3 ランドーリでのロン

ランドーリの村が白尾旅団に急襲される直前、

あの日の夕方、ロンは粗野村から眺めて知っていたあの唯一の関所からではなく、切り立った崖ともいえる山壁を伝ってランドーリに降り立った。

タロウの言っていた通り、もはや道ともいえない崖を伝って無事にたどりつけるような者はロンの他にはいなかった。


ランドーリの地を踏み、初めに会った老女には悲鳴を上げられたがそしらぬふりでその家を通り過ぎ、しばらくのそのそと村を歩きまわった。村人たちは驚き女、子供の中には悲鳴を上げる者があったが、ロンは構わず進んだ。

目当ての半月らしき幼犬期は見当たらない。その時大通りに見なれた姿があった。あのグラノドールの花街で睨みあっていた相手リグだった。

リグはロンに気付くとハッと信じられぬような顔になり、しばらくあっけにとられた。その表情が面白くて堂々近寄ってやるとリグは思いだしたように叫びだした。

「貴様!!!どこからわいて出た!!!」

「よおポンコツ。てめえらが大事に守ってるモンもらいにきたぜ」

「なんだと、まさかお前」

「じゃあな」

追いかけるリグの怒号を背に、ひらりと身をかわし、目の前にあった家の門を伝ってその家の屋根に上ると、集まり始めた村の者たちがわっと声を上げた。それをさほど気にもせずロンはあたりを見渡すと村の中心部に位置するこの家の南、川のほとりに立派な新しい家を見つけそこに狙いを定めた。たくさんの灯りがともっている。人の出入りも激しい。祭りでも開かれるようだ。しばらくその動きを見ていたが、ロンはハッと目線をそこから更に南西に移した。川岸を渡ってくる白い影が見えたのだ。

薄闇の中でもわかる真っ白な集団だった。

「へえ………やべえもんが入り込もうとしてるな、俺以外でこんな村に何の用だ…」

ロンはその集団の名を見知っていた。

白く長い尾を持った一族で、決まった国土を持たず、村から村に移りながら強奪を繰り返す悪名高い旅団民だ。神通力とも恐れられる不思議な力を持ち、このあたり一帯では恐れられていた。

白尾旅団と呼ばれるその集団は、奪う金品の乏しい小村を襲う事はまずないと聞いていたが…、それがどんどんと勢いよく川を渡るのを目にしながらロンは更に気がはやった。

「遊んでる暇はねえってことだな」


白尾の者たちが近づいている事も知らぬ村人たちは、ロンのいる家の周りに集まり始めていた。無謀にも耕作用のクワを持ちロンに向けて構えている腰の曲がった老人もいる。

ロンはその健気さにかすかに笑みながらも、ひらりと身をひるがえし急ぎ南側へ向かった。


どの家も簡素だがとてもよくできた頑丈な家ばかりだった。定期的に取り換えられているであろう茅葺に、古さはあるが、朽ちるような様子のない梁や柱のある家々。どの家も背が低く連なっているのでロンはたやすくその上を行けた。

川近くにあるその灯りのともされた建物に辿り着き、覗き込むとそこには5匹の雄の成犬種が座を囲んでいた。どの者もみな若く、そして屈強な身体つきだ。胸元と背には揃いの印を持っている。ランドーリの長を護る青年師団兵だった。皆酒を囲み和やかに談笑をしているようだ。

日の暮れかかった部屋を煌々と灯がともされ、真ん中奥には大きな丸鏡があり、その前にたくさんの供物が供えられている。それからこのあたりでは伝統の、白いすき紙で作られた結婚飾りが天井からつるされていた。どうやら祭りと思っていたのは、婚姻の儀の為だったのだ。

