4 “プロス・テンド”
粗野村にも、古くから伝わる“プロス・テンド”という本当の地名があった。
その昔、山の頂には王城があり、今残るのはそれを護る武人の一族の屋敷のみだが、その由来を裏付けるように、山の頂からは随分遠くまでの街を眺める事が出来た。
頂きに残る美しく切りだされた石の壁だけが、そびえ建っていたであろう城の大きさを今も物語っている。
ロンは子供の頃から暇さえあればその城跡近くにある木々に登り、そこから見える街並みをすみからすみまでくまなく眺めた。
幼いころ母が抱きしめてくれたようなあたたかい思い出はないが、その頃はまだ数人の雌がいて、母親代わりに愛情をかけてもらった事もあった。しかしそれもロンがまだ言葉も器用に話せない頃の事で、物心つく頃には今のように廃れた生活が日常となっていた。
屋敷に戻り、未だ目を覚まさないトロを自分の部屋まで連れて行き、固い布団の上に横たわらせると、屋敷中の仲間達がロンの部屋と長廊下にわらわらとあつまってそれを見つめた。
ロンはその賑やかな仲間達を特にたしなめたり、ましてや功績に胡坐をかくような態度はせず、普段となんら変わらぬ様子でトロの枕元に腰を下ろし、応急的に自らの腕とわき腹の弓傷を治療し始めた。
どちらもやや深くはいったが、もちろん矢先は抜けていたし、臓には届いていなかった為大事にはいたらない。ただ、白尾の矢だ。矢先に毒が塗ってあってもおかしくはない。
ロンは用心深く酒をつかって消毒をし、腰布を裂いて患部にきつく巻き付けた。
多少血は滲んだが、すぐに止まった。そうしている内、タロウとキュウマがヤジ馬達の間を縫い走りこんできた。タロウの方は怪我のロンには目もくれず、その息音で起こしてしまうのではないかというぐらい顔を近づけトロを覗き込んだ。
「かっ・・・わいいなあ・・・」
それに対してキュウマの方は、少し思案顔でロンの前に腰を下ろし持ってきた酒を盃についでロンに手渡した。
「随分ひどい火事だ。あれじゃ村はひとたまりもない」
「白尾が川を渡ってきた。雌は残念だったな。あの様子じゃ村は全滅だ」
ロンは一口軽く含んでから、そう応えると盃を飲みほして今度は自分が酒をついでやりキュウマに手渡した。
キュウマは受け取ると少しだけ沈黙したが、盃を唇に傾け一気に飲みほし、また酒をついでロンに手渡した。
「上から見えたよ。ところどころに残り火じゃない灯りがともっているから、どうやら白尾はしばらくあそこに根城を構えるぞ。こまったな。こっちにもくるかもしれない」
「来たところで雌も金も、むしろ俺達が奪うぐらいのもんで、強奪するものなんてここにはなにもないだろ」
そうロンが応えるとキュウマは何かいいたげに、しかしうまく言葉にならないのか、つぼごとぐっと酒をあおった。
少し様子のおかしいキュウマに気をとられている間にすぐ横はお祭り騒ぎになっていた。わっと歓声があがる。
トロが眼を覚ましていた。
「んな両性種みたことねえなあ」
ひげ面のマタハチは早速手を伸ばしトロの頬に触れようとするが、その伸びてきた腕にトロはガブリと噛みつき、ふうっと威嚇した。
「いてっこいつ噛みやがった」
「おしおきが必要だなあ」
笑いながら回りがはやし立て、かすかな怒りもまじったマタハチが無理に手を引っ張ろうとすると、強いしびれが腕を伝って身体にはしり、マタハチはその場でぎゃっと大きくうなって手を離した。
その頃にはロンもその見物人たちの中にまざってその様子を見ていたが、仲間の中でもとりわけ豪傑ないでたちのマタハチがすっかり耳を下ろしてしびれた腕を確かめているのを見ると、あまりの不気味さに恐れて軽率に触れようとする者はいなくなった。
タロウはまだあきらめていない様子で、距離をとりながらじっとトロを眺めた。
