文芸少女のマジョリティ

凡木 凡

第1話 文芸少女のマジョリティ

 羅延界太は俺のペンネームである。商業誌掲載はまだない。

 部室まで続くこの廊下はオレンジ色に染まり上がり、ただでさえ浮かない俺の気持ちを一層沈み込ませてくる。これから行われる編集会議のことを考えて、俺は踵を返したくなった。出来ることなら出たくないが、ここをバックレるとそもそも自分の作品が紙面に載らない。

 いっそそっちのほうが幸せな年末だな、などと考えるも、物書きの僕らには年二回のコミケ向け部誌が唯一の作品の発表の場である。この機会を逃すと自分の作品は永久に世に出る機会を失ってしまい、自分を支えるちっぽけなアイデンティティすら失ってしまうことになる。それだけは絶対に避けなければならなかった。

 文芸部部室のある部室棟1階は西側に位置していて、夕方になると強烈な西日が差し込んでくる。橙色の廊下を一番奥まで進むと見えてきたのが魔窟・文芸部。僕を含め様々な鬼才が巣食う執筆機械共の巣窟だ。


「あら界太君、珍しく早いのね」

 ドアを開けると短髪の眼鏡少女が僕に声をかけてきた。

 鳴瀬可憐、ペンネームである。商業誌未掲載。この文芸部の部員である。僕と同じ二年生部員でありながらうちの部誌の人気を支える気鋭の書き手だ。彼女の小説は恋愛テーマがほとんどで、乙女の繊細な気持ちを丁寧に綴る作風は同世代の読者達のハートを鷲掴みにし、部内でも定評がある。今回もこころがキュンキュンするようなプロットを持参してきているのは間違いない。

「万年遅刻の物書きくんがこんな早く来るなんて、雨でも降るのかしら」

「お前の目は節穴か。見えねえのかよこの西日」

 実際強烈な西日は部室にも差し込んでおり、二人しか居ないこの部室を艶やかな樺色で染め上げている。

 ネタ帳を見つめる可憐の横顔も西日効果で魅力的に色づいていて見え、ふいにドギマギする。

「……なに突っ立ってんの? 座ったら」

「あ、ああ」

 彼女のすぐ横のパイプ椅子を引いて腰掛ける。

「ちょっと、なに隣りに座ってんのよ気持ち悪い。席いっぱい空いてるでしょ」

 席を立ち、彼女の真向かいの席に移る。


「おやおや、女の子がそんなキツイ言葉使っちゃいけないな」

 そういって入ってきたのは豪徳寺拓海、ペンネームである。商業誌未掲載。この文芸部の部員である。こいつも同じ2年生で、甘いマスクとスラリと伸びた足からなるスタイリッシュな風貌で女子生徒からの人気がすこぶる高い、文芸部のモテ男担当だ。実際いつも奴の歩く後には女の子たちが数人ついてくる。手癖が悪く、後輩の女子をとっかえひっかえとのもっぱらの噂だ。噂は俺が流した。

 奴の書く小説は顔に似合わず硬派なハードボイルドの内容で、異性だけでなく同性の読者層からの支持も厚い。もっとも女子は奴の作品なんてしっかり読み込んでなさそうだが。

「拓海君は女子に幻想を抱きすぎなのよ。貴方の周りを彩るお花達の根っこは、もっとどす黒くて陰鬱なものよ」

「はは、覚えておくよ」

 そう言って拓海は彼女の隣に座った。

「しかし、同じ部員ながら久しぶりに会うね。髪、少し伸びたんじゃない?」

「そうね、貴方女の子にうつつを抜かすのに忙しくて、めったにここ来ないもんね」

「君と一緒の時間を共有できるなら、足繁く通うんだけど」

 あっという間に部室がお花畑と化す。

「おい拓海、俺を無視して部室をラブ空間化するな」

「なんだ居たのか万年一次止まり」

「お前だって掲載歴無しじゃねえか」

 拓海とは顔を合わせる度に衝突してばかりいる。

「あまりに存在感がないから気づかなかったよ界太」

「じゃあ可憐は独り言喋ってたことになるぞ」

「同じ様なものね。界太君なんて石ころと同じだから」

 こいつらと顔を合わせるといつもこんな感じだ。だが、それは同じライバルとして認識されているがゆえの強い当たりなのだ。部員同士は顔を合わせればケンカばかりだが、作品に関してはお互いのクオリティを認め合う仲。険悪なのはその裏返し、俺はそう理解している。

 部室のドアが勢いよく開いて、ニット帽をかぶった根暗そうなヒョロ男子が現れた。


 八角ハッカード。ペンネームである。商業誌未掲載。こいつは凄腕のウィザード級ハッカーだ。八角にかかればどんなに頑強なセキュリティを実装したサーバーもオープンスペース同然、容易に侵入を許してしまう。その凄腕ハッキングで有名出版社に侵入、未公開の作品をパクってきて自分のものとして発表する手法は多くの創作作家を震え上がらせた。新人賞入賞は3回だが、すべて盗作がバレて消滅。今では多くの名だたる新人賞から出禁といういわくつきの作家である。

「八角、新作はみつけたのか?」

「おお界太、聞いてくれよ。今回のはすごいぜ。なんせ大手ラノベ出版社の新人大賞だからな。内々では既にアニメ化も決定してて……」

「やめろ、もういい。それ以上聞くと俺まで一緒に逮捕されそうだ」


 なんだよびびりめ、と言って八角は俺の隣に座った。 

 拓海と可憐は八角と顔を合わせもしない。どっちも一回ずつ八角に作品をパクられているのだ。

「おい拓海、新作どうだ? 面白かったらまたパクってやるぜ」

「うっせえ死ね」

「可憐ちゃんは最近妄想彼氏とのラブラブ小説クラウドに上げないけどどうしたの? オレあのシリーズ好きなんだけどな」

「うっせえ死ね」

 うわ可憐ちゃんのその小説超読みたい。八角に後でくれないか聞いてみよう。

 ひとしきり部室内が険悪なムードとなったところで、部長が到着した。

「ごめんなさい、ホームルームが長引いてしまって……」


 佐藤夕美、ペンネームである。商業誌未掲載。というか、部長は基本小説を書かない。部誌の企画や構成、レイアウトが主な仕事だ。そして、作品へのアドバイスも彼女が行う。いわば編集者のような立ち位置なのだ。この文芸部の作品クオリティは彼女が握っていると行っても過言ではない。作者の気持ちをちゃんと汲み取りつつ、時に辛辣に、時に暖かく指摘する彼女の手腕には部員の誰もが信頼を寄せている。


「みんなそろっているわね。じゃあ時間もあまりないことだし早速始めましょう」

 部長の声とともにそれぞれが用意したプロットを机の上に広げ始める。部長はそれをひとつひとつ丁寧に時間をかけて目を通していった。

 部員たちに緊張が走る。このプロット会議は自分の作品が載るかどうかを決める大事な会議であり、その決定権を持つ部長に差し戻されるようなら、まだプロットとは言えど修正を余儀なくされる。

端的に言えば、通らなければ作品は世に出ない。皆がおのずと無言になり、時間だけが刻々と流れていく。


「うん」

 部長がそういって皆のプロットをトントンと揃え、再び机の上に広げ直す。

「皆もお互いに確認してみて」

 部員たちが他の部員の作品に目を通し始める。

 創作とは自分の殻にこもり、たった一人で世界を構築していく孤独な作業だ。自分の世界に浸り、キャラと会話して、その物語をひとつひとつ紡いでゆく。

 それ故に一度方向を見失ってしまえば、作品は誰もいない暗闇の海の上でゴールを見失い、本来到達するのとは別の船着き場へ到着してしまう。

 作品をお互いに確認するということ、それぞれ批評し合うということは、創作を本来のゴールへと導くための大事な道標、重要な儀式なのである。

 とはいえ、まだプロットの段階である作品を見られるということは、人前に裸をさらけ出すのに等しい行為である。

「私、別に見られて恥ずかしいプロット持ってこないけど」

 裸体を見られても大丈夫だなんて、可憐はなんて大胆なのだろう。興奮する。

「僕も同感だな」

 拓海の裸なんで考えただけでも悪寒がする。やめてくれ。

「俺っちも問題ないぜ。まあ、オレのは既に完成原稿だけどな」

 お前の盗作じゃん。


「可憐ちゃんの『ラブ彼フォーエバー』今回もそつなく纏めてきたね。友人の元彼と付き合うことになった主人公のジレンマを綴るなんて、すごいエモいよ」

 拓海が可憐のプロットを見ながらそう切り出した。

「ありがとう。でも、今回の主人公は作者の私よりももっと強くて、友人との関係よりも自分の気持ちを大事にする子なの。ラストの展開、こんな弱い私に主人公をちゃんと告白させられるか、その自身がなくて」

