第一章 恋と愛情
1
澄み渡る空を祐樹は机に肘を置いて外を眺める。窓の向こうにはノコギリの歯のように連なる山々が見える。どれだけ遠いのだろうか、と考えれば考えるほど気が遠くなる。でもなぜか祐樹は外を見ると落ち着くらしい。
中学校の中では成績はいいと言うほど良くはないが、悪いと言うほど悪くはないという中途半端な立ち位置にいる。友達という友達は数えられる程しかいない寂しい少年でもある。もともと彼は無口でシャイな性格であるため、幼い頃から一緒だった友人とじゃないと喋れないというめんどくさい中学生である。
「ゆ、祐樹くん……」
平次が涙目で話しかけてきた。
「……なんだ?」
「相談に乗って欲しいことがあるんだ」
朝とは変わらずどこか様子がおかしい平次に祐樹はとりあえず相談を聞いてみることにした。
「祐樹くんって、好きな人いたりする?」
「え? まぁ……」
なぜ平次女々しくモジモジしているのか、祐樹には少し予想ができた。
「僕……好きな人が……できたんだ……。だから、一番信頼できる祐樹くんに相談したくて……」
「そうなんだ……それで?」
いつも女々しく振る舞う平次だったが、今日はいつもよりも女々しかったので少し違和感は感じていた。
「それでね?……告白をする際に、なんて言えばいいのかわからなくて……」
「なんも普通に自分の気持ちを伝えればいいと思うよ、『好きです! 付き合ってください!!!』とか『○年前からあなたのことが……大好きでした……』的な? 俺にはよくわからないけど、そういうことを言えばいいと思うよ?」
自分の恋愛知識をありったけ話す。すると、平次は笑顔になり、
「今日、放課後告白してみるよ……。ぼ、僕、怖いから祐樹くんもついて来てよ」
いったいどこまで意気地なしなんだよ。と呆れながら祐樹は了承した。
2
と言っても実は祐樹も同じことを思っていた。
ドアからあの少女が出てくるだけでなぜか胸が張り裂けそうになる。目が合うだけで心臓が魔王に抉られるほどの衝撃を受ける。祐樹の好きな人の名前は
『祐樹くん、知ってる?〔情〕という字がつく熟語はね、お互いの共有する時間の積み重ねなんだよ。たとえば、友達というのは、長い年月をかけて絆を強くするよね? これは〔友情〕。そして誰かが言ってたんだけどね。恋愛感情って植物に近いものなんだってさ。恋は芽生えるもの。同じ時間を過ごして育てていくのが〔愛〕。すなわち、〔愛情〕らしいよ』
最初は言っている意味がわからなかった。だが、この病を『恋愛感情』と置き換えればすべて辻褄が合うのだ。何かの間違いだと思った。幼馴染だけには恋愛をすることはないと思っていたのだ。祐樹の初恋の相手は川崎 姫花だったのだ。
そしておよそ半年が経った現在。
「……緊張するなぁ……」
告白を決心したのだ。平次がやるなら自分もやらなければと焦った祐樹。
目の前にはその本人がいる。長く良く手入れされた黒い髪、大きくクリッとした目。その一つ一つを見るだけで、手に汗を握っているのが祐樹にはわかる。
「……ぁ」
「ねぇ、祐樹、今度の土曜日映画見に行かない?」
自分から言う前に、彼女からデートのお誘いを受けてしまった。彼女には顔色一つ変えずにこちらを見つめている。早く赤くなれ、と思っても彼女はポーカーフェイスが得意であるため、なにを考えているのかさえも祐樹にはわからない。
「い、いいよ」
「やった! なんの映画を見るかは私が決めていい?」
「……うん」
「うん! じゃあ用意しとくね!」
姫花は純粋に喜び、女子生徒とともに去っていった。
「何〜ひめか〜。もしかして、デート?」
「やめとこうよ〜、あの無口な藤村くん何するかわからないよ〜」
あとで女子生徒の悪口を聞いた後、姫花の怒号が聞こえた。
3
放課後、カラスが鳴く夕焼けの空の下。
約束通り平次に言われた通り告白現場に立ち会った。
相手は、
「んで?俺は何をすればいい?」
「美波さんが向こうから来るから……ここで見守ってて……」
平次は顔を真っ赤にして出陣した。
壁に隠れてずっと平次の方を見ているのだが、美波はなかなか来ない。
——いつになったら来るんだろう……。
と、もう帰ろうとしたその時、肩に何かポンと何か手を乗っかったような感覚を感じる。
ビクッ! と驚いた祐樹の思考回路は一度ショートし、もう一度再構築されていく。もしかしたら幽霊かもしれない。否、この時間帯に出るはずはない。考えればショート、そしてまた考えればショート、これを一秒単位で行った。そして、恐怖でオーバーヒートした頭はやがて炎上し、
「出ッ!!」
慌てて何者かが口を抑える。おそらく肩に手を置いた人物だと思われる。
「しーーー! 静かに!」
聞き覚えのある声と嗅ぎ覚えのあるニオイ。
後ろを振り向くと美波がいた。
肩までつくさらりとした髪、妖艶な目つき、ふっくらとした胸。可愛いと美人が混じったまさにカオス少女だ。成績は優秀で、クラスの中にも人気がある。性格は穏やかだが、どこか誘っているようにも見えることもある。
「無口の祐樹君もここまでビックリするとは……あたしも驚いちゃったわ」
——それはこっちのセリフだ!
