記憶の中の空の下へ
第61回にごたん参加作品
お題:【休み明け】【残暑】【思い出】<水>
ひどい悪臭だ。アベルは思う。何かが腐った臭い。いや、何かなんて分かっている。分かりきっている。人の破片だ。この戦場に散らばっている人のパーツだ。機関銃でばらばらにされた肉片だ。敵の塹壕と味方の塹壕との間で置き去りにされた人だった何かたちが、ぬかるんだ地面に沈んだまま、腐敗してしまっているのだ。
こんなところになど居たくない。アベルは思う。故郷へ帰りたいと。こんな寒く冷たい風が吹く場所には居たくないと。夏の日差しを避けて木陰の下のベンチに座り、幼馴染のコリーヌと一緒にアイスキャンディを食べたあの場所へ、あの景色へ帰りたいと。
「どうして、僕は――」
隣国が、攻めて来さえしなければ、自分はあの景色の中へ居たのに。回りの空気に流されて軍に志願さえしなければ、ここに来ることはなかったのに。
アベルは空へ手を伸ばす。
「……ああ、コリーヌ」
だが、アベルはもう、二度とあそこへは帰れない。
地面のぬかるみに、アベルの四肢が沈んでゆく。胸に開いた穴から血が流れる。腹に開いた穴から臓物が零れる。
「……ごめん、コリーヌ」
空に伸ばした手から、力が消える。
静かに、手が落ちる。
地面に再び捕まった彼の手が動くことは、二度となかった。
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