第3話 記者とカメラマン

 美代子はフィールド・ピッチの端っこに呆然と突っ立ったまま、スタジアム全体を大きく見回した。


 でかい。今まで訪れた会場の中でもダントツのスケールだった。


 まだ試合開始のだいぶ前だというのに、観客席はほとんど埋まっている。

 

 倉田美代子はサッカースタジアムに来ることが日課のようなものになって久しい。それでもオリンピックの公式会場というのは初めての体験だ。

 会場の独特の高揚感が伝播してくるようであった。


 しかしこの会場、サイズではないどこかに、まだ何かの違和感がある。なんだろう、と考えているところに


「倉田」


 呼ばれて美代子は我に返った。振り返ると五十がらみの恰幅いい中年男が、すぐそばに立って無精髭を擦っていた。


「あ、お帰りなさい」


「お前何ぼーっとしてんだ。そんなんじゃ機材見といてくれ、ってお前に頼んだ意味がないだろうが。とんでもなく高いんだぞそのカメラ」


 言われて視線を落とすと、足下にはカメラバッグやばかでかい望遠レンズ、三脚といった撮影機材が積まれるようにこんもりと置いてある。


「いやあ、おっきい会場だなって! ほらわたし、脇田さんほどベテランじゃないんで。オリンピックの取材って初めてなんですよ。ちょっとなんというか、圧倒されちゃって」


「初めてのオリンピックが、よりによって、この試合ねえ」


 含みのある言い方をして脇田は答えた。が、それ以上は何も言わず、足下の機材バッグを担ぎ、バズーカ砲のようなレンズを小脇に抱えた。


「三脚とこのバッグ持ってくれ」と荷物の一部を押しつけてから、思い出した風に

「お前も便所行っておいた方がいいんじゃないのか?普段の試合より相当長丁場だぞ」


「大丈夫です。私は脇田さんみたいに、ずっとフォトピットに貼り付いてなきゃいけないわけじゃないですから」


「ま、そうか。じゃ行くぞ」


「重いですね、この三脚……」


 二人は荷物を抱え直し、ゴール裏に歩き出した。カメラマンがサッカーの試合を撮影する際に陣取る、いわゆるフォトピットと言われるエリアである。


 美代子は小さな雑誌社のスポーツ・ライター、相棒となる脇田は熟年のフリーランス・カメラマンであった。

 どういうわけか親子ほども年の離れたこのコンビは現場での相性が非常に良く、またクオリティ高い記事を量産することで社からはそれなりに重宝されていた。

 今回もオリンピックの目玉となるこの種目の取材は、二人に託される形となった。


「ルールは覚えてきたか」のしのしと歩きながら脇田が美代子に目を向ける。


「まあ、一応」

 

「俺は正直、まだよくわからんよ。CO ? グレラン? なんだそりゃって感じだ」

 機材バッグのストラップが食い込んだまま、肩をすくめる。

「通常のサッカーなら慣れたもんなんだがな。えーと試合自体は、20分ハーフってことでいいんだなよな? いや、ハーフとは呼ばんよなこの場合。20分ごとの試合を何回もやる、ってことか」


「そうです」重い荷物にぜえぜえ言いながら、美代子は横を歩きつつ答える。

「20分試合したら、初日の昼の時間が終わります。そしたら投票タイムになって、多数決で誰かを処刑」


「処刑?」


「処刑です。吊り殺します。いや本当に殺すわけじゃないですよ!」


「そのくらいわかってる!」


「その後、休憩も兼ねた夜が来ます。夜が明けたら次の20分、つまり二日目の到来ですけど、夜の間にはたいてい誰かが狼に噛み殺されています。噛まれたプレイヤーはもう出場できません。だから、日が経つごとにプレイヤーはどんどん減っていき……」


「もういい、もういい」

 うんざりしたように脇田がかぶせた。

「とにかく、試合が終わるまでピットで撮りまくってりゃいいんだろ。この仕事引き受けたときから、ほとんどやけくそなんだこんなもん。まったく、どこのどいつがこんなキチガイゲームをやろうなんて言い出しやがったんだよ」


