26 孤独と贖罪
ようやくロストに辿り着いた頃には、ロンはすっかり体力を消耗しており、言葉を発するどころか、立って歩いているのもようやくといった態で、今白尾の者があらわれても、とても闘えるような状態ではなかった。
「この裏口から入れる。いそげ」
転がりこむように、裏戸から入り込むと城は存外静かで、夜に強い白尾が眠りにつく暁の頃合いということも合い重なり、見張りの者達も特段少なくはあった。それでもやはり、スーラが眠っているであろう王城の頂に向かう道すがらで追手は多くなった。途中からロンはルークに引きずられるようにしていたが、そのような手負いでは逃れる事は出来ず、途中とうとう白尾4人に囲まれ前進できなくなった。
間合いをとっている所で、目前からスーラの側近であるあの片腕の青年がゆっくりと近づいてきた。
「このような時間に主に御用ですか。ならば私が引き継ぎましょう。」
冷静にそう言うといきなり一足飛びに刀を振りかざしてきた。利き腕で無い方の片腕で握っているとは思えぬほどの力で振り切られた刀をルークが受けるが、あまりの力強さに受けることで精いっぱいで、とてもふりはらう事が出来ない。
その間に構えていた白尾の者達が力なく座り込んだロンに一太刀食らわそうと刀を振り上げるが、その胴を座ったまま下からずばりと抜刀の抜き身で胸まで切り上げると、ロンはまた荒い吐息でふらふらと立ちあがった。
その殺気を帯びた眼光に残った3人は圧倒され、じりじりと後ずさって間合いを取ったが、逆にロンはおぼつかない足取りで間合いを縮めてまた刀を振り上げた。目がとたん霞み、刃先は床板に突き刺さった。その空いた左わき腹の隙に切りかかってきた白尾の刀を左腰にさげていた鞘を使い受け流し腰布から抜きだすと、同時に右側から切りかかっていたもう一人の刃を、ふらりと回転した所ではじき、遠くへうち飛ばしそのまま空いている素手で首を突いてばたりと一匹倒れるのを荒い息で確かめた。
ルークはぎりぎりとつばぜり合いを続けたが、その時天から刀が振り相対していた側近の青年の腕をかすめて床に突き刺さった。隙が出来、ルークが振り向くと、2匹がその場にすでに倒れこんでおり、ロンの目前に立っている2匹のうちの1匹は素手で、今まさに刀を弾き飛ばされた様子ではっとあわてたように間合いを取っているところだった。
ルークは急いで隙の出来た自らの相手に視線を戻すと、ぐっと腰を落とし刀の峰で相手の足のすねを強く打ちこわし、そのまま振り上げると、相手の刀を持つ手を切り上げて刀を落とした。
ロンは床に刺さった刀をぐっと力を込めて抜きだそうとしていた。
刀を持っている方の白尾の者がすかさずそれを狙いに来るが、ロンの肩に刃先が当たるか当たらないかの所で、突き刺さっていた刀は床から離れ、ロンはそのままずばりと相手の左腰から切りつけた。相手の刃先はロンの左肩に浅く入り、多少の血が流れたがもはや満身創痍のロンには、大した傷とも想われなかった。
意識を保つことすら精一杯になったロンは、ふらりふらりとその場で左右に大きく揺れたが、ぐいとルークに喉元から引っ張られ、その場を逃れた。
目前の階段をゆけば恐らくは王城の頂きであった。おおよそルークに引きずられるようにして、ロンは階段を這って上った。
階段を上ると大きな扉があり、その前に二人の兵が控えていたが、ルークが勢いそのまま、兵ごと押し倒すように扉を蹴破ると、起き上がってくる二人の兵の一方のわき腹を峰で打ち、それからもう一方の兵の首元を柄で強く打ち付けた。
部屋に入ると、そこには骨董品や、美しく磨かれた武具が並び、その奥にとても大きな窓がありそこからは、城の下に広がる豊かな街なみが見渡せるようになっていた。
その前に力なくうずくまっている白い塊のようなものが見えた。
近づくにつれ、それは弱弱しく呼吸するスーラだとわかった。
その姿はもうすでに刀を向けるまでもなかったが、それでもこれまでの憎しみが、ルークに刃を向けさせた。
スーラはその虚ろな目ですでに何者もとらえる事が出来ぬように荒く息をするだけで、言葉すら発する事が出来ない。
ルークが怒りのまま、大きく刀をふりかぶったのをロンの手が止めた。
「何故止める!!」
「お前は、もう殺すな」
ロンは静かにそう言うとずるりと前に重い足を踏み出した。そして、刀を持つ手になけなしの力を込めた。
「ロン」
ロンの背に向けて声がした。
呼ばれたロンは、途端振り上げた手からそのなけなしの力さえすっかり抜けてしまった。
背中で受けたのはあの愛おしい声で、ロンは、その姿を見る前にかすかに身震いした。
