第42話 キミはみんなのたからもの

  


 ふらふら、ふらふら。

 隣を歩いている日向さんは、左右に揺れながらも懸命に足を動かしている。閉じそうになる目は懸命に押し上げて、いつも楽しい話を聞かせてくれる口は学校から出た時からずっと閉じたまま。それでも私の歩く速度に合わせて隣に並んでくれるのは、彼女らしいなと思ってしまうけれど。

 流石に、今日はどうにも様子がおかしい。


「大丈夫ですか? 日向さん、なんだか調子が良くないみたいですけど」


 心配になって声をかけてみる。


「え? ああ、ガラムマサラって万能だよね」

「ガラムマサラ!?」


 心配して声をかけたら、なぜかミックススパイスの名前が出てきた。


「そ、そうですね。わたしもよく使ってます」

「カレーはもちろん、炒め物や煮物にも使えるからねぇ」

「…………」


 何度もこちらから話題を振ってみたが、やはり的外れな言葉が返ってくる。たまに眠たい時に似たような状態になっていることがあるけれど、こんなにふらふらになっているのは初めてだった。きっと眠気もあるのだろう。しかし、それだけではない何かが彼女の元気を奪っているに違いない。

 そう考えて思いつくのは、彼女が最近よくバイトに行っていることだった。特に忙しいわけではないけど、何か理由があって今月だけシフトを多めに入れて貰っているらしい。来月になれば普通のシフトに戻すからと、申し訳なさそうに私とお母さんに言っていた。学校から一緒に帰ることも、家に来てくれる日もぐんと減り、寂しいなって少しだけ思ったりもしたけれど、やりたいことを優先してほしいから素直に応援できた。

 でも、日に日に彼女は疲弊していった。ぼんやりすることが増えた。笑いかけてくれる笑顔が、どこか儚げで不安を覚えた。彼女の勤め先は商店街にある普通の洋菓子店だけど、そんなに大変な職場なのだろうか。

 このままだと、そのうち身体を壊してしまう。それはすごく嫌だと思った瞬間に、私の手は大事な彼女の手を握りしめていた。上の空だった日向さんはビクッと肩を震わせて、ようやく私を見てくれる。


「椿? どうしたの?」

「疲れてますよね」

「いや~、そんなには。わりと元気な方だよ」

「眠たいんですよね」

「えっと、まー、ちょっとだけ。うん、ほんのちょっとだけ眠たくて疲れてるかな…あ、あはは」


 誤魔化そうとしたのでじっと見つめていると、彼女はすぐに諦めて降参した。嘘が苦手な彼女は隠し通せないと思ったのだろう。困ったように笑って、でも嬉しそうに手を握り返してくれた。ほんのりと伝わってくる体温がくすぐったいけれど心地良い。


「……無理はしないでください」


 心配だった。彼女は自分よりも夢中になっているものを優先する傾向にある。お母さんも瑠美さんも、口を揃えて『すぐ無理をするから過保護なぐらいが丁度いい』と言っていた。日向さんと出会ってまだ一年半しか経っていないけれど、なんとなく、私にも解ってきた。


「ごめん。椿にも心配かけちゃったね」


 日向さんは申し訳なさそうに謝ってから足を止める。いつの間に着いていたのか、私たちの家はもう目の前だった。久しぶりに二人で下校できたのに、こんなに早く終わってしまうなんて。もっと色んな話をしたかったけれど、そんなことより彼女には一刻も早く休んで貰いたかった。一緒に遊んだり話したりするのは、元気になってくれてからでいい。寂しい気持ちをぐっと堪えて、私は日向さんと繋いでいた手を解く。


「椿」

「? はい」


 また明日を言う前に名前を呼ばれた。なんだか彼女の雰囲気がさっきと全然違う。いつもと、違う気がする。穏やかな微笑みは珍しくないけれど、こんなにも落ち着いていただろうか。まるで大人の人が子供を優しく見守っているような、柔らかく包み込むような、そんな表情。


「大丈夫。もうすぐ終わるから」


 拗ねた子供に言い聞かせているように感じてしまったものの、もうすぐバイトが一段落すると言われては子供扱いされてしまった複雑な気持ちも簡単に吹き飛んで喜んでしまう。単純な子供みたいで、恥ずかしい。


