16 ランドーリの言葉

そうこうしているうち、辺りはすっかり暗くなった。いつもより遅くなってしまったロンは自然と足が早まった。そして、老人の施してくれた薬も良く効いているようだった。

毒川に着いた時にはもう辺りはまっくらで、対岸を見渡すと暗闇にトロの瞳が光っていた。その方へ、ロンは急いで川を渡った。いつものように、朝渡った時に痛んだ足を毒川に再びつける事になるので、痛みは朝よりよほど帰りの方がえぐみを増した。

それでも、老人の薬の効果と、そしてなにより近づくにつれ、心配そうなトロの尻尾が揺れ出しているのが見えると、痛みなどほとんど感じなくなった。

ようやく対岸までたどり着き、身を震わせ軽く水を落とし、遅くなったと詫びを入れているところで、言葉を待たずにトロからぎゅっと身を寄せてきた。

またこの間の、穴で助けた時と同じように瞬時に傷が癒された。快感に酔いしれながらも、ロンは急いで少し乱暴なぐらいにトロから身体を離した。

毒の川の水がトロにつくのを少しでも避けたかった。


とってきた鮎をトロに持たせ、それから少しの距離を保って洞まで帰り、滝でいつものように身体を洗い流しながら、ロンは持ち帰った瓶の中に玄米がある事をトロに伝えた。

トロが蓋されていた瓶を開けると、とても香のいい、よく乾いた玄米がぎっしりとつまっていた。

「喜べ、今日から雑炊が食える」


ロンは洞の中でいつものように火をおこすと、鍋に魚の干物とトロが近くでとってきた食べられる野草を入れそこによく洗った玄米をさらさらと入れた。

枝に刺した新鮮なアユも火のほとりにくべた。

しばらくして玄米は柔らかく煮え、魚のダシの染みた粥が出来上がった。

ロンは食べさせる前に自分で一口味見し、異常ないのを確認してからトロの小さな器に出来上がった粥をよそってやった。真っ白な湯気がその頬を覆った。

久方ぶりの米はとてもふっくらとやわらかく、そして甘い香りがする。


その日も、ロンはトロの傍で眠った。身体を寄り添わせると、トロは最初恥ずかしいのか、距離をとって目をつぶったが、そのままロンもトロも深い眠りにつき、夜中ロンが眼を覚ました時には、トロはもうぴったりとロンの胸元に頬を寄せ安心したように寝息を立てていた。灰桃色の毛並みを愛おしげに口に含みながら、ロンもトロを更に近くに引き寄せるようにして眠った。



翌朝、ロンはまた川を越え、キノの家に向かった。家の玄関に向かう道すがら庭の畑を見まわしたがそこにはいなかった。

玄関から無遠慮にキノを呼ぶが返答はない。昨日はこの時間ぐっすりと眠っていた子供がしっかり目を覚まし、今日はじっとロンの様子を見ていた。

「ようチビ、ジジイどこいった」

子供はそれに応えず、ロンの手をとるとぐいぐいと引っ張って外に出た。途中家の傍らに咲いていたサザンカの白い花をぶちぶちと力一杯引っ張って3つ程乱暴にもぎ取った。

4つ目に手をのばしたので無闇にとるなとロンが制すと、子どもはきゃっきゃと明るい声で笑い、ロンの手を引っ張ったまま家の裏側に走り始めた。

家の真裏は大きな岩壁で、その前になにやら墓のように備えられた石が一つ見える。

その石の横には、見覚え深い太刀が差し込んであった。とても美しいアマゾナイトの石が埋め込まれた拵えだ。

「これは」

「とうちゃん」

そう言うと、子どもは墓石の前にひざまずき、先程摘んだサザンカの花を丁寧に並べ始めた。その小さく健気な背に、かの時過ごした仲間の顔がよぎった。

「お前、…キューマの倅か?」

言葉にしてみても俄かには信じがたい。キューマはあの時確かに瀕死だった。

どう見てももう長く苦しむまいし、グラノドールで亡骸を見つける事ができたらと、しばらくあてを探ったのだ。それでもキューマの遺骸はおろか行方すら知る者はいなかった。

あの時まだキュウマはこんなところまで動ける程の力を残していたのだろうか。

あんなボロボロの体で、白尾に見つからぬようどこかに隠していたこの一粒種をここまで運んだのか。


ロンは自分も石の前にひざまずきしばらくその拵えをいたわるようなでて感触を確かめ、じっと手を合わせた。

背後から落ち葉を踏みしめる音が聞こえふりかえるとそこには籐かごを背負ったキノがいた。

「おー黒いの!来たかあ、もってけーい!」

そう笑顔で言うと、ロンの方に大きな大根をごろごろと転がした。

「…なんだこりゃでけーな」

「でけーな」

隣にいた子供はロンの言葉が聞き慣れず面白いらしく、意味もわからず繰り返した。ロンが面白がっている子供に「真似すんなてめー」と笑うと子供はきゃきゃと高い声で笑いながらキノの元に走って逃げた。

