空が流れる夜に

第32回にごたん参加作品

お題:【灯籠流し】【人並みの人生】【控え目に言って地上に舞い降りた天使】<爆弾>

 

「ふむ、夜の学校というのは、なかなかに趣があるものだね」

 真夜中の学校、事前に持ち出したらしき鍵を使って図書室のドアを開け、楓先輩は独り言のように言った。

「ちょっと、こんなこと、バレたら大変ですよ先輩」

「大丈夫だよ。バレないから」

 先輩はそう言いながら、窓に近づいてカーテンを開けた。何を根拠にそんなことを言うのだろうか。僕は先輩を訝しんだが、星明りに照らされた先輩の表情が妙に自信に溢れていたため、それ以上何かを言う気が失せてしまった。

「それに、万が一バレてしまったときは君も同罪だ」

「そんなのは願い下げですけどね」

 前々から変な先輩だとは知っていた。しかし、用事があるからと夜中の校門まで呼び出され、行ってみれば、まさか先輩と二人で夜の学校に不法侵入することになるとは。我ながら、よくも律儀に呼び出しに応じて、ここまでついてきてしまったものだ。とはいえ、もし呼び出したのが楓先輩でなければ、僕はここまで付き合おうとは全く思わなかっただろう。『君も同罪だ』という先輩の台詞が胸の中で反響するのを感じながら、僕は一つため息をつく。

「それで、何で学校に忍び込んだんですか?」

「それはね、学校という舞台が、日常に一番近い場所だからだよ」

「……言っている意味が分かりません」

 わけのわからないことをこの先輩が言うのは、今に始まったことではない。だが、僕は今回、あえてその感情を一欠片も隠すことなく表情に出した。すると先輩は肩をすくめながら、小さなものをひとつ、僕に投げて寄越した。

 檸檬だった。

「それ、どこに持っていたんですか?」

 少なくとも、数秒前まで、先輩の手の中には無かったものだ。

 しかし、先輩は僕の疑問に返答することなく、自身の言葉を続けた。

「誠君、君の目にはそれは何に見える?」

「……檸檬、です」

「ああ、その通りだ。しかし、かつてとある文豪は檸檬に別のものを見たらしい。檸檬という、スーパーにいけば置いてあるような果物を、彼は非日常的なものに変えたのだよ」

 そう言って一つ、先輩は穏やかに微笑んだ。

「私もね、君の『日常』を、少しばかり壊してしまおうと思ったから、ここを選んだんだ」

 微笑んだまま、先輩は僕の顔を下からのぞき込む。距離がつまり、楓先輩の整った顔が僕の目の前に近づく。

「ところで誠君。君は私のことを、どう思っている?」

 先輩が首を傾げ、肩から絹のような長い黒髪がさらりと流れ落ちる。僕は少しばかりどきっとする。

「私が自意識過剰でないのならば、君が私に向けている感情は、ある程度好ましいものだと思っているよ」

 正直なことをいうなれば、その通りである。包み隠さず言うならば、僕はこの、見た目は綺麗だが中身はかなり変な先輩に惹かれている。そうでなければ夜中の呼び出しに来るわけがない。

「そして、だね。私も君のことを好ましく思っているのだよ」

 僕の返答がないのを肯定と受け取ったのか、はたまた僕の意志は半ばどうでもいいのかはわからないが、先輩はくすりと笑いながら一歩引いて身を離した。

「だから今夜、私は君に一つ秘密をうちあけたいんだ。しかも、とびきり突拍子もない秘密をね」

 人差し指を口元に充てる。

「秘密、ですか?」

「ああ、そうだ。――私はね、実は『魔女』なんだよ」

「先輩、僕は先輩が変で痛い人で、そのせいで美人なのに友達がほとんど居ないのは、既に十分知っていますが……」

「誠君、君は時たま言葉に容赦がなくなるな? まあ、今夜に限って言えば、その評価もどうだっていい」

 先輩はくるりと身をひるがえし、図書室の窓に手をかけ、一気に開け放った。真冬の冷たい風が、部屋の中に吹き込んで来る。

「今夜は、とても星がきれいだ。だから、とっておきのものを見せてあげよう」

 先輩が一つ、指を弾いて鳴らした。

 その音は僕の耳に届いた後、すうっと、夜空へと吸い込まれていき、一瞬、辺りが静かになった。

 その直後――一つ、星が流れて落ちた。

 続けて二つ、三つ、星が光って流れ――夜空にきらめいていた全ての星が、動き始めた。落ちていく。筋を描いて輝いて、そして消えていく。

 それは、黒い夜空を流れる川のようであった。

「……どうだい。綺麗なものだろう?」

 そして、その星々の光にほんのりと妖しく、先輩の顔が照らされる。

 僕は目の前の光景に見とれていた。

 何に、見とれてしまったのだろうか。

 夜空を覆うような流星群か、それとも――。

 気づくと、再び先輩の顔が僕の目の前にあった。

「ところで、私はこれでも君に正体だけでなく、思いも打ち明けたつもりなのだが――」

 一つ、いたずらっぽく、そして満足そうに先輩は笑う。

「えっと、それは――」

 もう一歩、先輩が僕に近寄る。

 先輩の温かい吐息が、僕の唇にかかった。

 そして、僕の時間が、一瞬止まった。

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