ロンとルークが振り向くと、そこには髪の色こそ灰紺色に変わっていたが、トロが立ってまるで信じられぬような表情でこちらを見つめていた。
「トロ!!無事か!!」
ルークが駆けよりその姿を全身確かめる。どこにも怪我などは見当たらない。ロストのものか、見慣れぬ長い裾の寝衣を身につけたトロはルークの問いにかすかにうんとうなずき、まだ幻を見ているような戸惑った瞳でルークとロンを見つめた。
「トロ」
呼ばれてようやくそうだと確信したように、ロンが近づくにつれ、トロは泣きそうな表情になった。
幻などではなく本物だと、他でもない自らの身体が応えているようだった。
腕や、体中の傷、肩は血が滲んでいる。ようやく触れられるところまで近づいても、トロはロンに自分から触れる事が出来なかった。
もはや気持ちが溢れるようで、自分の感情すら制御できそうにない。
耳をぴったりと倒してまるでおびえるように、ロンを見上げた。
ぎゅっと体中に力を込めるトロの腕にそっと労わるようにロンが触れると、それだけでトロはびくりと身体を揺らしてまたふるふると震えた。
ロンの方も、その互いの距離を確かめるように、いとおしむように、身を固くし震わせるトロを眺めた後で、ぐっと思い切り頬を近づけ、寄せ合わせるような愛撫をした。
途端、ロンの身体がぐっと押し出されるほど反動の衝撃でみるみる傷がふさがり、疼いていた痛みもそれに伴う炎症のけだるさも一気に吹き飛んだ。
(婚姻の祝詞…幻じゃなかったか
前より…)
そんな風に思いながらロンはもう一度、今度は強くトロを引きつけながら頬に口をつけ、それから力のはいっていた耳後ろをくすぐるように愛撫した。
「おいッ!!!後にしろっ!!!」
あまりの様子にルークは再びスーラに刃を向けたまま、自棄の様に叫んだが、先程の状態が嘘のように、あのいつもの憎たらしい程ふてぶてしい態度に戻ったロンは、それでも気をつけてゆっくりとトロから身を離すと、「るせえな、おにいちゃんはよ」と軽口をたたきながらスーラの目前に戻った。
「全快したからって調子づくな!!」と毒づくルークを越え、更にスーラの前に近づくロンにルークは構えを崩さぬままじっと睨みつけながら注意を促した。
「おい、不用意に近づくなよ」
心配げな声でトロがまたロンの名を呼んだが、今度は振り向く事なく、ロンはじっと静かにスーラの前でしばらくその姿を見つめた。
「お前らこそ手え出すな」
荒い息でうずくまっているスーラは、すでに瞳にも生気がない。しかし虚ろに見えたその瞳は、濁った光のまま確かにロンを見上げるように何度か瞬いた。
「お前らと違う」
ロンはそう言うと、腰を落としてじっとスーラの表情をうかがった。不定期で苦しげな呼吸の他には、もう耳すら動かす事も出来ない。
「こいつと俺は同類だ」
ロンはぽつりと、どこか悲しげに言った。それからスーラにそっと尋ねた。対照的にこれはとても端的な、事務的な言い方であった。
「楽になりたいか」
そう問われても、無論応える事の出来ないスーラは、ただ虚ろな瞳のまま荒い息を吐き出しては、吸い込む程の力もなくかすかに口を痙攣のように震わすだけだった。
「もういいかげんだろ、こんなもんもってるから苦しいんだ」
懐に固く握りしめていた勾玉を引きちぎり、ロンがそれを力強く握り粉砕すると、スーラはその瞬間少し驚いたように目を丸め、それからはふうっと大きく息をしたきり、眠るように眼を閉じ、ぴくりとも動かなくなった。
ルークとトロはその一部始終に息を飲んでいた。しばらくの静寂のあとで、ルークが呆然と「勾玉が、…いのちを保っていたのか?」とつぶやいたのを背に受け、ロンはゆっくり立ち上がると、
いつもの飄々とした表情でその遺骸から離れ、呆然と立ち尽くしていたトロを肩に抱きかかえた。
「もう用ねえだろ。白尾はあいつがいなけりゃなりたたない」
そう言うと、すたすたと部屋を後にした。ルークもその後を追い、きた道を戻る道すがら、先程の白尾の者達は皆恐れるようにもう攻撃は仕掛けてこず、ましてや、スーラの身体の異変を知っていたか、耳を倒してじっと受けた傷に耐えるように俯いていた。
ロンの言った通り、白尾の根源はスーラの神通力にあり、そして、それを助長するランドーリの石にあった。
城を出たところで、ロストの兵長ら、軍司令部の数名が、3匹に駆け寄り、白尾退治のお礼がしたいと申し出てきたが、ロンは無論そんなものには興味はなく、ルークがそれを丁重に断った。
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