第13話 今、私がいる位置



ベットに寝転んで本を読んでいたけれど、なかなか集中できなくて内容が頭に入ってこない。胸がもやもやして落ち着かないので、とうとう本を閉じ、部屋の端に置いた。

――この町に来て何日経っただろう。

まだそれほど経っていない筈なのに、短期間で色々なことがあったせいか記憶が曖昧だ。携帯を開いてカレンダーを確認すると、もうすぐ入学式だということに気づく。そういえばまだ一度も制服に袖を通していないので、後でサイズの確認をしておいたほうがいいかも。


「椿と同じクラスになれるといいな」


 この町に来てから奇跡的な偶然が続いているので、もしかしたら……もしかするかも。また、あの学校で楽しい学生生活が送れると嬉しいな。

 懐かしくなって高校時代の自分をぼんやりと思い出す。あの頃は何も考えてなくて、ただ楽しくて、それがずっと続いていくものだと思っていた。

 けれど私の未来はあの時あっけなく砕け散ってしまった。


 これからまた、やり直せるのだろうか。


(……やりなおす?)


 何をやり直すというんだろう。『昔の私』の未来はもうすでに終わっているのに。

 ぼんやりと、悲しそうな幼馴染みの顔が浮かんですぐに消えた。

 ―――彼女の未来は、まだ続いているんだ。

 今度は幼馴染みにそっくりな椿の顔が浮かんだので、ふと、今頃何してるんだろうと気になった。ああ、そういえば買い物に出かけてたんだっけ。


「………」


 小姫が男2人にちょっかい出されていたことを思い出す。ひとりで出掛けてたけど、彼女は大丈夫だろうか? 一応、小姫が注意するように言ってたけど。

 考えたら不安になってしまい、我慢できず椿に電話してみたが、電源が切られているのか繋がらなかった。……きっと電波が届かない場所にいるんだろう。心配のし過ぎはかえって迷惑になると思うし。

 ……………。

 …………………。


「し、心配だ」


 こんなことになるなら最初から付いて行けば良かった。

 このままでは落ち着いてられないので、私は椿を探しに行くことにした。



「自転車に乗るの久しぶりだなぁ、風が気持ちいいわー」


 小姫に頼んで自転車を借り、椿のところまで向かう。

 彼女がどこに買い物に行ったかなんてわからないので適当に探し回るしかない。彼女が行きそうな店を数件回ってみたけれど、結局見つける事ができなかった。もしかしたらすれ違ってもう家に帰ってるのかもしれないので、諦めて一旦帰ることにしたけれど、その帰る途中になんとなく近くの公園に立ち寄ってみる。すると、ベンチにひとり腰掛けている椿の姿を見つけることができた。

 公園には誰もいなくて、椿は何か考え事をしているのか――ただ座って俯いていた。


「つーばきっ」


 明るく声をかけると、彼女は驚いた表情で私のほうを見る。


「日向さん?」

「えへへ、奇遇だね。買い物は終わったの?」


 視線を彼女の隣に移すと食材の入ったビニール袋があったので、もう買い物は済んでいるみたいだ。


「はい。買うものは決まっていたので、すぐ終わりました。日向さんはどうしてここに?」

「妹に自転車を借りてサイクリング中なのです」


 チリンチリンとベルを鳴らして、妹に借りたママチャリを椿の前に置く。それを彼女は珍しいものでも見るかのようにまじまじと眺めていた。これ、どこにでも売ってる何の変哲も無い普通の自転車なんだけど。


「日向さんは自転車に乗れるんですよね……羨ましいです」

「あ、椿は自転車乗れないんだったっけ。……じゃあさ、練習してみようか?」

「えっ」

「ほらほら、ちょっと乗ってみてよ。たいして背も変わらないから自転車の高さも合うと思うし」

「わ、わ、日向さんっ」


 椿の身体を支えながら、ゆっくりと自転車に乗せた。……うん、足も地面についてるしこれなら大丈夫そうだ。

 私が自転車の練習をした時はまず初めに補助輪を付けたんだけど、補助輪なんて今持ってないしなぁ。まずは一緒に支えてあげてバランスをとる事からはじめよう。


「ハンドルをしっかり握って足をペダルの上に置いて。大丈夫、自転車は私が支えてるから倒れないよ」

「は、はいっ」


 恐る恐るペダルに自分の足を置くと、バランスが崩れてグラグラと揺れたので力を入れて支えてあげた。なんとか持ち直したので、このままの状態でバランスの感覚を覚えさせる。

 しばらく経つと慣れてきたのか、バランスが安定してきたので次の段階に進むことにした。


「次はペダルを漕いでみよう! ゆっくりでいいから進んでみて」

「わ、わ、っはい」


 ふらふらしながらも自転車を漕いでいる椿を支えながら、一緒に進んで行く。


「はい、ここでターン。ハンドルを少しづつ押して…あんまり力を入れないでこういう風に……」


 彼女の手に自分の手を添えて力加減を教えてあげると、ぎこちなくもなんとか方向転換することが出来た。そしてまた直線を恐る恐るゆっくりと進んでいく。それを何回か繰り返すと、要領を覚えてきたのか、乗り方が様になっていた。短時間でここまで乗れるようになるとは思わなかったので、呑みこみの良さに驚く。


「どう? だいぶ慣れてきた?」

「はい、なんだかコツみたいなものを掴んだ気がします」


 ……そろそろ手を離しても大丈夫のような気がしてきたので、タイミングを見計らってこっそり離してみよう。気付かれないようにこっそりと自転車から手を離すと、まるで最初から支えてなかったように、椿は1人でスイスイと自転車を漕いでいた。


「おお、乗れてる」


 彼女はまだ私が手を離した事に気付いてないようで、ただ真剣に自転車に乗っている。

 綺麗にハンドルをきって曲がっていたので方向転換も問題ないようだ。


「椿ーっ! もう1人で自転車に乗れてるの気付いてるー?」

「え、えええっ!? わ、私…っ! きゃっ」

「危ない!!」


ようやく1人で乗れていることに気付いた椿は驚いてバランスを崩してしまった。急いで駆けつけて地面に投げ出されそうになった身体を支えてあげる。しかし、自転車は大きな音を立てて倒れてしまった。小姫の自転車なので傷がついてないといいんだけど。

おっと、そんなことより椿のほうが心配だ。どこか怪我していないか確認してみると、外傷はないようだった。


「どこか怪我してない? 痛くない?」

「あ、だ、大丈夫です。怪我はないし、痛くもないです」

「本当に? 我慢してないよね?」

「はい。日向さんが支えてくれたおかげです。ありがとうございました」

「ううん、私が黙って手を離したのといきなり声を掛けたのが悪いんだよ。ごめんね」


私が謝ると彼女は首を振って、優しい笑顔で「そんなことありません」と言ってくれた。


「日向さんのおかげで、私は自転車に乗れるようになったんです! 一生自転車に乗れないままだと思ってましたから、すごく嬉しいんです。教えて下さって、本当に…本当に、ありがとうございます」

「………………」


たいしたことはしていないのに、椿はとても喜んでくれたようだ。

彼女がこんなに喜んでくれるのが嬉しくて、胸が温かいモノでいっぱいになる。

よかった。私も、彼女の為に出来ることがあったのだ。


「私だけの力じゃないよ。椿が頑張ったから、乗れるようになったんだよ」


 照れ隠しのつもりで、まるで子供にするように彼女の頭を撫でてみた。

 恥ずかしいのか、椿は顔を赤くして抵抗することなく黙ってされるがままになっていた。



「はい、オレンジジュースでいい?」


 いっぱい練習して疲れたので、私たちはしばらくベンチで休憩することにした。近くの自販機で買ってきたジュースを彼女に渡してあげる。


「ありがとうございます」


 動きまわって喉が渇いていたので、缶を開けていっきにジュースを飲み干した。空になった缶を遠くのゴミ箱めがけて投げてみると、綺麗に入るわけもなく外れて草むらへと落ちていった。……昔、友達にコントロールが下手くそだと言われていたっけ。


「……………」


 結局立ち上がって空き缶を草むらの中から探し出し、ゴミ箱へ放った。すごすごとベンチに戻って座ると、隣に座っている椿に笑われてしまった。うう、恥ずかしいけど今日初めて見かけた時の元気のない彼女と違って今は楽しそうに笑っているので、ホッとした。


「自転車に乗れてどうだった? 楽しかった?」

「そうですね……初めは足が地についてないのが恐かったんですけど、段々楽しくなってきて、風が気持ちよかったです」

「坂を下るともっと楽しいよ」

「そ、それはまだ恐いので、もっと慣れてからですね」

「あはは、そうだね」


 今日練習して乗れるようになったばかりなので、坂を下るのはまだ危険だろう。まずは色んな道を走って経験を積まないと。


「でも今まで練習したことなかったの? 飲み込み早かったのに」

「教えてくれる人が、いなかったので」

「……………お母さんは?」


 思いきってそう聞くと、彼女は困ったように表情を曇らせる。


「お母さんは仕事で忙しくて、それに………いえ、何でもないです」

「えーと、違ってたら申し訳ないんだけど、椿とお母さんはもしかして仲悪いの?」

「私にもわかりません。あまり喋らない人だし、一緒に居てくれることも遊んでくれる事も少なかったので」

「じゃあお母さんのこと嫌い?」

「そんなことは、ないです。私はお母さんの事、嫌いじゃないです」

「そっかぁ」


 私は、か。嫌いじゃないと聞けてひと安心だけど、素直に喜べない。

 椿は…自分は母親の事が好きだけれど、母親は自分のことを好きじゃないと思っているんだろう。

 私は本人じゃないから本当の気持ちはわからないけれど、私は、彼女が自分の娘を嫌うことはないと信じている。


「きっと、お母さんも椿のことが好きだと思うよ」

「そうでしょうか」

「自分の子供のことを嫌う親なんて、いないと思うよ」

「……そう、ですね」


 きっと彼女は納得していないだろう。

 自分がお腹を痛めて生んだ子供でも、疎ましく思う親がこの世にいることを彼女は知っているだろうし、私も知っている。

 それでも、彼女には自分の母親の事を信じてほしかった。私には、薄っぺらくて信憑性のない言葉しか言えないけれど。


「あの…今日、何かあった?」

「え?」

「元気ないみたいだったから」

「……………………」


 親子の問題に“なんの関係もない私”が口出ししていいことじゃないかもしれない。

 けれどやはり……知らぬふりをして放っておくこともできない。


「お母さんのこと?」


 ピクリと反応する。

 彼女は黙ったままで、何も口に出そうとはしない。

 それが少しだけ悲しいけれど、当然だとも思う。


「言いたくないなら今はいいよ。でも、何か辛い事とか悲しい事とか、凄く困った事があって我慢できない時は、隠さないで言って欲しいな」

「日向さん……」


 私は大切な人と、その人の大事な人の味方になりたいから。


「うっし!」


 勢いよくベンチから立ち上がり、椿の方に視線を向け笑う。


「そろそろ帰ろう」


 手を差し出すと、そっと握ってくれたので、引っ張ってベンチから立たせた。


「………ありがとうございます、日向さん」

「うん」


 帰ろうとしたけれど握られた手が離れないので不思議に思っていると、握ったままの手にようやく気付いたのか椿は慌てて手を離してくれた。顔がほんのりと赤いけど、大丈夫だろうか。


「ごっ、ごめんなさい」

「???」

「帰りましょう!」

「え? わ、ちょっと待ってーっ」



 さっさと私を置いて歩き出した彼女を追うために、自転車を押しながら早足で歩き出した。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る