21 ロスト城、大広間

パルデノストの森を背にして立つロストの城は、広く、そして堅牢な石造りの壁で囲まれている。その一室の広間の真ん中にスーラは座していた。

静かな足音で近付いた側近がトロの到着を伝えると、スーラは小さく満足げにうなずき通すよう命じた。

それから程なくして後ろ手に縛られたトロが姿を現した。

こうして手の届くところまで来ても、部屋に入ってきた時のままの凛とした表情だが、かすかに両耳が震えている。


「やあ、久しぶりだね」

にっこりと笑んだスーラを見つめたまま、トロは応えなかった。ああして姿を消した後、トロの性分化は髪の毛色以外には進んでいないように見えた。

「綺麗な毛色になった。しかし完全には変化できなかったか」

スーラがその美しい灰桃色の前髪に触れようと手を伸ばしてくるのを、トロは強く俯いて避けた。それから強く睨みあげると、怒りを堪え切れぬ震えた声で言った。

「何故、俺の大事なものばかり奪う」

「君の力がほしいからさ」

「くれてやる。俺はそんなものほしくない」

「君の力はそんな風に物のように手渡せるものではない。君自身がまじないであり、君自身の身体が力の根源なのだよ。」

「なら俺をどうとでもしろ」


「…いい覚悟だね。早くそうしていれば皆死なずにすんだ」


はっと息を吐き、落ち着ける為に目を伏せると、トロの脳裏に、昨夜見たあのロンの姿が浮かんだ。差し込まれた刀から血が滴る様を、痛みに苦しむような表情も、今まで見たことのない優しい笑顔も、声も、その吐息と言葉も鮮明に思い出す事が出来た。

言いたい言葉はもう出かかっているというのに、切なさが胸まで去来して、トロは鳴き声のような上ずった声で言った。

「…ンを…」

「……なんだい」

「ロンを、自由にしてくれ」

「…ああ…彼か」

トロはそのまま、ひざをつくとまっすぐにスーラを見つめた。

「頼む」

スーラもまっすぐにトロを見つめていた。いつもの不気味な笑みは消えていた。そうしてしばらく沈黙した後に、スーラは小さく息を吸って言った。

「彼はもう自由だ。今朝、死んだよ」


え、と問うたきり、トロの頭の中は真っ白になった。それから、じわじわと心が悲しみと混乱に支配され始めると、それは毛色にまで現れた。

灰桃色だった髪の毛に一瞬にして紺が混じり、そして額からは汗が流れ、身体ががくがくと強く震えだした。

止めようとしても止まらない。息すらうまく出来なくなった。

苦しい呼吸の中で、ロンの姿がまたたった今目前で見ているような鮮明な姿で、脳裏をかすめては消えた。

少しでも想えば、今でも耳元でロンの声が響く。


あれは紛れもない、ランドーリの婚姻の言葉だ。

そしてずっと忘れられなかったあの言葉をもう一度くれた。


トロは額を両手で覆うとその場にうずくまった。



「彼は残念だ。僕だって生かしてやりたかった。」

スーラはトロに寄り添い優しくその毛並みをなでつけた。トロはその感触にびくりと身体をゆらし、目線をスーラにうつした。そしてまた一度目をふせてから呼吸を少し整えると力を振り絞り言った。

「会わせて、くれ」

「………何?」

「ロンに会わせろ。その後は、お前の好きにすればいい。ロンに会わせてくれ」

「……いいよ。ただ、あまりに損傷がはげしいから見るに堪えないよ…だけどそれで、君の気が済むのなら」

片足で跪いていたスーラはすばやく立ちあがると側近を呼びつけた。

「連れていってやりなさい。最期の別れだ」

そうしてくるりと踵を返し、元の場所にゆったりと座した。


トロは白尾の青年二人に導かれて地下牢獄に向かった。

どの牢獄も今は空で、どこともなく滴り落ちてくる水音だけがやけに大きく響いていた。片側を石の壁が、片側を牢獄の檻が道なす長い廊下には、かすかに天井近くに空いた通気口から光がさしている。


「こちらでございます」

青年の一人が一番奥の牢の扉に手をかけ、それから頭を下げ言った。

それは昨日見た光景とまったく同じだった。

四肢を大きな刀で打ちつけられ、胴は鉄の胴絞でしっかり固定されている。

顔はまったく判別がつかないほど腫れあがっていた。スーラの言うとおり、酷い有様だ。

それでもトロは無言のまま近づき顔を覗き込んだ。


背の高さ、身体、形

すっかり血のこびりついた黒髪と黒耳


(とてもよく似ている。だけどぜんぜん違う…これはロンじゃない)

(あいつは嘘をついてる…?なぜ、嘘をつく必要があるんだ?)


