第39話 彼女と過ごす、こんな日



 私は晴れた日が大好きだ。

 綺麗な青い空や、日光を浴びて鮮やかに輝いている草花を見ていると心が弾んで楽しくなる。暖かな陽気は心地よい眠気を与えてくれるし、お気に入りのお布団だってふかふかにしてくれるのだ。

 けど、残念ながら今日の天気は曇り。それに椿が午後から雨が降ると言ってたような気がする。そんな彼女は今、妹の小姫と一緒に買い物に出かけていた。新しい雑貨屋がオープンしたとかで、興味深々だった二人は目を輝かせながら行ってしまった。私は特に関心がないので陽織と一緒にお留守番だ。ちゃんと傘は持っていたので、急に雨が降りだしても大丈夫だろう。


 空が曇っているせいか部屋の中がいつもより薄暗く感じる。

 窓の外から小さな音が聞こえた気がして、私は読んでいた本から顔をあげた。


「ん、降ってきたかな」


 カーテンを開けて窓の外を見ると、ポツポツと空から水の粒が落ちているのが見えた。しばらくすると段々と音が大きくなり雨脚が強くなる。雨が降ると外に出るのが不便だし洗濯物も乾かないから、こんな日はあまり好きじゃない。今日は外に出る予定もないし、特に気にしないけど。

 私はカーテンを閉めてからベットに腰掛け、さっきまで読んでいた恋愛モノの小説を手に取る。恋愛モノの小説なんて普段はあまり読まないけれど、この本は小姫がお勧めだからと押し付けてきたものだ。まだ途中までしか読んでないが、確かにいい話だと思う。文字だらけの小説が嫌いなあの妹が何度も読み返しただけはある。面白いのはいいけど、たまに刺激的な描写があるので私はちょっと苦手かもしれない。嫌いなわけじゃないけど、ムズムズして恥ずかしくなってくるんだよね。


 続きを読もうと本を開きかけたところで思いとどまり、ベットの端に置いた。

 それから何気なく目の前に居る彼女へ視線を移す。背中を向けているから、顔を見れなくてちょっと寂しい。彼女はずっと同じ部屋にいるけれど、さっきから机に向って会社から持ち帰った仕事をしていた。カタカタとキーボードを鳴らしてとても忙しそうなので、話し掛けるのも躊躇われる。


「陽織、コーヒー飲む?」

「お願い」


 少しでも役に立ちたくて、息抜きのコーヒーを淹れに台所へ向う。彼女の仕事を手伝うことは出来ないけれど、こういう雑用ぐらいなら自分でも出来るのだ。勝手知ったる彼女の家。どこに何があるかはすでに把握しているから、慣れた手つきで台所を漁る。手早く彼女の分のコーヒーを淹れ、トレイに乗せてから部屋へ戻った。


「はい」

「ありがとう」


 持ってきたコーヒーを溢さないよう机にそっと置く。

 ずっとモニターと睨めっこしていた彼女は一旦手を止め、私の方を向いて微笑んだ。


「暇じゃない?」

「んー、小説読んでるから、そうでもないかな。陽織は気にせず仕事を頑張ってよ」

「そう。あとちょっとで終わるから、もう少し待ってて」

「うん」


 彼女が再び仕事に取り掛かったので、私は邪魔しないように後ろのベットに身を沈める。なんとなく布団に潜ると、彼女の匂いがした。彼女のベットなんだから彼女の匂いがするのは当然か。


(……陽織が仕事を終えるまで、このまま寝てようかな)


 このベット、寝心地良いわ、いい匂いはするわで気持ちよく寝れそうだし。小説の続きを読む気分でもなくてやることもない、それに陽織のベットで寝る機会なんて滅多にないんだから、そうしようっと。

 さっそく瞼を閉じ、雨音を子守唄にして睡魔を待っていると、次第に頭がぼんやりしてくる。このまま意識を手放して眠りに入ろうとしたところで、ドオォン、と大きな音が鳴った。驚いて閉じた目を開く。せっかく眠りに入るところだったのに、今ので目が覚めてしまったじゃないか。まったく、何の音だろう。

 布団から顔を出した途端、窓の外がピカッと光る。そのしばらく後に、ゴロゴロゴロ…と腹に響くような音が鳴り響いた。


 なるほど。さっきの音は雷か。


(昔は、雷が怖かったんだよね)


 真っ黒な空が光るのが不気味で、大きな音が怖くて、雷が鳴ると泣きながら真っ先にお父さんかお母さんの元に走っていった。泣きじゃくる私を落ち着かせる為に優しく抱きしめて、大丈夫だよって言ってくれると、まるで魔法をかけられたように凄く安心できたっけ。妹が出来ると、雷が怖いなんて情けないところを見せたくなくて、強がって私の変わりに泣く妹の頭を、震える手で撫でていた。成長するにつれて段々と雷のことが平気になって、今ではどんなに光ろうが大きな音が鳴ろうが怖くはない。


(それにしても、結構近いなぁ)


 さっきからピカッと光って、すぐに雷の音がする。雷の影響で停電しないといいけど。


「あ、陽織。停電したらせっかく作ったデータが飛んじゃうからバックアップを――」


 したほうがいいよ、と言おうとしたところで、彼女の様子がおかしいことに気付いた。

 さっきと変わらず綺麗な姿勢で椅子に座っているけれど、机と椅子、そして彼女自身が震えている。机の上にあるコーヒーカップが振動でカタカタと音を立てていた。心配になったのでベットから跳ね起きて、慌てて彼女の傍に寄る。


「どうしたの陽織? 大丈夫?」

「な、なんでもない、わ………ひっ!?」

「…………………」


 陽織は外が光ったり雷鳴が響くと身を竦め、彼女らしかぬ小さな悲鳴を上げる。

 えっと、私の勘が間違ってなかったらだけど。


「もしかして、雷が苦手なの?」

「………………」


 答えないけれど、その沈黙が肯定を表していた。

 彼女とは結構長い付き合いだけど、雷が鳴っている日に一緒に居たことは今までなかったような気がする。陽織と会う時は晴れてる日が多かったから、雷が苦手だってことを知らなかった。彼女は普段の凛とした姿勢を崩し、雷がなるたびに身を震わせ、可哀想なほどに怯えている。こんな状態ではもう仕事をしている余裕なんてないだろう。


「陽織、こっちきて」


 私はベットの上に座って隣をぽんぽんと叩き、彼女を招く。陽織は少しだけ渋ったけれど、素直に隣に座ってくれた。私は彼女の震える手を取り、強めに握り締める。こんなことで恐怖が和らぐとは思えないけど、何もしないよりはマシなはずだ。


「情けないでしょう? こんな年にもなって、雷が怖いだなんて」

「いや全然。むしろ可愛いと思うけどなぁ。ほら、ギャップ萌えってやつ」

「……馬鹿」


 いまだに鳴っている雷が気になって仕方ないのか、陽織の言葉には力がない。微笑んでいる顔も、恐怖で引き攣っている。手を握っても、軽口を叩いても、彼女の手の震えは止まらないようだ。どうにか彼女を安心させてあげたいんだけど、どうしたらいいだろう?


(そうだ)


 考えた末に思いついたのは、昔、雷が怖かった私に両親がしてくれたこと。さっそく試してみようと、私は陽織の背中に腕を回して自分のほうに引き寄せた。それから強めにぎゅっと抱きしめる。


「えっ!?ひ、ひなた」


 彼女の身体が恐怖ではなく驚きで跳ねる。照れているのか、腕の中の陽織は落ち着きなく動いていたけれど、しばらくすると観念したのかそのまま身を任せるように大人しくなった。けれど、抱き締めても彼女の身体の震えは止まってくれない。頭を撫でてみても、変わらない。……これって私よりも雷のことが気になっているってことだよね。むむ、仕方ない事とはいえ、なんか段々悔しくなってきた。

 他に方法が思いつかないし、雷が止んでくれるまでこうして待っているしかない。まだ怖がってるとはいえ、抱き締めているとさっきよりは落ち着いているようだ。


「あ、そうだ。目を閉じてヘッドホンすればいいんだよ」


 光が怖いなら目を閉じて、音が怖いなら耳を塞げばいい。そんな簡単なことを思いつかなかった自分が馬鹿みたいだ。いや、馬鹿なんだけどね。せっかく恥ずかしいのを我慢して抱き締めたというのに効果がなかったのは悔しいけど、久しぶりに彼女をぎゅって出来たので、まあいいや。とにかく、ヘッドホンを取りに物置に行こう。確かあそこに置いてあったはず。


 しかし、立ち上がろうとした私の身体は、ぐいっと服を引っ張られてあっさりベットに戻された。うん……あれ?


