第一話
01
「はい、押水探偵事務所です」
『押水くんか、私だよ』
「ああ、所長、なんでしょう」
前に所属していた事務所、「オフィスタケガキ」の所長からの電話だ。このような電話は時折かかってきて、たいてい依頼の紹介と相場が決まっている。
『期間一週間、浮気調査、成功報酬』
「浮気調査で一週間とはまた変な依頼で。ちと強引に進めないとキツそうな案件ですね」
だから、こちらに回してきたと言ってもいい。違法すれすれを走り抜けるにはちと、オフィスタケガキは体が大きすぎる。
「分かりました、こっちに回してください。──受けるかどうかは依頼者に話を聞いてからになりますが」
『助かる、普段なら断るか条件変更を呑んでもらう案件だが、相手が頑固でな』
「お察しします」
無理に断って悪評を流されたら業績にも響きかねない。それなら他の事務所を紹介してお茶を濁すというのも理解できた。
『じゃあそちらに行ってもらうから、対応頼む』
ガチャ、と電話が切られる。さて、どうやってこちらの条件を呑んでもらうか。成功報酬というのが特にいただけない。さすがに探偵業界でも相場ってものがあって、着手金なしに受けてしまったらそれが「実績」になってしまい他の事務所に迷惑がかかる。
依頼者がやって来たのは、それから三十分ほど経ってからのことだった。まずは簡単に、事務所に用意してある受付票に各種情報を書いてもらう。
男性で、名前は上野弘信、三十九歳。某大手商社でサラリーマンをしているとのことである。
「で、依頼というのは奥様に対する浮気調査ということですね」
「はい。浮気しているというのは確かなんですが、私、ちょっと今仕事で立て込んでいるところでして、自分で証拠を押さえることは難しく……」
「なるほど」
仕事が忙しくて妻に接してやれず浮気される、というケースはよく聞く。
「しかし一週間で調査というのは、なかなか厳しい条件で」
浮気現場を証拠として押さえるためには、前提として対象が動き出すことが必要である。一週間という調査期間に収めるためにはちょっと強引に、何かきっかけを与えなければ難しい。
「一週間後に海外出張があるんですよ。その時までになんとかしたくて」
「出張というのは逆に浮気の現場を押さえやすい事由なんですが、こだわりが?」
「だから、きれいにしておきたいのです」
後ろ髪を引かれたまま海外には旅立ちたくない、ということでは筋が通っている。この条件を動かすことは難しいか。
「解りました、強引にですが進めてみましょう。しかし成功報酬というのも厳しい条件です」
「確実なものにお金をかけたいので……」
気持ちはわからないでもないが、こちらにも譲れないラインはある。
「さすがにただで仕事を受けると他から顰蹙を買ってしまいますし、一週間という短期間で強引に進めるためにはこちらとしてもそれなりに対価を頂かないと」
「……わかりました。いくらですか?」
「着手金、それに成功報酬としてはこれくらいいただけたらと」
紙に金額を書くと、依頼者は青ざめた。
「さすがにその額は……」
これはふっかけ過ぎたか。横線を引き、桁が一桁小さくなるように調整しつつ成功報酬を割引く。それでも通常の浮気調査よりは遥かに大きい金額だ。
「ならこのくらいで、どうでしょうか」
「まあ、これくらいなら、なんとか……」
もう少し割り引く用意はあったが、向こうが納得できるならその額でいい。一週間という期限ゆえ、他との比較が難しいことはある意味こちらへの数少ないメリットでもある。
「ではこの金額でいかせていただきます」
事務机の上にあるタブレットを持ってきて、ワードアプリでささっと契約書を作成、プリントアウトして依頼者へ。
「それではこの書類に印鑑をお願いしますね」
* * *
「それで、ユウキはどう依頼をこなすつもり?」
夕食の席で、ケイが聞いてくる。
「まあ『一般的な』探偵なら、普通に調査して、判明しませんでした申し訳ありませんってなるわな」
「つまり、着手金だけもらっていくわけね?」
「『一般的な』探偵ならね」
それなら探偵側は損することなく依頼を受けることができる。タチが悪いところなら一週間何もせず放置することも厭わないだろう。
「まあ俺は、着手金の範囲内でできる限りのことはするつもりだけど」
「どういう風に?」
「そうだな、ケイは協力してくれるかい?」
いつもは、ケイが勝手に調べ始めてから協力体制になることが多いが、今回は最初から計画的に動いた方が、都合が良さそうな気がする。
「あたしの力が必要?」
「できれば、欲しいかな」
「期待して、ね?」
ケイは微笑み、俺の方を見つめる。ああ、期待以上に動いてくれることは、俺が一番よく知っているさ。
「明日の朝までに、計画はまとめておく」
「わかったわ。──ごちそうさま」
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