白い花の海で

第34回にごたん参加作品

お題:【秘密基地】【独占欲】【名前も知らない】<女子力高い>

 

 僕の頬を暖かい風が撫でた。一つ呼吸をすると、ふんわりと甘い空気が僕の中を満たす。

 目の前に広がるのは、一面の白だった。

 純白の花が無数に揺れる、花畑だった。

 見渡す限り、地平線の向こうまで白い花で埋め尽くされていた。

「今日は君が先だったね」

 僕の背後から声がかかる。

 花と同じく真っ白い髪と、透き通るような色白の肌をした――どことなく人間離れをした雰囲気の少女が、いつものように穏やかな微笑みを僕に向けている。

 彼女は、人間ではない。

 そもそも、僕が今立っているここは、世界のどこでもない。

 ここは現実であって、現実ではない。僕が本来暮らす世界のどこにも、こんな景色はない。彼女曰く、ここは僕と彼女が作り出している世界らしい。夢、と表現するのが近いかもしれない。しかし、夢とも違う場所である。

 世界と世界の狭間だと、彼女は言っていた。

「君がここに来る気がしたから、急いで来ちゃった」

 彼女は、僕が暮らしている世界とも、世界と世界の狭間とも違う場所で暮らしているらしい。

 なお、ここが夢ではなく別の世界であること、彼女は僕の妄想の存在でないことを信じているのには、理由がある。

 僕は、彼女の名前を呼べないのだ。

 一度、彼女の名前を聞いたことがあったのだ。彼女は快く答えてくれた。しかし、何と言っているか僕にはわからなかったのだ。彼女の口から出る音を、言語だと認識できなかったのだ。

 その時に、そうなのだと分かってしまったのだ。

 とはいえ、僕にとってそんなことはどうでもよかった。彼女が何者であろうと、名前以外の言葉は通じるし、何よりここには僕と彼女の二人しかいないのだから、一人称と二人称で全て片付くのだ。

「今日は――何かあったの、かな?」

「……やっぱり、分かる?」

「わかるよ。だってほとんど毎日ここで会っているんだよ?」

 私に隠し事なんて無理なのですと彼女は笑う。

「今の君の顔はね、最初にあった時と同じ顔なんだよ」

 彼女との最初――ここに来た最初。

 それは、幼い時の話だ。幼い時、現実世界の知り合いたちと、四葉のクローバーを探したのだ。知り合い達は全員四葉のクローバーを見つけたのに、僕だけ見つけらなくて、それが悲しくて――気が付いたら、ここに居たのだ。

 ――四葉のクローバーが見つかるおまじない、かけてあげるね。

 幼い僕の泣き言を聞いた後、彼女はそう言いながら幼い僕の頭を撫でてくれた。

 元の世界に戻った後、僕は不思議な力を身に着けていた。一面のクローバーの中から、すんなりと四葉のクローバーを見つけられるようになっていたのだ。しかもこれはクローバーに限った話ではなくて、似たようなものがいくつもある中から、特別な一つを選び出せるようになっていたのだ。

 その晩にすぐ、彼女にお礼を言ったのを覚えている。そうしたら彼女は嬉しそうにふんわりと微笑んでくれて――そういえば、その頃から彼女は今と同じ少女の姿だったか。

 とりあえず、そういうことがあってから僕は毎日のようにここに来るようになっていて――そして彼女は、僕に何か悲しいことがあるたびに、おまじないをかけてくれた。

 テストの点が悪かったと言ったときは、頭がよくなるおまじないをかけてあげると言いながら、花畑の花で作った白い花冠をくれた。その後僕は、一度読んだもの、聞いた話は忘れないようになっていた。

 人にひどいことを言って傷つけてしまったと言ったときは、相手の気持ちがわかるおまじないをかけてあげると言いながら、頬に一つキスをしてくれた。その後僕は、人間だけに関わらず、相手の求めている答えがなんとなく分かるようになっていた。といっても、彼女は対象外ではあるが。

 そうやっておまじないを貰うたび、僕はどんどん不思議な力を身に着けていっていた。

「ねえ、何があったのか教えて? 私にできることなら、してあげるから」

「いつも思っているんだけど……何で君は僕に、そんなに色々としてくれるんだ」

 彼女はくすりと笑った。

「向こうの世界はね、退屈なんだよ。何もないし」

 少し寂しそうな声で、彼女は続ける。

「だからね、私の話し相手になってくれるって、それだけでうれしいんだ。毎日のように君と話せて楽しいんだ。だからね、君が困っていたら君の力になりたいし、君の喜ぶ顔が見たいんだよ」

 そして、彼女はにっこりと微笑んだ。

「それじゃ、だめ?」

 ――ああ。

 彼女は、僕に溺れているのだ。

 僕にはわかる。

「……だめなんてことは、ないけれども」

 だって僕も、僕は彼女に溺れているから。

 おまじないを受けるたびに力を貰って何かできるようになっても、楽しくないのだ。

 彼女と一緒に居る時が一番楽しいのだ。

 彼女とこの花畑の中で、二人以外誰も居ない空間の中で、他愛もない話をして――その時間が、とても楽しいのだ。

 僕はおまじないを受けるたびに、人間である感覚が薄れていっている。

 それでもまた、来てしまうのだ。

 彼女と話したくて、来てしまうのだ。

「それで、今日は何があったの?」

 ふわりと、抱きしめられる。

 その温かさは、とても心地よかった。

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