「あの、陽織さん? ヘッドホンを取りに行きたいので手を離してくれると助かるのですが」

「行かなくて、いいから」

「でも怖いんじゃ……あ」


 そっか。


「ごめんね。行かないから」

「…………」


 離れたら、ひとりになっちゃうもんね。


「早く雷、止んでくれないかな」

「……ん」


 再び彼女の身体を抱き締める。カーテンは閉めてるけど、隙間から漏れる光が彼女を脅かしていた。音も変わらず大きく鳴り響いている。雷に加え、雨の叩きつけるような音も、恐怖をよりいっそう掻き立てている様な気がした。


「わっ」

「っ!?」


 ドオォォン、と一際大きな雷鳴が響いたかと思えば、部屋の明かりがパッと消える。どうやら停電したらしい。

今までで一番大きな音に、陽織は身体を硬くしていた。凄い音だったし、さすがに私もさっきの雷は驚いた。どこかに落ちてないと良いんだけど…。停電したせいで部屋が薄暗くなり、雷の光がよりいっそう輝く。部屋が暗くて不安になっているのか、彼女の身体の震えは増している。もう強がる余裕もないらしく、泣きそうな顔を隠そうともせず私の背中に腕を回してしっかりと抱きついていた。素直に甘えてくれるのは嬉しいけど、怖がっている彼女を見ているのは辛い。


 こんなに怯えている彼女を、どうにか安心させてあげたい。

 自分に出来ることは全てやったけれど、あまり効果はなかった。

 やっぱりこのまま待つしかないのだろうか。


 気休めかもしれないけど、私の手で彼女の耳を塞いであげたら少しはマシかもしれない。彼女は私の肩辺りに顔を埋めていて、このままじゃうまく塞いであげられなかったのでそっと身体を押して離した。


「陽織。ちょっと顔上げて、目を閉じて」


 耳を塞ぐ為に顔を上げてもらい、光が見えないように目を閉じて貰うつもりだった。けれど暗くて良く見えなかった為か耳ではなく頬を両手で挟んでしまい、俯いていた彼女の顔を予定よりも上に向けてしまう。


ふと、見つめ合う、私と陽織。


「……っ!」

「あ、あれ…?」


 何を勘違いしたのか、陽織の顔が暗闇の中でも分かるくらい紅潮していた。

 少し考えて、すぐに彼女が何を勘違いしたのか察しがつく。


(も、もしかして、キスされると思ったんじゃ……)


 いや、別にこれはそういうつもりだったわけじゃなくて。

 本当に、他意はなかったんですよ。ええ、神に誓って。

 でも、そうとられても仕方ないことを自分はしている気がした。


「……………」


 気まずい沈黙が流れる。

 彼女の震えが移ったように、私の手も震えていた。頬ではなく、耳に持っていくはずの手はそのまま固まって動かない。一体私は何やってるんだろう。

 時間が経つにつれて、もうこのまましてキスしてしまえばいいんじゃないかと誘惑が囁いてくる。私たちは付き合っているんだし、以前し損ねた時も彼女は嫌がってなかったし、こんなチャンス滅多にないんだから。いや、でも彼女は今それどころじゃなくて。怯えているときにキスするなんて卑怯な気がするし。ううん、でもなぁ。


 なかなか行動に移せなくてそのまま悩んでいると、また雷が鳴って陽織の身体が小さく跳ねた。


(……うああああ)


 目の前で小刻みに震えている彼女のことが愛しくなり、何をしてでも恐怖から気を逸らしてあげたくて。ううん、きっとそれは自分の欲望を満たす為の建前なのかもしれない。結局は、我慢できなかったんだと思う。


 彼女の顔を引き寄せ、自分の顔を近づける。

 さっきまで悩んでいたのは何だったのかと思ってしまうほどあっさりと、お互いの唇を重ねた。


「……っ」


 何の抵抗もなく、陽織は受け入れてくれる。軽く触れるだけの拙い口付けだけど、重ねた部分から伝わる柔らかさと暖かさが私の頭を痺れさせた。緊張と興奮で胸が張り裂けそうなくらいドキドキと鼓動がうるさくて、雷や雨の音が聞こえない。時間の感覚が麻痺してどれくらい経ったかわからないけど、息が苦しくなったのでゆっくりと顔を離す。