 脇田自身はもともと高校までラグビーをやっていたラガーマンだったが、その頃から同時に熱心なサッカーファンでもあった。金の力で好きなスポーツが強引な改変をうけたことがどうにも気にくわないらしい。


 所定の位置に着いた。


 やっと荷物を下ろせてほっとする美代子と対照的に、脇田は巨体に似合わぬ敏捷さでさっさと周囲に自分の陣地を作り上げる。

 カメラバッグからデジタルカメラを取り出し、望遠レンズを取り付けさらに三脚に設置した。いざというときの予備に用意してあるサブカメラも、同じようにレンズやバッテリーの点検を一通り行い、細かい設定も素早く調整する。


 売れっ子のカメラマンにはアシスタントがついて回ることも多い。だが予算のあまりない美代子の社では、その分の経費までは出せず、だからこそ一匹狼の脇田が雇われることが多かった。必然、行動を共にする美代子はこうやってこき使われることも多かったが、当人はそのことを気にしてもいないようであった。


 とはいえやはり肉体労働は専門外である。

 美代子はさかんに手首を振ったり曲げたり、腕全体をマッサージしたりしている。ほんの数十メートル歩いただけで両手がひどくしびれていた。

 

 慣れた手つきでテキパキと三脚の高さを微調整しながら、そんな美代子の方をろくに見もせず脇田が呟く。


「お前人狼ってやったことあるか?」


「はあ、学生時代はそこそこ」


「俺はない。俺がとっくにおじんになってから流行り始めたゲームだからな。うちの女房は俺より結構下だが、あいつでさえないって言ってたもんな」


「奥さんおいくつでしたっけ?」


「9つ下だよ。そんなに面白いものか?」


「当時は面白かったです。でも問題はそれ以前にあって、やる気のある人たちがそこそこ人数集まらないとできないゲームなんですよ。いっちゃん最初のハードルが高いっていうか」


「気軽にやるわけにはいかんわけか。3~4人かき集めてトランプか麻雀でもやろうや、みたいに」


「厳しいでしょうねえ。4人やそこらじゃ、やってもつまんないと思います。だから大学を卒業してからはなかなか遊ぶ機会もなくて。何年もやらないうちに細かい戦略とかはもう忘れちゃいましたね」


「それで挙げ句の果てに、どっかの頭のおかしい金持ちが、こんな酔狂を始めちまったってわけか・・・・・・」テスト撮影でファインダーをのぞいたまま、脇田は小さく首を振った。

「何もサッカーとくっつけなくってもなあ」


 ようやく握力が戻ってきたのを確かめ、美代子は改めてその位置から会場を見回した。やはりいつものサッカーの試合とは何かが違う。

 

 その違和感の正体にようやく気づいた。


「旗がない」ぼそりと言った。


「え?」


「なんかやっぱいつもとは違うなーとさっきから思ってたんです。今それがなにかわかりました。サポーターがこんなに集まってるのに、応援旗が用意される気配がないんですよ」


 通常サッカーの試合では、サポーターと呼ばれる応援団が、観客席一面をも覆い尽くすような超巨大な応援フラッグを用意することがある。

 そこまで大規模でなくとも、大概ある程度の応援ペナントは用意されるものだが、試合前とはいえ今日はずいぶんその面持ちが少ない印象だった。


「あー。そりゃお前、今回のは混成軍だからな」脇田も観客席に目を上げながら言う。

「事実上の南米 vs ヨーロッパだろ。そこにちょこちょこアジアやアフリカの選手が混じってる。たかだかこの一回のために、誰か主導で強引にチームフラッグをデザインしたり作るって言うのも、難しいんじゃねえのか」


