月のない夜空の下で

第24回にごたん参加作品

お題:【アンサンブル】【愛の対義語】【教条主義】

 

「世界はこんなにも素敵で、こんなにも愛に満ちています。そうは思いませんか?」

 それはつい先ほど、アリスが月のない星空を見上げながら笑顔で言った言葉だった。

「……愛に満ちている、か」

 草原に吹く風が穏やかに草を揺らす音と焚火が小さくはぜる音が静かに響く中で、隣で毛布にくるまり眠りこけているアリスを見ながら、フレッドは小さくこぼした。

 もしも自分が彼女であったならば、世界に殺意を――愛という言葉からは程遠い感情を向けられながら言えることではない。穏やかな彼女の寝顔を見ながら、ひとつ小さく微笑む。

 人ではないから、人にはない異能を持っているから、ただの少女にしか見えない彼女は、ただそれだけで世界の教義からはみ出してしまった。それだけで、教義に固執する頭の固い世界から命を狙われることになってしまった。

 世界から命を狙われる。その気持ちは彼には分からない。だからだろうか、先ほどブレットの口からこんな疑問が漏れてしまったのだ。

 何故、この世界は愛に満ちていると思うのか、と。

 世界から追われて、何故そう思うのか、と。

 礼を欠いた疑問だったと、フレッドは口に出してから後悔した。たかだか数日前に出会った程度の間柄で聞いていいことではなかった。

 しかし、アリスは嫌な顔ひとつせず、さも当然のように、こう言ったのだ。

「それは、一人一人の心の中に愛が溢れているから、です。例えば今わたしが、星空を見て綺麗だと思う心も一つの愛です。そして、わたしを追う彼らの中にあるのは、彼らが信じる世界への愛です。彼らにとっては私が異物です。……でも、わたしも死ぬのがいやだから、こうして彼らが諦めるまで逃げようとしているのですけども」

 それに、たったスープ一杯でここまで付き合ってくれるフレッドのその感情もひとつの愛の形ですよと、アリスは冗談めかして言った。

「私はこうも思うのです。もしも、この世界に愛が欠片もなく、愛と反対のものしかなかったら、それは――」

 ――そこでフレッドの思考は、物思いから現実に帰った。

 音が増えたのだ。

 穏やかな自然の合奏からは程遠い、殺伐とした音がひとつ、ふたつ、みっつ――。

 ふう、とひとつ、フレッドはため息をつきながら身構えた。

「そこに居るんだろう?」

 草陰が揺れた。

「……悪魔が男を連れている、というのは本当の話だったか」

 幾つかの人影を連れた男が一人、そこに居た。

 その手には剣が握られていた。

「お前らもそろそろ、こんな小さな女の子一人逃してやったらどうだ?」

「黙れ。この世界は創造主が人のために作られた世界。人と、人のために創られたものだけが居る世界なのだ。悪魔など、存在してはならない。お前も分かっているだろう?」

「ああ、故郷の司祭様から嫌というほど聞いたさ」

「だったら、こちらへ悪魔を渡せ」

「嫌だね」

 男の要求を、フレッドは鼻で笑って返した。

「現実にアリスはここに居て、生きている。お前らの信じる教義と違うから、教義に合うように現実を修正するっていうのは、どうも気に入らなくてな」

「……貴様、悪魔に魅入られたか?」

 男は、フレッドに剣を向ける。

「いいや、ただ、彼女に義理があるだけだ」

「それは命を張るほどの義理か?」

 男の後ろで影が動いた。剣を抜く音がする。

「いいや」

 フレッドの口の端が、少し上がった。

「たかが一杯のスープ程度に、そんな義理はないな」

 確かに、命を張る義理はない。たとえ行き倒れていたところを一杯のスープで救ってもらった恩があるとしても、武装した集団と命を張って対峙する義理はない。

「だが、ここで見捨てるほど軽い義理でもない」

 言うやいなや、フレッドは傍の焚火を思い切り蹴飛ばした。燃えていた薪が飛び、火が散って消え、辺りは暗闇に包まれた。

 ――一瞬、追っ手達の気がそれた。

 今だ。フレッドは眠っていたアリスを抱え上げる。

「ひゃっ!?」

「ちょっと静かにしてろ……!」

 アリスの口を塞ぎ、闇に紛れるように走り出した。

 少し遅れて、二人の後ろから「追え!」という言葉が草原に響く。

 しかし、その時には既に、フレッドは気配を殺しながら草原を駆け抜け、近くにあった林の中へと姿を消した後であった。

 念には念を入れて、身を潜めながら音をたてないように木々の間をでたらめに走り続け――追手の気配が遠くへ消えたことを確認してから、フレッドは足を止めた。

「なあ、アリス」

「な、何でしょうか?」

 抱え上げられたまま、少し気恥ずかしそうなアリスに、フレッドはひとつ微笑む。

「お前、寝る前に愛がなかったらこの世界は空虚で何もないって言ったな」

 ふと上を見ると、木々の枝の切れ目から夜空が見えた。

「確かに、綺麗な星がこれだけあれば、空虚や虚無なんて言葉からは程遠いな」

 月のない夜空には、星々が静かに輝いていた。

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