第13話偽者に本者

 しばらく待つと、美紀さんの時とは少し強さが違うノックが聞こえてくる。

「……入れ」

 生唾を飲み込み、震える声を抑え、なるべく低い声で言う。気持ちで負けるわけにはいかない。気持ちで負ければ、本物の殺人犯である璃咲利夫に喰い殺されてしまうだろう。

 ガチャ、という軽い音と共に入ってきたのは、綺麗なスーツがよく似合う男性。とても四十代には見えない若々しい風体だが、雰囲気はそんじょそこらの大人とは違う。ただ見られただけで緊張感が高まる。

「やぁ、積木哲也くん……だったかな?」

 璃咲利夫は入って来るなり優しそうに微笑んだ。

「殺人犯が我が家に何の用だい?」

 璃咲利夫のその態度は一見心優しい大人に見える。だが奥に潜む牙は確実に俺を狙っている。

 相対してみてようやく確信した。

 まさしくこいつが、真城日花里とその家族を殺し、俺に罪を擦り付けた男だ。

「……娘が人質に取られているってのに、ずいぶんと余裕そうだな」

 俺はベッドに腰掛けている愛菜の頭の上にバールを構えている。いくらこいつが非道な男だからといって平静でいられるわけがないんだ。なのに何なんだ、この態度は。

 間違いなく、こいつだって「人間じゃない」。

「余裕なんかじゃないさ。娘を解放してくれないか?」

 そう言いながらも笑顔は崩さない璃咲利夫。……こいつのペースに飲まれるわけにはいかない。

「……あんたが俺の質問に答えてくれるならすぐにでも解放するさ」

「私にわかるのは人の心理くらいだよ。ちなみにその仕草から見て君の心理は……」

「黙ってろ!あんたが喋っていいのは俺の質問への答えだけだ!」

 俺の心理なんて心理学者じゃなくたってわかるだろう。抑えようとしても身体の震えは止まらないし、頭だって回っていなくてふらふらしている。緊張がいきすぎて涙が出そうだ。

 そんな俺の心理を見透かしてか璃咲利夫は余裕そうに笑っている。その態度が俺を余計不安にさせる。

 それでもがんばるしかない。俺を信じて黙ってくれている日花里と愛菜のためにも。

「……四日前、俺は真城家族を殺害した、ということになっている」

「というか、殺したんだろう?」

 いくら黙るよう言っても璃咲利夫は言葉を止めない。本当なら愛菜を一発殴るでもした方がいいのかもしれないが、結局のところ俺はただバ―ルを持っているだけで、それで愛菜に触れることさえもできていない。見掛け倒しもいいところだ。

「違う。本当はあんたが殺したんだよ、璃咲利夫。そして俺に罪を擦り付けた」

 それを聞いた璃咲利夫は一瞬きょとんとした顔をすると、大声で笑う。その大げさな仕草がどうにも胡散臭い。

「はっはっはっ!おもしろい冗談だ!いやー、犯罪者の心理は中々おもしろくてね!一般的なものには当てはまらないことが多いんだ。まさかそんな妄想に浸り私を狙ってくるとは……。本当におもしろい!」

 身体を震わせて笑い続ける璃咲利夫。完全に白を切るつもりだ。

「とぼけるな。証拠ならあるんだ」

「証拠?」

 一瞬。ほんの一瞬だが、璃咲利夫の顔が曇った。だがすぐに余裕の笑顔に戻る。

「それはおもしろいな。どういった証拠があると言うんだ?」

 余裕な態度を取り繕っているが、さっきまでと比べたら明らかにイラついている様子だ。ようやくこっちのペースに引き込めた。

「見てたって奴がいるんだよ。四日前の夜、あんたが真城家から出てきたのを」

「そいつはとんだホラ吹きがいたもんだ。自分で言うのも何だが、私は成功を収めている。そんな私が気に食わない人間も大勢いるだろう。おそらくそういう連中が私に罪を擦り付けようとしたんだろうな」

「っ……」

「だとしたらそいつが真犯人だろうな。ほら、こんな所にいるよりもさっさとそいつの所に行った方がいいんじゃないのか?」

「……だとしたら俺を経由しなくても直接あんたに罪を擦り付けるだろ」

「私に直接勝てないからそんな回りくどい方法を取ったのだろう。小物が考えそうなことだ」

 ずいぶんと口が回る男だ。少しでも言い淀んだらすぐにペースを戻されてしまった。こいつには口喧嘩では敵わない。

 いや、そもそも口喧嘩に引き込まれてしまった時点で俺の負けなんだ。愛菜を人質にとった利点が一つも活かせていない。どんなに口喧嘩で負けたって無理矢理にでもこいつを犯人にしなければいけなかったんだ。でないと愛菜を人質に取った意味がない。今からでも間に合うか……?

