第10話幽霊少女に気づく者
璃咲邸内は外観の見た目の通り広く、しばらく歩いて階段を上り、またしばらく歩いたところにようやく愛菜の部屋があった。
「ではお入りくださいまし」
愛菜が部屋の扉を一瞬開くと、その扉を勢いよく引き戻した。
「……愛菜?」
「……ちょっとそこでお待ちくださいまし……」
冷や汗をかきながらのぎこちない笑顔でそう言うと、愛菜は一人部屋の中に入っていった。しばらく何かを動かすようなバタバタとした音がしていたかと思うと、中から「美紀ぃぃぃぃぃぃ、たすけてぇぇぇぇぇぇ」という大きな泣き声が聞こえてきた。
「お嬢様!?やはりあの男……!」
どこか近くに控えていたのか、すぐに美紀さんが駆けつける。俺が愛菜を襲ったと思っていたのだろうが、部屋の外にいる俺を見て不思議な顔をしながらも部屋の扉を開けた。そしてすぐに、閉めた。
「ちょっとそこでお待ちくださいませ……」
さっきの愛菜と似たようなセリフを言って罰の悪そうな顔で美紀さんも部屋の中に入る。そして部屋の中から漏れた小さな話し声が聞こえてきた。
「うぇぇぇぇぇん、美紀、全然片付かないよぉぉぉぉぉ」
「だから日ごろから整理整頓はきちんとしなさいと言っていたでしょう」
「わたくしが学校に行っている間片付けてくれてもいいじゃないですの、ばかぁ……」
「やるとやるで怒るくせに都合のいいこと言わないでくださいよ……」
どうやら二人がかりで部屋の片づけをしているようだ。それで俺たちを外に出したのか。
「ほら、見ようとするな」
嬉々とした表情で部屋の扉をすり抜けようとしている日花里を止め、さっきから気になっていたことを部屋の中にいる二人に聞こえないように小声で話す。
「あの美紀さんってメイド、日花里の姿が見えているみたいだったな」
「え?そうなの?」
見られていた当の本人はきょとんとした顔をしている。
「家に入った時、『そちらの方々は?』って聞いてただろ?それが紛れもない証拠だ」
「ああー。そういえばそうだったね。まぁ霊感の強い人だってことでしょ?特に気にすることないって」
「俺もそう思うんだけどな……もしもってことがある。日花里の姿が見えないってことは潜入とか見張りとかいう場面でこっちが有利になれる唯一の力だ。でもあの女がいることでそれも敵に通じなくなる」
ここまで言っても日花里はヘラヘラと笑っている。
「敵って……わたしたちの敵は璃咲利夫でしょ?」
「璃咲利夫はただ敵の大将ってだけだ。大将に辿り着くにはその前の兵も倒さなきゃならない。その大きな障害に美紀さんはなるかもしれないんだよ」
「おや、ひとり言がずいぶんと激しいですね」
その言葉と共に美紀さんが部屋から出てきた。俺と対等な位置にある目線はじっと俺を見つめている。
「ひとり言じゃないからしゃべってたんだよ。あんたもわかってんだろ?」
「これはこれは。自分が殺した幽霊と楽しくおしゃべりだなんて、歪んでますね。お二人とも」
やはりこいつは日花里が見えている!
「わたしを殺したのは聡志じゃない!」
俺の隣で日花里が美紀さんを見上げて睨む。
「聡志?その男の名は積木哲也でしょう。聡志というのは確か……あなたのお父様の名では?」
その煽るような言い方に、思わず頭に血が上がる。だがここで怒ってはおしまいだ。おそらく愛菜との協力関係も破綻するだろうし、日花里にも悪影響だ。
そうだ、日花里は!?
俺はあえて気づいていながらその名前について何も言わなかった。
日花里が壊れてしまうかもしれないからだ。
目の前で両親が殺され、その父親の名前を無意識か何か意味があったのか俺に授けた少女。もうだいぶ歪んでいるが、それ故にこれ以上日花里に負荷をかけたくなかった。
だがその真実はあまりにも簡単に暴露された。それが日花里にどんな影響を与えたか……。
俺の心配をよそに、日花里はケロっとした顔をしていた。
そして笑顔でこう言うのだった。
「何言ってるの?パパはパパで、聡志は聡志だよ」
あまりにも普通に言ったので聞き逃しそうになる。
だが、
「っ!」
その意味に気づいた時、全身を悪寒が包んだ。うぶ毛が逆立ち、冷や汗が出る。それは美紀さんも同じのようで、顔を引きつらせて後退している。
日花里はもう、とっくに壊れていた。
真城日花里というまだ中学生の少女は、自分の父親の名前すら忘れて仇を取ろうとしているのだ。
あまりにも普通に話しているので忘れがちだが、日花里は幽霊なのだ。
日花里こそ本当に、「人間じゃない」。
俺と美紀さんが何も言えずにいると、部屋の中からしびれを切らしたように愛菜が出てきた。
「もう、何やってるんですの?聡志さんを呼んできてと頼んだでしょうが」
「……申し訳ありません、お嬢様」
一言頭を下げると、美紀さんはそそくさと立ち去っていった。
「聡志さん、お待たせいたしました。さぁ、入ってきてください」
「あ、ああ……」
愛菜に呼ばれ、部屋の中に入る。後ろで日花里が付いてくる気配がする。
日花里が背後にいるということが、どうしようもなく怖かった。
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