第九十一話 死の恐怖が無い痛み
真夜中の森林、顔の全面を出しながら戦いの行方を見守っている月も衝撃の光景を目にした。
「う......」
この時、サナはカルマンに初めて驚く表情を見せた。
カルマンに向けて飛ばした闇手は地面や木を突いただけであり、そのカルマンは、闇手を掻い潜ってサナの腹部に飛び込み、右腕を前に出している。
その腕だけでなく、体全体の筋肉は更に隆起していた。
「......貴様のその顔が見たかったのだ」
カルマンは右腕の一部を彼女の腹にめり込ませながら、真剣な顔でサナを見上げる。
腕からは確かに彼女の血が伝っていっている。
「な......そんな力が......」
彼女は完全に意表を突かれていた。
息遣いも荒くなっているし、立っていた狐耳は完全に寝ている。
「油断したな。貴様は勝利を確信していた、それが命取りだったな」
カルマンはその手を引っこ抜くと、ドプっと血が溢れ出る。
サナはそれを手で押さえるが、今度は口からその出血が漏れ出す。
「んぐっ......!」
彼女は必死な顔をしている。
カルマンは距離をとって、その慌てふためいている様子を見物する。
「......愉快だな、今の今まで余裕でいたやつが致命傷で苦しみながら息絶えていく様を見るのは......」
カルマンは隆起させた状態のままである。
「い、痛い、痛い......」
サナは涙を出しながら腹を抱えている。
腹の血は未だに止まらない。
カルマンは王室内にいる浩やアイラに目を向ける。
彼らはサナが苦しむ様子をまじまじと見ている。
「よく見ておくがいい、こいつが死に逝く姿を!」
そういって彼は高笑いをする。
「ハハハ......貴様との戦いは楽しかったぞ!!」
しかし突然、呻いていたサナは吹き出す。
「痛いよぉ......痛い......く、フフフ......」
それを聞き不審に思ったか、カルマンの高笑いは途切れる。
「なんだ......貴様」
「この痛み、長らく味わっていなかった痛み......確かに痛い、涙が出るほど痛い、気が狂うほど痛い、死ぬほど痛い......」
サナはうつむかせていた顔を上げる。
目には涙を浮かべているが、顔は痛がっているのと笑っているのとの両方が混ざっている。
「カルマン......私に教えてくれてありがとう、こんなに痛い思いをするのなら......」
サナは手で口の血を拭うと、その口には100パーセント笑みの表情を出した。
「――やっぱ、油断って駄目だなって」
途端、彼女の腹や背中からは光を放ち始めた。
腹に添えられていた手を退かせ、その輝く創傷を見せつける。
「ま、まさか......」
彼は早くも察する。
サナの身に開いた穴はどんどんと光る物に埋まっていき、それは神によって与えられたもののような神々しさを醸し出している。
しまいにはカルマンにやられる前のサナに完全に戻っていった。
「はぁ、戻った戻った」
サナは傷を負っていた腹に再度手を添える。
しかし、それはほっとしたような表情を浮かべながらである。
「全く、つまらぬ演技をしよって」
その様子を王室内で覗いている浩達。
浩は彼女の一連の行動を演技と解釈し、呆れる。
「いや、あれは演技ではないだろ。汗かいて泣きながら苦しむ演技ができる役者なんて早々いないだろ」
それにアイラは反論をする。
いずれにしろ、彼女らはサナがダメージを受けたことに大きな衝撃はなく、せいぜい「まさかサナに怪我を負わせるとはな」程度の驚きでしかない。
「ま、あのバケモンにも痛覚はあるってことだな。だが......」
アイラは間を置く。
「あいつにとって痛みは『傷が出来たときに伴う苦しみの一つ』としか思ってないんだろうな、恐怖なんて一切感じていないだろ」
アイラの言う通りである。
さっきの彼女の安堵は、『苦しみから解放された』てだけのことであり、決してそこに『死の恐怖から解放された』という要素は無いのである。
彼女は、死の恐怖を知らない。
「......」
カルマンはサナの方を向いてただただ立ち尽くしている。
流石に戦意を喪失したか。
「......強い、強いぞ!」
だがそうではなかった。
カルマンは不敵な笑みを浮かべ、寧ろ戦意が増したように感じられる。
「こんなに強いやつに会うのは初めてだ! 倒しがいがある!」
彼はふんッと力を入れると、自分自身の体を更に隆起させる。
東部からは日本の角が側面に対になるようにして生え、全身の脈が浮き上がってくる。
もはや最初の面影は顔が辛うじて保っているぐらいに薄くなっており、正に凶悪の塊となった。
「『ストロンゲスト・デビル』!! 我は全力で貴様を倒す、ここで砕け散るのならそれも本望だっ!!!」
彼はそうやって大きく咆哮をする。
静かだった森林は大きくざわつき始める。
「......それは楽しみね」
彼女はそうやって静かに言うと、目を閉じて深呼吸をする。
その直後、襟から出てくるように首もとへと何かが現れた。
それは闇手のような禍々しいものであり、ズンズンと上へと上っていき、枝分かれをし、彼女の頬を支配する。
更にそれは手の甲へも伸びていった。
「私も、全力で戦うわ」
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