22 結界川の洞

お湯あみが終わったトロが浴場を後にすると、なにやら外が騒々しくなっていた。宴がひらかれる広間に通され、様子をうかがうと、スーラはあいかわらずいけすかない余裕の顔だが、なんだか周りの兵たちは心なしかソワソワと落ち着かないように見えた。

目前には、今までに食べた事のないような、色鮮やかで身付きの良い食べ物が並んでいたが、まったく手をつける気にもなれず、ましてや言葉を発する気にもなれない。

「だから見ない方がよかったのに」

そう言うとスーラはトロに近づき言った。

「かわいそうに、ものも食べれぬほどショックだったのか。そんなにアレは良かったかい?」


湯をあみながら、トロはもう考えるのをやめた。

トロは迷いなくスーラを見据えて言った。

「あれはロンじゃない」

余裕の笑みを浮かべていたスーラの表情が一変するのを確かめてからも、トロは語気を弱めず続けた。

「俺はロンに会いたいといったんだ」

スーラはそれを聞いているか聞いていないかわからないような、うつろな目で流し、トロの目前にある杯をとり自らの口に含むと、トロの顎を乱暴にとり、無理やり口うつしでそれを流し込んだ。そうしてトロが飲みこんでしまうと、苦々しく「これだからガキの相手は嫌」と言うと、水で口をゆすぎそれを吐き棄てた。

「知らずにいれば幸せだったものを」

そうスーラが言うのを聞いたか聞かないか、というところでトロの意識は混濁してその場に倒れこんでしまった。



トロが混濁の渦中に放り込まれた頃、ルークはキノのいる洞にたどりついた。

ルークが馬と共に連れ帰ったロンの様子を見てキノは驚愕した。

「お師匠、出来る限り綺麗な水と布、あとできればお湯も、軟膏などありますか」

「ほれ、まかせい!」

白尾を追いルークが去った後、自宅に戻り薬などを用意していたキノはそれを横たわるロンの前に並べ始めた。そうしてすぐに治療をしなければならないような重篤な傷からルークと手を合わせて手早く処置し始める。

ふとルークが眼をやると、ロンの手元の辺りで小さな少女がロンの顔をじっと眺めていた。

正座したひざにぐっと力を込めた拳を置き、真剣な顔つきで見つめている。

「君は強い子だな、怖くないのかい」

「こわくない。黒の。いたいでしょ。治すでしょ」

美しい薄青色の瞳はゆるぎなくそれを信じていた。ルークは微笑むとぐっと深くうなずいてそれに応えた。


しばし手当はつづき、なんとか容体が落ち着きロンの寝息も静かだが安定的なものになった。そのすぐ横ではすっかり疲れてしまったキヌもすやすやと寝息を立てていた。

薪を挟み、ルークはあの時村に起こっていた顛末や、それからの旅の道のり、そしてトロの石の力とロンの事を細かにキノに話して聴かせた。

炭の位置を変えながら、キノは大きく息をついて言った。

「そうじゃったか…そのような事が」

「後で知った事ではありますが、その村は白尾の間者だらけ。深い傷を負わされたミアも村一番の商い人の家柄の娘で、ありったけの金を積まれていたようでした。だからといってこいつのしたことはもちろん到底許される事ではありません。それに村を乱しハルオン様を谷に突き落とした張本人であることに変わりはない」

「確かに言葉は粗暴であらくれもんの様ではあったが、はてそのような極悪には見えなんだ」

「不思議です。俺の知るこの男は、この様に子どもに好かれるような人間ではなかったはずだ。」

キノとルークは、薪の光に当てられたロンとキヌの寝顔を眺めた。そしてキノは静かに言った。

「トルーイ様がそれを変えたということもあるやもしれん」



傷が疼き夜中にロンは目が覚めた。

まるで見覚えのない暗闇だが、牢の冷たい石壁ではない。強いて言うならば、あの洞に似ている。

起き上がろうと上半身に力を込めると体中を激痛が走り、そのまま倒れこんでしまった。

暗闇でうっすらとキノとキヌそれから、ルークの寝姿が見える。

自分はまさか生きているのだろうか、ロンには信じられなかった。

いいや、

生かされたか…

そう小さくつぶやき、じっと瞳を閉じた。

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