第8話 閉じ込められた?
ちょっとした広めの大学教室ほどの大きさほどもある、特設プレスルーム。壁一面が全面ガラス張りになっており、眼下にピッチ一面を見渡すことができる。
そこに美代子をはじめ、多くの媒体記者が陣取っていた。
スタジアム二階部分のエリアの中で、美代子が唯一出入りできる場所がここであった。さすがに記者風情にケータリングなんて上等なものは用意されていないが、それでも最上質のウォーターサーバーとコーヒーサーバーが入口から少し離れて常設されており、これだけでもなかなかに異例の措置といえた。最初にこの部屋に来てそれを見た時、やっぱここを建てた人お金あるのねえ、と美代子は思った。
初日昼は終了していた。
展開はまだ0−0のスコアレスドロー。
占い一人CO、霊媒二人CO中。
これから投票タイムに移り、小休憩兼の夜時間が流れる。レポーターたちの何人かはトイレ休憩に立ったようだが、多くはその場でノートやPCに初日の展開をメモ書きでまとめている。
美代子がプレスルームに舞い戻った時は、その夜時間の真っ只中であった。
とりあえずお水を飲もう、と美代子がサーバーに手をかけたその瞬間、ちょうど入り口のドアが開いて、見覚えのある金髪が入ってきた。
本中田英祐だ。きょろきょろとあたりを見回してる。
向こうも美代子に気づいた。例の笑顔で、ぱたぱた駆け寄る美代子に先んじて話しかける。
「ほんまにまた会うたな。それも早いうちに」
「かなり」
美代子も笑って答える。
他の記者達は目の前の試合に集中していて、まだ本中田に気づいたものはいない。だがそれも時間の問題で、このままだとこの場はちょっとした騒ぎになるだろう。美代子は少し心配になった。
しかし臆する風もなく、本中田はまだ部屋中を注意深く見回している。試合よりむしろ、部屋の中の何かを探してる風でもあった。
美代子は小声で訊く。
「あの、なぜ今度は、ここに」
「あー、っとね。そう、ここからなら、誰が話してるかわかるかなと思って」
「話す?」
「狼同士は会話できるんやろ。耳につけてるワイヤレス・イヤフォンで」
通常の人狼ゲームでも、人狼同士はお互いに誰が仲間なのかわかる仕様になっている。さらにオンラインゲームの場合だと、裏で自分たちだけが会話できるように、専用チャットルームが用意されていたりもする。狼はこのチャット機能を使って秘密裏に作戦を練ったりできるのだ。
人狼サッカーにおいては、参加者全員が着用を義務づけられた、耳栓型ワイヤレス・イヤフォンがその役目を担うことになる。
会場には参加者の発言は瞬時に英語に翻訳され、スピーカーから流れるシステムになっているが、英語がわからない選手のために、母国語での理解を可能にしてくれるのがこのイヤフォンの第一の役目である。
そして第二の目的が、常に人狼同士が会話をすることができるようにすることであった。そのためたとえあらゆる言語に不自由しないマルチリンガル話者でも、ゲーム終了までこのイヤフォンを耳から外すことは許されない。自分は狼ではないというアピール行為と見なされるからである。
「ああ、なるほど。裏会話で敵チームの狼を見極めようと?」
「でも、遠いな。こっから見下ろしただけじゃ、口元がもごもご動いてるかどうかまでわからへんな」
「わたし小さな双眼鏡持ってます。オペラグラスに毛の生えたようなもんですけど」
ポケットから取り出して見せた。大きめのスマートフォン程度のサイズの、携帯用グラスだった。時々、選手の背番号を確認するなどのために常備していた。
「ほー。さすがはジャーナリスト」
「使いますか?」
「んー、ああ、じゃあ」
あまり気のない風で本中田は受け取った。
なにかおかしい。美代子はその様子を見て思う。なんというか、どこかうわの空だ。これがあのいつもピッチではすさまじい集中力を見せる本中田なのか。
それとも自分が試合に出ない場合は、こんなものなのか。
「でも」再び小声に戻して美代子は言う。
「ここで使うのはどうですかね。みんなどっかの記者さんですから。本中田さん気づかれたら」
「さっき、君に最初に見つかったときみたいに、うわーっ!て騒がれるわけか。ははは」
「いや真面目に。これだけの人数に一斉に気づかれたら、なかなか面倒ですよ」
自分を棚に上げて美代子は言う。本中田は、部屋の人数を確認するように見回して、それもそうやな、と呟くと、
「じゃあ、一緒にVIPルーム行かへん? 有名人も仰山おるやろうから、あそこなら俺一人くらい騒ぎにもならへんやろ。あそこからもピッチは見下ろせるはずや」
「え? わたしも一緒に?」
「もちろん」
「わたしじゃ入れないと思います。ここ、セキュリティが厳しいから、しがない記者のIDパス程度じゃVIPルームまではとても・・・・・・」
「そうか? 俺と一緒ならなんとかなるんちゃうか」
