季節外れの帰路

第56回にごたん参加作品

お題:【夜行バス】【フォルテ】【ベタ甘】<狐の嫁入り>


 そうだ、という言葉で思い立ったように旅行へ行くコマーシャルがある。ちょうど、今の僕みたいに。コマーシャルと少しばかり違うのは、僕の場合は旅行ではなく帰省であるという点だ。連休初日の朝――を、少し過ぎて、昼前、ようやく意識が覚醒した僕は、布団から身を起こしたときに、ふと思ったのだ。帰ろう、と。

 別に、何年ぶりに帰るというわけでもない。大学を上がる時に家を出てから十年足らず、毎年、盆と正月に親の顔は見ている。ただ、なんとなく、いつも帰る時期とは違うけれども実家に顔を出そうと思っただけだ。

 親に帰ると連絡してから新幹線の切符を買い、のぞみの自由席に数時間座り続けた後、賑やかなホームを抜けて在来線の椅子に座りなおしてまた一時間、外の景色にも、電車の中にも人気が少なくなった頃に、夕日のさす静かなホームで降りて、駅前のバス停で数十分待って、辺りが大分暗くなり始めた頃にやって来た、緑色のラインが入ったバスに乗って――。

 雨が降り始めた。

 そういえば、実家近辺の天気予報さえ見ていなかった。折り畳み傘でも持ってきていただろうかと、僕は背負っていたリュックの中を見る。

「……忘れた」

 降りる予定のバス停から実家までは、少しばかり歩くのだが。雨がやむことを願いながら、僕は一つ、ため息をついた。

 しかしながら、僕の願いは届かなかった。

 バスの窓を打つ雨は強くなる一方だった。迎えに来てもらうという選択肢も考えたが、いつもの生活習慣ならば、そろそろ親はアルコールを摂取してしまっている頃である。酔っ払いに迎えに来てもらって怪我をされても困る。

「これは、ずぶ濡れになりながら帰るしかないかな」

 リュックの中身は、多少外が濡れても大丈夫なはずだ。僕は気怠さを感じながら、一つ覚悟を決めてバスのベルを押し、リュックをかついでバスから降りて――。

「諒兄さーん!」

「……夏美ちゃん?」

 傘をさした幼馴染の妹分が、僕に手を振っているのが目に入った。

「久しぶり、兄さん」

「夏美ちゃんも帰ってきてたんだね」

 この妹分は大学生で、今は他の県で暮らしている。だから会えるとは思っていなかったのだが、とんだ偶然があったものである。

「何か用事でもあったのかい?」

「なんとなく、帰ってきたくなって」

「なんだ、僕と一緒か。それで、どこかへ行く途中だったのかい?」

「ううん、違うよ。兄さんを待ってたの。赤い顔のおじさんが傘を持って慌ててたから、ちょっと話を聞いてさ」

 ああ、やはり、お酒を飲んだ後だったか。その状態で僕のことを案じてくれたのはありがたいが――。

「その、ごめんね?」

「いいよ。わたしも久しぶりに会いたかったし」

 そう言いながら、夏美ちゃんは自分が今差している傘を僕に差し出した。

「入って?」

「……僕の分、ないの?」

「忘れちゃった」

 夏美ちゃんは小さく舌を出しながら笑った。

「ほら、子供の時はよくどっちかが傘忘れてさ、一緒に帰ったじゃない」

 確かに子供の時はよくやった。僕が忘れたり、夏美ちゃんが忘れたりして、一緒に帰った。中学の途中で、なんとなく恥ずかしさの方が勝り始めてからはしなくなっていたが、まさか大人になってからもう一度することになるとは思ってもいなかった。それでも、ずぶ濡れになるよりかはありがたいのも確かである。気恥ずかしさを覚えながら、僕は小柄な夏美ちゃんに身を寄せた。

「あ、肩、出ちゃってる」

「これ以上入ると、夏美ちゃんが出ちゃうから」

 僕が苦笑いを浮かべた。

「子供の時は、傘の方が大きかったのにね」

「あの……夏美ちゃん、距離、近くなってないかな?」

「だって兄さんに風邪ひいてほしくないしさ」

「いや、これはちょっと歩きづらいというか……」

「それくらいは我慢してよ」

 夏美ちゃんは小さく笑って僕の顔を見上げる。

 ふと、夏美ちゃんの視線が、僕の目から外れて、明後日の方を見た。

「変なの。雨が降ってるのに、月が見える」

 あっち、と夏美ちゃんが指をさした先には、満月が浮かんでいた。

 夏美ちゃんがくすりと含みのあるような笑みを浮かべながら何かをつぶやいたような気がしたが、僕には暗くてよく見えなかったし、雨音が大きくてよく聞こえなかった。

 そういうことにした。

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