第15話家出少女になった理由
「よし、この上がゴールだ」
璃咲邸の間近のマンホールに入ってから約三十分。あまり道に迷わず到着することができた。
「ようやく着きましたのね……長かったですわ……」
泥だらけになった愛菜にはもはや麗しいお嬢様の面影はない。
「さっさと外に出ましょう」
疲弊しきった顔で自分からハシゴに手をかける愛菜。なんだかこの三十分でずいぶんたくましくなった気がする。
「うぅ……あ、あきませんわ……」
スカートの愛菜が先に上ってしまったため上を見れないが、マンホールの蓋が開けられないようだ。
「俺が開けるから下りてきてくれ」
「わかりましたわ……」
愛菜が下りてきたのを見て、まず日花里を地上へ向かわせる。そして人がいないのを確認してから俺がハシゴを上ってマンホールを開けた。
「ここがあなた方の拠点ですのね……言い方が悪いですが、山小屋のようですわ」
「拠点っていうか、わたしの家なんだけどね」
真城家を見て中々辛辣なコメントをする愛菜。その発言を聞いてまた日花里が嫌な顔をする。そんな光景を横目で見ながら俺は真城家の扉を開けた。
「汚れた部屋ですわね……」
俺の後に続いて愛菜も部屋に入る。
「こんな家に人が住めるの……きゃぁっ!?」
きょろきょろと部屋を見渡していた愛菜が突然叫び声を上げて尻もちをついた。
「人が……突然人が現れましたわ……」
愛菜の視線の先にはぼーっと立っている日花里がいた。
あぁそうか。今まで愛菜には日花里が見えていなかったんだった。
日花里を見る条件は真城家に入ることと日花里自身が姿を見せようと思うこと。その条件が今ようやく重なったのだろう。
「説明しただろ?この娘が璃咲利夫に殺された、真城日花里の幽霊だよ」
「まさか本当だったなんて……」
「あなたの貧乏民に対する色々な悪口、全部聞いてたからね」
驚いている愛菜に日花里はわざとらしく笑う。
「悪口……?」
しかし愛菜はポカンとしているだけだ。
「無意識だったんだ……これだから金持ちのゆとりは……」
愛菜の態度に毒気が抜けてしまったのか、日花里は罰が悪そうな顔をする。
「いいから地下に行くぞ。この壁薄いんだから上で喋ってたら外に丸聞こえだ」
「それもそうだね」
タンスを動かし地下へと繋がる道を開く。
「すごい……まるで秘密基地ですわね……」
愛菜が梯子を見て感嘆の声を上げている。
「まるでじゃない。本物の秘密基地だからな」
「すごいですわ!映画みたい!」
「だから大声を出すなって言ってるだろ……」
どうにも愛菜には危機感というものが足りていないようだ。これがめんどうなことにならなければいいのだが。
「へぇ~、上の部屋よりもっと汚い部屋がこの部屋にあったんですのね……」
「悪意のない悪口が一番腹立つ……。まぁこの部屋はわたしの家とは関係ないんだけどね」
地下に下りると再び愛菜が声を上げる。その一々棘のある言い方に日花里は既に参ってしまっているらしい。高校生相手にかわいそうな中学生だ。
「とりあえずお風呂に入りたいですわ……。身体中汚れてしまっていますし、臭いもきついですもの……」
「それならこの部屋にあるよ。シャワーだけだけどね」
「まぁ仕方ないですわね」
「どうしてそんなに偉そうなの……」
幽霊なのに日花里はすっかり疲れた顔をしていた。
「使い方がわかりませんわ!美紀ーーーっ、たすけてくださいましーーーっ!」
脱衣所へ行って数十秒、シャワールームから愛菜の叫び声が聞こえてきた。
「……日花里」
「やだ、つかれた」
「即答かよ……」
かといって女の子がシャワーを浴びている中男の俺が入るわけにもいかない。
「頼んだぞ、日花里」
「えー……」
本当に嫌そうな顔をしながらも日花里はしぶしぶシャワールームに向かっていく。
「……ふー」
誰もいなくなったら急に疲れが押し寄せてきた。ソファーに倒れ込むとホコリが舞うが気にせず横になる。
愛菜と出会った。璃咲利夫と対峙した。色々なことがあった。
だが大事なことはただ一つ。
『俺たちは作戦に失敗した』それだけだ。
この後俺はどうすればいいんだ。
璃咲利夫に直接会ってなお復讐に失敗した俺は、一体どうすれば……。
いくら考えても何も頭に思い浮かばない。小さな泡が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返すばかり。無意味な時間だけがただ過ぎていく。
「こんな汚いタオルで身体を拭けというんですの……?また汚れてしまうではありませんの!」
「仕方ないでしょ我慢して!」
奥から愛菜と日花里の話し声が聞こえる。シャワーを浴び終わったのだろう。とりあえず起き上がる。