ロンはこんな景色を見たのは初めてだった。もちろんいまの粗野村でこのような儀式がおこなわれる事はないし、グラノドールでもやはりそうだった。

光の漏れるその建物の中を眺めながら、ロンは珍しいものでも見るみたいに一つ一つを確かめながらふっと息をおとした。ここにもどうやら半月らしい者は見当たらない。

「婚姻か、腐った風習だ」

その時ふわりと軽やかな花の香りがした。振り向くと、白いスミレの花を両手に抱えた美しい娘が立っていた。どうやら花の香りに混じって、適齢期特有の雌の甘い香りもする。

「あなた様は…」

みずみずしい肌に、長く豊かな髪を流したままにした娘は、少しおびえながらも、大きく悲鳴を上げたり、敵意をぶつけてきたりはしなかった。ただおろおろとした態度で、その髪の毛と同じ薄青い瞳をうるうるとかがやかせるだけで、じっとロンの様子をうかがっていた。

これは上ものだ。

ロンが無言のまま娘を抱えると、娘は小さく悲鳴を上げたが、婚姻の儀が用意された建物まではとどかず、ただもっていたスミレの花がはらはらと地面にこぼれた。

娘を抱えたまま進むと近くに小さな家があり、ロンは丁度出てきた雄とはち合わせた。その雄は、儀式用の立派な飾り太刀と、美しい装飾の花瓶を抱えている。ロンの姿に気付くとハッと目を丸めた。

「リイカ」

「旦那様」

肩に抱えた娘がその雄にそう呼びかけ助けを求めると、雄は手に持っていた飾り太刀を抜きロンの方に勢いよく向けてきた。

切っ先を避けるため、少し身を引いたがロンの表情は変わらない。

「貴様何者だ、どこから入ってきた」

ロンは答えず、向けられていた刀の腹と峰を尺骨で払い自らの脇差の柄で相手の喉仏を打つと、相手の雄はしばらく息が止まってしまったようにもがき苦しみ出す。そのまま相手の胸を家の玄関扉越しにばたりと倒してから、リイカと呼ばれた雌ごと建物に押し入った。

うずくまり、ひゅうひゅうと気の抜けた息をし始めた相手のみぞおちをぐいと押してやった。気を飛ばした雄は、それから眠ったように静かになった。

ここまで骨が折れるとは思っていなかったが、白尾までからんできては更に話は厄介だ。混乱に乗じてこの村を出るにしろ、長居は無用。その前に、褒美をもらってもいいだろう。そのぐらいの心持で、ロンはふさぐようにして娘と口を合わせた。おびえ切った娘は抵抗どころか身体に力がまったく入らないような様子で、ロンが支えていないと立っていることすら不可能だった。


その時、背でことりと音がした。眠らせた雄が起きたのかとかすかに構えるが、見れば小さな子供だ。

ぎゃんぎゃんと力一杯わめくものの、先程の耕作具で威嚇してきた老人同様、その牙も手足も到底ロンにはかなわない。暗闇で顔形までははっきりと分からなかったが、丁度のぼりはじめた満月の光で少し、表情がのぞきこめた。

怒りに満ちた灰色の瞳は宝石の様に光った。

若々しいと言うよりも、単純に、ほとんど幼いとも言える美しさが満月に照らされていた。

リイカが“トルーイ”という名前で呼んだ瞬間。ロンの耳はピクリとはねた。

こいつが第一長子の半月か。まだこんなガキじゃないか。しかし約束は約束だ。

生意気な目でにらみあげてくるトロに免じてリイカを放ったままに、いくら子供とは言え暴れる体力を残したまま運ぶのもやっかいだと、ロンはみぞおちで落としたトロを抱えて家を飛び出した。