激しい血の匂いにまぎれて香るかすかなその匂いが、あきらかにあのロンの香りとは違う。

トロは後ずさりするようにその遺骸からゆっくりと離れた。

「もういい、わかった」


また同じ道を通りスーラの居るあの広間に向かう道すがらトロは思った。

スーラはどうやらロンを生かしている。そうしてきっとこの城のどこかにいるのだ。

広間に戻りスーラの元にトロが戻ると、スーラはまたゆっくりとあの笑みを浮かべ尋ねた。

「ひどかったろう?」

トロは応えずじっと思案した。どうしたらスーラの口からロンの本当の居場所を聞き出せるかを考えていた。

「いいね?もう忘れるんだ。さあ宴にしよう。穢れを落として、うまい酒でも用意させよう」

促すように大浴場に通された。そこにはもともとこのロストにいた湯女達が控えていた。

されるがまま、服を脱ぎ、香のよい湯船につかりながらも、それでも、いまだトロの心は同じ場所にあった。




一方、丁度その頃ルークが城の裏手に辿り着いていた。

古い牢の窓檻の木枠が腐っていているのを随分前から知っていたルークは手慣れた様子でその木枠をがつりと蹴外し、中に侵入した。牢の中はひんやりと冷たく、水音の他は少しの物音を立てただけでも響いてしまいそうな程静かだった。


しばらく進み突き当りまでぶつかると、向かいの牢から嫌な匂いがした。血と死臭だ。黒い毛並みのその遺骸が、檻越しにも明らかな程あまりの様子だったため目をそらしたが、大きな黒い耳や尾から、ルークはあのロンの姿が脳裏をかすめた。

まさかと、近くまで寄るが顔は判別がつかぬほど腫れあがっている。口をおさえながら後じさって思わず廊下の石壁にとんと背を預けてしまった。

その時妙な感覚を背に感じた。

背から石と石の擦れるような音がして、ルークはその石壁を振り向くと、そこには少しの隙間が空いている。

巧妙に作られた隠し扉だった。そこから更に地下に向けて石作りの階段が続いている。漆黒の暗闇だったが、ルークはゆっくりと静かに一段一段降りて行った。

薄闇の中に小さく灯が見える。扉の前に腰掛けた白尾の見張りがある。厳重な様子にルークはトロがここにいるに違いないと感づいた。ルークの足音に気付いた見張りは、勢いよく駆けあがってくるが、その向けてくる刃を素早くはねつけると、ルークは自らの刀の柄で見張りの首の急所をぐっとおさえた。ずるずるとその場に崩れ落ちる見張りをまたぎ、急ぎ扉の鍵を破壊し開けるとそこは一見して書庫のようだった。古い地図の張られた壁と書斎机がおいてあり、

その前に、横たわる成犬種の黒く長い尾が見えた。

「お前は」

近寄り顔を確かめると、それは確かにロンに違いない。死んだのか生きているのか、それでもかすかに掠れた吐息が聞こえてくると、ルークはしばらく怒りと憎しみに打ち震えながらも、悔しそうに大きく叫んだ。

「……ッ…ッッ…、くそおおお」

憎しみで煮えくりかえりそうになりながらも、ランドーリの教えがルークを立ち止まらせた。

それから自分よりよほど身体も重さも大きなロンを担ぐと、階段を上り始める。

「くそ…なぜこいつなどを」

ようやく地下牢の廊下まで出たがさすがにこのぐったりと力ないロンを担いだままあの通気口を通るわけにもいかず、ルークはトロを助けた時の為に用意していた風呂敷をロンの頭にかぶせると、そのまま正規の階段を上り地上まで登った。

地下牢は人気がまるでなかったが、さすがに地上には数匹の見張りがいた。

トロを連れ帰る時の為に持っていた煙幕を炊き見張り達の目をどうにかくらませ、逃げ切った。

パルデノストの森まで追手は続いたが、不思議な事にパルデノストに足を踏み入れると、急に足取りに差が出始めた。どうやら、本当に白尾向けのまじないがかけられているかのように兵達はてんでばらばらの方向に向かっていくのだ。

馬に乗って追ってきたものだけは、しっかりと進む事ができるのだが、ルークがそれを矢で馬から突き落としてやると、突然子供のように宙を仰ぎ惑い始めるのだった。

その馬を拝借し馬にロンを背負わせると、キノの待つあの洞を目指し急いだ。

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