「でも、今日はちゃんと休んでくださいね」

「もちろん! 帰ったらすぐにベットに入って明日の朝まで起きないよー」

「ふふ」

「あ、でもバイト先で教えて貰ったレシピを作ってみたいんだよね。まずはレシピ通りに作って、それから自分なりにアレンジしてみて、それが上手くいったら他のお菓子に応用して――」

「……日向さん?」

「休みます。帰ったら速攻で寝ます」


 お菓子作りが本当に好きで、好きで好きで仕方がないんだろう。酷く疲れていても、お菓子作りの話になると楽しそうで、とても生き生きしている。微笑ましいけれど、今日はしっかり休んで欲しい。


「ああ、そうだ。椿と陽織は今日、赤口の家に泊まるんだよね」

「はい。あ、あのっ、明日の昼過ぎには帰ってきますから! だから、その……」

「約束したもんね。ちゃんと待ってるから、今日は気兼ねなく楽しんでおいで」

「……っ、はい」


 日向さんはヒラヒラと手を振って、自分の家の中へ入っていった。私も赤口の家に行く為に準備をしなければいけないので、すぐに自分の部屋へ向かう。準備といっても制服から私服に着替えるだけなのでそんなに時間はかからないけれど、約束の時間に迫っていたので急いだ方が良さそうだった。


「…………」


 本当はお母さんが帰ってきてから一緒に行くはずだったけれど、仕事先でトラブルがあったとかで帰りが遅くなるらしい。だから先に行っていて欲しいと午前中にメールが届いていた。私はもう小さな子供ではないし、お母さんがちゃんと私のことを大事に想っていることを知っているから寂しくない。けれど、残念だなって思うのは正直な気持ちだ。昔に比べれば随分と恵まれている環境だというのに、私は、どんどん欲張りになっているのかもしれない。

 早々に準備を終わらせて玄関に向かっていると、来訪を知らせるチャイムが鳴る。もしかしたらお母さんが帰ってきたのかもと淡い期待を抱きつつ扉を開けると、そこにいたのは母ではなく、私にとって姉のような人。


「瑠美さん」

「お待たせしました。約束のお時間なので迎えに参りましたよ、椿お嬢様……なんてね」


 車のカギをクルクルと指で回しながらウインクをする彼女を見て、思わず笑ってしまった。


「えっ、な、なにか可笑しかった!? 格好つけすぎた!? やだ、恥ずかしいんだけどっ」

「ご、ごめんなさい、違うんです。ふふ、ちょっと昔を思い出してしまって」


 小さい頃、仕事で忙しいお母さんの代わりに迎えに来てくれたのは、いつも瑠美さんだった。彼女だって勉強で忙しかっただろうに、嫌な顔ひとつしないで毎日のように迎えに来てくれたのだ。それだけじゃない。引っ込み思案な性格が原因で仲のいい友達が作れなくて寂しかった時も、瑠美さんが一緒に遊んでくれた。転んで怪我をして痛くて大泣きした時も、すぐに手を差し伸べて背負ってくれた。

