27 再会
すっかり陽が昇りきった頃3匹はキノ達の待つ洞に辿り着いた。
着くと早速ロンは洞に無遠慮に上がりこむと、なんの気遣いもない大きな声で言った。
「おい、ジジイつれてかえったぞ」
「だからお前お師匠になんという口のきき方を」
あわてるようにルークは制したが、臆した様子の無いロンは抱き上げていたトロをそっと寝ぼけまなこなキノの前におろした。
「キノのじいちゃん」
しばらくじっとその顔を確かめると、キノは大きく、あああんと声を上げて泣き始めた。すこし戸惑いながらも、トロもその感動に打ち震えながら、キノとトロはひしと抱き合った。「よう帰って下さった」となんどもいいながら、トロの背を撫でいたわるキノにトロも何度もありがとうと声をかけた。
しばらくそうして落ち着いた時に、あくびをしながらロンがトロをぐいと引き寄せ、「そしたらな」と眠そうに言ったかと思うと、キノとルークの目前でロン自身は特別不思議もなく、トロの寝衣を肩口からはぎ取った。
「て、えええええ!!?お前ばか」
上半身をさらされたトロは何が起こったかわからず呆然としていたが、ルークがあわててロンから引き離しぎゅっと自分に引き寄せた。
「あ?」
「なな、ななにして」
「何って交配」
「や、おい、お前バカ、ダメだ!!」
「……?なんでだよ」
何故いけないのか本当にわからない様子のロンにルークは大きくため息をついた。これはこれから教育が大変だ。
「ダメに決まってるだろう!!少しは身体をやすませろ!!」
本当の兄貴よろしくそうしかりつけると、ロンはしばらく不思議げに顔を歪めていたが、それから大人しく横になると、トロを抱えてぐっすりと眠り始めた。
昼前に目が覚めたロンは身体の調子もすっかりよくなり、まだ眠っているトロを置いて近くの川まで水浴びに出た。こびりついた血や泥を落としたかった。
久方ぶりに浸かる水の冷たさは心地よく。せせらぎもロンの耳と心を癒した。
腕や大腿部には、傷跡が残ってはいるが、しっかり癒着した古傷の痕のようにすっかり薄くなっている。左胸につけられた白尾の紋章も、もはや形を定めないほどのぼんやりとした赤い痕になっていた。
だいたいの傷を確認し、さほど気にも留めない様子でしばらく水と戯れていると、トロがとことこと川岸に現れた。
ロンは、すぐに気付き耳をピンと立ててその様子をじっと確かめ、それから
尾をゆっくりと小さく振って挨拶した。
トロはそれを見て、自身も小さく耳を瞬かせて返事すると、寝衣を脱ぎきちんと岩の上に揃えて重ねてから、襦袢だけで川の中に入った。
まだ歩けるほど距離を保ってからトロは立ち止まったが、ロンが触れる事の出来る所まで近づいて行くと、トロは少し驚いたようにびくりと耳を後ろに倒した。落ち着くのを待ってロンがその灰紺色に変わった髪の毛に触れても今度は驚かなかった。
それを確認して、ロンはその髪の毛を手にとりさも愛おしげに口に押し当てながら、その探し続けたトロの香りを大事に吸い込んだ。
髪の毛はさらさらと手を逃れ、それがもどかしくてロンはトロの頭を今度は強く抱え込むようにして耳裏に口をつけた。
そうされる内トロは鼓動を早めながらも、ロンの身体に残る傷跡を間近で目にし、胸が痛くなった。
薄くなっているとはいえ強く残った腕の裂傷、首、腹部、一つ一つ触れながら、その一部はまたいくらか傷が薄くなった。しかし、胸の焼き印だけは、赤く残ったままだった。
何度もそうするトロが健気に思え、ロンはそのまま「もういい」と笑んだが、それでもトロは懸命に傷跡を両手で押さえこみぎゅっと力を込めるように身体を固めた。ロンは、目を真っ赤にしてそうするトロの強張った腕を自分の親指で労わるようにしてもう一度存外優しく言った。
「いいって」
「でも」
そう戸惑うように言いながらようやく傷痕から見上げたトロにロンが口を合わせると、あの甘い感覚から更に、じんわりと熱いあるいはしびれの様な感覚が喉を刺激した。最初に感じた強く鮮烈なばかりのしびれとは全く違う、ある種中毒性のある甘美なしびれだった。
その甘いしびれに酔いながら唇を重ねると、身体を委ねていたトロが急にぐいぐいとロンの胸を押して身を遠ざけた。
「あ?」
「なんで」
少し、怒ったように眉をひそめてそう問うてくる。ロンはトロの問う意味がわからず、言葉が溢れるのを待った。トロはとたん心配そうな顔になってまた問うた。
「なんだよ、あいつとおまえが、一緒って」
ああ、と小さくロンは応えた。
「スーラとおまえが一緒で俺は違うって何」
「そのままだ」
「その、まま?」
トロはきょとんと眼を丸めた。ロンは表情も変えず、ただ事実を伝えるだけの声で続けた。
「あいつと俺は一緒だ」
「違う」
「違わねえよ」
「なんでそんな事言う」
「お前がいたかいないかだけだ」
頭が真っ白になった。トロは呆然と、本当に真っ白な気持ちでロンを見つめた。
逆光で、いくらか影になったロンの顔がいつもよりももっと大人びて見えた。
それをじっとながめていると、急にぎゅっとロンに抱き上げられた。「わッ!」と声を上げ驚いたのを笑いながら、ロンは言った。
「なあ、夢じゃないよな、あの時俺に、会いに来たよなお前」
今までに見たことの無い柔らかい笑顔だった。そんなロンの様子にトロはどうしていいかわからなくなる。今までの自分ではいられない気がした。それでも少し残った恥ずかしさが、言葉を濁らせる。
「…………、何の、話だよ」
「あ?お前おせーよ今更、お前から口を合わせにきたくせによ」
「し、してない」
「しただろ」
「してないっ!!」
あの時の事を思い出し、あまりの恥ずかしさにどんと強くロンの胸を押し、自分は少し後ずさりして身を離した。自分でもわかるくらい身体が熱くなった。
川は浅瀬だった為不意に転げたロンは腰をしっかりと濡らしながらも、そんなことは構わずに、トロの様子を見て大笑いした。
「はははは、マジで、おまえ…」
更に恥ずかしさが募って、思わずロンに軽く威嚇するようにしながらも、
トロは、あたたかい幸せが身体に宿るのを感じていた。
ロンのこんな笑顔を見る日がくるとは。
あんなにつらかったのに憎かったのに…ロンの笑顔を見ると嬉しくなる。
まだ肩を揺らしているロンにトロは「あの祝詞…なんで知って」と尋ねた。すると、ロンが祝詞という言葉に反応してハッとトロを見つめた。トロはまたとたんにはずかしくなり、眼をそらして大きく言った。
「口を合わせたのは、少しでも、なおると思ったからで別に、」
「…ああ」
さっきまで笑っていたロンは途端眼を細めるようにじっとトロを見つめ黙った。身を離しているのに、その視線に鼓動が早まり、焦るようにトロが「だ…から、」と言ったところで言葉につまった。
「わかってる…なおそうとしてくれたんだよな?」
ロンは聞いた事の無いようなおだやかな声でそう助けた。
「祝詞はじいさんに聞いた。最期になると思ったからな。身体は一度無理に繋げたが、曖昧なまま別れたくなかった」
もう、濡れるのをほぼあきらめたように、流れを楽しむように、手を後ろについてそのままじっと眺めてくるロンをトロはかすかに呼んだ。
ロンがそれに、耳を動かしなんだ?と尻尾で問うと、トロはロンには聞こえぬほどのかすかな声で、
「“われまた…幾度となく…これを護らん”」
と確かに言った。
これは祝詞の返し言葉で、ランドーリではこれをして正式な夫婦となる風習だ。
すべて聞きとる事が出来なかったロンはトロに何を言ったか尋ねたが、ただトロは「(お前が生きていて)よかった」とほほ笑んだ。
水面にきらきらと太陽がかがやき反射してトロの頬を照らした。ロンにはそれがとても美しく見えた。ずっと自分が欲していた笑顔が、これに違いないとも思った。
ロンは立ちあがると、そのままゆっくり近づいて、今度は優しく口を合わせた。
トロは最初驚いたように身体をぎゅっと固めたが、それから次第に、ロンの呼吸に応え、身体から力がどんどん抜けていった。
そうしていると、またトロがロンの胸をたたき、その腕を今度は乱暴にとるとロンがようやくいつもの調子で強引にぎゅっと抱き込みながら言った。
「黙れ聞かねえ、お預け食らったんだぞ、少しくらい触らせろ」
「、ち、違、……こ…ども」
「あ?」
目線を下げるとロンの襦袢をぎゅっと握りしめるようにしてキヌがトロを睨みつけていた。
そうして、大きな声で「らめええ!!」と叫んだ。
「んだ、キヌか」
「……きぬ?」
トロを下ろし、代わりにキヌを抱き上げるとトロに顔見せするように近づけた。
「幼馴染のおとしだねだ。偶然じいさんに救われた。じいさんがいなけりゃ死んでただろう」
険しい表情でトロを見つめたままぎゅっとロンにしがみつくキヌに、ロンはトロにするように頬を合わせた後なだめるように耳元に軽く口をつけた。
トロはあっと小さく言った自分を制しながらも、胸のチリチリとするざわめきで尾が逆立つような感覚に襲われた。そうして無意識に、ロンの腕に強く爪を立てていた。
「痛、……てめ」
ロンが痛がるのにハッとしたトロはどうしてそうしてしまったのかわからぬような顔でしばらく動揺していたが、先にロンがそれを察し、耳をピンと立てぐっとトロの表情を覗き込むと、自分が嫉妬をした事にようやく気付いたトロはロンとは対照的に耳を倒し、頬を赤く染めながらおびえるように尾を丸めた。
その様子に、ロンの腕の中にいたキヌがまた大きな声で鳴き始めたのでロンは目線をキヌに戻した。
「なんなんだ急に。腹でも減ったか」
(ロン、ほんとにわかってないのか?それともわかんないふりをしてる?
この子は俺がロンの近くにいるのが嫌なんだ)
それから魚をとってキヌを抱えたまま家の方に戻った。その間もトロはキヌにじっと監視をされているようだった。
洞から移動して、畑のあるあの家に戻ってきたキノは忙しそうに畑の手入れをしていた。「おお、黒いのもうすっかりよくなったようじゃな」
そう言ったキノは、水に濡れた3匹の服と身体を乾かす為にすぐに焚火をたいてくれた。その間にロンは家の裏手に行きくまなく辺りをさぐると、白尾に襲われた時手から毀れたアマゾナイトを見つけだし、土や泥を息で飛ばして焚火の所までもどりキヌに手渡した。
「親父の形見だ。身につけて傍にいさせてやれ」
キヌはじっとその薄青い瞳でアマゾナイトの石を見つめると、大事に自分の懐に収めていた小さな巾着の中にその石を入れた。
ロンはそれを見届けると、獲ってきた魚をキノに手渡しおもむろに言った。
「爺さん、トルーイを嫁にもらいたい。爺さんとキヌもふくめて全力で守る。」
焚火の火の様子を注意深く見ていたキノは、それを今は完全に止めてロンの言葉をしっかりと聴いていた。そしてとても静かだが重みのある声で尋ねた。
「さだめを、受け入れる覚悟があるというんじゃな」
真面目な顔のロンをトロは少しこわごわと見上げた。
さだめ
その言葉に、ロンは石の話をはじめてキノに尋ねた時に聞いたあの話を思い出していた。
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