「あら、また何も喋らないのね。平次、あそこであたしのこと待ってるのね」
コクリと祐樹は首を縦にふる。
「うふふ、意外と素直なのね。それじゃあ、あたしは平次のところに行くわ。貴方もそこで見ててね」
再び肩をポンと叩かれて気づいた振り向いた頃には既に彼女はいなかった。
——瞬間移動かよ。
と、平次の方を見ると、すでに美波が来ていた。
「み、美波さん……」
平次は顔を赤らめて下から見上げるように彼女を見つめる。
「うふふ、待たせてごめんね?」
美波が笑うとなぜか妖艶さが増すのはなぜだろうか、と祐樹は思う。
「み、美波さん!!! ぼ、ぼぼほ、ぼ、僕!」
平次の手には汗が滲んでいる。緊張のしすぎで自分の心臓の鼓動音が聞こえる。
「僕! 僕は……」
美波はポンと平次の肩に手を置く。
ビクッ!と身体が震え、その後も痙攣しているかのように小刻みにブルブルと震えている。
「あら、可愛い。でも、あたし、貴方の気持ちは——」
「最後まで言わせてください!」
美波の言葉を跳ね返し全ての覚悟を決める。そして、深呼吸をして、髪を紐で後ろに結んだ後、彼は口を開く。
「僕、美波さんが好きでした……。付き合ってください!」
空気が凍った。真冬の吹雪が来たかのような寒さ。そして、平次は恥ずかしかったので寒くもなんともなかった。
——僕、何か失敗しちゃったかな……。
美波は目をつぶって黙っているため、その寒さがだんだんと胸のあたりから伝わってくる。
すると、美波が満面の笑みでこう答える。
「あたしも、貴方が好きだった。ずっと前から。」
この瞬間、周りの凍った空気が温まった。
「えっ? それは……?」
「いいわよ、付き合ってあげる」
お互いが笑顔になる。それは安堵の笑顔だということは第三者の目から見てよくわかる。お互い照れていたのだろう。
「もう、こうして見たらあたしたち、女の子同士で恋愛してるみたいじゃない」
二人は笑った。
だが、祐樹はなんらかの圧力で心が押し潰されそうになり耐えがたかった。
「こうなったら、失敗できないじゃん……」
彼は激しく絶望した。
4
「何でお前が俺と帰ってんだよ」
「えへへ、いいでしょ?」
放課後、『告白』という試練を乗り越えた平次は、美波帰らずになぜか祐樹と下校していた。
「まぁ、いいけど」
平次はいつもの笑顔に戻っていく。そして祐樹の顔を見て、
「今日は、ありがとう。助かったよ。祐樹がいなければ、僕は告白に成功することはなかった。本当にありがとう」
「親友の頼みだ。聞かないわけはないだろう?困った時はお互いさまだ」
少し涙目になってきている平次。お前は本当に女子か。と祐樹は心の中で秘める。とはいったものの、実は祐樹もびっくりしていた。いつも目立たない位置でじっと見つめていたあの平次が自ら戦場へも赴く姿を見たのだ。誰かの後ろに隠れたままだとマズイということを自覚したのか?と祐樹は推測する。
「早速なんだけど……土曜日、デートすることに決まって……」
——展開早すぎだろ……
告白してその数日後にデートというのは些かどうかと思う。早いというよりかは、まだその時ではない。と言ったほうがいいだろうか?
美波と平次は六年来の仲である。いつもいつも、美波がお姉さんがわりになって庇ってくれて……。席が隣になった時は嬉しかったほど。同級生でありながらも、いつの日も美波と共に過ごし、行為に至ったという。だが、美波と一緒に帰るのには早すぎると平次は判断したようだ。それは彼の恋心なのか、それとも自分のせいで彼女を汚したくないという気持ちがあったのかはわからないが、とにかく彼女に対して前向きな態度を取っているのは一目瞭然だった。
「ねぇ! 祐樹くん。僕、どんなことを美波さんにやればいい?」
「……なにか買ってやったら?」
「たとえばどんなの?」
どんなのかと言われても、美波の好きなものを知らない祐樹には答え難い質問だった。
「彼女が欲しいと言ったものとか? 美波さんが商品に触って眺めている時にかっこよく『それ、買ってやろうか?』とさりげなく言う。それがベストだと思う」
「なるほど〜」
アニメで得た知識を祐樹が最大限発揮した瞬間だった。恋愛アニメをよく見ておりそこから学んだことを平次に教えている。そのことを知らない彼は、ルンルン気分で土曜日のデートプランを練っていた。
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