 しっかりしているけれどたまにドジなところもあって、でも本当に頼りになってすごく優しい人。


「いつもありがとう、瑠美お姉ちゃん」

「ふえっ!? いや、うん、どどどういたしまして?」


 瑠美さんは目を丸くして、ほんのりと頬を桃色に染める。

 私も照れくさくなって、表情を隠すように少しだけ下を向いた。


「お姉ちゃん、か。久しぶりにそう呼ばれると、なんだかくすぐったいね」

「駄目でしたか?」

「いやいや、そんなことないよ! むしろ嬉しいからね! いつでも呼んでくれていいんだからね! あ、むしろ呼んで! どんどん呼んで!」

「やっぱり恥ずかしいので、今まで通り瑠美さんで」

「上げて! 落とすのね!? ……とても辛い」


 心の底から残念そうにして、瑠美さんはがっくりと肩を落とした。そ、そんなに姉と呼ばれることが嬉しいのだろうか。


「でも、瑠美さんのことはその、優しいお姉ちゃんだって思ってますから。今までも、これからも。きっと、ずっと」

「……そっかぁ」


 血が繋がっていなくても。

 住む場所が違っても。

 瑠美さんは、私の自慢のお姉ちゃんだから。


「私も椿ちゃんのこと、ずっと妹だって思ってたから、嬉しいな」

「手のかかる妹でごめんなさい」

「そんなことないよ。よく出来過ぎた、かわいい可愛い大切な妹だよ」


 私の頭に手をそっと乗せて、瑠美さんは静かに微笑む。

 本当に嬉しそうに笑ってくれるから、私も嬉しい。


「玄関先で話すのも落ち着かないし、そろそろ行こうか。少し話したいことがあるから遠回りで家に向かうね」

「話、ですか?」

「うん。まあこんな日だからね、丁度いいかなって」


 瑠美さんは運転席に座り、私は助手席に座る。彼女の車はいつ乗ってもいい匂いがして、乗り心地が良い。瑠美さんは電車通勤だからあまり車を使わないけれど運転は様になっていて、手際よくハンドルやシフトレバーを動かしている。久しぶりだからちゃんと運転できるかなー、なんて呟いているけれど、彼女の運転が丁寧で上手なことは知っているので不安はなかった。

 自宅を出ると、車は赤口の家とは反対の方向へと進んでいく。交通量が少なく気軽に運転できる道で、左右には思わずスケッチしたくなるような綺麗なお花がたくさん咲いているので、景色を楽しむことができる。あ、あの可愛い形のお花は何という名前だろう。日向さんは知ってるかな。

 横目で景色を楽しんでいると、瑠美さんは流していたラジオのスイッチを切り、前を見たまま口を開いた。


「椿ちゃんは進路ってもう決めてるの?」

「はい。行きたい大学も、やりたいこともずっと前から決まってましたから」

「そっか、そうだったね。やっぱり目指すところは昔と変わっていないんだ」


 将来は教師になりたい――――そう、何度も彼女に告げている。瑠美さんのような立派な教師になるのだと言うと、決まって苦笑いされていたけれど。将来の夢は今も変わっておらず、目標に向かって努力を続けている。


「もしかしたら芸術の道に進むんじゃないかって思ってたのよ。椿ちゃん、絵を描くの好きでしょう?」

「そうですね、絵を描くのは好きですけどそれはあくまで趣味です。私には専門的な技術を学ぶ意欲も、趣味を将来に繋げる勇気もありません。ただ時間がある時に好きなものを書く、それだけで私には十分なんです」


 それに、私は見知らぬ誰かの為に絵を描くのは苦手だ。才能だってあるとは思えない。


「椿ちゃんの絵、上手だと思うし好きなんだけどなぁ。でも、椿ちゃんが自分で決めて選んだ道なんだからもちろん応援するよ。なんでも相談してね、可愛い後輩ができるのは大歓迎だもの」

「ありがとうございます」


 身内に頼れる先輩がいてくれるのは心強い。応援して貰えるのなら、遠慮なく甘えよう。今はお世話になってばかりだけれど、いつの日か恩返しができるよう、しっかり勉強して立派な大人になりたい。


「陽織さんは進路について何か言ってた?」

「お母さんは好きにしなさいって、それだけです」

「随分と素っ気ない反応で陽織さんの妹分で椿ちゃんのお姉ちゃんとしては胃が痛くなりそうだけど」

「ふふ。大丈夫ですよ、ちゃんと解ってますから。お母さんは私が選んだ進路ならどんな道だとしても応援してくれるって言ってくれてるんです。私の意思を尊重して、何かあった時はきっと支えてくれるんだと思います」


 瑠美さんは驚いたように一瞬だけこちらを見て、すぐに前を向いて嬉しそうに笑った。


「そっかそっか、それなら良かった。けど、陽織さんはいつも言葉が足りないからヒヤヒヤするなぁ」

「母なりに努力はしてるんですよ。一応、前よりは言葉数も増えてる……気がしますし」

「ま、そう言われるとそうかもしれないね」


 ずっと昔に比べると、天と地ほどの差だ。あの頃は気持ちがすれ違っていて、会話すらなかった。向き合ってようやく話すようになって、ぎこちないながらも少しずつ言葉を交わし続けて。今では何の問題もなく親子らしいコミュニケーションができるようになった。


「聞くまでもないけど、姉さ――こほん、日向ちゃんとは仲良くやってる? やってるよね。完」


 質問してきたのに答える間もなくすぐ自己完結された。確かに日向さんとはいつも仲良く一緒に過ごしているけれど。

 それから、学校での様子を聞かれたり、色々と近況を聞かれたりした。何か大事なことを聞かれるのかと身構えていたけれど特にそんなこともなく、車は目的地の瑠美さんのお家――赤口家に到着した。