外に出るとすぐに南の風上から嫌な匂いがした。木を焼くくすぶった炎の匂いだった。その匂いを避け村の沿岸につたい東に向かう。

目的地はたった一つの、あの東の深淵にある関所だった。


走りながら、途中白尾の者らしき白装束の弓兵に歩を止められた。前方に三人、こちらに弓の切っ先を向けている。ロンは小さく舌打ちし、それでもまたたく間にトロを背に抱えかえると、ど真ん中を突進して突破を試みた。横腹と左二の腕を矢がかすったが、三人の背をとらえると、空いている右腕で刀を抜きザバリと真ん中の兵の胴を一刀両断した。それから弓を捨てた白尾が振りかざしてくる刀を払い、気を失ったままのトロを一度地面に下ろし、そこから下段で斬り上げた。仲間の倒れるのを目におさめきる前に、三人目は警笛を鳴らしながら村の真ん中に走り去って行った。

地面に下ろしたトロに傷はない。ぐったりとしたまま目をさまさないトロを、さして遠慮もなくぐいと引き挙げてまた肩に担ぐと、ロンは関所へ急いだ。


関所につくといるはずの門番はもぬけの殻で、おおよそ村の大半は、白尾の対応に追われているようだった。

皮肉にも、白尾の急襲の影響で拍子抜けするほどに楽に村を出られると思っていたロンは、思いがけず足止めを食らった。橋の中腹まで行ったところで、足元に矢尻が突き刺さり強く透き通った声に呼び止められたのだ。

ロンにはあまりにも耳慣れぬ、苛立つほどに清いその声に、かすかな嫌悪感と共にふりかえると、橋の手前に若く精練な身体と眼差しを持つ成犬種と、元の毛色すらわからぬほど真っ白なひげの老人が立っていた。

金色の毛並みの若い成犬種は、じっと弓矢の矢先をロンの方に向けたまま、じりじりと近づいてくる。

ロンのこれまでの人生でほとほと縁のなかった、育ちのよさそうなその青年からは、焦り、怒り、そしてどこかもう一つ越えた執着の様なものが滲んでいた。

近づくたびにそれがピリピリと感じられる。それをおおらかに敵に見せてしまう幼稚さと緩慢さに薄く呆れるように笑みながら、ロンは背を向けようとした。

その時、白尾の矢が飛んできた。ランドーリの赤々と燃える関所の門はすでに白尾の手に落ちていた。容赦なく降り注ぐ矢を長い打刀で振りはらうので、木の橋はギシギシと揺れ、火矢も放たれはじめるといよいよ橋の強度も危うくなり始めた。

それどころかランドーリ側からは異様な出で立ちの成犬種が恐ろしい速さで橋を渡ってくる。ロンは弱っていた橋の板を強くたたき割ると、橋が崩れ出す前に素早く対岸に走り出した。

しかしそこでまたあの嫌に真摯な声に引きとめられた。その姿を確かめる為少し顔を振ると、橋の切れ目にぶら下がり今にも落ちてしまいそうになっている青年の苦しげな顔と腕が見えた。橋が途切れる前に、こちら側に飛び移ろうとしたのだろうが、大事そうにそのまで抱えていては、生還など到底無理だと何故わからないのだろう。ロンはまたも呆れながらも、近くまで寄りその顔を眺めた。

生きることを諦めてはいないのだろう。気丈にも、片腕で老人を抱え、残った片腕だけで木板にぶら下がっていた。そうして瞳だけは、強い眼光で糾弾するように、ロンをとらえている。その反対に老人の方は、もはや生などに未練はなく、懸命にその若い腕を逃れようとしているようにロンには見えた。

橋が重みに負けそうだった。迷いなく、ロンは老人を蹴落とした。老人は深淵の底に消えた。

消える間際、ロンは確かに「ルークよ、祖を護れ」という掠れた声を聞いた。

ランドーリとは一体どういう村なのだろうか

ロンにはまったくわからなかったが、ここまでして大事に扱われているのにはこのトロという少年に半月以上のなにか秘密があるに違いないとそう思い始めていた。


粗野村に帰る道すがら、何度も背を振り向き眠ったままのトロの様子をうかがったが、ロンにはいまだ、先程会った若く美しい娘以上にいいもののようには思えなかったし、何より村で大事にされるほどの存在だと感じる事は出来なかった。


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