こういった大型スタジアムには、主賓級のVIPを迎えたときのために、眺めのいい特別席のようなものが用意されている。本中田はふだんの感覚で、そこの出入りも顔パスで行けると踏んでいるようだった。それも連れを一人率いて。
「いやー、でもダメなんじゃないかな。失礼ですけど、本中田さんご自身でも、今日に限っては入れるものなのか少し心配です。チームアシスタントの立場でVIPルームも出入り自由ってわけにはいかないと思いますよ」
若干の公私混同感を直接たしなめるわけにもいかず、婉曲に伝えようと、慎重に言葉を選んで美代子は言った。だが本中田は呑気に首をかしげている。
「そんなもんかなあ。VIP専用ったって、世間のみんなが思うほど、ふだんは出入りに厳しくないで。設備も実は大したもん置いてるわけちゃうし」
「でも今日はオリンピックですから! なんせ、我々が一般観客席にも行けないくらいですよ」
「はは、逆やろ。たしかに一般の方はこっちのエリアには来たらあかん。けどこっちが観客席に行ったらあかん理屈はないんやないのか」
「わたしもそう思うんですけど、現に、通行止めになってるんです。どのルートにもごっついセキュリティさんがいて、わたし、さっきお客さんの取材に行こうと思ったのに、頑なに止められたんですよ」
双眼鏡をいじっていた本中田の手が止まった。何秒かそのまま黙っていた。それから美代子をじっと見る。
「なんやて?」
「え」
「ほんまか。君も通してもらえない?」
「わたしじゃなく、たぶん誰でも。あれおそらくボランティアさんとかじゃなくて本職の警備の人です。さすがに警備体制少し過剰ではと思いましたけど、みんな同じ条件ならまあ仕方ないかと・・・・・・」
手を口元に当てて何か考えてた。わたしなにかまずいこと言っちゃったかしら、と美代子が内心焦り始めた時、部屋が少しざわつき始めているのに気づいた。振り返ると記者の何人かがこっちを見ている。
「本中田さん、まずいです。気づかれたかも」
「もう一度行ってみよう」
「え?」
「そんなに厳しいのはいくらなんでもおかしい。オリンピックといえど、そんなとこにふだん立っているのは、ボランティアさんやバイト君や。プロの警備員を雇ってまで、ガチガチに固めなあかんってのは解せん」
「えと、無駄だと思います。わたし、連絡通路3カ所もまわって、それでも全滅で・・・・・・」
「だから、いいから行ってみよう。今度は俺も一緒や」
本中田に強引に手を引っ張られ、美代子たちはプレスルームを見た。何が起ころうとしているんだろう、と美代子はドキドキした。扉を閉める時、後ろで誰かが、あれ本中田じゃないのか?という声がうっすら聞こえた気がした。
「ーーどういうことでしょうね」
最初に会ったときと同じような、休憩スペースにふたりは来ていた。お互い自分の携帯を取りだし、美代子がぽつりとそう言った後は、どちらも何も発せず、無言で手元のそれを見つめている。
先ほどプレスルームを飛び出した後、ふたりはそのまま一番手近な観客席への連絡通路に行った。結果は美代子の予想通りだった。そこのセキュリティは思いもかけぬスーパースターの登場にさすがに戸惑ってはいたが、「あなたでもここは通せません」の一点張りであった。
二カ所まわって同じ結果だったとき、美代子はほらね、と言わんばかりに肩をすくめた。
「言ったとおりでしょう。まあ、テロとか物騒な昨今ですからね。ちょっと厳重すぎるけど、しょうがないのかなあとも思いまーー」
「携帯」
「え?」
「携帯もつながらへんのや。それに気づいた時から」本中田の顔つきが完全に変わっている。ピッチにいるときのあの、真剣な表情に近い。
「薄々おかしいとは思っとった。でも、だんだんはっきりしてきた。要は、俺らに外の世界と接触されたら困るってことや」
「外の世界って」美代子は無理に噴き出そうとした。
「さすがに大袈裟では。だって、スタジアムをちょっと出れば、簡単に外の世界ですよ」
「出られへん」
「えっ?」
「俺の考えが正しければ、この会場はもう出られへん。少なくともゲームが終わるまでは無理や」
「そんなバカな」
「もう一カ所つきあってくれ。確かめに行こう。もう客入れは終わったよな? そんなに混んでもいないはずや。入退場ゲートに行ってみよう」
本中田のその予言は的中した。
退場口に行くとやはりセキュリティが立っていた。一度退場すると、二度と再入場できませんが、それでも退場なさいますか? との確認に美代子は唖然とした。それではなんのためのIDパスだというのだろうか。
「スタッフパスでも入られへんのか?」
「だめですね」
「俺はスタッフなのに、自由に出入りできない?」
「そのように伺っております」
「どんな理由でも一度出たらアウト」
「そうです」
「なるほどね」
