17 石の持つ力

毒川に着き、昨日と同じように対岸にトロを見つけ、その方に渡り始めるのだが、先程の話がロンの中で何度も何度も繰り返し響いていた。


ランドーリに下り美しい雌を見つけ手篭にしようとした事、橋でハルオンを突き落としトロを奪った事。再会して心の奥底まで痛めつけトロの意志など考える事もなく無理にトロの体に押し入った事。

対岸のトロが近づくたび、拍動のように痛みのような息苦しさがロンを襲った。トロの尾が揺れるのをみればまたその切なさは募った。

「……ッ!……」

ロンはとうとう川の真ん中で動けなくなった。胸が苦しくしめつけられとたん息が出来なくなったのだ。それは他ではない、恋情の痛みであった。


(愛おしい…たまんねえこんな

俺が、こんな気持ちに)


「ロンッ!!ロン!!」

立ち止まり胸をおさえたまま動かなくなったロンを見て、トロはもう水際から川に入ってきてしまいそうな勢いだ。苦しいロンは、それでも足を速めて対岸まで急いだ。


(ばかだな、あんなひでえことして、

身体も心の奥底までも傷つけた相手を夫と認めて

何度も護って

信じて待ってるなんて

本当にバカだ

それなのに)


岸にたどり着いてすぐ、心配げに駆けよってくるトロにロンは自分の体に付いた水を付けぬよう唇だけをよせ口を合わせた。

すぐにトロの体が熱くなり、とろけるような快感の中でロンの傷が瞬時に癒えた。

効果とは裏腹にあまりに突然の行為にトロは頬を赤く染めながらロンの胸元を押して弱い抵抗をした。

「!!やめ…ろ」

「…るかった」

うつむいたロンが小さく言った。いつもと違う様子を不思議に思ったトロが首をかしげて尋ねてももう聞こえなかった。


洞の近くの滝で身体を流しながら、ロンは思案していた。

キノはトロにとって残り少ない仲間だ。いずれキノのいるあの家にも白尾の手は伸びる。その前に会わせてやるべきだと思った。それとも、キノをおぶってあの毒の川を渡るか…。そう考えてもどうしても危険の方が大きいのだし、食べ物の無いこの神域で永遠に生きて行くことなど到底無理な話だ。


ロンが水に打たれながらそんな事を考えている間も、トロは、言われたわけでもなく自分から、ロンが持ち帰った大根や野菜を綺麗に洗っている。

あまりにじっとながめられて、トロは呼ばれたわけでもないのに、耳をぴくりとロンの方に向けてから、手を止めロンの方を向くと不思議そうに小さく首を傾げた。

「ロ…?」

そこでロンもハッとして、少しの間目をそらしてから滝のしぶきから逃れ少しトロに近づくと務めていつものように尋ねた。


「仲間の元に帰りたいか」


“仲間”と聞いて、トロの瞳が輝いた。その様子にロン自身にもわからない何かが胸奥をちりちりと締め付ける。それでもロンは続けた。

「川向こうにお前の仲間を見つけた。会いたいか」

トロはしばらく動揺しているような瞳でいたが、そっとそして、確かに強く頷いた。

ロンは「よし、わかった」と言うと滝の方に戻りトロに背を向けた。


自分にこんな気持ちが宿るなど思いもしなかったロンは、ある種困惑していた。

トロを幸せにしてやりたいという想いがどんどん募る。

あれほどの痛みを背負わせておいて、こんな想いになるなど自分自身すら矛盾をかんじるが、ロンはこれ以上トロに苦しい想いをさせたくないと強く思った。


それがもし、今度こそ本当にトロとの別れにつながったとしても


ロンがそう思った時、ぎゅっとトロが後ろから抱きついた。

振り向くとトロはもう涙がこぼれそうな瞳でロンを懸命に見上げていた。

トロも頭から水をかぶり、すっかり滝のしぶきに濡れてしまったが、それでもロンは相対するとそのまま少しトロを押して滝から離した。

トロの濡れた前髪をどかしてやると、上気した頬は薄く桃色に染まり唇も色づき、背筋がゾクリと泡立つほどロンの目には艶っぽく写った。いつの間にこんな表情するようになったのだろうと眺めていると、トロの手がぎゅっとロンの腕を掴んだ。

「ロン、」

「ん」

「……、どこかに、行くのか。お前」

とたん、もう傷は治ったというのに、トロのわき腹の石から光が見えた。そして、更に力がみなぎるような感覚がロンの身体をめぐり、引きずり込まれるほどにトロが自分を欲しているのが伝わってきた。


身体から、抱きしめる腕から、吐息から

言葉以上の感情がとめどなく流れ込んでくる。

一体いつから、心まで繋がってしまったのだろう。ロンはそのままトロを強く抱き寄せた。


「安心しろ、絶対に守ってやる」


ロンはトロが落ち着くまでしばらくそうしていた。




翌朝、いつものように毒の川を渡り、いつものように峠を越え、西の方角に向かう道すがら、距離はあるのだが確かに馬のいななきが聞こえ、ロンは大きな木の上に身を隠した。

しばらくして、すぐ近くを三匹の成犬種が馬を走らせ通り過ぎた。

白装束に背には白尾の文様が刻まれている。スーラの持つ石が狙いを定めているに違いなかった。

ロンは急いで木を降りると踵を返し、急ぎキノの家へ向かった。


キノの家では丁度キノが小さな芋の皮をひとつひとつ剥いている所だった。あまりにも乱暴に扉を開けたのでキノと子供はびっくりして飛び上がった。

それに気遣う余裕のないロンは口早に告げた。

「爺さん、時間が無い、裏の峠を越え毒川の対岸しばらく道なりに行くと洞がある、そこにトロがいる。俺がこれから爺さんとガキを背負って毒川を渡る。白尾がもう近くまで来てる。すぐ準備しろ」

一気にまくしたてロンは家を出た。

「な、なんじゃとおおまてまてまてー」

キノはうろたえながらも、そこにあった風呂敷を子どもにかぶせると懸命におぶりロンの後をのたりのたりとおぼつかぬ足取りで追った。


ロンは家の裏に行き、キューマの拵えからアマゾナイトをとりだす。

これだけはキューマの為にも、子どもの為にも残してやりたかった。

アマゾナイトを大事に懐にしまい振り向こうとした所で、首の急所を強く打たれロンは気を失った。

反動で手に強く握っていたアマゾナイトが草むらの藪に転がった。その石には目もくれず、白尾の者はロンを馬に乗せるとその場を去り、あっという間に姿が見えなくなってしまった。

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