短編小説『マネキンを愛した男』
加藤アガシ
短編小説『マネキンを愛した男』
スラリと伸びた白い足、腰は小さく、腹部はセクシーにくびれ、胸は形よく、ぽってりとした唇に、高い鼻、そしてまつ毛の長い大きな目は哀愁を漂わせ、どこか物憂げだった。彼女の容姿、その全ては彼にとってとてつもなく理想的だった。
ある街のあるブテッィク店のショーウインドウ。その中に『彼女』は居た。通りがかりに彼女を見た時、彼はすぐ様、恋に落ちた。命が宿っていないマネキンに。
それから男は毎日のように、彼女に会いにいった。店の店員に変な目で見られようがお構いなしだ。一日何時間もそのショーウィンドウの前にへばり付き、綺麗に着飾られた愛しの彼女の事を眺めた。
やがて季節は移り変わり、彼女の装いが変わったある日。男が心の中で彼女の服を褒めていると、どこからともなく声がした。その声はあまりに滑らかで美しかった。男はすぐにその声の正体が彼女のものだと分かった。
「君…、なのか?」
男がそう確かめると、彼女は口を動かさずに答える。
「そうよ、私よ。ジェニファーA35型よ」
「ジェニファー・・・。そうか、それが君の名前なのか。なんて美しい名前なんだ」
「ありがとう。それにいつも私に会いに来てくれてありがとう」
「いや、いいんだよ。僕は君が好きなんだ。愛しているんだ・・・」
それからというものの、そのブティック店のショーウィンドウの前でいつもニヤニヤのマネキンを眺めていた気味の悪い男は、今度は眺めているだけでなく、ブツブツと独り言を言う様になった。 店の店員の間で、その気味の悪い男のことを知らない人間はいなくなった。あるアルバイト店員は「あれじゃ、他のお客さんが店に入って来なくなりますよ」と店長に真剣に相談してみたが、店長は実害はなく、ただニヤニヤしながら独り言を言っているだけじゃ、警察に言ってもどうにもできないだろうと頭を抱えた。店長達はその男とマネキンによる禁じられた恋については何も知らなかった。
それからさらに季節が移り変わっていった。相変わらず、男は飽きもせず、身動き一つ取らないマネキンに向かって愛を語っていた。
「なぁ、ジェニファー。どうしてそんなにも君は美しいんだ…」
「そう作られた、からよ。私は人形だもの…」
「…分かっている。でも僕は人形だとしても君を心の底から愛しているよ」
「嬉しいわ…。ねぇ、私はあなたにそう言われる度にいつも思うの…。私もあなたと同じ人間だったら、って。そしたら、こんな所から飛び出してあなたと一緒に何処にでも行けたのだろうって。そしてあなたと触れ合うことだって、出来ただろうって…。本当に馬鹿な考えね。あなたに愛されているだけで十分幸せだって言うのに…」
その言葉を聞いた男は堪らなく悲しくなった。彼女がマネキンだという事は百も承知している。そんな事は分かっている。痛いくらい分かっているからこそ、これ以上求めない様にと、忘れようと、日々努めていた。だが事実として、彼女はマネキンだった。人形だった。誰が作った、ただの『モノ』だった。しかし彼は、彼女を愛してしまった。それはどうしようもないくらい深く、この世に存在する中で限りなく一番に近いと言ってもいいくらい純粋なる愛だった。そして男は何かを決意した様な顔をすると、彼女に向かって明るく言った。
「俺が何とかするよ!」
「何とかするって、あなたに何ができるって言うの!私はマネキンなのよ!あなたとは違うのよ!!ここで服を着させられるために作られた存在なのよッ!!」
「分かっている…。でも、どうか僕を信じてほしい…」
男は気丈な顔でそう言うと、ショーウインドウの前から離れた。囚われの彼女を残して。
* * * * *
「よし!」
その夜、男は支度すると、とある街のとある店へと向かった。背中には大きなリュックサックを背負っている。中にはたくさんの工具類が入っていた。彼は救い出すつもりだった。ブティック店のショーウインドウの中に監禁された彼女を。マネキンを。
深夜午前3時。誰もいない繁華街のとあるブティック店に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
「あなたッ!!」
ショーウインドウのガラスをハンマーで叩き割り、店に侵入してきた男に向かって、彼女はそう叫んだ。店内は永遠と鳴りやまない警報音が響き渡っていた。
「迎えに来たよ!」
マネキンに向かって、そう言った男は満面の笑みだった。そして彼女の手を握ろうとした瞬間、彼は彼女が着ていた高そうな服、そしてその値札が目に付いた。そのブティック店は実は、この街で一番の高級店だった。
その値段に記載されたその価格に男は思わず目が眩みそうになった。このままこの高い服を着たままの彼女を連れ去れば、自分はただの洋服泥棒になってしまう。鳴り響く警報音に冷静になった男の頭にそんな考えが生まれた。
男は泥棒をしたいわけじゃない。ただただ純粋なる愛ゆえに、彼女を外の世界に救い出したかっただけなのである。
「な、何をするのッ!?やめてッ!!」
ショーウインドウを叩き壊し、店の中に侵入した男は、今度はおもむろにマネキンの着ていた服を脱がし始めた。
「ちょっとッ!!何考えてるのッ!やめてッ!」
「ごめん!我慢してくれッ!」
服を脱がしている間、男の頭の中で彼女の悲鳴が続いた。しかし、どんなに嫌がろうが、彼女は身動き出来ないマネキンだった。抵抗のしようがない。
そして彼女の着ていた上着のボタンを全て取って脱がす、男の目の前に彼女の形の良い乳房が露わになった。月明かりで照らされたその滑らかすぎる肢体に男の目は思わず動きを止め、釘づけになってしまった。人間じゃない。その事実が唐突に男を襲った。マネキンの、人のそれとは違う肌、身体―――。彼女の身体は無機質で冷たく、そして硬かった。
「見ないでッ!!」
彼女にぴしゃりとそう言われた男は急に我に返った。僕は一体自分は何をやっているんだろう。男が冷静にそう思うと、先ほどまでずっと聞こえていた彼女の声はぴたりと消えた。そして、店内で先ほどからずっと鳴り続いていた警報音が否応なしに耳に付いた。だんだん自分の行為に恐ろしさを覚え始めてきた瞬間、男は急に眩しい光に襲われた。
「おいッ!そこで何してるッ!?」
警報音に駆けつけてきた警備員。彼が懐中電灯で照らしたその先には、服を片手に裸のマネキンと対峙した男が驚いた顔でこちらを見つめては立ち尽くしていた。
END
短編小説『マネキンを愛した男』 加藤アガシ @agashikato
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