第4話 新しい朝
「日向~っ! そっちの片付けが終わったのなら、こっちを手伝ってちょうだ~い」
日向。
それが生まれ変わった自分に、二人目の母がつけてくれた自分の名前だった。
「はいはーい、ちょっと待っててー」
整理していた参考書を一旦置いてから声が聞こえた部屋へと向かうと、そこには大量の服に埋もれた母親の姿があった。おう、何をしているんだこの人。見なかったことにして戻ろうかと思ったけれど、無視したら後でもっと面倒な事になりそうなので仕方なく部屋に踏み込んだ。
「何してんの、お母さん」
「服が入ったダンボールを高い所からうっかり落としちゃってこの有様なのよ。手伝ってくれる?」
「しかたないなぁ」
「日向は優しいわぁ。さすが私の娘よねぇ~」
「はいはい、わかったからどいて」
散らばっている服をかき集めて丁寧にたたみ、次々とタンスの中へと仕舞っていく。夏物の衣類をたたんでいると、胸元の辺りにアニメ調の可愛いキャラクターイラストが描かれた見覚えのないTシャツを発見してしまった。
「……これってお母さんの?」
「あらやだ。その服あんたにあげようと思って買ってきたんだけど、行方不明になってたのよね」
「……あっ! そういえば小姫、新しい服を欲しがってたでしょ? このシャツあげる」
「いらないよそんな恥ずかしいシャツ」
ちょうど部屋にやってきた妹の小姫にシャツを見せると、あからさまに嫌そうな顔で拒否された。だよねー。
「じゃあお母さんが着ようかしら」
「「やめて!」」
母の美的センスはかなり酷いので、服は母に頼まずに自分達で買うようにしている。いつだったかシャツを買ってきてとお願いしたら、派手なアロハシャツを買ってきたこともあったっけ。
傍に落ちていた母の七色に光る眩しい下着を見て、私はこっそりと溜め息を吐いた。
「あ、そうそう日向。あんたの新しい制服が明日届くって電話あったから取りに行ってくれない?」
「もう出来たんだ、制服」
「ついでに小姫の制服もお願いね」
「了解」
この春から小姫は中学二年生で、私はピカピカの高校一年生だ。
色々と悩んだ末、私は前世で通っていた高校の入学試験を受けた。一度は高校で三年学んでいるし、今世でも自主勉強をこつこつやっていたから大学レベル程度の学力はある。だからどの高校を受けても良かったけど、家から近いという理由でこの高校に決めた。また同じ学校に通うのは複雑な心境だけど、ギリギリまで寝ていられるという魅力は何よりも捨てがたいのだ。まさかまた最初から高校に通うことになるとは思わなかったので、ちょっとした留年気分だけど。
「春休みが終わったら新しい学校生活かぁ。ちょっと不安かも」
私は新入生だからそうでもないが、妹は編入するので転校生だ。
すでに出来上がっている友達グループの中に混じるのは大変かもしれない。
「大丈夫だって!小姫は可愛いからきっとモテモテだよ!」
「やだよ、モテなくていいよ。普通で良いよ普通で」
「小姫は昔から男の子にも女の子にもモテモテだったものねぇ。さすがお母さんの娘!」
「はいはい、いいからお母さんも服を片付けるの手伝ってよ。ついでに小姫も暇なら手伝いを――」
「おーっと私はまだ自分の部屋の片付けが終わってないんだった! じゃあね!」
私が言い終わるよりも早く、小姫は自分の部屋へと戻っていった。
「逃げられた」
まったく逃げ足の速い妹だ。
「ねぇねぇ日向。これ、似合う? イケてる?」
母に目を向けると、私が中学で着ていたセーラー服を身につけて、くねくねと気持ち悪い動きをしていた。
う、うわあ。うわわわわわあああああ。
「さ っ さ と 脱 げ ――――っ!!」
「えぇ~まだまだイケイケじゃない~~?」
「胸に手を当てて自分の年齢を思い出してね!?」
「三十七…うん、余裕だと思う」
「余裕でアウトだからね!?」
何度もふざける母を何度も叱りながら、予想以上の時間をかけて部屋の片付けを終えたのだった。
そして翌朝。
「ブフォッ!?」
「きゃあぁーッ!ちょっとぉ~、汚いじゃないのぉ!」
テーブルの上にあった牛乳を飲みながら母の方を見ると、昨日発掘した痛いシャツを着ていたので思わず口に含んでいたものを噴いてしまった。
「やだぁもう日向ったら、床が白濁の液体で濡れ濡れのビショビショじゃないのぉ」
「朝から妙な言い回しはやめてね!? そして今すぐ着ているシャツを脱いで! それで床を拭くから!」
「ぬ、脱いでだなんて……朝から大胆なこと言うじゃない…」
「頬を染めるな! 下を脱ぐな! どうしてそういう発想が沸いてきちゃうの!?」
「あらいやだ。これは母と娘の大事なコミュニケーションよ?」
激しく間違ったコミュニケーションだよねそれ!?