それを見ながらキノは笑い、それから抱えていたざるからもみがらを畑の方にまきながら玄関の方にロンを促した。


キノはロンの分の昼餉も用意していた。

「魂をささげた生き物すべてに感謝いたさああん」

「いたさーん」

膳を前にしてキノはそう唱え合掌した。いつもの事のように子供もそれに習うと不思議そうに眺めるロンを見てまた高く笑った。

ロンがそれを問うとキノは一口含んだ汁をゆっくりと飲みこんでから応えた。

「ランドルに伝わる合掌の言葉じゃ他にもある」

そうして、昨日ロンが最初に渡した魚の干物を丁寧に箸でつつき、玄米をゆっくりかみしめた。

ロンも玄米を口に一度含んだが、それを噛み嚥下してしまうと、キノにどうしても言わねばならぬと決心が固まった。

「じいさん」

「んー?」

「ありがとな」

ロンからしてみれば当然のことながら仲間の弔いに対しての言葉だった。

昼餉の礼として受け取り、昨日も今日も荒っぽいほどの無遠慮さが返って心地よく感じていたキノは笑いながら応えた。

「なんっじゃきもちのわるいのおお」

「なにか不自由はないか、こんなガキがいると大変だろう」

「いやキヌにたくさんのものを食わせてやるのがなによりわしの楽しみじゃからの。ジジイになると子供の成長は何よりの健康促進剤じゃ」

キヌと呼ばれた少女は、少しきょとんとした表情になったが、また勢いよく茶碗の飯を頬張り始める。

キノは笑った。事実そうなのだろう。箸を止め思案するように黙ってしまったロンにキノは尋ねた。

「黒いの、どうした?」

少し沈黙した後、ロンは話を切り出した。

「じいさん、聞きたい事がある、ランドーリには呪いのかかった石があるだろ」

石という言葉を聞いて、キノは声を低くした。

「……誰から聞いたそんなことを」

「旅の途中でランドーリの王子に会った。そいつから聞いた」

「王子……トル―イ様、ああ、生きておられたか!!!ほおああああああ」

キノは箸をおき、天を仰いで大きく身体をゆすり手を合わせた。それからすぐにロンの方を向くと少し心配げな表情で聞いた。

「どうしておられた、今は、…今は共におらんか」

「……いない、だが、つてはある、今も健在だ」

「おおおお、わが一族の祖をつよくつよく護りたまへえええ」

この3年村を追われ仲間と断絶されあまりに孤独だったのか、キノは涙をながしながら喜んだ。あまりの様子に近くではしゃいでいた子供も驚いたのか、キノの方をじっと見つめていた。

その様子から、恐らくトロでも知り得ない村や石の事をしっているであろうキノにロンは尋ねた。

「石の力が強く旅で幾度となく力を発した。どういう力か教えてほしい。あまりにもつよすぎると聴くが、本人の身体にはどう影響する。」

キノは感動さめやらぬまま言った。

「石には一族の祖を護るそれはつよおいまじないがかけられておる、石を継承する祖自らに危害をくわえるものを滅し、雄ならば自らに、雌ならば最愛と決めた夫に、復活と恵まれた力を与える」

「そうだ、忘れかけてたが、…おとぎ話みてえな村だったよな、いまだに夫婦制度が固い」

ロンはあの日、村に下った時に初めて見た結婚の儀の様子を思い出していた。華やかな装飾や供物。そしてあの時自分がしたすべてが走馬灯のように駆け巡った。


ロンがそんな回顧を巡らせていると、キノがぽつりと唱えた。

「この世で一番愛おしき君を、我が妻とす」


「あ?ジジイ急にどうした、」

「ジジーどした」

「ああんもう、覚えちゃったよ、野蛮な言葉をよお」

「いいだろ別に、なあ」

子供に笑いながら言うと、子供もまた先程の緊張がとかれたようにきゃっきゃと笑った。

「はーあ、………“この世で一番いとしき君を、我が妻とす、今生、最上の幸せを与えん事をここに誓わん”これも古くから一族に伝わる合掌のひとつ。婚姻の祝詞じゃ。これをして、正式な夫婦となり、伴侶と認めた者を石を継承する祖は護りいつくしむ。」

「この世で一番、愛しき君を……ねえ、…その儀式がないのに石が赤の他人を生かす事があるのか」

「はてな、聞いたことはない。じゃが、祖が雌であればあるいは…」

思案するように首を傾げたキノに、あるいは?とロンが問うと、

あるいは、心の中で伴侶と結びつき、伴侶を救う力を無意識に使うこともあるかもしれん。と続けた。

ロンはじっと耳を傾け、そうしてたまに玄米をかみしめ、汁をすすった。


その日、近くで雉をとり絞めてさばき、半分をキノに渡すと、その半分と大根や野菜を持ってキノの家を後にした。

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