「……お父様、助けてください」

 考え込んでいると、懐で愛菜の震える声がした。

「お願いです、死にたくないです……」

 見ると、本当に顔を怯えさせて懇願している。俺をアシストしてくれているんだ。

「……だってさ。理屈なんてどうだっていい。この娘を殺されたくなかったらお前が真犯人だったと自供しろ」

「断る」

「……え?」

 あまりにも即答だったので、一瞬何を言われたのが理解できなかった。

 この男は今、断ったのか?

 自分の娘が人質に取られているというのに。

「お父様……?」

 愛菜は何を言われたのかわからないといった風に顔を愕然とさせていた。これは演技などではないと思う。

 そうなるのも無理はない。いくらひどい人間だと罵っていたとしても、自分の父親。娘を無情に切り捨てるわけがないと思っていたのだろう。

 ……つくづく俺は恵まれていた。

「そりゃそうだろ」

 璃咲利夫は何も言えない俺たちをふっ、と侮蔑する。

「この地位を築くのにどれだけ苦労したと思ってるんだ。そんなことで台無しにされるわけにはいかないんだよ」

「そんなことって……!」

「いや、むしろ殺してくれた方が都合がいいかもしれないな。連続殺人魔に娘を殺された哀れな、かわいそうな父親。うまくやれば世間からの評価はうなぎのぼりだ」

 高笑いを続ける璃咲利夫。

 俺の脚は自然と動き出していた。

 バールを引きずり、璃咲利夫の前で振りかぶる。

 その時、ここ最近聞き慣れた音が俺の耳に届いた。

「サイレン……?」

 聞こえてきたのはパトカーのサイレンの音だった。それも一つだけじゃない。何台ものパトカーが来たことを表すサイレンの重なる音。

「どうした?振り下ろさないのか?」

 俺の顔の前で璃咲利夫は煽ってくる。

「いつの間に警察を呼んだ……?」

「私は優秀な使用人を雇っていてね」

 あの女……。やっぱりめんどくさいことになった!

「くそ!」

 バールを懐に戻す。このままここにいても璃咲利夫を自白させることはできないし、捕まるだけだ。早く逃げないと。

「ふん、やはりその程度か」

 璃咲利夫の脇を通り抜けようとした時、心底馬鹿にしたような声がした。振り返ると璃咲利夫が嘲笑っている。

「だから勝てないんだよ、積木」

 その一言だけは今までと何かが違っていた。

 真意はわからないが、俺に向けられていないような。そんな風に感じた。

「お父様……」

 俺から解放されたということで愛菜は立ち上がって璃咲利夫の前まで歩いてきていた。

「助かってよかったな、あい……」

 その時、初めて璃咲利夫の減らない口が止まった。ペチン、という音と共に。

「最低です……やはりあなたは……!」

 肩で息を切らし、わなわなと震えている愛菜。その平手は既に璃咲利夫に振り下ろされていた。愛菜が璃咲利夫にビンタをしたのだ。

「――それは、」

 その声に部屋の空気が闇に飲み込まれたように冷え切った。

「それは、俺に対する宣戦布告、ということでいいんだな?愛菜」

 心臓が止まってしまうかと思うほどの冷たい声。しかし愛菜は璃咲利夫の目をまっすぐ見つめて言う。

「好きに捉えてくださいまし。わたくしはもう、あなたを父親だとは思いませんわ」

 「行きましょう、聡志さん」と言い、愛菜は俺を引っ張って部屋を出る。

 その後ろ姿に璃咲利夫は何も言わなかった。

「――ねぇ、」

 部屋を出ると今まで黙ってくれていた日花里が口を開いた。

「わたし、我慢したよ……。あいつの前で何もしなかった……。がんばったよね……、パパ」

 『パパ』という言葉が今の「真城聡志」を指したのか、本物の「真城聡志」を指したのかはわからない。それでも俺は、

「ああ。お前はよくがんばったよ、日花里」

 泣きじゃくる日花里の頭を触れないのに撫でることしかできなかった。

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