第12話 姉と妹

 


「パウンドケーキにバナナブレッド……あ、このマフィンも美味しそうだなぁ」


 昨日椿に借りたお菓子のレシピ本を見ながら、どれを作ろうか考えていた。

 なにせ載っている種類が豊富なので目移りしてしまい、どれを作るか迷ってしまうのだ。材料の関係である程度は限られてくるんだけど。

 悩んでいると、覗き込むようにして母が目次のある部分を指さした。


「お母さん、パンケーキ食べたい」

「うーん、パンケーキはいつも作ってるしなぁ。どうしようかな」


 パンケーキといっても工夫次第で色々な種類のものが作れる。

 レシピ本をパラパラと捲って、パンケーキのページを開く。


「うん、これなら家にある材料でも作れる。パンケーキにしよ」

「わーい! やった~」


 台所に行き材料を確認すると、パンケーキを作るのに十分な種類があった。

 冷蔵庫でバナナとヨーグルトを発見したのでこれも使うとしよう。


「よしっ」


 ボールにホットケーキミックス、牛乳、卵、そしてヨーグルトを加えて手際良くかき混ぜる。そこにバナナを剥いて適度に潰したものを入れてからもう一度かき混ぜれば生地の完成だ。次にフライパンに薄く油をひいてさっき作った生地を丁寧に流し込み、弱火で両面をじっくり焼けば出来上がり。短時間で出来るし材料費もかからないからお手軽で良いのだが、少々物足りない気もする。凝ったものはまた今度作ることにしよう。


「いい匂いがしてきた」


 一枚目が焼けたようなのでひっくり返すと、綺麗に色がついている。調理成功だ。

 お皿に乗せ、2枚目を焼き始めたときに玄関のチャイムが鳴った。


「あらら、お客さん」


 洗濯をしていた母が、客人を迎えるために玄関へと向かう。玄関の扉が開いた音が聞こえて、しばらくすると母と誰かの話し声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だったので、なんとなく気になって玄関のほうをこっそり覗く。


「初めまして。私、赤口瑠美と申します。日向さんはいらっしゃいますか?」

「あら、日向のお知り合いのお方? 日向ー! お客さんよー!」


(うわぁ……)