 シートベルトをはずして降りようとしたけれど、なぜか瑠美さんは座ったまま運転席から動こうとしない。


「瑠美さん?」


 名前を呼ぶと、彼女は私の方を見ずに視線を正面に向けたまま、困ったように眉を下げて微笑んだ。


「あのね、椿ちゃん」

「はい」

「私はね、昔はとてもわがままで泣き虫だったの」

「……そうなんですか?」

「そうなの。椿ちゃんが生まれてからは、私がしっかりしなきゃって、強がってたんだよね」


 情けない話だけど、と小さく溢して、瑠美さんはようやく私と向き合う。


「子供の頃は嫌なことがあるとすぐ姉さんの後ろに隠れてしがみついて、べったり甘えて、いつも困らせてた」


 今の彼女からは想像できないというか、信じられないくらいだった。

 私の知ってる瑠美さんは、頼りになるしっかりもののお姉さんだから。


「あの頃は絶対お姉ちゃんと結婚するんだー! って言ってたっけ。あ、これ陽織さんには秘密ね」

「ふふふ、はい。お姉さんのこと、大好きだったんですね」

「もちろん。私の、自慢のお姉ちゃんだよ。椿ちゃんも知ってる通り、昔から優しくて面倒見のいい人だったから」


 赤口 椿さん。

 日向さんの前世にあたる人。

 少しだけ写真を見せてもらったことがあるけど、ひだまりのような暖かな笑顔が印象に残っている。外見はあまり似ていないけれど、纏う雰囲気が日向さんとよく似ていた。以前、お母さんがちょっとだけ赤口椿さんについて話してくれたけれど、彼女のことはあまり詳しくは知らない。本当はもっと知りたいけれど、軽い気持ちで踏み込んではいけないような気がして、聞くのを躊躇っていた。

 

「そういえば私、ずっと赤口の家に住んでいたのに、椿さんのこと知らなかったです」


 瑠美さんにお姉さんがいることは知っていた。私が生まれる前に亡くなったと聞いて、それだけだった。今思えば、遺影もなかった。部屋がなかった。どこにも椿さんの居た痕跡がなかった。


「姉さんを失った陽織さんはとても不安定だったから。何がきっかけで取り乱すかわからないから、姉さんに関わるものは隠しておこうって、お父さんとお母さんが決めてね。今は遺影以外は全部、屋根裏部屋に置いてあるよ。アルバムとかあるから、あとで見せてあげる。陽織さんも映ってるやつも何枚かあるし」


