10 ヒアルク、南の壕
ルークは何かあった時の為に探しておいた街の最南にある豪に身を寄せ、早朝の日が昇るのと同時に更に南下していった所、パルデノストの入り口でもある静かで深い森に逃がれる事に決めた。
この壕は昔出来上がった酒を貯蔵する蔵だったようで、今は使われていないが木で拵えた扉も健在で、風雨はしのげるし、使われなくなって随分たつからか辺りは背の高い野草が生えうまくその入り口を隠してくれていた。
ところが、ミアの説得が少しやっかいになった。
「私も一緒に行く」
「ダメだ。ミア、君はこの街にいるのが一番だ」
「だって、もう白尾はここを占領する気だもの」
「あすの朝には街の警備隊も正式に動き出す。白尾は明け方に弱い。大丈夫だ。安全な所まで送り届ける。」
「嫌よ!トロ君、お願い!私も連れて行って」
その悲痛な声に、じっと壕の隅でうずくまっていたトロが顔を上げた。とまどいながらも、ミアとどうにかして一緒に行けないかとトロだって思う。
しかしその旅は、自分と同じ苦しみをおそらくずっと負わせ続ける旅に違いなかった。
「だめだよ、ミア。奴らは俺がいるところに来る。俺といる方があぶないんだ。」
「なんでトロ君がそんな目にあわなくちゃいけないの」
「俺の身体に入っている石を手に入れたがってる。とても、力の強い石だから」
「トロ!」
ルークが横から制した。トロはかすかにびくりと身体を揺らし、心配げにルークの表情を確かめたが、またミアの方に視線を戻した。
先程まで、ひそめてはいたが勢いのある声でずっとわめいていたミアは、すっかり涙目で何も言えなくなっていた。「そんなの…」といったきりしくしくと泣き始めてしまった。
目の前でミアが泣いているのに、トロはどうする事も出来ない自分がもどかしく、また情けなくなった。
時を同じくして、ヒアルク地区長の屋敷屋根上にスーラは腕を組み立っていた。街の中心に位置し、周りの建物に比べ程高いその家屋は、街の全体を把握するのに十分だった。
半歩下がって左に短毛のまだ年若い少年と、そして右にはあの時粗野村に一人先遣にやってきてルークに利き腕を貫かれたあの背の高い青年の側近が控え、スーラの命をじっと待っていた。
みな揃いの白い外套を身に着けていたが、ただ一人その青年だけは右腕のない袖を風に揺らしていた。風の音だけがにぎやかで、その他には特段もう音は聞こえないような静かな夜だった。
先程降り始めていた雪も止み、今ではすっかり星も見える。
ぎっと屋根がきしむ音がして黒い影がスーラに無遠慮に近づいた。近くで控えている二人もそれを遮りはしない。
黒い影がすっかり近づききってしまうとスーラは目線そのままに街並みを丹念に眺めながら、ゆっくりと尋ねた。
「ロディ、トロはいたかい?」
強い風に黒い耳を揺らされても全く気に掛けず、ロンはスーラの視線の先を自分も確かめながら応えた。
「もうここにはいねえんじゃねえか」
スーラは視線をロンの方に向けるときっぱり「まだいるさ。それだけは確実だ」と言い、自分の首元にかけてある石を見つめた。満月でもないのに、闇の中、石はかすかに光っているように見える。内部から発光しているようにロンには見えた。
「そいつはもうこわれちまったんだろう…もうここにはお前の目当てはいねえんだろ」
「この石は嘘をつかない。この石の反応が全てだ。ずっと近くにある反応を示し続けているんだよ。」
まが玉を眺め続けるスーラにロンは面倒くさそうに尋ねた。
「そろそろあいつの秘密をおしえろよ」
「またそれか、ああ、ロディ…君も懲りないなあ」
スーラはすっかり石を手から離してしまうとロンを正面から見つめた。
ロンは動じる事もなくただまっすぐにスーラを見た。
何故、仇とも言える白尾とロンが行動を共にしているのか。それはあの日まで遡ることとなる。
粗野村で仲間達が死にルークがトロを連れた後、痛みでぜいぜいとうるさく鳴き始めた側近の青年を庭に残し、結婚も出産も程遠く、ただ残ったしきたりといえば仲間が亡くなった弔いの儀式としてのお
死者の思い出と語り合い同席した者たちと酒を酌み交わすのが常だったが、この日ばかりは、ロン一人の弔いとなった。それでも涙の一筋も流さずロンは淡々とその酒を口に含んだ。
庭で荒い息のままの側近が苦しそうにしながらも口を開いた。
『弔いのつもりか…、死者を敬って、自分を救おうとする、悪しき風習だな、閻魔の機嫌など伺わずとも貴様のようなものはとうに地獄行きだ。』