「ドライヤーはありませんの?ヘアアイロンは?」
「そんなものわたし見たこともないからね!?」
「……ちょっと待ってくださいまし、着替えはありませんの!?」
「上にあるけど、ちょっと待っててね」
日花里が更衣室の壁をすり抜けて戻ってくる。
「話は聞こえてた。上に行くんだろ?」
「うん、着替えのある場所は教えるから」
上の部屋へと行き、地下へのハシゴを隠しているタンスとは別のタンスの引き出しを開ける。
「……目をつぶってるから場所だけ教えてくれ」
「何でそんなことするの?」
「着替えってことはその……下着もってことだろ?それはまずいんじゃないか……?」
「めんどくさいのがここにも一人……。はいはい、わかりましたよー」
日花里の言う通りの引き出しを開け、十着ほどしかない日花里の服を全て取り出す。
「すぐ外に置いとくから取ってくれ」
地下に戻り、更衣室の外に着替えを置いてソファーに戻る。
「ありがとうございます」
更衣室のドアが少し開き、腕が着替えを取っていく。
「……他の服はありませんの?」
「制服はわたしの身体と一緒に焼かれちゃったからそれしかないよ。……安っぽいのくらいは我慢してよね」
「もちろんそれくらいは我慢できます。できますが……これは……」
愛菜の煮え切らない態度に日花里が更衣室に入っていく。
「別にいいでしょ、それくらい」
「で、ですが……」
「そんなこと言ったってしょうがないでしょ。はいはい出た出た」
日花里の声と共に更衣室のドアが開き、愛菜が姿を現す。
「あ、愛菜……それは……」
「うぅ……そんなにじろじろ見ないでくださいまし……」
顔を赤らめて腕で身体を隠しながらもじもじしている愛菜。その理由は持ってきた着替えにあった。
ハーフなのかクォーターなのかわからないが、愛菜は日本人離れしたスタイルをしている。対して日花里はまだ中学生なのもあって、背も低ければ身体に起伏も少ない。
そんな愛菜が日花里の着ていた服を着るとなると、どうなるかは自然と見えてくる。予想できなかったのが本当に申し訳ない。
白地のシャツは胸の辺りが盛り上がり、そのせいで生地が足りなく、へそが見えるほどの長さしかない。そして下はただでさえミニスカートだというのに、さらに小さいせいで異常な丈になってしまっていて、少し歩いただけで白の下着が見えてしまう。それだけならまだいいが、シャツに胸の形がくっきりと出てしまっている。ブラのサイズが合わなかったのか、おそらく下着を付けていないのだろう。
そんなギリギリの格好をしている愛菜の姿に思わず目を逸らす。
「…………」
「…………」
やばい、恥ずかしすぎて何も言葉が出てこない。
そんな無言の空間をすぐに日花里が壊してくれた。
「もう、二人とも気にしすぎ!何でもないでしょそれくらい」
「何でもないわけないじゃないですの、このばかぁ!」
「そうだ!年頃の女の子がこんな格好……ダメに決まってるだろ!」
「……羞恥心あるってめんどくさ……」
日花里がため息をついているが、この格好は問題だろう。少なくとも俺は直視できない。
「……テレビでも見るか」
会話に詰まったのでとりあえずそう提案してみる。
「そ、そうですわね……」
愛菜も俺と同じ気持ちなのか同意してくれた。
「ていうか今さらなんだけど、電気使うのってよくないんじゃないか?誰も住んでないってことになってるのに電気代とかガス代だけ上がってるってのはまずいよな。ばれないにしてもその内止められそうだし」
リモコンを探しながら誰に聞いているわけでもないが言ってみる。だが日花里が反応してくれた。
「パパが言ってたんだけどこの部屋の料金はうちの家の料金と関係ないんだって。だからわたしの家の電気料金からここに住んでるってことがばれるってことはないと思う」
「なるほど。てことはどっか近くの家の電気を使ってるのかもな。それなら止められることもないし、そんなに派手に使わなければばれることもないだろ。だったら安心だ」
リモコンを探し出し、小さな棚の上に置かれているホコリを被ったひと昔前の小さなテレビの電源をつける。
映ったのはニュース番組。夜遅い番組なので明るい雰囲気はなく、暗い雰囲気で淡々と今日あったニュースが述べられていく。
「続いてのニュースです。先日真城家一家殺人事件を起こした積木哲也容疑者についてです」
「あ、聡志が出てるよ」
テレビに映し出されている俺の顔を見て日花里が喜んでいる。何かすごいことをしてテレビに出ているのならわかるが、これはかなり不名誉だ。
「心理学者の璃咲利夫さんのご子女、璃咲愛菜さんが積木哲也容疑者に誘拐されました」
「……!」
愛菜が俺に誘拐されたことになっている……?
