寿司ラッセン
松房子
寿司ラッセン
寿司アートが好きだ。寿司アートには、寿司アートにしかない魅力がある。寿司アートは他のアートと違う。絵画とも彫刻とも、デザインとも違う。寿司アートは現代を切り取ることができる。
昨年、クリスチャン・ラッセンが🍣を描くという事件があった。ラッセンといえばイルカであり、地球である。彼は普段、🍣を描かない。私はラッセンが描いた🍣を見て、上手だなと思った。ある人は美味しそうと言い、ある人はこれは🍣でなくかき揚げだと言った。私はラッセンがイルカの代わりに🍣を描く(背景はいつもの大自然である)ことで、イルカと🍣を均質化させたのだと思う。🍣とイルカは代替可能な存在という、彼の汎神論的な姿勢が伺える。
ところが、驚くべきことにこの事件は、単に商業的なコンテンツとして「消費」されたのだ。もはやラッセンが🍣を描いたことを誰も覚えていないかもしれない(その証拠にインターネット上のログは、すべてラッセンが描いた🍣がかき揚げに置き換えられているのである)。ラッセンを職業画家と軽蔑する人がいるが、ミケランジェロやダ・ヴィンチ、偉大なる中世のアーティストたちは皆、雇われ画家だった。
寿司は食べるものだから、寿司アートと「消費」は切り離せない。旨く食べ、消化されるべきだ。実際、優れた寿司アートはみな、寿司マーケットで売買されている。
問題は、寿司アートと金銭を結びつける視点でなく、それらが代替可能だと錯覚してしまうことだ。寿司とイルカを置換できるのは、ラッセンが長年イルカを描き続けてきた事実を我々日本人がよく知っているからだ。このとき、寿司アートにおける支持体は現代を生きる私たち自身である。寿司アートと金銭においては、そうしたコンテクストを担保する対象が不鮮明だ。
今、寿司アートは私たちの生活に溢れている。寿司など誰でも握れる、そうした誤解がある。寿司アートを生業として食べていける人こそ、真の寿司アーティストだ。
寿司ラッセン 松房子 @matsu_fusako
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