珍しい動物を見るように四方を囲まれ、じっくりながめられている当の本人は、身体がぶるぶると震え耳は後ろに倒れすっかりおびえている。しかし、瞳だけはギラリと回りを睨みつけていて、誰か少しでも動くと小さな牙をのぞかせては強く威嚇した。
「呪いでもかかってるのか?こいつあやっかいだぜ」
いつもはいても二、三人が転がっている程度のロンの部屋に、この日ばかりは10人近くが雑魚寝していた。皆酒に酔いがあがあと大きないびきを立てている。
ロンはじっとトロを見ていた。全く眠ろうとしない。膝をかかえて部屋の隅にうずくまったまま目を光らせている。そんな気の張りようではじきに疲れて寝るだろうと思っていたが、トロは目を閉じなかった。直接睨みをきかせるわけではないが、ロンが起きて自分を見張っているのをトロも気付いているらしく、気を張り詰めたまま横目で様子をうかがっていた。
ついに朝になってもそのままで、部屋にいた者たちは朝から何度かからかいの言葉をトロに投げかけたが、今度はまったく反応をしめさなくなった。
気を失っていたとは言えあれだけの炎を目の当たりにしたのだ。村の事も心配だろう。
だが、トロは何も言葉を発さない。
ロンは少し距離をとった所でひじをつき身体をささえながら横になってそれをじっと眺めていた。さすがに眠くなり数度うとうとと気を落としかけ、ハッと覚醒しては体勢を少しずつ変えて眠気をごまかしていた。
朝餉には間に合わなかったが、昼にはタロウがグラノドールで手に入れてきた魚を焼いてトロの前に出してやった。どうして手に入れたのか、粗野村ではほとんど見る事のない、身の付きのよい小アジだった。
しかし、トロは食すどころか見向きもしない。結局そのアジはタロウが夕餉にしたが、代わりにその夜は芋をふかしてやわらかくしたものをトロの目前に用意した。しかしそれにも手をつけようとしない。昨晩はあれだけたくさんの人がいたこの部屋も、グラノドールで買った娼婦が2、3いる事で今晩はそちらに皆集まっているらしく、ロンの部屋は格段静かだった。
誰も見ていなければ食うかと思いロンも何度か席を外したが、帰ってみてもトロは動いてすらいない。
「おいガキ、死にたいのか」
焦れたロンが乱暴に聞いた。トロは応えない。しかしまったく喰わず眠りもしないでは体力も精神も限界のはずだ。
「喰え」
皿を鼻の近くまで持ってきてもまったく反応をしめさない。苛立ち始めたロンは皿から少し芋を手に掬うと、無理やりトロの口の中に放り込んだ。しかし、咳き込みながら力なくそれを吐きだしたトロは、またぐったりと背を壁に預けた。
本当に死ぬ気かもしれないな。
あれほどの苦労をしたのだ。立派に雌の務めを果たしもせず死なれては困る。
こんなことならばやはりこれではなく、あの若く美しい雌を黙ってつれてくればよかったのだ。いわくつきの半月など一体誰が得をする。
そんな事を思っても遅い。舌打ちをすると、ロンはトロの顎を強くつかみ口うつしして、今度は強引に口を開かせた。
触れた唇からびりりとしびれるような軽い波動のようなものが伝わってきたが、おそらくトロの体力が落ちているせいでロンにはさほど強く伝わりはしなかった。
昨夜マタハチが受けたのはこれかと思ったが、痛みに強いロンにとってはくすぐられるよりもむず痒いしびれだった。
柔らかく蒸かした芋のかけらは、トロの口の中に入りはしたが、うまく嚥下できず吐き出された。今度は口うつしで水を流し込むと、なんとか喉を通って行った。
ロンにとっては鳥の餌付けの様な行為であったが、何度か繰り返すうち、ふとしびれが水紋の様にやわらぎ、トロの身体から徐々に力みが消えて行くのが感じられた。
とたん急速にトロの体内の温度が変わり、ロンには得も言われぬ感覚がほんの一瞬、身体を突き抜けた。それはロンが今まで一切感じたことのない感覚だった。味覚なのか嗅覚なのか…
一瞬のソレが消えさってしまってもロンは記憶の中の感覚を探った。
(…甘い?)
身体の力が抜けたとたん、驚くほど素直に食べ物がのどを滑っていった。
ごくり、とゆっくり嚥下したトロは朦朧とし、さらに口をふさがれていたので息を乱しながら、すこしだけロンから逃れるような仕草をした。それをぐっととらえてロンは更に深く口を合わせた。
(可愛いのか…もしかして)
抜けきってしまった力を、懸命に振り絞って抵抗しても、更に強い力でロンが自由を奪った。それでも、ロンにはもうしびれは感じられなかった。唇に噛みつかれたが、体力の削られたトロの牙など、ロンにとっては甘噛みのようなものだった。
「ころ・・・す」
やっと声を聞いたが、その言葉すら今のロンにはどこか淫靡に響いた。
「おもしれえ、その前に雌にしてやる」
そうして、漏れ出ていた小水の染みこんだ寝衣を勢いよく剥ぎとったロンは、はたと身体の動きを止めた。
左脇腹に幼い子供には似つかわしくない傷痕がある。しっかりと閉じてはいるがそう古くはない。それが奇妙な事には、どうやら弱弱しくはあるが、傷痕の奥、体内から金色の光を発しているように見える。
その傷痕に目を奪われているとバサリと音を立てて、ロンの背後で勢いよくふすまが開いた。
「ロン・・・・っと、!悪い」
息せききって入ってきたサクが、その様子に勢いを遮られつんのめった。
「悪いと思うなら出てけ」
暴れないようにトロの両手を押さえつけていたロンは、掴んでいた細腕にまたぎゅっと力がはいったのを感じた。フルフルと震えながらも必死に抵抗してくる。
「ロン大変なんだ白尾の奴らこっちにも来やがった」
「なに」
「それがどうも・・・・そいつを捜してる」
サクは顎でトロを示した。当の本人は相変わらずおびえて耳を倒したまま震えているが、そこに更に確固たる恐怖が滲んでいた。
ロンはトロの汚れた寝衣を完全に脱がしてやると、自分の羽織をかぶせて肩に担いだ。
「おいロン、一体どうする。そいつを渡すのか?」
「隠してもしかたないだろ」
担がれたトロはしばらくじたばたと逃れようとしたが、玄関に向かう長廊下の途中で次第に大人しくなった。玄関が近づくとロンの目にあの橋の上で相対した、異様ないでたちの雄の成犬種の姿が見えた。
左耳は破れ、襦袢ほど薄い着乱れた着物からは、褐色の肌が露わになっている。その身体つきからかろうじて雄だとわかるが、その姿はまるで女郎のようだ。
白尾特有の真っ白な毛並みを指先で弄びながら、しなをつくるその様は、粗野村の者たちの目にはあまりにも異様に写った。
「スーラ様、あの者が…」
傍にいる側近らしき青年が、そうロンを指して伝えた。トロはじっとしていたが、今にも隙あらば逃げだしそうだ。ぐっと腕と指に力が入っていたので、ロンの首元にはいくらか爪がたってチリチリとしたが、さっきのようなあの甘い感覚はなく、トロからはただただ恐怖が伝わってきていた。
スーラと呼ばれたその雄はロンと目が合うとぱっと血色を変えて言った。
「ああーん!黒耳の!そう君だよ最高だ!あの状況で橋を壊しちゃうなんてさ」
力が抜けるような声に一気に場がざわつく。
「あ゛?」
呆れてロンが侮蔑の目を向けると、スーラはぞくぞくと背を泡立たせて喜んでいる。
到底理解しえない反応にロンはかすかな苛立ちを感じながら、吐き捨てるように言った。
「なんなんだてめえ」
「貴様!!スーラ様に何たる無礼な口のきき方だ」
いきり立つ側近をスーラは左手ですっとおさえると、ロンに少し近づき聞いた。
「きみ、なんという名だ」
「ロディール、ロンだ」
「ロディ・・・素敵だね」
浮かれている様子だったスーラは、目線をずらしすっと憑きものでも落ちたように、ロンの肩に担がれたままのトロを冷静に眺めた。
先程の浮かれたような声が嘘のように、とても冷たい声で囁くように言った。
「・・・・で、君がトルーイか・・・ずいぶん探したよ。さあおいで。怖い事はなにもない、可愛がってやろうね。トロを預かってくれてどうもありがとう、こっちに渡してくれロディ君。君たちには何の価値も無いガキだろ」
ぎっとひと際深くトロの爪がロンの首元に入り込んだ。ロンに助けを求めてしがみついたのではない。ロンを飛び越えて逃れる為だ。
ロンの腕を飛び出そうとするトロを、ロンは逃れられぬように更にがしりと抱え込んだ。
トロはスーラに差し出されると思い余力の限り暴れたがロンから逃れられなかった。
「消えろ」
ロンの一言に仲間達すら当惑した。サクがあわてて問うた。
「おい、ロン」
「どうして・・・・君なら雌には不自由しないだろ・・・そうだ、もし両性種が好きならもっと可愛いものをあげよう」
「いらねえよ」
「貴様、スーラ様に逆らって生きていられるものなどいない、地獄を見るぞ」
「消えろ、こいつはやらない」
スーラはやれやれと息を吐き言った。
「・・・・出直したほうがいいみたいだね」
怒りをおさえられない側近が睨みをきかせる中、玄関を潜りながらスーラが振り向いた。
「またくるから僕の顔忘れないでくれよロディ」
不気味な笑みだった。馬のいななきが聞こえ、その走る蹄の音がしばらく聞こえて遠のいた。
仲間達の間には動揺の波が走っていたが、ロンは悪びれる様子もなく、自室にトロを連れて戻り、無理やり横にさせて恐怖と困惑とで眠気など忘れていたトロを落ち着くまでゆっくり寝かしつけてから、自分も久方ぶりのまどろみにありついたのだった。
それから3日が過ぎ、あれから白尾の者もあらわれる事はなく、粗野村はいつもの様子を取り戻していた。
トロは相変わらず警戒をしてはいるようだが、出されたご飯はしっかりと食べるようになった。そのおかげで身体はずいぶん快復していったが、何をしていても、村の事、仲間達の事が気にかかり、人目を忍んでは涙を流した。
夜中眠れない事も多く、暗闇が恐ろしく声を殺して泣く事が多かった。
この日もひとり涙をこらえていると、固くつぶった瞳に急にふわりと灯りがともった。ろうそくを片手に携えたタロウが、トロが声を上げる前に口をおさえ、動けぬようがっしりと馬乗りになっていた。
「し~静かに、怖くないよ~」
トロは叫ばない、と目で訴え首を振り、それに応えて口から手を外したタロウを睨みつけ静かに言った。
「さわるな」
「触るなか・・・面白いね」
そう笑うと、トロの着物の裾を割り、その中に手を滑らせ肌に触れた。瞬間ビリリと強くしびれるが、それさえタロウの征服欲を上手にあおった。弾力のある肌が汗をまとって少し湿っているのがわかる。
「おい」
暗闇の中で、ロンの瞳がこちらを見ていた。
「それ以上触んな」
けして強い語気ではないが、タロウはびくりと身体をゆらした。興奮の中でロンが起きている事にまったく気がつかなった。
「ロン・・・い、いいだろお前両性種嫌いだって」
「いいから、離せ」
「ち・・・・っなんだよ」
タロウはバツが悪くなりロンの部屋を逃げるように後にした。キュウマやサクはぐうぐうのんきにいびきをかいている。
ろうそくに照らされているトロの表情を、ロンはしばらく見ていた。あれから当然口うつしなどせずともご飯を食べる事が出来るようになり、触れる事もないからか、その後一度もあの甘い感覚を感じることはない。
悔しさからか、恐怖からかトロの目からは涙がこぼれていた。
「怖いならこっちこい」
「だれが、」
聞き終わる前にロンはトロをグイと自分の布団にひきこんだ。ぎゅっと身を寄せると、全身をこの間のものとは段違いに強く鮮烈なしびれが襲う。
しかし不思議だった。
それ以上の事をしないでも満たされている気がした。当然あの甘い感覚をまた味わいたいと思ったが、ただ、こうしているだけでも今は十分な気さえしてくる。
その理由を自分の中で探るように、自分でも驚くほど優しくトロを抱きしめた。
「離せっ」
おびえて腕の中から逃げ出そうとするトロの耳をなめてやると、少しトロの体温が上がった。あの時と同じ反応に、ロンはいよいよあの甘い感覚を期待したが、ただただトロの瞳から涙がこぼれるだけだった。
トロは、ロンに聞こえぬよう、顔を自分の身体の方にできるかぎり傾げて泣いていた。
「・・・・じいちゃ・・・・リイカ」
「寝ろ」
「ルーク」
その名に、ぐっと感じたことのない切なさともどかしさがこみあげてくる。
ロンにとって初めての事だった。
それでも、いつものように乱暴な感情がわきあがってこない、それどころか、泣いて寂しがるのを見るだけでロンまで切なくなるような気持ちさえしてくるのだ。
そうしてしばらく泣いていたトロもしだいに抵抗し疲れたか、落ち着いたのか、ゆっくりと寝息を立て始めた。
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