 どうして彼女がこの家に。

 2枚目のパンケーキが焼けたので火を止めてから玄関のほうに向かった。


「こんにちは、瑠美さん」

「こんにちは。足の具合は大丈夫?」

「はい。全然痛くないし、問題ないです」

「…そう、良かった」


 彼女は安堵したようにホッと息を吐く。まさか怪我のことを心配してわざわざ家まで来てくれたのだろうか。こんなの、ほんのかすり傷でほっといてもすぐ治るのに。


「これ、昨日のお詫び。よかったらご家族の方と食べてね」

「そんな。昨日の怪我は自分でやったことなのに…」

「ううん、元々は私が原因だから」


 怪我をしたのは私の至らない行動が原因なのに、彼女はあくまで自分のせいだと思っているようだ。


「ありがとう、ございます」

「うん。ごめんね、急に訪ねて来たりして。それじゃあ私はこれで」

「あ、ちょっと待ってください。今パンケーキ作ってたところなんで、良かったら食べていきませんか?」


 その言葉に瑠美がピクリと反応する。


「パンケーキ?」

「はい、バナナパンケーキのヨーグルト風味です」

「………………」

「まあまあ遠慮しないで食べてってくださいな」


 話を聞いていたのか、母がひょっこり顔を出してきた。

 どうしようか迷っていた彼女は、母の後押しでどうするか決めたようだ。


「い、いただこうかなぁ」

「それじゃ、遠慮なく上がってください。すぐに準備しますから」

「お邪魔します」


 遠慮気味に家に上がった彼女をリビングに案内してから、私は台所に戻って残りのパンケーキを焼き始めた。


「お待たせしました」

「わ、いい匂いね」

「自慢のバナナパンケーキのヨーグルト風味でございます」

「よ、待ってましたぁ!」


 瑠美の隣にちゃっかりお母さまが座っている。今まで2人で何か話してたみたいだけど……おしゃべりな母が瑠美に余計な話をしてそうで恐い。

 それぞれの目の前に出来たてのパンケーキを置いて、私も空いている席に座った。

 小姫は出掛けているので、あの子の分はレンジの中に入れてある。


「あれ、瑠美さんのケーキにシロップかけ忘れてるわよ?」


 母と私の分はしっかりシロップがかかっているが、彼女のケーキには何もかかってない。


「ほんとだ。ごめんなさい、シロップ持ってくるからちょっと待ってて――」

「あ、いいよいいよ。あんまりシロップ好きじゃないから」

「そうなんですか。ちょうど良かったですね」


 昔から瑠美は蜂蜜やシロップが苦手だったので、わざとかけていなかった。

 意図的にやったことがバレなかったので密かに安堵する。


「んー美味しい~♪」


母はケーキを頬張って満足そうに食べていた。

うむ、喜んでもらえたようで何より。

瑠美の方を見てみると、彼女は何かを考えている顔で黙ってケーキを食べていた。


「ごちそうさまでしたーっと。それじゃお母さんは洗濯の続きでもしましょうかね。瑠美さん、ゆっくりしてってね!」

「あ、はい」


 早くも食べ終えた母は、洗濯物を干しに部屋を出て行った。……食器ぐらい片付けて欲しかったんだけどね。まあいいけど。


「明るくて素敵なお母さんね」

「アハハハハ」


 渇いた笑いが出た。母親を褒めてくれるのは嬉しいけれど、何故だろう。素直に喜べないのは。


「このパンケーキ、とっても美味しいよ」

「それは良かったです」


 味わうようにケーキを口に運んでいる彼女を見て、ホッとした。やっぱり自分の作ったお菓子を美味しそうに食べて貰えるって、嬉しいな。これだからお菓子作りはやめられない。

 幸せな気分でパンケーキを食べている瑠美を眺めていると、不意に彼女は表情を緩めて笑った。


「ふふ、なんだか姉が作ってくれたパンケーキに似てるかも」

「……………………」

「私がパンケーキ好きだから、よく焼いてくれてたの。懐かしいなぁ」


 そう言って、彼女は最後の一口を味わうようにゆっくり食べた。


「ごそうさまでした。とっても、美味しかったよ」

「……いえ、お粗末さまです」

「このお礼はまた今度にでも」

「いいですって」


 ほんと、律儀で真面目な性格に育っちゃって。こんな立派に成長した瑠美のことだ、きっと学校でも生徒に慕われているに違いない。


「せっかくだから椿ちゃんの家に寄って帰ろうかなー」

「そういえば椿のお母さんと友達って言ってましたよね」

「うん、そうだよ」

「……椿のお母さんって、あんまり家にいないんですか?」

「そうだね、仕事が忙しいみたいであまり家に帰ってないみたい」

「うーん、なるほど」


 勘違いかもしれないが、あの親子の空気がピリピリしているような気がして気になっていた。自然とお互いに避けているような、そんな感じがする。それに椿は母親の事になるとほんの少しだけ雰囲気が変わる気がした。悩んでいるのなら彼女の力になりたいと思うけど、親子の問題なら第三者…知り合ったばかりの何も知らない自分が口を出していい問題じゃない。

