6 宵に向かう宴と嫉妬

その日の夜、床に入る時、ロンはトロを手で招き同じ布団に入れた。驚くほどすんなりトロはロンに近寄り、すっぽりと腕の中におさまった。昼間、何度も抱き上げたせいでトロはロンに対しての警戒心が薄らいでいるようだった。

身体を動かし汗をかいたからか、その後行った川でとった魚をたらふく食べたからか、今日はもうすっかり眠気がトロを包んでいた。

うとうとと瞼が落ちかけるのに、トロは必死に眠らないよう堪えているようにも見える。ロンはトロの頭を抱え込むと柔らかな耳に思わず口を押しあてた。ピクリとトロが反応して、びっくりしたように眼を開けた。それから、少しおびえるように耳を倒しながら、じっとロンの首元の噛み傷を見ている。ところが触れるでも目をそむけるでもないあまりにも絶妙な距離感に、ロンはもどかしい愛しさがこみあげてきた。ロンはトロの額にかかっていた柔らかな前髪を手でどかし今度は額に唇をあてた。

くすぐったかったのか、トロは背をかすかに震わせると二度大きく瞬きして、首をかしげるようにロンの首筋にかすかに顔を近づける。

首元の傷に自分もその愛撫を返そうと躊躇しているのがわかると、はやくしろ、とロンは心のなかで思ったが、トロは葛藤している内にぱたりとその場に頭を落として眠ってしまった。

「なんだ、疲れたのか」

こみ上げる笑いをロンは止める事が出来なかった。



翌朝ロンは早いうちに、キュウマに文字通りたたき起された。日は昇っているが、空気がまだすっきりと澄んでいる。

「ロン!大変なんだ」

「んだよ朝から、るせえな」

寝ぼけながら半身を起こすとロンは大きくあくびをした。その隣でトロもまだ横になったまま大きく伸びをして目をさました。

「白尾の奴らがまた」

白尾、

その名を聞き、言葉の途中でロンはたちあがった。

ひとり玄関に向かおうとしたが、トロはすっかり目をさまし寝起きの鈍重な足取りでロンの後を追った。

玄関に向かうとまたあの不気味な笑みのスーラが側近たちを引き連れて立っていた。ロンに気付くとぱっと表情を軽くし言った。

「ロディ、随分待たせちゃったね」

「またてめえか」

深い息を吐きながらスーラはロンに近づいた。

「そんなに熱い眼で見つめないでおくれ。可愛いなあ」

「見つめてねえよ呆れてんだ。れんな。とっとと消えろ」

「そういうなよ。今日は手土産だ」

スーラがそう言うと外で控えていたらしい側近達が雌5匹に、両性種らしい幼犬種を二匹連れて玄関の戸をくぐってきた。

「…何のつもりだ」

集まっていた回りの仲間達が色めき立つのを制してロンが聞いた。スーラも落ち着き払った様子で応える。

「同種はもう雌が絶滅したとか・・・・ほんの贈り物だよ」


「ろん!だめだ!!」

ロンの背でトロが叫んだ。一瞬静けさが場を包み、それから、くつくつと堪えた笑い声だけが響きだした。ロンが肩を震わせて笑っていた。

それだけに収まらず、我慢できなかったロンは腹をかかえて大笑いを始めた。

「ははは」

「ロンが笑ってるよおい」

「いかれちまったのか?」

あまりの珍事に仲間達は目をまるくして驚いた。ロンはスーラに背を向けトロの方を向き抱き上げた。

「何だ、もう一度呼んでみろ、ン?」

「・・・・・ロ」

トロはまた心配げな表情でロンの名を呼ぼうとしたが、はっと我に帰り俄かに頬を赤く染めた。

それをみてロンはまたくつくつと笑った。

完全に蚊帳の外のスーラは、ロンとトロの様子を注意深くながめていた。そこにロンが振り向き言った。

「こいつはやれないよもう俺のだ」

抱き上げたトロは、言葉通りロンをじっと見つめたまま少し心配そうに眉をひそめている。スーラは「抱いたのか」と聞いた事のないような低音で尋ねたが、トロはその言葉に赤面して暴れるとロンの腕から無理やり降りて「ふざけるな!!」と怒鳴った。

スーラははっと深く短い息を吐くとまたいつもの冗談だか本当だかわからない様相で言った。

「ま、今回は友好の証ってことで受け取ってくれよ。だけど今度までにその生意気を直さないとひどいことしちゃうよ僕」

「勝手にしろ」

ロンの言葉を聞いてふふと鼻で笑うと、スーラはくるりと背を向けて去って行った。


スーラ達一行がいなくなってから、仲間達は大いに盛り上がった。雌たちはどれも若く上物で轡をされて後ろ手に縛られていた。腰にはグラノドールで飲まれている上等な酒を下げている。

さっそく閨の方に連れて行こうとする仲間達に、ロンは用心の為一日手を触れるなと伝えた。スーラの言葉はもちろん、白尾は信用ならなかった。しかし雌にも退屈にも飢えきっている仲間達は言う事をきこうとする者はいない。