 陽織の顔は真っ赤で瞳は潤んでおり、とろけた表情で私のほうを見つめていた。

 ――その表情がまた私の鼓動を加速させる。


「えっと、まだ怖い?」

「え…あ……」


 湧き上がってくる感情を誤魔化すように尋ねると、陽織は恥ずかしそうに俯く。私だって今もの凄く恥ずかしい。生まれて初めてキスをしたんだから、どんな態度で接すればいいのかさえわからない。普通にしてればいいんだろうが、そんな余裕もない。ドサクサに紛れて何やっちゃったんだろうって思ったけど、後悔はしていなかった。…だって、ずっとしたいと思ってたんだし。陽織もそう思ってくれてると、嬉しいな。


「雷、いつの間にか止んでるね」

「……本当」


 窓のカーテンを開けると、外はまだ曇っているが雨はすっかり上がっていて、雷も止んでいた。

 きっと明日は晴れてくれるだろう。


「やっぱり晴れた日のほうが好きだけど、たまには雨……雷の日も良いかもね」

「…ば、馬鹿っ!」

「いひゃい」


 急に怒った顔になって、頬をつねられる。痛いけれど、それが照れ隠しとわかっているから、彼女にされるがままでいた。ちょっとした冗談なのにムキになって可愛いなぁ陽織は。実際の歳は彼女のほうが上だけれど、私は彼女のことを今でも年下だと思っている。彼女も私のことを年下だなんて思ってないだろう。極端的な言い方をすれば、私たちはあまり年齢のことを気にしていない。私は『私』で、陽織は『陽織』なんだから。昔と姿かたちは変わろうとも、私たちは私たち。

 誰が何と言おうと、私たちはお互いのことをそう思っているのだ。


「あ」


 それから数分後、すぐに部屋の電気が点いた。

 やっぱり部屋が明るいと落ち着く気がする。

 さて、これからどうしようか…と目を泳がせると、彼女のパソコンが視界に入った。


「そういえば陽織、仕事がまだ残ってるでしょ?」

「え、ああ、そうね。すぐに終わるから―――あ」


 彼女の動きがピタリと止まる。心なしか顔色が悪い。


「雷に気をとられてて…保存……してなかったわ」

「ひ、陽織さーんっ」


 停電したから、きっとデータ飛んでるよ!


 だからあの時バックアップを取っておいたほうがいいと言……いかけたんだっけ。雷が怖くて言っても聞かなかっただろうし、どっちにしろ無駄だったのかも。

 彼女はパソコンを立ち上げてデータを確認すると、肩を落として重い溜め息を吐いた。案の定、データは消失していたらしい。


「最初からやり直しね……」

「あはは……が、頑張れ!」


 さっきまでの甘い空気を跡形もなく吹き飛ばして、彼女は慌てて仕事を始めてしまった。付き合い始めてから二人きりになれる時間はほとんどなかったから、今日を楽しみにしていたけれど、まあこうなっては仕方がない。機会なんて、これからいくらでもあるだろう。しかしまぁ、さっき勢いで恋人らしいことが出来たので割りと満足してるかもしれない。奥手な自分にしては頑張った方だろう。


 再び暇になった私はベットに寝転んでぼんやりしてるしかない。彼女が頑張ってるのに寝てしまうのもどうかと思ってひたすらゴロゴロしていると、陽織がこちらを向いて手招きをした。


「どうしたの?」

「……暇なら、ちょっと手伝ってくれる?」

「え、でも」

「日向にしか、出来ないことだから」

「?」


 彼女は椅子から立ち上がって、隣の部屋からもうひとつ椅子を持ってきた。


「……肌寒いから、傍に居て」


 ぼそっと、聞こえるか聞こえないかの小さな声。

 耳まで赤くなってる、彼女の顔。


「りょーかい」


うん。

そんなことでよかったら、喜んで。



私は用意してもらった椅子に座り、後ろから彼女を抱きしめてあげるのだった。


 

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