1 粗野村のロン


暑い夏の夕暮れ。

古びた屋敷の朽ちかけた屋根も壁も何もかも、夕日に照らされ橙色に染まっていた。

少しでも熱さを逃がす為開け放たれた襖の部屋からは、ぱちり、ぱちりと小気味の良い石のはじける音だけが響いている。


碁盤を挟み坐した二匹の若い青年が真剣にその局面を睨んでいた。

片方は短く刈られた黒髪に立派な黒耳をもち、左耳の付け根には大きなわっか状の耳飾りを付けたサクという青年で、つり上がった細い瞳は、存外に視野が広く碁盤の隅から隅までを把握するよう鋭く光っている。

もう片方は少し、戦況を諦めたかサクよりは呆けた表情で肘をつき、それでもサクの置く石の行方をじっと眺めている。

肩まである髪の毛は後ろで束ねられ、やはり大きな黒い耳と右耳の付け根に輪の耳飾りをつけているタロウという青年だった。


その碁盤の奥にひときわ立派な毛並みの青年が気だるげに横たわっていた。

黒い耳も長毛の尾もそれは見事に若々しく光り、鼻梁の通った顔立ちは精悍で、その表情にはどこか逃れがたい憤懣を湛えていた。

身体はしなやかで強靭そうに見えるが、それを持て余すように今は身体を退屈そうに横たえている。

これが、この村のならず者たちが頭領と認めるロンであった。


幼なじみのタロウとサクが碁をうっているのを横目で見ながら、

ロンはいつものように退屈さを紛らわせる為、真っ黒の尾でゆっくりと床を叩きタバコをふかして夜を待っていた。

長く伸びる屋敷の一番奥に、ロンが寝床としているこの部屋はある。そこにつながる長廊下から三匹には聞き覚えのある派手な足音が近づいた。

床の木はとうに腐りかけである。走りこむ激しい足音が心配になるほどそのもろい木板を揺らし、無遠慮に乱暴な音を立ててその足音の主は襖を開けてきた。


「ロン!!グラノドールのハナ孕ませたって本当かっ」


息せき切って駆け入って早々、喜々とした声を上げたのはタロウの双子の弟のキュウマであった。

顔や姿形はタロウに瓜二つだが、タロウや他の者と少し違うのは、瞳の色素が薄く青色な所だ。腰に携えている刀の拵えと首に、瞳と同じような色の綺麗な石を下げている。アマゾナイトという、この辺りではとても珍しい青白色の天然石だ。


タロウとサクは碁の石を握ったまま、目をまんまるにしてロンの方に振り向く。

「ハナってあの気性の荒いアレかあ?」

タロウはすっかりにやにやとおもしろいおもちゃでも見つけたみたいな顔になって言った。

というのもタロウもそのグラノドールのハナを知っていたのだった。

そもそも、この村でハナを知らぬ者などいなかった。

グラノドールは、この『粗野村』から下り川を越してすぐにある村から一番近い歓楽街だ。しかもとてもガラの悪い輩が集うという点での花街の一鶴でもあった。

そのグラノドールの芸子ハナは美しい事には美しいのだが、気が強く、客の態度が気に入らなければ平気でお座敷を飛ばし、金をどれだけ積まれても、芸は売れども色だけは売らぬというのが信条とあって、無茶をしようとする雄などには噛みつく蹴飛ばす大声で叫ぶ、ありとあらゆる方法で接触を拒んで商売にならず店の主すら困り果てるほどで、ここらへんでは知らぬものはいない噂の芸子だったのだ。

「で、すっかり大人しくなっちまったって下の方じゃすげー噂になってるぜ」

じっと興味深く聞いていたサクが大笑いした。

「どうやんだよそんな荒技」


三人がにぎやかにはやし立てるのを、ロンは表情も変えず寝転がったままに、ただ面倒くさそうに聞いていた。皆同じ年頃だが、ロンにはそのような話で盛り上がる三人がすっかり子供のように見えていたのだ。

「言うほどに他愛もないぞ」

タバコをくわえたままそう応えると、キュウマが勢いを削がれたのを惜しむようにどっとその場に座り込み溜息を含みながら言った。

「ち、ロンは雌からよってくるもんな」

そんな様子を笑いながらサクがキュウマをぐっと自分に引き寄せた。まるで秘密の話をするように言ったがその声はもちろんその場にダダ漏れであった。

「でもこいつガキがダメなんだぜ」

その輪の中にタロウも加わった。

「ハナでもどんなババアでもヤれるくせによ」

ロンを放って、三人は勝手な話で盛り上がりはじめる。

半ばあきれながらロンは吸っていたたばこの火を近くにあった薄汚れた茶碗に押し当てて消した。


ロンはいつも退屈だった。特に14の齢を越え成犬期になってからは、この村でじっとしている事がとても苦痛になっていた。夜な夜な村の外に出かけては、その村の空気や雌の香、風や音や温度を感じる事が幾分か退屈を紛らわしてくれた。