「そうですかねえ。なんか変な感じ」


「そうだろ。絶対、ああでもないこうでもない、ってなる。それで揉めないようなら世の中戦争なんておこらんよ」


 にしても何かまだ引っかかる。美代子のこういうときの勘は異常によく当たる。


 だが思考を遮るように脇田が唐突に訊いた。


「お前、どう思う?」


「え? どうって、何がですか」急に引き戻されて美代子は少しあわてた。


「もはやスポーツって呼べばいいのか、ゲームっていうべきなのかわからんが。とにかく、この狂った種目についてだよ」


「?」


「選手たちはいわば、二重の立場に置かれてるわけだろう」


 そういうことか。脇田の言いたがってることがなんとなくわかったが、話の先回りをせずに相づちを打った。「うん、そうですね」


「ひとつには、国としてメダルがかかった代表としての立場がある。しかもそいつは鬼畜ルールだ。なんせ、金メダルのみ、負けたら何も得るもののないってんだからな」


「鬼畜て」


「いいからきけ。だが同時に、ふたつ目の立場がある。これが人狼プレイヤーとしての立場だ。選手たちは人狼チームにも同時に所属し、しかもどこに所属してるかをお互いにひた隠しにしている」


 美代子は頷いた。



 人狼には3つの勢力が存在する。ひとつは「村」。もうひとつは「狼」。そして村でも狼でもない最後の勢力、「狐」である。

 これはそれぞれ、サッカーとは全く別の次元で、裏で密かにチームを組んでいると考えていい。


 人狼サッカーは、この「裏チーム」で勝利した場合の報酬として、莫大な金額が賞金として設定されていた。


 その額、およそ日本円にして、合計100億。


 プレイヤー全24人のうち、一番人数が多い「村」で勝利しても、村陣営計17人でその金額を割ることになる。この場合でも一人アタマ、およそ5億円以上。正確には6億円近い。


 しかしそれすらもあくまで、分配ケースとしては最小金額に落ち着いた場合なのだ。以下のケースではもっとエスカレートする。


「狼」カードが配られた場合、勝利の難易度が少し上がる。

 しかしその分獲得賞金も跳ね上がる。狼全4頭に加え、同陣営扱いの役職「狂人」を含めたたった5人で、100億円を山分けすることになるからだ。

 その額、一人あたり、実に20億円。


 もっとも凄まじいのが「狐」チームを引いてしまった場合だ。

 一般に人狼ゲームで狐陣営に所属した場合、その勝率は数パーセントにも満たないといわれている。味方の数が極端に少ないし、運の要素にも大きく左右される。


 だがその分、勝った場合のリターンも大きい。

「狐」と相棒役「背徳者」のたった二人で、100億円を二人占めすることになる。

 すなわち、なんと50億円がそれぞれの手元に収まる計算だ。



「50億だぜ」

 あきれたような口調で脇田がぼやいた。

「俺なんざ指がちぎれるまでシャッター押し続けても、とうてい生涯手が届かない金額だ。なあ、それだけの金額鼻先にぶら下げられたとしても、人間って奴は冷静に誇りを保てるもんかな?」


「つまり」美代子は答える。

「国やサッカープレイヤーとしてのプライドなんかかなぐり捨てちゃって、どの選手も人狼の方の勝利を最優先するんじゃないか、ってことですか?」


 脇田は頷いた。


「お金目当てで?」


「そうだ。人狼チームでも勝てて、サッカーチームとしても勝てれば、もちろん一番いいやな。当たり前の話だが、カネも金メダルも手に入るのが一番いい。だが十中八九、そうは言ってられなくなるだろう。だってそれがこのゲームのミソだからな」


 美代子はちょっと感心した。

 何もわかっていない風を装って、実は勘所はちゃんと押さえているようだ。


「試合の展開によるが、おそらくどこかの時点で裏切りが発生する。どちらかでの勝利を選ばんといけない時がくる。サッカーか人狼か。その時人はどっちを選ぶと思う?」


 美代子は考えた。栄誉を取るか、カネをとるか。

 だがカネの金額が大きすぎて実感が湧かない。数十億円というのはオリンピックのゴールドメダリストという称号より価値のある額なのだろうか?


