第7話お嬢様に出会う俺
ハシゴを上り、力いっぱいにマンホールを押し上げる。この上に今人通りがないのは日花里が確認済みだ。
地上に上がるとそこは商店街の路地裏だった。この辺には以前来たことがあるので地図で確認してみると璃咲邸とは十分くらいの距離の場所だ。
「で、璃咲愛菜はどいつだ?」
路地裏からゴミ箱の陰に身を隠して商店街の方を見る。
「本屋さんにいる金髪のすごい美人さん。わかるでしょ?」
見づらかったので少し身を乗り出して捜してみると、すぐに璃咲愛菜は見つかった。
「あの娘が……俺がこれから誘拐する……」
何十年も昔からあるだろう汚れた本屋の中に似つかわしくない宝石が一つ。身長はすらっと高く、細身だがスタイルがいい。そして目立つのは日本人離れした長く綺麗な金髪。顔も外国人のようにも見えるのでもしかしたらハーフとかなのかもしれない。纏っている純白のブレザーの制服もその美しさを際立たせている。彼女の美しい姿全てが育ちの良さを表しているようだった。
実際に目に見てしまうと自分がこれからやろうとしている行為の重さが強くのしかかってくる。しかも相手は絵に描いたようなお嬢様だ。余計リアルさが増して緊張も高まってくる。
「あんないかにもお嬢様って感じの娘がこんな商店街の本屋さんで何してるんだろうね。なんか庶民を馬鹿にしてるって感じがしてむかつく」
「嫉妬がすごいぞ。別にそのくらいいいだろ」
「たぶんその件に関してはわたしが全面的に悪いと思うけど、なんかやだ」
日花里の気持ちもわからないではない。
ここ数日で住む世界について色々考えることがあった。
今まで俺は普通の世界に暮らしていると思っていた。普通に高校に通い、普通に生きていける。それが普通だと思っていた。
しかし逃げている時に見た浮浪者やホームレス、ボロボロの家。普段はあまり目に入っていなかったが、生きるのもギリギリそうな人が何人もいた。もちろん今の俺はその中の一人。いや、それ以下だろう。
それが嫌だという気持ちももちろんあったが、何より強く感じたのが、「俺がどれだけ恵まれていたか」ということだった。
普通に生きる。それがどれだけ大変か。そして普通に生きさせてくれた両親への感謝。伝えることはできないが、強く心に刻み込まれた。
そしてそれと同時に感じたのが、金持ちへの負の気持ちだ。
どうして俺がこんなに苦しんでいるのにあいつらは豊かに生きているんだ。妬んでも仕方のないことだが思わずにはいられなかった。
そしてそれなのに質素なことをしていても逆に腹が立ってしまう。自分でも醜いと思うが、きっと本能的なものなのだろう。
日花里も三大欲求はないが妬みの感情はある。もしかしてそれこそが人間の本質なのかもしれない。
「……本当に何やってるんだ、あの娘」
璃咲愛菜は立ち読みするでもなく、店内を歩き回るでもなく、ただ店の外に陳列された雑誌の山を眺めている。
「動いた!」
日花里が横で小さく叫ぶ。
雑誌の一つを手に取ろうとするが、その手は途中で止まる。再び取ろうとするが、やはり手を戻す。それを辺りをキョロキョロしながら、時々下を向いて何かを思いとどまるようにしている。
「買おうかどうか迷ってるのかな?金持ちなんだから買っちゃえばいいのに」
「いや、それよりも……」
彼女のやろうとしていることに気づいて俺は走り出していた。
璃咲愛菜が何かを決心した顔で本に手をかけた時、俺はその手を掴んでいた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
突然手を掴まれた璃咲愛菜は身体をビクンと跳ねさせ、一心不乱に何度も頭を下げる。
「その反応……やっぱり万引きするつもりだったんだな」
「はい……ごめんなさい……」
頭を下げたまま泣きそうな声で謝り続ける璃咲愛菜。
「安心しろよ、俺は店員じゃない」
とは言ってもこの状況はお互いにとってよくない。璃咲愛菜の大きな声を聞き、店員がこっちに来ている。璃咲愛菜も捕まりたくないだろうし、目立ってしまうと俺も捕まってしまうかもしれない。
「とりあえず来い!」
「え?ちょっ……ちょっと……!」
璃咲愛菜の手を引き、駆け足で本屋から離れる。
「ナイス聡志!そのまま下水道に入ったら誘拐成功だよ!」
走る俺たちに並走して日花里が浮きながら声をかけてくる。
「な、なんか変な声が聞こえますわ!」