まだ朝だというのに、酒をあおり宴会を始めた。


一気に賑やかになった各部屋の廊下を抜けロンはトロを連れ自室に戻る。もちろんロンとトロの他には誰もこの部屋にはいなかった。遠くでわいわいと賑やかな声だけが聞こえる。すっかり青ざめてしまったような表情のトロを近くに寄らせると、トロは不安げに震えて言った。

「あんな事言って大丈夫なのか」

「ん」

「やつら・・・・俺の村を」

「なんだ怖くなったか」

トロはじっとうつむいて黙り込んだ。かと思うと、震えたままゆっくりとロンを見上げ言った。

「ルークは生きてる?」

先程の心の高揚を残していたロンはその名を聞いて身体の熱が急激に冷めていった。

ルーク、

こんな時に聞きたい名前ではなかった。それでもロンはトロに務めて優しく尋ねた。

「心配か」


トロが村を見た最後の記憶は、橋の上で一瞬目がさめ、村が燃え落ちるあの地獄の様な景色だけだった。ルークの事も、そして長老ハルオンの事も、どういう顛末に至ったか知りはしないのだ。

「ルークがいれば村を再建できる、あいつらの自由にさせない…」

きらきらと、ある種の希望を抱いたような目だ。そうトロが勢いを増して行けばいくほどに、ロンの身体の熱が急激に下がっていく。抑え込んでいた凶暴さすらはみ出してきそうだった。

「…死んだよ」

ロンはもう優しくは言えなかった。冷たく放るように言った。トロがまた孤独になるように、自分を頼ってくるように言葉を選んだ。

「あいつは死んだ炎につっこんで消えた」

トロの方はその事実を信じられないのと、混乱と絶望とで気が動転していた。ロンに言っているのか自分に言い聞かせているのかわからないようなかすかな声でただ一言「うそだ」とつぶやいた。

ボロボロと堪え切れずトロが泣きだすと、弱った心を救ってやりたくてロンはトロを抱きよせた。トロは腕の中でふーっと威嚇し、おおよそ久方ぶりに、ロンの身体にびりりっと強くしびれが走った。

「嘘だ!!・・・・ルーク、ルーク!」

その名を聞き、ロンは大きく舌打ちした。

「死んだ奴の事なんか呼んでどうする」

「だってルークが死ぬはず無い」

「し、黙って」

苛立ちがつのりロンはもう自分でも制御できないくらい、強くトロを抱き込んでいた。

それでも、トロの口からはまるで焦がれるように、ルークを呼ぶ声が漏れ出た。

それがロンの耳には愛おしい相手を呼ぶうわごとのように響きさらに乱暴な感情がこみあげてくる。

「る・・・く・・・るー・・・く」

「…黙れ」

「一番強くて」

「黙らないと殺すぞ」

「ずっと…傍にいたのに…」

ロンは苛立ちからほぼ噛みつくようにしてトロと口を合わせた。また強くしびれがきたが、それはほんの一瞬で、あとはあの甘い感覚がのどの奥辺りを刺激するように広がった。

気付くと力一杯抱きしめていたせいで、トロが痛がっているのにハッとしてロンはあわてて身体を離した。

おおよそロンの方が自分の制御出来ぬ暴走に驚いて息を荒くしていた。トロはなぜそうされたのか、罰なのかなんなのかわからないように朦朧とした表情でぼんやりしたまま、じっとロンを見ている。

ロンは荒れた息と心をすこしばかり整えると、そっとトロの額の汗を拭ってやった。

「ロン」

また名を呼ばれ、ロンはしばし顔を覆って自らに向けて舌打ちをした。

トロはまだ子供で、ただ単に怒りや不安をどこに持って行けば分からなかったのだ。それでも、トロはもう自分の不安を置いておいて、耳を倒したままロンの様子をうかがっていた。

「ごめん、俺…ロンなんで、怒ったの?」


なんて自分勝手だ。ロンは自分自身に思った。

激浪のように、強い後悔と、愛おしさが去来して、ロンはまたぎゅっとトロを自分の身に引き寄せた。無理に力一杯抱きしめても今度はもうしびれはこなかった。

たまらなく可愛いかった。愛おしさが止まらない。

「怒ったわけじゃない」

強い嫉妬心をこれまで何に対しても持つことなどなかった。

ロンはトロに惹かれている自分自身を自覚し始めていた。


宴会は続いていた。

ロンが様子を見に行くと、言いつけを守ってか雌たちに手を出している仲間はいないようだったが、みな酒のお酌をしてもらったり甘えたりしてすっかり上機嫌で、夜まで賑やかさは収まる様子はなかった。


ロンとトロは喧騒から離れるように川べりに釣りに行った。

浅瀬で冷たい水に足をひたし小魚や水の流れと戯れるトロを眺めながら、ロンはいつものように釣り糸を垂らした。

トロがおぼつかない足でふらふらとしているのを見ると、ロンは居てもたっても居られず竿を放ってトロを抱き上げ足場のよい浅瀬に言葉もなく運んだ。

さっきの事もあり、すこし距離感が遠のいたようにロンには思えたが、むしろその逆で、トロはいつしかロンの事を信頼し始めていた。

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