14 トロの自尊


翌朝、トロが真面目な顔でロンに言った。

「俺も、行ってみたい」


「だめだ」

毒川は深いところでロンの腰まである、おぶってはいけそうにない。

落ち込んだように肩を落とすトロは小さくつぶやいた。

「だって、…いやだ」

「なんでだよ」

「お前に、たよる…やだ」

「へえ」

「……、」

「勝手にしろ」


どんなに大事にしても過去は消えるわけではない。当たり前だった。

そして、ロン自身消せるなどとは思ってもない

今更幸せにしたい、優しくしてやりたいなど虫がよすぎる話だとロンは自分に言い聞かせた。


ロンが毒川を渡る時、今日はトロが遠くからロンを見送っていた。

距離が近くなったと思ったら、また遠くなる。そして遠くなったように感じた瞬間トロはすぐ近くにいたりする。ロンは対岸まで渡りきるとまださっきと同じ場所にいるトロを確かめて、そのもどかしさを認識しながらもその場を離れた。



ロンには川を渡ってからのだいたいの経路が決まっていた。

獣を狩るときは西に、そして魚をとる時は東に向かうのだ。しかし今日は少し違う道を行っていた。以前から気になっていたが、この獣道が続く森の中で小さく人の歩いた気配のある道が南に向かっている。それを辿っていくとどうやら小さな家屋があった。

人影があり身をかくしていると、出てきたのは一人の灰色の毛並みを持つ老犬種で、烏に餌をまいている。どうやら穀物をまいているらしい。

耕しているのか、どこか他からの供給源でもあるのかもしれない。

しばらくそこで様子を確かめ特に害もなさそうなのを確かめると、西の方角に戻り、雉を獲り毒川に入った。


今日は遠出をしたせいで辺りはもうすっかり暗くなっていたが、どうやら対岸にトロは待っていない。今朝あんな態度とったから怒っているのかもしれないと思いながら、どうにか川を渡りきり、トロを探すが、滝にも洞にもトロはいなかった。

ひとまず滝で身体の水を払い、トロを探しに出かける。

「トロ!トロ!!」

暗闇の森にはロンの声だけが響いた。まさか毒川をわたったのかという思いがよぎったが、打ち消すようにロンは何度もトロを呼んだ。その時かすかだが、確かにトロの声が聞こえた気がした。

その声のする方へ耳をピンと伸ばし、ロンは足の痛みを忘れて全速力で走りだした。

かすかに声がする方角へ走っていくと、毒川の上流の方、柔らかな木のかけらでできた土の間におおきな穴があり、それを倒木がふさいでいて、そこから確かにトロの声が聞こえてくるようだった。

ロンは力任せにその倒木をどかすと、穴の底にうずくまっていたトロを引き上げた。すっかりおびえていたトロは、引き上げると、耳を倒し尾を丸めたまま、ぎゅっとロンにしがみついた。その一瞬でロンの傷は全快し、それどころか更に力がみなぎってくる。

こんな感覚は初めてだった。

「は、………、」

痛いほどトロからぎゅっとしがみつかれて、ロンがその身体を自分からも包むように触れると、トロは更に力を込めておびえた声で鳴いた。愛おしさでロンはその首元を優しくなでた。

「大丈夫だ…、もう…大丈夫だから泣くな」

震えるトロをしばらくなだめていると、ふと、穴の横に木を植物のつるで結びつけて作ったいかだのようなものがあるのに気付いた。


そこで朝のトロの言葉と合点がいった。

「これで、逃げようとでも思ったか」

「に…げ……?」

トロは涙のままロンの顔とそのいかだをみて不安げに聞いた。

「しらばっくれるな、俺には頼りたくないんだろ」

それを聞いたトロはまだきょとんとおびえたような表情のまま首を横に振った。

「……?俺にだってできることある…」

そう言われて、ロンはハッとした。ロンの怒気に、また耳を倒しおびえるような表情になったトロを今度は強く引き寄せた。

その純粋ささえ信じてやれない自分が、とたん恥ずかしくなったのだった。



これまで薪を挟んで眠っていたトロとロンは、この日を境にして、近くに寄り添い眠るようになった。

穴に落ちたあの日の夜、トロは遅くまで寝付けずそしてロンもトロが眠ってしまうまでじっと眺めていた。しばらく小さな寝息が聞こえ始めたかと思うと、急に苦しむようにうなされだすので、ロンは静かに近寄りトロの胸元に手を置くと、息荒いその身体をなだめた。トロが徐々に落ち着きを取り戻し、穏やかな寝息を立て始めたのを確認するとロンはそっと身を離した。しかし、それから間をあけず、またトロが悲しげな声でうなされだしたので、今度はトロの頭を抱えるように優しく包みこみ朝までそうして傍で眠った。



それから眼が覚めると、ロンはトロに雉や魚のさばき方を教えた。

生き物が死ぬ瞬間に巡り合う生活をしてこなかったトロは最初怖がったが、しだいに一人でも十分に魚や鳥の体を知り、扱えるようになった。


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