25 真夜中の進軍

そうして一週間程の時が過ぎただろうか。

一方のパルデノストの森では、ロンの傷も次第に癒え、貫通していた手足の傷もようやく血の滴る事もなくなり始めたころ合いだった。

夜中に一人眼を覚ましたロンはゆっくりと起き上がると、キノやキヌの静かな寝息を確認して、一人で洞を後にした。

立ちあがる瞬間、左足と左胸の傷が強く疼き、小さく声を上げそうになったがどうにか堪え、用心して洞の岩壁を伝い外に出たのだ。

久方ぶりに吸い込む夜の新鮮な外気は、何日も閉じこもっていた身体にはあまりに刺激が強すぎるようで、しばらくロンはひじに手をついたまま上体を傾げていたが、それでもそれが少し癒え久方ぶりの夜空を見上げると、美しい星々が空中を埋め尽くしていた。

虫の声や、川のせせらぎ、冷たくとても新鮮な空気、木々のざわめきがすべて、生きている事をロンに教えているようだった。

そうしている時、背から静かな声が聞こえた。

「用足しなら俺も付き合う」

「………あ?」

振り向くと、ルークが仁王立ちでロンを見つめている。

「そんなぼろぼろの身体で何ができる」

「きしょいな、自分でできる」

「そっちの用足しじゃないだろ、お前、…下る気なんだろう。ロストへ」

「わかってるなら、なおのことついてくるな。足手まといだばか」

「ば、…あのなあ人がせっかく心配して」

その言葉にあっと声を上げたロンに、ルークは何だと問うとロンはふと頬を緩ませるように応えた。

「同じ様な事いってやがるぜ、やっぱり同族だなお前らは」

そう言うと、みた事もないような笑顔でロンは笑って見せた。ルークは一気に調子を崩されたようになり、そんなルークの様子を気遣う事もなく森の道を進み始めたロンの後を急いで追った。


森を下り始めて間もなく、ロンの足元はおぼつかなくなり、そのまま近くの木に手をつくと苦しそうに吐き始めた。到底無理の出来るような身体で無いのは、ルークにも、そして当の本人のロンでさえ自覚できるほどあきらかだった。

「おい、本当に大丈夫か、引き返した方が」

しばらく動けそうにない息荒いロンの背からルークが声をかけるが、それに振り向くとロンはルークをじっと睨みつけた。

「るせえな、そんなに怖いなら帰って寝てろ」

強がりをいえるような身体の状態ではないはずだ。その証拠に暗闇でもわかるほど顔が青白く、息も荒い。そんな自分の様子を省みる事もなく、ゆっくりと重い足取りでロンはまた森の道を進み始めた。しかたなくルークもその後を追った。


ゆっくりと岩や倒木をよけながら、なるべく平坦な道を行こうとするが、しばらく歩いた所で立ち止まり、ロンはとうとう一歩も動けなくなった。まだ街までの道のりは中腹まで届かない距離だ。

ロンは仕方なく、近くの岩に腰掛け天を見上げて大きく声にだして吐息を吐きだした。

とても苦しそうな声にたまらずルークはロンに尋ねた。

「いわんこっちゃない。なぜこんな無茶をする」

尋ねられたロンは荒い息のままで目線をルークの方に向けると、その問いには答えずに逆に問い返した。

「話してくれねえか」

突然の言葉に少し戸惑ったルークはやや大きく「何」と問うたが、ロンの瞳は存外落ち着いた色をしていた。

「ランドーリの村の事、あいつが生まれた時、育った風景、仲間、なんでもいいから」

そう言うと近くの石に座る様、ルークに手で指示した。

確かに動くまで少し時間が必要なようだ。

ルークはロンの様子を確かめながら、静かにロンの目の前に腰をかけた。


「トロは、ランドーリの長の正妻の息子として生まれた。しばらくは半月はにわりの性であることは伏せられていた。石を継承する一族の子供として、雌の要素がある事はあまりにも危険だったから。幼いころから雄としての教育をされてきたが、第一師団長の長である俺の父上が、それではあまりにもかわいそうだというほどに身体は細く小さく弱かった。父上とハル様が俺に警護の任をおわせたのは、トロの父上様が白尾の者に負わされた傷が元で亡くなり、石移しの儀が行われた後だ。その頃には、トロの性別の秘密を知る者も多く、常に危険が付きまとうようになった。村の者とて例外ではなかった。」

「通りで、……世間知らずなはずだ」

言葉と裏腹に、懐かしむようにいとおしむようにしてロンは力なく口角を緩ませた。ルークは続けた。

「トロが生まれた時、齢10の頃だった俺は、父上から自分の命に代えても守れとそう教えられて育ったんだ」

「そういや、両性種は14までに交配しないと変化を逃すというが、トロはいくつになる」

「迷信に近いうわさだが……次の満月で14だ」

「……へえ…、…ん、じゃお前タメか」

「は!?」

「いや、トロが生まれた時10の頃てことは俺の1つ上か」

「何故だ…少し…動揺している」

ルークは頭を抱えた。それを少し力なくだが掠れた笑い声でロンがからかった。

かよ」

「だまれ」

「はは、」

そう笑ったロンの顔が、ルークには初めて年相応の青年のそれに見えた。

およそ初めてこんなふうに語り合った二人だったが、特段ルークには不思議な感情が芽生えていた。

笑った後で突然苦しげに顔をゆがめたロンは顔を背け、血痰をそこに吐きだすと、またゆっくりと空を見上げ、大きく呼吸をととのえるように溜息をついた。

落ち着いたのを見計らって、ルークはロンに問うた。

「どうしてトロなんだ、他にも雌はいる」

「俺にもわからん」

「幼馴染のように育った。可愛い弟のように大事に育てたんだそれを」

「……わるかったな」

ロンはそれを聞き終わる前に静かにそう言い、ルークが呆気にとられている間によろめきながら立ちあがり先に進み始めた。ハッとしたルークはその背を追うが、にわかに信じられない。

「おい。今なんていった」

ロンはルークの方に振り向くと今度はさらに真剣な顔つきでルークを見て言った。

「悪かった」

あまりにまっすぐに謝られたルークはすっかり意表を突かれて、しばらくその場に立ち尽くしぼんやりとつぶやいた。

「……なんだ、…天変地異の前触れか」

それからまたはっとしたように、ロンの背を追った。


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