「でも金メダルも結局、お金につながるんじゃないですか。だったら・・・・・・」


「そうだが少なすぎる。たとえば日本だったらメダルを獲っても報奨金せいぜい数百万円」


「そんなもんでしたっけ」


「ただし人からはチヤホヤしてもらえるがな。だがそれも、長くてせいぜい数年だ。お前だったら多少の先を見据えた金メダルって栄誉と、すぐ目の前に積まれた冗談みたいな50億円って金額。どっちを選ぶ?」


「どっちも縁遠すぎてピンとこないですよそんなの」ため息をついて、美代子は正直に言った。ふと思いついて、さらに続ける。


「でも50億ならともかく、村で勝った場合はもらえても5~6億円なんですよね。それだって私たちからしたらとんでもない額ですけど、今日出場する選手たちって、かつてはそれくらいの年俸もらってた人たちばかりでしょう? そこまでグラッとくるほどの額なのかな」


「かつては、な。それが逆に厄介なんだ」

 脇田はちらっと美代子を見た。


「昔、アメリカに取材に行ったことがある。向こうのホームレスの中には元プロバスケとか元アメフトとかの連中がわんさかいた。まだアスリートたちが目ん玉飛び出るようなカネをもらえてた時代だぜ。なのに、引退後も金銭感覚が狂ったまんまだから、結局山ほどある有り金もあっという間に全部溶かしちまうんだ」


 その話はきいたことがあった。かつてのNBAやNFLでは引退からたった数年で、実に8割近くの元選手たちが破産していたという。孫の代まで悠々と食える総額を稼いでおきながら、なぜそうなってしまうのだろうと美代子は不思議に思ったものだ。


「覚えとけ倉田。一度でも栄光を味わった人間は、その甘美さを忘れることは到底できない。お前は俺の半分程度しかまだ生きてないからまだそれがどういうことかわからんかもしれんが、俺がこの企画をタチが悪いと思うのは、カネの魔力を知った人間ばかりをわざわざ集めているところさ」口調が吐き捨てるようになっていた。

「億って単位は俺たちみたいな庶民より、あいつらにとってのほうがデカい。はるかにデカい。なぜなら奴らはその意味をすでに知っちまってるからな」


 一流フットボールプレイヤーたちは、資本主義が終焉する以前に貰えていた年俸に匹敵する額を、再び手にすることになる。かつての王侯貴族のような生活水準が戻ってくる。それは彼らにとって一般人以上に大きな意味と魅力をもつ。

 脇田の言いたいのはそういうことだろう。


「じゃあ脇田さんは」美代子は先ほどのと同じ意味の質問をもう一度繰り返した、

「選手たちは最終的にはお金を選ぶと思うんですか」


「と思う。だが実を言うと、本当はわからん」ため息をつき首を振った。

「たぶん、最初はみんな様子見から始める。理論上はサッカーでも人狼でも両方で勝てる奴は出てくる。だから全員、しばらくはスケベ根性を出して、両取りを狙ってくる。金も欲しいが国民にも嫌われたくないだろうからな」


「わたしもそう思います」


「だがどこかの時点で、見切る奴が出てくる。最終的にカネを取りにくる奴は絶対にいると思う。けどな倉田、恥ずかしくて人に言うことはあんまりないんだが」ちょっと声のトーンが落ちた。珍しく口ごもっている。

「俺は実は、ちょっぴり信じてるもんがあるんだ」


「なんですかそれは」


「言ったらお前、絶対笑うぞ」


「笑いませんよ」


「人間の良心って奴さ」言った脇田本人が照れ笑いを見せた。

「今回この悪趣味な仕事を引き受けたのは、もしそんなもんがほんとにあるっていうのなら、そいつを見てみたいからっていう理由が大きいね。どっかでポロッとこぼれ落ちるかもしれん、そいつを見てみたい。ま、期待外れに終わりそうな確率は相当に高いがな」

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