日花里の姿は普通の人には見えないが、声はしっかりと届く。璃咲愛菜は突然引っ張られるわ誘拐とか言っている変な声が聞こえるわでパニックになっている。
こんな騒いでいる奴を連れてマンホールの下に入るなんてできない。でも姿を隠すために人気のない所に行く必要はある。
走り回った末に辿り着いたのは、茂みが多く人があまりいない公園。おそらくここが本来の目的地の公園だろう。
そこから特に目立たなそうなベンチを見つけ出し、そこに座り込む。俺もだいぶきついが、あまり運動のしなさそうな璃咲愛菜は汗だくになって息を切らして俯いている。
「ごめんな……急に走らせて……」
「いえ……わたくしこそ謝らなければなりませんわ……本当にごめんなさい……」
「いや、いいんだよ。それより何で万引きなんてしようとしたのか教えてくれないか?」
目の前で日花里が「早く誘拐しろ」みたいな身体全体を使ったジェスチャーをしているが無視して尋ねる。
「はい……申し遅れましたわ、わたくしは璃咲愛菜と申します。あなたは?」
「俺は……つみ……」
いや、今の俺は違う。今の俺は……。
「いや、俺は真城聡志だ」
「では真城さん、あなたは璃咲利夫という人間をご存知でしょうか?」
「ああ、あのテレビでよく見る心理学者だろ?」
まさか復讐相手だと答えるわけにもいかないので当たり触りのない答えをする。
「もしかして『璃咲』ってことは……璃咲利夫の娘さんだったりするのか?」
もし何も知らずに会っていたら俺ならこう訊いていただろう。いたって普通の質問のはずだ。
「ええ、そうですわ」
「心理学者でイケメンで話もうまい。あんなすごい人の娘だなんてすごいな。うらやましいよ」
「あの人はそんなではありませんわ!」
その流れで適当に言葉を繋いでいたら、急に璃咲愛菜の反応が変わった。疲れているだろうに大声で叫ぶ。そのせいで余計息切れが激しくなっていた。
「……失礼しましたわ」
しばらくして落ち着きを取り戻した璃咲愛菜は髪を耳にかけ、座り直した。
「とにかく、あの人はそんな大層な人間ではないのです。表向き……テレビとかではいい人を気取っていますが、裏のあの人は最悪の人間……いえ、もはや人間ではありませんわ」
「人間ではない」。その言葉が妙に耳にこびりつく。きっとその理由は俺も同じことを言われたことがあるからだろう。
「軽く知っているだけでもヤクザと繋がっていたり、警察に裏金を流していたり、人を殺したことがあるとも聞いたことがあります」
「っ!人を殺した!?」
さっきまで黙ってジェスチャーをしていただけの日花里が焦りの表情で声を上げる。
「また変な声が……!」
その姿が見えない璃咲愛菜は恐怖の面持ちで腰を浮かしている。
「大丈夫。それよりその話、もっと詳しく聞かせてくれないか?」
「……どうしてそんなにお父様の話が聞きたいのですか?」
まずい、璃咲愛菜に少し不安感を与えてしまった。
……いや、もうここまで来たら……。
「ごめん。俺、嘘ついてた」
「嘘?どういうことですか?」
何が起こっているのかわからないという表情で璃咲愛菜は俺を見つめてくる。
「俺の本当の名前は積木哲也」
「積木哲也って……ああ……!」
ニュースか何かで俺のことは元々知っていたようだが、名前を聞いてようやく目の前にいる人間に一致したのだろう。
「さつ……じん……はん……!」
ベンチから滑り落ち、身体を震わせて俺を見上げる璃咲愛菜。その表情はまさしく殺人犯を見る時の目、そのものだ。
「違う。あの家族を殺したのは本当は俺じゃないんだ」
「何を……言って……?」
「紹介するよ。さっきから聞こえていた声こそが、あの事件で殺された女の子、真城日花里だ」
「…………?」
驚きが限界を超えたのか、璃咲愛菜は口をパクパクとさせるだけで声を出せなくなっていた。思考がまともに働いていないのか、スカートを履いているというのに脚を大きく開いていてピンクのパンツが見えてしまっている。
こんな状態の女の子に追い打ちをかけたくないが、ここまで言ってしまったら仕方がない。
「あの事件の真犯人。あんたも言ってただろ?人を殺しているって」
「それって……まさか……!」
「そう。あの事件の真犯人は璃咲利夫。あんたの父親だよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます