第2章 運命を決すは己が決断を決す瞬間のみ

16. 回想1

 昔、真面目な男と真面目な女が出会って、恋をして、将来を誓い合って、結婚して、一人の息子を授かる。

 真面目な男と真面目な女は、生まれてきた息子が、自分の心に素直に育ってくれることを願った。

 どんな人生を送ろうとも自分の心に素直に生きることが、幸せの第一歩になるからだという思いが強かった。


 息子は、二人のささやかな願いを叶えつつも、結果としてその方向性は、望ましくないものになったように思われる。


 他の子供と比べてもとにかく不可解な動きをする。


 赤ん坊のころから乳幼児の時でさえ、変なものを口にするどころではなく、物を壊したかと思えば、物を作り直すような行動をしてみたりと、一見すると相反するような行動をひたすらし続けていた。


 言葉をしゃべれるようになり、その行動の意味を両親は理解するようになる。


 好奇心、探究心。


 両親は、周りの子供と明らかに違う行動をとる息子に、違和感を覚えつつも、才能と信じ、その才能を伸ばそうと、息子の探究心に付き合い続けた。


 「これはこういう意味でな」


 「これはわからないな」

 「よし、一緒に調べて、考えてみよう」


 「よくできたな」

 「お前は本当に優秀だよ」


 この頃は、気になったことに対して、やりたいことに対して、両親は本当に協力的だった。

 両親の後押しもあり、とにかく気になることをひたすら体験し続けた。


 そこから少し大きくなると、これなに?あれなに?から、これをこうしたらどうなるの?という質問が増えてきてしまい、また、答えを求めるに、実現性の乏しい事柄も多く、困らせることもしばしば出てくる。


 それでも、両親は、面倒臭そうな対応もしなければ、もちろん注意することもなかったが、少しづつ、この価値観への理解が難しいのかと、感じ始めてきた。


 この頃から少しづつ、父親と母親の笑顔が消えてきたように思える。会話をしていて、対応していて、負担になってきたのだろう。


 それでも、行動を咎められるまでには至らなかったので、相談することなく、意見をぶつけることなく、己の中でだけ、問題提起と課題解決に向けて行動することが多くなる。

 自分の探究心を追求し続ける。その環境が当たり前のように思っていたので、後に感謝することはあっても、前よりコミュニケーションが減ってしまったこと自体にガッカリしながら日々を過ごしていた。


 空気がどうしたら空間からなくせるかを何回も試した。

 空気を吸わないで人が生きていける方法はないか何回も試した。

 空気を触れさせずに火を持続させる方法も何回も試した。

 怪我から回復までのスピードを高める方法がないか何回も試した。

 エネルギー補給や睡眠をしないで体を持続させられないか。または他で代用できないかも試した。


 探究心を追求すればするほど、今となれば危ない行為にも及んでしまいがちだったが、それでも心配はされることがあっても注意されることはなかったので、気になったことはすべてし尽くした。


 小学校に上がるようになってからは、探究心への追求を先生やクラスメイトに求めるようになった。

 両親に対してだけ、そこまで明確な考えを持って、聞かなくなったわけではないが、自然とそういう行動を取ってしまっていたことを後から振り返れば、そう思える。


 小学生になれば情報量が、その前に比べると圧倒的に増える。探究心は、授業の中や教科書から出てくることも多く、みんなでその問題を解決したかったので、授業中に、質問を投げかけるようにして、授業を止めてしまうこともしばしばあった。


 最初のうちは、じゃーみんなで考えてみよう。

 なんて授業中にもかかわらずみんなへのお題にしてくれたりした。

 答えが出ることもほとんどなかったが。


 そんなことを繰り返しているうちに、学校側が親へ注意が入った。


 授業を妨害していると。


 そこでまた以前両親に感じたような印象を感じていく。

 両親は明確なメッセージを発さなかっただけに、小学校とはいえ、ひとつのコミュニティにおいてのメッセージは、授業への妨害であった。


 先生に謝っている親を見ながら、なんだか申し訳ない気持ちになり、親にも先生にも友達にも自分の疑問や探究心を投げかけ、一緒に解決していく行動をとるのを控えるようにした。


 もちろん、両親は、先生には誤っていたものの、行動を改めるように。などとは言わなかった。


 この頃には、もう意思の疎通は一切撮れない関係になっていたと思う。


 両親なりに苦悩していたのかもしれない。


 それで、好奇心がとまるくらいなら苦労しない。


 問題提起して、解決を試みたくて、試してみたくてしょうがない、気になってしょうがないことへの衝動を止められなかった。


 そんな時に、ある事件を起こしてしまう。


 人はどうしたら空を飛べるのだろうか?気を扱うことで飛べるようになるのか?羽が生えれば飛べるのか?

 腕を高速で回転んさせれば飛べるのか?いろいろなことを考え行動してみたが実現性には乏しい。

 

 そんなときに、風船の束がすさまじい勢いを空に駆け上がっていくシーンを思い出す。

 親に頼み、ヘリウムガスを手に入れ、友人に風船の束をひたすらつけてみるが、なかなか飛ばない。

 体に入れてみたら飛ぶのかもしれない。という探究心の欲望に勝てずに、ヘリウムガスを限界まで吸ってもらった。


 結果、友達は、みごと空に飛ぶ

 ことはなく、目眩や腹痛を起こし、病院に連れて行ったところ、実験がバレてしまい、また両親は怒られる。


 これを、こーしたら、あーしたらどうなるんだろう?そういった気持ちは、時として、人に迷惑をかけ、人から蔑まされる事態を生み出すことを覚えていく。何をやっても、褒めてくれた親も、この事件を境に、俺の行動に対して注意や警戒をしてくるようになる。


 していいことと悪いことがある。


 人に迷惑をかけることをしてはダメ。


 人体実験のようなものはダメなのだと自分なりの解釈をもち、人がその道をどれくらい行き来するのかを計測するようなお手伝いをすることがあった時に、ずっと目を見開いて、通り過ぎる人たちをカチカチやるのに飽きた時、歩道の地面に足の形ごとにカウントされるようなカウンターを引き、自動カウントできるような仕組みを作った時は、不正行為と言われ怒られた。


 ルールとは違う動きをすることはダメである。


 年齢が高くなればなるほど、社会と関わられば関わるほど、人との関わり合いやルールの力が強くなり、個人の探究心にはブレーキがかかる。大人になるにつれて、極力社会の一般常識に触れてしまう世界とは極力かかわらず研究し続ける道を選ぶ。


 その結果、一般社会において、変人の称号を貰うことになる。


 変人としての称号をもらえれば、変人と接することのリスクを理解した人達が関わってくるため、そこからの環境は素晴らしいものになる。


 はずだった。


 変人に存分に研究開発をさせるためには、莫大な予算を必要とされるために、変人にとってはそこまで興味のないこと、やりたくないことにも手を出していかなくてはいけなくなる。やりたくない。と一言言ってしまうことは簡単であるが、すべてを失う恐怖を覚えてしまうと、自分のマインドコントールをし始めるのだ。実は、これは自分もしたかったことなのかもしれない。と。


 真面目一辺倒の多くを望まない、自分の心に素直に生きてほしい小さな願いは、こうして、大きな物事の流れのなかで消え去っていく。


 そして、禁忌の領域に足を踏み入れていく。人の常識では考えれらない能力の発動と時間の支配。

 

 行き着く先は、常識では到底考えれない、でもたしかにそこにあるであろう、未知の世界。

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