母よ、それは母娘の絆ではなくまた別のイケナイ何かが築かれてしまうよ。
「も~、2人ともうるさーい」
目をゴシゴシと擦りながら不機嫌な顔で小姫がやってきた。我が家の妹君は、ギロリと鋭い目つきでこちらを睨んでくる。うっ、可愛いけど怖い。
「「うるさくてごめんなさい」」
「おなか空いたから早く朝ご飯を食べたいんだけど?」
ガタンと大きな音を立てて座わってから、テーブルを人差し指でトントンと叩き、私は不機嫌ですアピールをされた。寝起きと空腹が合わさって大変ご立腹のようだ。
「すぐできるからちょっと待っててね」
母は慌てて台所に戻っていき、私は小姫に向かい合うように席につく。そしてテーブルの上に置いてあった新聞を広げて、経済の欄にざっと目を通した。紙面に書かれている『不況』の文字を何度も見てしまい、数年後に自分は無事に就職できるのだろうかと不安になってしまう。前世は高校までしか経験していなくて、進路も大学志望だったから就職活動をしたことが一度もない。就活がどんなに大変なものか解らないけれど、その時までに景気が少しでも回復してくれるといいな。
まだ高校に入学してもいないし、ずっと先の話だから真面目に考えるのは後でいいだろう。
「…お姉ちゃんがこの時間に起きてるのも珍しいよね」
「うん? ああ、そうだね」
私はとっても寝ぼすけさんなのでよく学校に遅刻していたし、休みの日は昼過ぎに起きるのが普通だった。
そんなだらしない姉が、朝早くに起きているのが不思議だったのだろう。
「昨日あんまり眠れなかったの。新しい部屋に慣れてないからなかなか寝付けなくって」
「ふ~ん」
「ほら、私ってデリケートだから」
「寝言は寝てから言ってね」
「あ、酷い。私ってこう見えても実は繊細で傷つきやすい乙女なのに」
「あっそ。それより芸能欄のところ見たいから新聞貸してよ」
小姫お得意のスルースキル発動……これは切ないなぁ。でも可愛いから許しちゃうんだよなぁ。
「……はいよ」
広げていた新聞を閉じて渡してやると、小姫は大きくテーブルに広げて食い入るように見ていた。私も覗き込んで見ると、有名な歌手と女優が離婚したとか大きな文字で書いてある。流行に疎い私が見てもさっぱり分からん。
しばらく2人で新聞を読んでいると、母が朝食を持ってきたので読むのをやめて、食事をとる事にした。いい具合に焼かれたいちごジャムつきのトーストをもしゃもしゃとかじる。
「昨日の夜にね、お隣さんにご挨拶してきたんだけど」
母が突然話を振ってきたので、食べていたトーストを一旦お皿の上に置いて、牛乳を飲む。
「いつの間に。で、どんな人だったの?」
そういえば昨日の夜、私は新しいキッチンを試したくてお菓子作りに熱中していたんだっけ。その間に母と妹はお隣さんにご挨拶をしてきたのだろう。いいなぁ、私も行きたかったなぁ。これから長いお付き合いになるのだから、どんな人かちょっぴり興味がある。
「日向と同い年の可愛い女の子だったわね。言葉遣いも丁寧で動作に品があってお母さん驚いちゃった」
「お姉ちゃんに見習わせたいくらいだったよ。絶対に無理だろうけど」
「……あ、そう。小姫も一緒に挨拶にいったんだ」
「暇だったしね」
「お母さんと二人暮しだって。挨拶に行ったときはその子だけで、お母さんはお仕事でご不在だったけど」
「ふーん」
私と同い年……ね。せっかくお隣同士なのだから、仲良くなれるといいな。
再びトーストをかじって、母の話を聞きながら隣の人がどんな子だろうか考える。今日時間があったら私も挨拶に行くべきだろうか。
「ごちそうさまでした」
手を合わせてから食事の終わりを告げ、空になった食器を台所へ運んだ。まだ朝食を摂っている母と妹の方を向いて、大きくあくびをする。
「それじゃ、お休み」
「はぁ!? 二度寝するつもりなのお姉ちゃん!」
「ちょっと日向、せっかく早く起きたのにまた寝るの? 食べた後にすぐ寝るとクジラになるわよ」
それを言うなら牛ではなかろうか。
「あんまり寝てないから眠たくてさ。ふあぁ、昼まで寝させて~」
呆れた目で私を見る二人にぶらぶらと手を振って、さっさと自分の部屋に戻り勢いよくベットに飛び込んだ。
うーむ、ふかふかのお布団と枕が心地いい。
「よいしょっと」
うつぶせの状態からあおむけになり、綺麗な天井をぼーっと見つめる。この見慣れない天井も、時間が経てばすぐに馴染むだろう。
「ふあぁ…」
寝不足と昨日の引越しの片付けで疲れが残っているのか、睡魔はすぐにやってきた。未だ慣れない新しいこの部屋の匂いに違和感を感じながら、私はゆっくりと意識を手放した。
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