刺激に誘われながら夜の街をふらつく日々が続くにつれ、自然と雌の扱いにも詳しくなった。


「ガキなんてうるせーばっかだし。とくに半月だった日にゃ最悪だ」

半月、はにわり。ごくまれに幼犬種の中にいる伴侶に合わせて性別を変える両性具有の類だ。そんな単語を発したばかりに三人の瞳には違った輝きが灯った。まずタロウが胡座をかいたまま、ロンににじり寄り先程よりはるかに真剣な顔つきで話しだす。

「自分が女にすんだぞ、山三つ越えて走り回って探す奴だっているんだ。そこいら中にいるもんじゃねえし、なにしろ大概で初モノだ」

鼻息がロンの頬に吹きあたる程の興奮を抑えきれぬままタロウはその魅力を続けようとしたが、ロンにその胸をトンと遮られた。

「初だろうが何だろうがくそみたいなもんでも自分と同じもん

がついてるのはイヤなんだよ」

「ロンは一回半月の壊してるからな」

腕を組みうなずきながらサクが言った。半月とまで接触の経験があったとは知らなかったタロウはうらやましさでヤキモキしたが、弟のキュウマはサクと同じくうなずくとたしかに…と続けた。

「両性種は身体が弱い奴が多いって噂だもんな」

サクは笑いながら手を振るだけでそれを否定すると、まるで見たようにその無残な有様を伝えた。

「いやこいつ加減せずに噛み付くから首かっさばいちまってさ。その辺血の海よ」

想像したキュウマは、うへえっと眼をつむると信じられないように少し冷たい眼でロンを見た。それでもロンは変わらず退屈そうにもう何も言わないでいると、今にも眠ってしまいそうな表情だ。


痛がるわ、泣きわめくわ…

両性種や処女性の貴重さというものがロンには理解できなかった。

サクに半月といえばこないだの話をロンにしてみたらどうかと勧められ、タロウは、はっと思いだしたようにまたロンに身を近づけた。

「そうなんだよっすっげえ可愛いのがいるんだロン!しかもあのリグが仕切ってる“ランドーリ”だぜ!あんな隔絶された場所行けないし、辿りつけてもなかなか保護が厳重だし。そいつ長の第一長子トルーイというらしいが、すげえ大切にされてて、まだちいせえてのもあって誰からの接触もないらしいんだ」


“ランドーリ”のリグといえばロンにも覚えがあった。グラノドールの大通りで酔った大男に因縁をつけられ軽くのした事があったが、その大男が“ランドーリ”村のリグという名だったのだ。真っ白い長毛の身なりのいい立派な成犬種で、身体はしっかりと鍛えられた鎧の様だったが、酒のせいか日頃の鍛錬のせいか、ロンには教本の習いにそって体操しているようにしか見えなかった。それからなにかと花街で会うごとに睨みあう間柄ではあったが、最初こそ面白く対していたロンも、相手のあまりの育ちのよさそうなバカ真面目なまなざしと教本の習いのような体操武術にそろそろ本気で嫌気がさしていた頃合いだった。その出会いの流れで、花街グラノドールの西の端にある、切り立った崖をはさんだ対岸が“ランドーリ”という名前の村であることを知った。


粗野村から丁度真下に眺める“ランドーリ”は粗野村とは違う意味で他の村とは隔絶されているように見えた。切り立った崖と、深い谷と川に囲まれ、その限られた土地のなかに、ぽつりぽつりと小さな白い建物が立っているのが見える。グラノドールとランドーリを隔てる谷には一つ心もとない橋がかかっていたが、あれが公には、おそらく村に入る唯一の手段だった。


それにしてもリグという雄、会う事は頻繁で、その度いつも違う雌を囲い、一度手を合わせた時には雄も雌も関係なく交配をするというような事までうそぶいていたが…

ロンはそこまで思いだしたところで半月の話に立ち戻った。

「へえ、あの万年発情期みてえなリグが手えつけねえとは、信じられんな」

「なぁ、ロン!お前ならランドーリまで楽に入り込める!それに半月嫌いなら裏切って手え出す事もねえだろうし…!」

タロウはもうこうなればロンが断りはしない事を知っていた。長年の付き合いだ。いくらつまらなそうにしていても瞳にぐらりと炎が灯るのを見落としはしない。


「わかったよ運んでくりゃいいんだな。ついでに女も連れてきてやるよ」


どうせ退屈をしていたところだった。

ロンは特別大した装備を持つでもなく、いつも腰に下げている長刀と脇差だけで日が暮れきる前に村を出かけて行った。


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