 それは楽しみだけれど。

 でも、でもどうして――――


「どうして、私に椿さんのことをずっと黙っていたんですか?」


 私が生まれることを望んでくれた人がいたなんて、知らなかった。

 瑠美さんのお姉さんが、お母さんの大切な人だなんて、知らなかった。

 知ってたら何かが変わっていたなんて言えないけれど。


「ごめんね、いろいろと事情があったから。それに私たちも……ずっと姉さんの死から目を背けたかった」

「……あ」


 瑠美さんは何もない手のひらを見つめて、ぎゅっと握る。


「まだ椿ちゃんに隠している事はあるよ。でもそれは私が言っていいことじゃない。貴女のお母さんが、自分の口で伝えなきゃいけないことなの」

「……はい」


 わからないこと、知りたいことは沢山ある。けれど、今はそれでいい。答えを得るのは、いつでもいい。困ってしまうくらいなら、教えてくれなくてもいい。


「私たちが隠していることは椿ちゃんを苦しめてしまうかもしれない。できれば、ずっと黙っていたい。でもね、いつか知る日がきてしまう、そういう予感がするの」


 みんなが必死に隠してきたことは、きっと酷く辛いことなのだろう。

 落ち込んでしまうかもしれない。悩んでしまうかもしれない。苦しんで、押し潰さてしまうかもしれない。

 瑠美さんは、隠し事を知った私がそうなってしまうと確信しているようだった。


「瑠美さん」

「ん?」

「ありがとうございます」

「えっ、な、なに急に……」

「心配してくれて。ずっと見守ってくれて、ありがとう」

「――――椿、ちゃん」


 自信がある。傷ついても、それでも前を向けるって根拠のない自負がある。


「ついこのあいだ成長したなーって思ってたのに、さらにまた成長してるなんて。お姉さんはびっくりです」

「成長期なので」

「……あんなに小さかった子がこんなに大きく……うう、感慨深いなぁ」

「あ、あの、胸を見て言わないでください」

「おほほ冗談はさておき。お母さんたち、待ちくたびれてるかもしれないから、家に入ろうか」

「はい」


 車から降りて玄関の前まで来ると、瑠美さんがドアに手をかけて私の方を向いた。

 どうして開けないんだろうと不思議に思っていると、彼女はにやりと意味深な笑みを浮かべる。


「それでは、本日の主役のご入場です。さあどうぞお入りください、お嬢様」


 仰々しい様子に違和感を覚えて身構えている間に、ドアはゆっくりと開けられる。

 瑠美さんに優しく背中を押されて、生まれ育った家の中へ入ると――――



「ハッピーバースデー」



 パンッ、と空気がはじけたような短い音と共に、紙テープが飛び出てきた。


「え?」


 すぐに状況が飲みこめず呆けてしまう。

 ひらひらと宙を舞う紙吹雪を見て、それから床に落ちた色とりどりの紙テープを見る。

 そして、クラッカーを持って恥ずかしそうにしているお母さんを見た。


「おかあさん?」


 どうしてお母さんがここにいるのだろう。だって、仕事で遅くなるって言っていたのに。


「あら、サプライズ大成功みたいね」


 奥からおばあちゃんがやってきて、驚いている私の表情を見て満足そうに笑っている。その後ろには、おじいちゃんもいて、穏やかな目で嬉しそうにみんなを眺めていた。


「サプライズ?」

「そういうこと! 実は準備に手間取って間に合いそうになかったから遠回りして帰ってきたの。話しいことがあったから丁度良かったけどね。どう? びっくりした?」

「…………はいっ」


 今日は、私が生まれた日。

 だから今日は赤口の家に集まって、お祝いをしてもらうことになっていた。

 おばあちゃんが作ったご馳走を食べて、みんなからプレゼントをもらって、商店街にある有名なお店のケーキを食べて過ごすのだ。

 赤口の家で祝って貰えるのは毎年のことだけど、お母さんが参加してくれるのは、初めてのことだった。

 じわじわと、胸が熱くなってくる。


「去年はみんな風邪をひいてちゃんとお祝いできなかったから、今年は少し頑張ってみたのだけど」


 お母さんは使用済みのクラッカーを見てから苦笑する。でも、ちょっとだけ嬉しそうにも見えた。

 ふと、おじいちゃんと目が合う。細められた瞳に、あの日の言葉が甦った。

 いつか解る日がくると。忘れないでと。私は、たくさんの想いに愛されているんだと。


 「17歳の誕生日おめでとう、椿」


 お母さんは私の手を握って、引き寄せる。


「生まれてきてくれて、ありがとう」


 そのまま、そっと抱きしめられた。


「大好きよ」


 母は、今まで見た中で一番の笑顔だった。とびっきりの、笑顔だった。


「う、ぁ……」


 これは夢かもしれないと思った。

 どれだけ願っても叶わないと、これまでずっと諦めていたことだったから、すぐに信じることができなかった。待ち焦がれていたことのはずなのに、嬉しいはずのに、ぼろぼろと涙が零れるだけで何も言えなくて、身動きもできない。


「わ、わたしも」


 私はもう一番欲しい答えを得ている。お互いに大切な存在であることは、もうすでに知っている。


 それでも。

 だとしても。


 母に誕生日を祝ってもらうことは、それはもうずっと昔からの夢みたいなものだったから。

 みんなを困らせないように平気なふりをして。我慢をして。自分の気持ちに嘘を吐き続けたけれど、今はもうそんな必要はないのだ。


「私も、お母さんが……大好きです!」


 今まで我慢していた分の力を込めて、思いっきり母を抱きしめ返した。

 嬉しいことをやられたらやり返すと楽しいよと、お菓子好きの誰かさんが言っていたので。

 腕の中から「ぐぇ」と苦し気な声が漏れていたけれど、非難が飛んでくる前に周囲から笑い声が聞こえたので、私もつられて笑ってしまった。

 そして不満そうに呻いていたお母さんも、ため息をひとつ吐いてから、声をあげて笑ったのだった。


 

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