「大丈夫、可憐ちゃんは自分でも気づいてないくらい、芯が強くて物語をコントロールできる女の子だよ。自分を、そして主人公を信じて最後まで物語を描ききればいい」

「ありがとう、拓海くん。私、この作品でまた一つ成長できそうな気がする」

「でもさ」

 八角が可憐につっこむ。

「この友人が最後、主人公と元彼を祝福するのってちょっと出来すぎてないか?」

 同感だ。いくら親友といえど竿姉妹になるのはその後に遺恨を残す。

「はあ、やっぱり童貞にはわからないのね」

「だって元彼と親友ってやってんだろ」

「はあ、やってませんから!」

「いや、やってんだろ。二年付き合ってたんだろ。彼氏賢者か」

「死ね童貞」

「お前だって処女だろ」

 これでは収集がつかない。俺が間を取り持つしかない。

「いや、可憐ちゃんの作品はいつも処女臭が」

「童貞は黙ってて!」

 はい。すいません。


「でもまあ、可憐ちゃんらしさが出てていいんじゃないかな」

「らしさっていえば拓海の『ドメスティック・マグナム』だけど、これ主人公がすっげーカッコイイよな。なんっつーか、セックス&バイオレンス?」

「主人公がシブくっていいよね。こんな主人公なら抱かれてもいいかも」

 暴力表現を嫌う可憐ちゃんがこの手の作品に好意を示すとは、拓海もなかなかやるものだ。しかしプロットの「主人公暴漢を後ろから撃ち殺し助けた少女と一夜を共にする」の一文からみんなよくそんな共感出来るな。見方によっては主人公もただのサイコパスだが。それにしても抱かれてもいいとは、可憐ちゃんもおそらく処女のはず。こんな巨根設定の主人公で処女喪失したら裂けて大変なことになるのではないか。

「界太もこういうの好きだろ、お前攻殻機動隊好きだし」

「そうだね、正義の為なら暴力もいとわない主人公、実にしびれるね」

 攻殻機動隊はそう言う話ではないがな。

「界太もついに僕の芸術がわかるようになったか。人は成長するものだね」

「失礼なことを言うな!」

 くそっ拓海め、さっさと終わらせたいからちょっと同意しただけですぐ図にノリやがって。お前どうせまた最後時間なくなって唐突に主人公撃たれて終わることになるだろ。なんでも最後主人公殺せばハードボイルドってわけじゃねえぞ。

「なあ、それより俺っちの奴どうだった」

「すごい面白かったわ」

「だろ!?」」

「さすがは新人賞取るだけあるな」

「そうだよな!」

「いやお前の盗作じゃん」


「そろそろいいかしら」

 場が温まってきたところで部長が一旦仕切り直す。

「いや、まだ僕の作品の話が」

「界太の『文芸少女のマジョリティ』ってまたこの前の焼き増しでしょ」

「主人公の性別変えて美術部から文学部に置き換えただけじゃん」

「なっ、お前らちゃんと読めてねえよ!」

「まあまあ、じゃあそれも含めて順番に見ていきいましょうか。まず、可憐さんの『ラブ彼フォーエバー』だけど」

 部長がそういって可憐のプロットを手に取る。


「女の子の感情が丁寧に綴られていて好感が持てるわね。私もこんな恋したいって思っちゃう。でも主人公が好きになる彼氏の設定だけど、高二で身長198cmってちょっとムリがあるんじゃないかしら」

「いや創作の主人公だし高身長カッコイイし」

「あと都内の公立校にバイク通学って、多分東京の高校ってバイク通学許してくれないし、そもそも23区内だと電車あるからわざわざバイクでいかなくても」

「だってバイク出さないと最後のシーンで二人乗りしながらキッスできないし」

「それと最後、元彼が主人公を助けにヤクザの事務所に乗り込むところ、なんか右手にバット持ってバイク運転してるけど、それだとアクセル握れないし、左手でブレーキしてるけどそっちクラッチだから止まらないわよ」

「もう、バイクの事なんていいじゃないですか! そんな重箱をつつくような批判で私の作品を壊さないで下さい!”」

「壊すだなんて私……」

 部長は下を向いて押し黙ってしまった。

「わかりました。じゃあ次に八角くんの『勇者の仲間のパート始めた母ちゃんがいい仕事してる件』なんだけど……」

「おお、どうよ?」

「すっごく面白かったわ。クオリティも高いし」

「だろ!」

「いや盗作でしょ」

「さすがMADOKAWAの大賞を取るだけのことはあるわね」

「だろ!」

「盗作じゃん」

「主人公がニートである事を悪びれもしないところが、天真爛漫な母ちゃんの影の苦労を醸し出していていい感じに心が打たれたわ」

「だよな。俺もそこのところが気に入ってこれパクったんだ」

「お前もうちょっとだまれ」

「けど一点、ラストで魔王にとどめを刺して、新しい勇者として崇められた母ちゃんが国の守護者としての地位に付く終わり方なんだけど、これってこの作品の真のテーマである息子の自立につながらないよね? これじゃ国は救われたけど母ちゃんは救われないんじゃ……」

「俺が書いたんじゃねえんだからそんなこと俺に言うなよ!」

 部長は言葉に詰まり、また下を向いてしまった。

 いつも思うのだがなんで部長はこいつの作品もクソ真面目に批評するのだろう。早く首にしてこの部活から追い出せばいいのに。


「部長、僕の作品はどうだったかな」

 拓海がナイスフォローで部長を立ち戻らせた。

「あ……豪徳寺君の『ドメスティック・マグナム』今回も殺伐で男臭くていいわね。私はハードボイルド系そんなに読まないからあんまりわからないけど、男の子ってこういうの好きなんでしょ?」

「はは、光栄です」

「あ、でもね、気を悪くしないでほしいんだけど……タイトルにもなってて、豪徳君が本文でもよく使ってる『ドメスティック』って言葉の意味だけど、バイオレンスと対でよく使われるから勘違いしやすいと思うんだけど、これって『家庭的な』って意味だよ? ここの『主人公はその惨状を見るやいなや、近くでタバコをふかす大柄の男に向けドメスティックなパンチをお見舞した』って、家庭的なパンチをお見舞いしたことになっちゃうよ」

「なっ……」

「あと豪徳寺君よくヒロインにJK出すけど、作中で必ず一回は主人公とベッドを共にするじゃない? これ、いくら主人公がダンディでも淫行だよ!? 警部が淫行てちょっとした大問題だからね!?」

「ハ、ハードボイルド読まない人が僕の作品にとやかく言わないでほしいな!」

「でも……」

「部長、ちょっと頭いいからって作品に対してそういう上から目線でモノ言うのやめてもらえませんか!? だいたい僕はもっと高みを狙ってるんだ、たかだか10部程度しか履けないコピー本でとやかく言われたくないな!」

 部長はついに涙目になってしまった。オレの出番である。


「ちょっと待てよ皆」

 自分の作品の痛いところを熱くなった皆をクールダウンさせるべく俺は続けた。

「上から目線って言うけど、もともと批評ってそういうもんだろ。んで、俺達はそれでも自分の作品を世に出す前に、少しでもクオリティアップしたくて、他人の意見を拾うために部長に意見してもらってるんだろ」

 皆黙りこくってしまった。すでに各々の顔から怒りの表情は消えている。

「拓海、お前言ってたよな。作品は手を離れてしまえばそれはもう読み手のものだって」

「ああ」

「俺もそう思うよ。自分の作品を読んでくれて、それでいろんな感想を抱いてくれたら、そこからはもう読者のものだ。読者が思った事に創り手が文句なんて言えないだろ」

「確かに……私たちはそのために、より良いものを生み出すために部長の意見を聞きに来てるんだものね」

「確かに、公開された作品を見た人が面白いって言ってくれたら、オレっちもパクリがいがあったなって」

「お前はホント黙れ」

部長もいつしか俺の言葉に聞き惚れていた。

「……つまり、部長の意見だって世に出る前の俺達の作品への感想だ。確かに自分の書いた作品に指摘されるとムカッと来るけど、それで言い返すのってやっぱ違うんじゃねえか?」

「そうね……」

「ごめん部長」

「俺っち達が悪かったぜ」

「界太君……」

 部長が俺のもとに歩み寄ってきた。うーん、抱きしめたい。


「さあ部長、次は俺の番だ。頼むぜ」

「うん……」

 部長は涙を拭うと、俺のプロットを手に取った。

「界太君の『文芸少女のマジョリティ』は、えーと。なんかそもそも物語になってない気がするな。作品どうこうって言うより、まずは起承転結をちゃんとした上で、読み手を楽しませることを意識したほうが」

「お前小説書かねえくせに偉そうに指摘すんなよ!」


部長は泣きながら部室を出ていってしまった。


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文芸少女のマジョリティ 凡木 凡 @namiki-bon

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