薄明の空に浮かぶ月

第43回にごたん参加作品

お題:【トワイライト】【忘却の彼方】【三月といえば】【誕生日】


 ――暗く、青白い空に、紅い月が浮いていた。

 紅い月、それは暗闇の女王の象徴。

 しかしそれは、夜に在るべきものである。

 こんな、青白い空に在るはずがないものである。

 ――終わるのだ。

 常夜が、彼女の世界が。

 明けるはずのない夜が明けるのだ。

「何故、どうして」

 十重二十重、彼女――常夜の女王を縛る鎖が、彼女の身を締め付ける。その痛みに耐えながら、硝子細工のような少女は、彼を見上げた。

「何故、貴方が私を裁くの、太陽の王。貴方は私と同じはず。私と同じく永遠を生き続ける、私の唯一の友のはず。なのに、何故……!」

 見上げられた太陽の王――騎士のような大男が、彼女を見下ろしながら、哀しげにため息をついた。

「お前は、殺しすぎたのだよ、常夜の女王。いたずらに、人間の命を奪いすぎたのだよ」

「大人しくしていた私を引きずり出したのは、人間の方じゃない!」

 少女は叫びながら身を乗り出す。彼女を縛る鎖が、いっそう強く締まる。

「勝手な理屈で私を見初めて、勝手な思いで私を欲しがって、勝手な解釈で私の夜を壊そうとして……!」

「だからといって、全てを殺すべきではなかった」

「なら、私はどうすればよかったのよ。所詮、貴方には分からないのよ、私の恐怖が!」

「お前も、分からないだろうよ。友を救えなかった私の嘆きが」

 男は苦々しく奥歯を噛んだ。

「……どうして、私のところに来なかったのだ。夜の」

 彼女は答えなかった。

「どうして、唯一の友を頼ってくれなかったのだ……!」

 少女はただ、泣きじゃくるだけだった。

「お前は、やりすぎた。お前がこの夜に在り続ける限り、世界がお前を許さないところまで来てしまったのだよ」

 そう、世界が、彼女に対して敵意を向けている。世界という概念が、彼女の行為を見過ごせないと怒りを彼女へ向けている。

「だから私は、君を裁く」

 世界が少女を殺す前に。

「友を救えなかった償いに、お前を封じるこの術に、私はこの永遠の命を――魂を捧げる」

「――やめて」

 少女が、絞り出すような声で叫んだ。

 男は首を横に振る。

「やめて!」

「私は、お前を死なせたくない」

「私を、一人にしないで!」

 少女の声に、男は悲しげに一つ微笑んだ。

「永遠の命には戻れないかもしれない。しかし、永遠の別れではないだろうよ。数千年か、それくらい経てば人間程度にはなれる。その頃には、私の術も力を失っているだろう。世界も君を忘れているだろう。……そうなったら、また、語ろう」

「……約束よ」

「ああ。……さらばだ、友よ」

 そうして、彼は最後に、少女を抱きしめた。




 それは、妙に現実感のある夢であった。

 彼女を縛った鎖の無機質さを思い出せるような。

 彼女の涙の冷たさを思い出せるような。

 彼女を抱きしめた時の華奢さを思い出せるような。

 そんな、生々しい夢だった。

 ――そう、常ならば思っていただろう。ただ、生々しいだけの夢だと思っていただろう。

 だが、あれは夢ではない在った事だと、俺の直感が告げていた。

 俺は――、“私”は、遥か昔に、彼女を裁いたのだと。

 あれは、前世の記憶というやつか。

 いや、馬鹿げたことを言っているのは分かっている。ファンタジーな夢一つ見たくらいで、何が前世の記憶だと、それを直感しただと。そんなのは中学生で卒業すべきことである。

 だが、見えるのだ。

 窓に――薄明に浮かぶ紅い月が。

 夢の中に浮いていたあの月が、現の空に在るのだ。

 だから――。

 今、俺が背後に感じている気配は、間違いなく彼女だ。俺は確信を持ちながら背後を振り向く。

「おはよう――そして、久しぶり」

 赤い薄明の明かりに、硝子細工のような少女が照らし出された。

「……待たせた、か」

「待ったわよ。ずっと、ずっと」

「それは、俺に恨み言を言うためか?」

「それもあるわ」

 少女が俺に近づく。少女の白い手が、俺の首に回される。

「だって貴方、裁いて救ってくれたお礼の一つも言わせないで消えてしまうのだもの」

 少年の額に、少女の唇が、そっと触れた。

「――でも、もう、一人は嫌よ」


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