少し軽めのカツレツが合いそうでござる」
「良いですな!! 白くまシチューのわきに添えて。そうだ!! 焦げの部分をこそいでカツレツ用のソースにしてみたらどうでござろうか」
「早速試してみるでござるよ。『シチューにカツありセット』。いっそサラダも添えて……ああ、これは美味しそうだ。ありがとうございます!! これで白くまシチューの人気も回復するやもしれませぬ」
「うむ。皆で新メニュー作りに協力すれば、焦げの対処方法でも力を合わせられるようになるはずでござる」
2人はすっくと立ち上がり、深々とお辞儀をすると、いそいそと白くま城へと戻って行った。
「行ってしまったね」
「うん。行ってしまったね」
「あれで良かったんだろうか」
「良かったかもしれないし、そうでないかもしれないね」
「シチューは白さが大事なんだね」
「シチューには、そういう所があるのかもね」
「僕だったらすぐに焦がしてしまって、あきらめてそのままカレーにして食べてしまうかもしれないよ」
ムギさんは、呆れた様子でしっぽをくるんと一振りする。
「まったく君って奴は。まあ、ぼくは君の作るカレーはわりと好きだけどね。それはおいておいても、白くま達は元気だから、きっと皆でなんとかするよ」
「そうなるといいね」
「うん」
僕は、お皿に残ったシチューを口に運んだ。白くまシチューは相変わらず白くて、そして美味しかった。
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