「ちょっとこのニュース間違ってますわよ!わたくしは誘拐なんかされていませんわ!」
「誘拐されたってことにした方が璃咲利夫にとって都合がよかったんだろ。娘が殺人犯の共犯っていうのは奴の地位を下げるからな」
正直ここまでは予想できていた。これでもし愛菜が警察に捕まったとしても罪に問われることはないだろう。……表向きは。
璃咲利夫の考えそうなところだと、報復として一段落着いたら事故死に見せかけて殺す、なんてこともしてくるかもしれない。そうすれば世間からの同情が買えるからだ。やはり捕まるわけにはいかない。
ニュースキャスターはその後最近の若者はどうたらとか、親の教育はどうなっているだとか俺につながることを散々罵っていく。
「……ひどいいい様ですわね」
愛菜が画面を眺めながら言葉を漏らす。
「まぁ仕方ないさ。世間では俺が一家殺人をして愛菜を誘拐したことになってるんだからな」
とは言っても少しきついものがある。世間では俺は悪者。味方なんて誰もいない。
そして辛いのは俺だけではない。
俺なんてまだマシだ。どうせ社会からは離れているし、ここには敵はいない。
だが俺の母さんは。父さんは。
母さんは普段パートをしているし、父さんも出張で海外にいるが俺のことは伝わっているだろう。
世間を、世論を象徴しているニュースがこれほどのことを言っているんだ。世間に直接触れている母さんたちは一体どんな目に遭っているのだろうか。
母さんたちのためにも早く俺の無実を証明しなければならない。そのためにも何とか璃咲利夫を自首させないと。
テレビでは他にやることもないのかずっと俺について語っている。と思っていたら、画面の端から紙を持った人が現れキャスターに手渡した。
「速報です。先ほどから報道しております積木哲也容疑者関連のニュースです。積木哲也容疑者の共犯として、須藤(すどう)美紀容疑者が逮捕されました」
「……美紀?」
ニュースキャスターの声を聞いて愛菜が呆然としている。その声の後に映し出されたのは、メイド服を着た女性が警官に囲まれパトカーに乗せられている映像。布を被せられていてよくわからないが、わずかに見えた顔は間違いなく美紀さんのものだった。
「美紀……なんで……?」
「俺たちを逃がしたことが璃咲利夫にばれたか……」
……ごめん、美紀さん。だが俺の無実さえ証明できれば美紀さんも助けることができる。
――また、復讐する理由が増えた。
「誠に遺憾です」
その声はあまりにも突然だった。
「娘を誘拐し、大事なお手伝いまで洗脳するなんて……許せません」
テレビ画面にはたくさんの報道陣に囲まれている璃咲利夫の姿があった。悔しそうな顔をして言葉を一語一語嚙みしめて話しているように見えるが、その実何を考えているかなんてわかったもんじゃない。なんせ全部自分が仕組んだことなんだ。きっと俺たちを嘲笑っているのだろう。
「洗脳……とは?」
璃咲利夫の発言に報道陣が質問を投げつける。
「数日前から須藤の様子がおかしいのには気が付いていました。おそらく積木哲也に洗脳されていたのでしょう。それがまさかこんな結果になるなんて……。私は心理学者失格です」
こいつ、自分の立場を利用して……。
「まるで心理学者が魔法の言葉だね」
ただの高校生が人を洗脳なんてできるわけもないのに、いけしゃあしゃあとよくそんなことが言えたもんだ。
だが世間でも人気の、実質タレントみたいな人間だ。俺も何も知らなければ信じていただろう。
「引き続き積木哲也容疑者逮捕のため警察は捜査を続けていきます」
画面が切り替わり、元のニュース番組に戻る。そしてその一言でニュース番組は閉められた。
「…………」
ニュースが終わり、賑やかなCМが流れるが、部屋の空気は沈んだままだった。
「美紀……」
愛菜は美紀さんのことで今にも泣き出しそうな顔をしており、日花里は何やら考えごとをしているようだ。
「……これからどうするか……」
とりあえず言ってみたものの、返答はない。
「そうだ!」
そんな中、日花里が何かを思いついたのか声を上げた。
「あなたにも偽名をあげようじゃないか」
そう言うと日花里は愛菜の前に浮かび上がる。
「偽名……?」
何を言いたいのかわからない愛菜は日花里をただ見つめる。俺はというと、もっと憂鬱な気持ちでいた。
日花里が名付ける偽名。何と名付けるかは考えるまでもなくわかった。
日花里はまるで呪いのような、悪意のない名前を授けるのだった。
「そう。これからあなたも警察に狙われる身なんだし、何かあった時に偽名があった方が便利でしょ?だからこんなのはどうかな?」
『真城七海(ましろななみ)』
日花里は愛菜を躊躇なくそう名付けた。
自分の、母親の名を。
「まぁ……悪くないですわね」
その名が日花里の母親の名前だと知らない愛菜はすぐに受け入れた。
「じゃ、これからよろしくね!七海」
無邪気に笑う日花里の顔を見て、俺は一人思いつめる。
「パパはパパで、聡志は聡志でしょ?」
日花里は今日、そう言った。
日花里は自分の親が殺された事実を知っているのに、自分の親の名前を忘れている。
いや、本当は忘れていないのかもしれない。
それでも躊躇なく俺たちに自分の親の名を名付けるのだ。
間違いなく壊れている。
いつかは現実にしっかりと向き合わなきゃいけない。向き合わせなければいけない。
それなのに、俺は何も言うことができない。
「……よろしくな、七海」
それどころかそれを助長させてしまっている。
日花里が現実と向き合うその「いつか」。
そう遠くないであろう未来のために、俺は逃げを続けるのだった。
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