 どうするべきか考えていると、肩を優しく叩かれたので顔を上にあげる。そこには、瑠美の優しい顔があった。


「……椿ちゃんと仲良くしてあげてね。あの子、結構人見知りするし寂しがり屋だから」

「はい」


 今の私に出来るのはそれぐらいしかない。


「それじゃ、今日はありがとう。またね」


 笑顔で手を振って、彼女は家から出て行った。これから隣の家に向かって椿と会うんだろう。

 何もできない私よりも、ずっとずっと瑠美のほうが頼りになる。


「さて、とにかく後片付けしますか」


 空になった食器を持って、洗い物をするために台所に行くことにした。



洗い物を終えてレシピの本を読みながらくつろいでいると、母が慌てた様子で部屋に入ってきた。

携帯を耳に当てて、誰かと通話しているようだ。


「ちょっと、日向! 大変なのよ!!」

「え、何? どうしたの?」


 母の慌てた様子に、何事かと私も不安になってしまう。


「小姫が町で迷子になっちゃったみたいで!」

「……あらら」


 何をやってるんだあの子は。

 気が抜けたので再び本のほうに視線を戻して、書いてあるレシピに目を通す。次はどんなお菓子を作ろうかなぁと考えていたところで母が話を振ってきた。


「どうしよう! お母さんもまだこの町の道、全然わからないのに」

「歩いてる人に道を聞けって言えば?」

「聞いたけどわかんないって」

「じゃあ、タクシー捕まえればいいんじゃない?」

「なかなか停まってくれないって」

「ちっちゃいからなぁ、あの子……ちょっと携帯かして」


 きりがないので、母が差し出した携帯を受け取る。


「今どこにいるの?」

『わかんないから電話したんだけどー』

「それじゃ何か目印になるような建物ない?」

『んー、何かあるかなー……あ! 牛の置物がある! プ、何あれ超ウケる顔」

「オッケー把握した。道順を説明し辛いから迎えにいくよ」

『え、来てくれるの?』

「そこから動かないでじっとしてること。いいね」

『あんがとー。早く来てねー』

「はいはい」


 通話を切ってから母に携帯を返す。


「日向、道わかるの?」

「うん。この町に来てから結構歩き回ったし、あの辺りなら大体覚えてる。じゃ、小姫のこと迎えに行って来るよ」

「お願いね~」


 読みかけの本を閉じて、隅っこに置いておく。

 待ちくたびれて機嫌を損ねないように、妹が居る場所へ駆け足で向かった。


*


「動くなっていったのになー。どうして動くかなー」


 不細工な牛の置物が置いてある道に、小姫の姿はなかった。

 ああもう、じっとしてろと言ったのに!! いつでもマイペースな彼女の行動に、頭を抱えてしまう。……いやまあ、そんなところも可愛いんだけど。

 ひとまず携帯を取り出して、小姫のアドレスを呼び出し電話をかけてみる。呼び出し音が数回鳴った後に、ようやく繋がった。


「ちょっと小姫。動くなって言わなかったっけ」

『………ちょっ、今……それどころじゃ、…い』

「何してるの?」

『………だ……のっ!!!』

「え、ちょ、聞こえないんだけどー…」


ツー、ツーと通話が切れた音だけが聞こえる。


「切れちゃったよ」


 もう一度かけなおしてみるが、今度は繋がらず留守番サービスセンターに繋がった。電池残量が残ってなくて電源が切れちゃったのだろうか。しかし、さっき電話したときの小姫の様子がおかしかったのが気になる。


「……まさかね」


 嫌な予感がしたので、この辺りをしらみつぶしに探す事にした。小姫が行きそうなところなんて解らないので、適当に探すしかない。まったく、面倒な事になってしまった。


(とにかく、探さないと)


 嫌な予感が外れて徒労に終わってくれればそれでいい。何もなければ、それでいい。私は不安を振り払って、この場から走り出した。


*


「やっと追いついたぜ」

「……はあ、はあ」

「別に獲って食おうってわけじゃないって。ちょっと俺らと遊ぼーってそれだけ」

「そうそう、何もしないからさ~」

「…嫌だっつってんじゃん」


 小姫は2人の男に追いかけられ、路地裏に追い詰められていた。彼女の後ろには越えられそうにない壁があり、前にはヘラヘラと笑っている2人の男がいる。


「鬼ごっこはもうお終い。さ、楽しいとこに遊びに行こうぜ! な!」

「お断り。大体タイプじゃないし、ウザいし、キモいし、しつこいし」

「あぁ!? あんま調子に乗るんじゃねーよ」


 男は近くに落ちていた空き缶を思いっきり蹴飛ばして威嚇づる。缶は壁に当たり大きな音を立ててから、跳ね返ってどこかへ飛んでいった。


「…………………」

「はは、びびってやがる」

「大人しくついてくればいいんだよ、ガキが」

「……うっさいロリコンども」

「てめぇ! いいかげんにっ!!」


男が小姫に突っ掛かろうとしたその瞬間、身体を掴もうとした男の手を間一髪で避けた。そして出来た隙を突いて素早く動き、男達の正面から逃げ出す。小柄な彼女だからこそ出来る動きだった。


「バーカ!」

「まちやがれくそガキがあぁあああっ!!」


背後から怒号が聞こえてくる。

全速力で走っているが、男達の方が圧倒的に足が早く、追いつかれるのも時間の問題だろう。おまけに小姫には土地勘がないため、相手を撒こうにも道がわからないので難しい。迂闊に知らない道に入って、さっきのように行き止まりだったら最後だ。さっきの脱出は奇襲だったから成功したようなものなので、もう二度と通じないだろう。