「そんなのっていくらなんでもーー」
横でさすがに黙っていられなくなった美代子を、本中田が手で制した。
「ええ。この人が悪いわけではない。もうええ、行こ」
促されて仕方なく、美代子は本中田の後を追って元の道を引き返した。カツカツと不気味にふたりの足音がこだまする。その背中に話しかける。
「今度はどこですか」
「次で本当の本当に最後や。wi-fiスポットをもう何カ所か確認する。こうなってくると、君と初めに話したあの場所だけでなく、通信網はおそらくどこだろうと、徹底的に切断されてるはずや」
そして、予想はまたしても的中したのである。もはや美代子も、なにか明らかに異常事態が起こっていることを確信しつつあった。休憩所で呆然と、ネットから完全に遮断された携帯を見つめつつ、沈黙に耐えきれなくなって美代子はもう一度言った。
「ーーどういうことなんでしょう、これは」
「ここまで徹底的にやるとはな」
美代子への返答ではなかった。本中田は何かを考えてぼんやりと宙を見つめている。だが、美代子を無視しているわけでもないようだ。逆に質問してきた。
「こうなるとwi-fiだけでなく、携帯自体の電波がつながらないのも意図的なものやろうな」
「ーーそうですね。ここまでくると、おそらくは。やろうと思えば携帯電波の妨害ってのはできるみたいですから」
「妨害っていうか、この辺一帯の中継局か基地局を一時的に止めてまうだけやろ。連中ならそんなこと造作もないよ」
「連中?」
一瞬、しまったという表情をしたのを美代子は見逃さなかった。明らかに口を滑らせたという顔をしていた。露骨にごまかすように話題をそらした。
「これしばらく借りてええか」
ポケットから取り出した。
「双眼鏡?かまいませんが、どうするんですか」
「観客席にまで入られへんっていうのはさすがに想定外やった。でも逆に言えば、下手に入られたくない何かがそこにあるっていうことや。ピッチから観客席をこれで見上げてみる。何があるのか、少しでも手がかりを見つけたい」
「あの、言いづらいんですけど」美代子は申し訳なさそうにいった。
「さっきも少しいいましたが、それ、本当におもちゃみたいなものなんです。倍率ほんの数倍で。肉眼で見てわからないものが、そんなものひとつで劇的に変わるとは思えないんですが」
「それでもないよりはマシやろ」
「もっといい方法があります!」刹那、ひらめいて美代子は言った。パッと顔が輝いていた。
「わたし、社の契約カメラマンと一緒に来てるんです。彼の望遠カメラを借りたらどうでしょう。なんせプロカメラマンの望遠レンズですから、お客さんがすぐそばにいるみたいにクッキリ見えるはずです」
「ありがたいが、ゆうてもゲーム中やで。商売道具奪ったら、その人仕事できへんようになるやんか」
「大丈夫です。予備を持ってきてるはずなんですよ、さっき搬入手伝いましたから確認済みです。一瞬そのサブカメラを借りるくらいなら、たぶんできる気がします」
本中田はその案についてしばらく考えていた。
「それで、その対価は試合後の独占インタビュー?」美代子の目を見た。
「あるいはどういうことなのか事情をちゃんと話せってとこかな」
「そんなのいりませんよ」
「いらん?」
「何か困ってるならお手伝いします。対価よこせとか、これが貸し借りになるなんて、別に考えてません。借りがあるとしたら、昔駆け出しの新人の無謀なインタビュー受けていただけた恩があるので、むしろわたしの方にお返しする義務があると思います」
本中田はなおも美代子を見ていた。美代子は続けた。
「とにかく望遠カメラが必要なら、次の夜休憩の時にでもピッチに出て、フォトピットまでひとっ走りして借りてきますよ。もっともーー」そこで一瞬だけ言葉を切った。「そりゃ事情を話してくれるなら、もちろん、知りたいですけどね」
本中田は突然笑い出した。ぽかんとする美代子の肩をぽん、と叩き、
「俺の負けや。せっかくの厚意を値踏みするみたいなことをした。これ、俺、あかんな。完敗や。そっちの純真に負けたわ」
「はあ」
「君の書いてくれた記事を思い出したわ。そうやった、君はそういう子やった。信じなあかんな」
そういって本中田は休憩スペースの椅子に、ゆっくりと腰を落ち着けた。美代子に目を上げる。
「こうしよう。君だけには俺が何をやっているのか、できるだけ本当の事情を話す。条件はふたつや。すべてが落ち着くまで誰にも絶対に口外しないこと。望遠カメラを借りてきてもらうこと」
そう言って、隣の席を示した。
「座りや。少しだけ長い話になる。あれは、そうやな、俺が今回のオリンピックに内定が決まったとされる頃やったーー」
人狼サッカー あじじんた @aji
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