第6話 再会

「ねえ、ここもなの!?」


 美代子はセキュリティ係に詰め寄った。二階と三階の観客席、満員のサポーターが熱狂している様子を見にいこうと、階段につながる通路を通ろうとしたが、係員が置かれた関所が設けられていたのだ。


「なんで上がれないんですか! わたしほら、怪しいものじゃないですよ! ほらほら、ジャーナリスト・パス、これ!」


 ラミネートカードで作られた取材証明IDを示すが、セキュリティは慇懃に、しかし厳しく拒否の姿勢を見せた。先ほどから何度も繰り返している文句を機械的に繰り返す。


「申し訳ありませんが、これより上の観客席はチケットをお持ちの方のみご入場が許されております。専用シートも人数分しか確保されておりませんし、今日は満席ですので」


「だからそれはわかるけど! どこにも座りませんってば! ただわたしは記者で、仕事で、お客さんの様子も押さえておきたいだけなんですってば」


「残念ですが、今回は無理です。プレス席をご用意しているはずですが。どうしてもお客様の様子をご覧になりたければ、フィールドの端から見上げる形でご覧ください」


「だから、それじゃ遠いのよー!! 近くに行って、できればコメントとったり、話が面白そうな人にインタビューしたりしたいんだってばー」


「申し訳ありません」


「通してよー」


「だめです」


 埒があかなかった。


 美代子は大袈裟にため息をつき、あきらめて踵を返した。これで三カ所目だった。この様子では広いスタジアムに設けられたどの通路をチャレンジしても、関所は突破できそうにない。


 ついにキックオフの笛が鳴った人狼サッカーは当初、脇田が予想した通りの探り合い的な展開を見せていた。しばらく試合に動きがないと踏んだ美代子は、会場を動き回りながら取材をすることに決めた。


 サッカーの試合は高い視点から見た方が俯瞰がしやすい。当初は高い位置にあるプレス席に腰を落ち着けるつもりだったが、それより二階席か三階席でゲームを見ながら、お客さんからもコメントを集めておこうと思ったのである。


 しかしそうは問屋がおろさなかった。スタジアムで通常ここまで厳しいセキュリティ体制が敷かれていることはまれだし、係員が設置されているとしても、見るからにアルバイトかボランティアですみたいな華奢な男子の場合が大半である。ところがさきほどのチェックポイントにいたのは、どれも屈強のプロ警備員たちだったのだ。腕っ節はもちろん叶うはずもないし、交渉も取りつく島がない。


 テロリスト対策ってことかな、さすがはオリンピックだわ。


 美代子は腹立ちながらも別のところで感心していた。まあ、こんなご時世だ、それも仕方ない。それにしても今まではこんなことなかったなあ・・・・・・と通路を引き返している時、ふと足が止まった。


 自動販売機と小さな椅子が数脚のみ、それに試合を中継する小さなモニターが用意された、ささやかな休憩スペース。


 そこで携帯をいじっている金髪の男に目が止まる。どこかで見覚えがあった。


 スタッフ? 南米チームのベンチ陣が着ていたのと同じ、五輪公式ジャージを着ている。だがスタッフだとしたら、試合が始まったばかりだというのにこんなところで何をしているのだろう。


 次の瞬間、もしやと思った。でも、そんなまさか。駆け寄って大胆に顔をのぞき込み、確かめる。やっぱりそうだ。


「あああっ!!」


「うわっなんや。びっくりするがな」


「本中田英佑選手!! わたしです、覚えてませんか? 以前インタビューさせていただいた、倉田美代子です!!!」


「・・・・・・あー、君か、覚えとるわ。なんや、取材にきとったんか」


「はい。お久しぶりです!」挨拶もそこそこに、

「なんでここにいるんですか!? えっ、ていうかその格好、スタッフなんですか!!?」


 軽い興奮状態が収まらないまま、美代子は矢継ぎ早に訊いた。


 美代子は数年前、アポ取りも難しいとされる本中田の独占インタビューに奇跡的に成功したことがあった。まだまだ駆け出しの頃で、美代子にとっては思い出の記事、そしてその記事の評判が良かったこともあり、以来本中田は一番の思い入れある選手となっていた。


 本中田は苦笑して応えた。


「そそ、スタッフや。アシスタントコーチやっとんねん。今日は岡村さんを手伝っとるよ」


「えええ、現役の選手が。それって前代未聞なんじゃ」


「もともと選手として登録されとったからな。ちょっと人狼サッカーって奴がどんなもんなんか見たい気持ちもあって」


「そういえば噂はありました。実は本中田選手がメンバーに内定されていて、でもギリギリで外れてしまったって・・・・・・」


「その噂は真実や。アシ就任の件はプレスリリースはされてなかったんか?別に書いてくれてかめへんよ、どうせフィールド出たときは顔映るやろうし」


 あの本中田がアシスタント。どうしても違和感が拭えない。しかし、だとしても、こんなところで何をしているんだろうか。もうゲームは始まっているというのに。


「あの、それで、ここで何を」


「それがなあ」本中田は自動販売機の接した壁の一部を見つめながら、怪訝な声を出した。

「携帯がつながらへんねん。電波が悪いのかと思って、せめてネットに繋げようとここに来てみたんやけどな。フリーwi-fiの電波も捕まえられへん」


 本中田の視線を追った。壁にwi-fiスポットの表示がある。美代子は自分のスマートフォンを取り出してみた。たしかに見事に圏外になっている。設定アイコンから電波を探してみるが、ひとつも見当たらない。