「私が何したっていうのよっ!!」


理不尽な厄介ごとに辟易しながら、ひたすら路地を走り続ける。これからどうしようかと考えている間にも、どんどん男達は距離を縮めていた。


「どうすればい……むぐぅっ!?」


突然物陰から手が伸びてきて、片手で口を塞がれもう片方で身体を引き寄せられた。流石にあれだけ強がっていた小姫も恐怖で身体が竦んでしまう。


「もぐっ!! んんっ、んんー!!」

「静かに」


 聞き覚えのある声に安堵したのか、小姫は固くなった身体を少しだけ緩めた。


「……………」


 身を寄せ合ってじっと息を潜める。

 しばらくすると2人分の足音が聞こえてきて、目の前を2人の男が通り過ぎていった。どうやら気付かれなかったらしいので、2人同時に安堵の息を吐く。


「何やってるの、こんなところで」

「……好きでこんなところにいるわけじゃない」


 大層ご機嫌斜めのようで、しかし恐怖が強いのか小さく震えていた。

 落ち着かせるようにゆっくりと頭を撫でる。いつもなら嫌がって手を跳ね除けるけれど、流石に今はされるがままだ。


「その場でじっとしてなさいって言わなかったっけ?」

「じっとしてたらあのブサ男共が声かけてきたんだもんマジ最悪」

「小姫は私に似て可愛いからね~」

「バーーカ」

「あはは、お母さんも心配してるし帰ろうか」


 抱きとめていた腕を解いて小姫から身を離す。

 念のためあの男達が近くにいないか確認してから、薄暗い路地を抜け出した。


「こそこそしないで正面から助けてくれれば良かったのに」

「あのねー、私はこれでもか弱い女の子なんですけど? 男ふたり相手にどうしろっての」


 正義のヒーローじゃないんだから。


「お姉ちゃん、柔道とかやってたじゃん」

「喧嘩と柔道を一緒にしないの。大体そこまで強くなかったしね、才能なかったから」

「いくじなし~」

「何とでも言ってください」


 わざわざ迎えに来てあげたというのに、この態度ですよ。

 まったくうちのお姫様は。


「馬鹿~、寝ぼすけ~、へタレ~、スイーツ~」

「はいはい」


 スイーツってなんだ。甘いってことか。


「シスコン」

「そうですね」


 可愛がって甘やかしている自覚はあるので、否定しない。


「ドM」

「ちがうよ!」


 そこは声を張り上げてきっちり否定しておく!! べっ、べつに罵られたり蔑まれたり苛められたりして嬉しいわけじゃないよ! ただ心が広いというか我慢することに慣れてるといいますか……とにかく! 私は決して喜んでるわけじゃない。そりゃぁ昔は幼馴染に散々罵られてましたけどね! 毒舌が心地良いなんて思ったことな……ないしねっ! だから私は決してそんな特殊な性癖なんて持っておりません。ええ決して。


「素質はあると思うよ」

「そんな素質いらないよ!?」


 私が大げさにため息を吐くと、隣を歩いている小姫はニヤニヤと笑った。

 その態度が悔しかったけど、小姫がこうして無事なのだから別にいいや。

 ……それに


「…迎えに来てくれてありがと、お姉ちゃん」

「いいよ」



私は、小姫のお姉ちゃんなんだから。



「あ、椿さんだ」


 無事に我が家まで帰り着くと、隣の家の玄関から椿が出てきたところだった。

 …あれ? 気のせいだろうか、顔が俯いていて心なしか元気がなさそうに見える。


「椿さんこんにちはー」

「こんにちは」


 何も考えずに我が妹は元気よく挨拶をしたので、私も習って彼女に挨拶をした。


「あっ、日向さんに小姫ちゃん。こんにちは、2人でお出掛けですか?」

「まあそんなところです。ね、お姉ちゃん」

「あははーソウダネー」

「ふふ、仲が良いんですね」


 さっき見せた元気のない表情など嘘のように、椿は微笑んでいた。やはりさっき見た表情は気のせいだったのだろうか。


「椿さんもこれからどこかへ出かけるんですか?」

「ええ、夕御飯の買出しに行こうと思いまして」

「そうだ、聞いてくださいよぉ。さっきへんな男達に捕まって大変だったんです」

「小姫は昔から人に好かれるからねー。いろいろな意味で……あいたっ」


 目で余計な事を言うなと訴えられたうえに、さらに足を踏まれて痛い。


「そんなことが……。大丈夫でしたか?」

「うん、お姉ちゃんが殴っては踏んで千切っては投げしてたから」

「してないよ? お姉ちゃんそんなこと全然してないよ?」


 そんなグロいことは一切してません。というかできません。


「それは冗談として。椿さん美人だから特に気をつけてくださいね」

「え…ええと、わかりました。ご心配ありがとうございます」


 彼女は私達に一礼してから、買い物に出かけていく。

 その後姿を見届けて、私と小姫は母が待つ自分達の家へと帰ることにした。

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