ロンはそれを聞いても、表情を変えずに一口また一口と酒を口に運んだ。そうして、全て飲み終えると、おもむろに庭に赴き、いまだひざまづき痛みを堪えるようにしていた側近の目前に行き、ルークの放った矢に貫かれた腕を上腕部分からばつりと骨まで断ちきった。青年は音にならぬようなうめき声をあげると、あまりの衝撃と痛みに気を失いそのままばたりと前のめりに倒れ込んだ。
ほどなくしてスーラ達一行が粗野村にやってきた。最初から白尾の中ではそういう筋書きだったのだろう。
最悪の場合は、トロの遺骸だけでも手に入れば良かったのだ。
自らが最も可愛がって傍に置いていた側近の腕をごっそり獲られたスーラは、その状況に歓喜した。
特に気に入っていた黒耳のロンがこの廃れた一族で一人生き残った事は微かな誤算ではあったが、それでもそんなものはスーラにとって嬉しい誤算でしかなく、
ロンの殺気に恐れて近寄れぬスーラの護衛達をしり目にスーラだけはロンに近づきその恐らく仲間たちを失って傷ついているであろう身体をぎゅっと引き寄せた。
ロンは身体の疲労とあまりに面倒な輩の行動に無反応だったが、化け物のような、血も涙もない、旅団の頭を務めるスーラにも人並みの体温があるのかとその時ばかりは心の奥底で感じていた。
ロンの頭を抱きかかえたまま、その耳を撫でつけながらまるでいとおしむようにスーラは囁いた。
『ロディ、ああ、君はやっぱり最高だ。喜ぶがいい、僕の仲間にしてあげるよ』
『なぜあいつを執拗に追う』
『なんだい?』
『あのガキだ、お前だって言ったようにあんなもんはいくらでもいる』
『…そうさ。しかしあれが天が与えた唯一の器だ』
『器だと?』
『僕と言う抜き身に見合った美しい鞘だよ』
スーラはもう微笑んでいなかった。
それから行動を共にして何度同じ問いをしても、スーラは同じようにはぐらかすだけだったが、今夜はどうやら違った。
ここ数年で一番激しく反応を続ける自らの首にかけた石が、スーラの心を高揚させていた。
「……君もしょうがないねえ」
スーラは少し風を読むように思案して語り始めた。
「トロの体内には強いまじないのかかったある石が埋め込まれている。石は代々あの一族にのみ伝承され、死亡した遺体から掘り出されまた新しい命へ埋め込まれるのさ。このまがたまは、その石の小さな破片を混ぜ込んだ石なんだよ。本体の石すなわちトルーイが近くにいればいるほどに、共鳴しあって光るのさ」
この3年追い求めていたその根源があまりに陳腐なおとぎ話で、ロンは呆れかえった。確かにスーラの首に下げる石は不思議と内部から光りを放っているように見える。その光の源はロンの知識の上では説明のつかない光だった。だが、それとこれとは話が別だ。
「は、…なるほど腐るほどよくあるむかし話だな」
「そうであればいくらよかった事か。先代の総長である僕のお父様がトルーイの父親の体内に埋まっていたその石を身体ごと欠けさせてこの勾玉をつくったが、…石は持つだけでその威力にあたってしまい弱いものは死んでしまう程強力な力を持っていた。父様もあっさり石の威力に飲まれてしまった。だが僕は違う。この石が僕を主と認めたんだよ。この石のおかげで不思議で強大な力を手に入れる事が出来た。更に面白い事にはね、トロが両性種である事により、僕にさらなる力を授けてくれる。一種房中術だよ。交わりを持って相手の力を、ひいては石を持つ身体を貫けばもっと強い力を得ることが出来る」
スーラが微笑んだが、ロンはくすりとも笑えなかった。
その時まだ若い旅団の兵が屋根を伝いスーラの耳元に何か伝えた。笑んでいたスーラはすっと熱が覚め、感情のない能面のような顔になると存外冷たく言い放った。
「…どうやら本当に見つからないか。まあいい、もう手は打ってある。」
「手だ?」
ロンが尋ねると、スーラはまた口角をゆるませた。
「間者を置いてあるんだよ。昔から商才乏しい商人達が集うしがない末端の街だ。人の心を買うのは簡単だね。思春期の両性種に年頃の雌っていう餌をまくのさ。一線を越えるなと伝えてある。なかなかの見ものだろ、ふふ」
悪趣味な笑いだ。
スーラは、自らの背で控えていた二匹にここに陣を構える事、そして街の関所をすべて封鎖する事を命じた。
そして最後にゆっくりと休める閨を用意させるよう言い、ロンはそれを聞き終わる前にその場を後にした。
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