「だめですね、ここのwi-fi死んでます。わたしの携帯でも表示されません」


「電話もだめそう?」


「おっしゃるとおり、圏外ですねー」


「そっかぁ」本中田は困ったな、という風に首をひねった。

「こんだけ人数いるとそうなるんかな。何万人もの人が、受信スタンバイの携帯もっとるわけやし」


「そうですね。普通は逆に、人が多いところはアンテナが増設されるもんですが、ここはなんせ突貫工事ですから・・・・・・」会話が途切れた間を見計らって、美代子は訊ねた。

「あのー、携帯は心配ですけど、試合始まってますよ? こんなところにいていいんですか」


 美代子はテレビモニターに目をちらりとやった。南米軍フォワード・ヘアレスがディフェンス陣にドリブルで仕掛けている様子が映っている。


「え?あ、うん。そうやな」本中田はなぜか、ちょっとあわてたような素振りを見せた。

「もう戻るよ。ありがとな」


「はい。久しぶりにお話しできてうれしかったです。あのー、できれば試合後、もう一度お会いしてインタビューさせていただきたいんですけど」


「試合後かあ。会えるかな。携帯もつながらへんし」


「そうですねえ」


 まさか本中田に、わざわざ所定の場所に出向いてこいとは言えなかった。


「まあ、会えたらやな。それより最後にひとつ」


「はい」


「伝えそびれてたけど、君の書いてくれたインタビュー記事、本当に良かった。今でも内容、はっきり覚えてるよ」


 一瞬何を言われたかわからなくて、美代子は混乱した。ああ、はあ、と間抜けな相槌しか打てないでいると、


「ずいぶん遅れたけど、ありがとうな。そういえばそれをずっと伝えたかったんや。忘れてしもうててすまんかった」


 そう言って本中田は微笑んだ。


 やばい、この人妻子持ちじゃなかったけ。このままじゃ下手すると恋に落ちるぞ、と美代子は思った。冷静になれ。なにか話せ。


「とんでもないです」と美代子はようやく言葉を絞り出した。「こちらこそありがとうございました。あの、あの頃わたし駆け出しで、インタビュー企画が通っただけでも信じられないほどだったんです。とにかく一生懸命に、必死にだけは、少なくともやりました」


「そうか。ほんまにありがとう」

 もう一度本中田は繰り返した。そして、


「また会えるといいな。そんじゃ!」


 と手を振り、その場を立ち去った。


 美代子は軽く呆然と、その背中を見えなくなるまで追っていた。


 報われた。

 あの私の仕事は、無駄じゃなかったんだ。

 そう思うと今度はちょっと泣けてきた。


 そのインタビューが実現するまで、本中田は極度のメディア嫌いとして知られていた。そうなった理由は業界では有名で、まだ多感だった十代の頃、心ない記者にまるで事実と反する捏造記事を書かれ深く傷ついたから、ということだった。

 インタビューはおろか、ちょっとしたコメント取りや広報を通しての確認さえ苦労する、マスコミ泣かせの超大物というのが、数年前まで本中田の共通認識であった。

 

 それがどういうわけか美代子の企画が通り、新人の仕事としては異例の数ページにわたるインタビュー記事を掲載することができた。


 初めて会った時の本中田の印象は、思い描いていたものとは全然違うものだった。たしかにしばらく一種の警戒心を抱いてるようにも見えたが、それも最初のうちだけで、最終的にはなんと一時間の予定だったインタビュー時間を自ら30分以上延ばして、ひとつひとつの質問に真摯に答えてくれた。

 とても誠実な人だな、と美代子は思った。


 ロングインタビューとなったので編集には苦労したが、その甲斐あり記事の評判は良かった。そしてそれ以来、本中田とマスコミの距離は明らかに少し縮まった。メディアでの露出が増え、企画がきちんとしたものなら、少なくとも門前払いされたという声は聞こえなくなった。


 おまえの記事が氷解のきっかけになったんじゃないのか、と脇田や周囲からはからかわれたものだ。だが美代子自身はさすがに、そこまで図々しいことは思わなかった。ただ単純に、本中田がずっと閉ざしていた心を以前より開いたような気がして、その変化がなんだかうれしかった。


 だけど、今の本中田の言葉は。


 実は本当に、そういうことだったんじゃないのか。

 わたしが扉を開けるお手伝いをできたんじゃないのか。


 いかんいかん、調子に乗るな。美代子は両手で自分の頬をぱちんと叩き、我に帰る。そうだ、それに、今は仕事中だ。結局観客席には上がれなかったのだから、プレスルームに戻って試合を観なければ。


 その時、ワアッと歓声が聞こえた。試合に動きがあったようだ。反射的にすぐそばのモニターを観る。ボランチの選手がクローズアップになり、その下に字幕COが表示されていた。


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 カンテレレ選手(EAチーム・背番号6)

【霊媒CO】ー1日目昼17分時

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