第3話決意に偽名

「……ここは……?」

 目が覚めると、見えるのは見慣れない天井に小汚いソファー。

「あ、ようやく起きた?もう丸一日以上寝てたんだよ?それにもう昼の十二時だしそろそろ動こうよ!」

 しばらく頭がぼーっとしていたが、俺の懐に立っている制服姿の少女が目に入ると一気に頭が覚醒した。

 そうだ。俺は殺人犯に疑われ、この家に逃げ込んだんだった。そしてこの娘は、俺が殺したことになっている幽霊の少女、真城日花里。そしてこれから真犯人である璃咲利夫を自白させるために、一人娘の璃咲愛菜を誘拐しに行くのだった。

「……腹へった……」

 警察から逃げている間睡眠もまともにとっていなかったが、食事だって廃棄の弁当を漁るくらいしかしてこなかった。さすがにそろそろ辛くなってくる頃だ。

「この部屋には何もないと思うよ。上の部屋ならカップラーメンくらいはあるけど」

「じゃあそれもらうよ。日花里は何食べる?」

 訊くと、日花里は笑って答える。

「わたしはいらないよ。っていうか、食べれない。ほら、わたし幽霊だから。お腹もすかないし、眠くもならないんだ。便利でしょ?」

 そう笑った日花里の顔は少し寂しそうに見えた。

 ハシゴを上り日花里が教えてくれた棚を漁ると、買い置きしてあったと思われるカップラーメンが大量に置いてあった。その一つを手に取り下に戻ろうとした時、外から人の話し声が漏れているのに気づいた。ずいぶんと薄い壁だなと思ってカップラーメンを選びながら聞いていると、どうやら俺の話をしているようだった。念のため音を立てないようにて壁に近づいてみる。

「昨日はここら辺にいたらしいぞ。例の高校生殺人犯」

「ああ、自分が殺した家族の家の近くに潜伏するなんて俺には無理だね」

「そりゃあ殺人犯の考えることなんて俺たちにはわからないさ。あの男は、人間じゃない」

 警官たちの声はやがて離れていき、外の音は何も聞こえなくなった。

 警官たちの言っていること。真実は違えど、間違っていないのかもしれない。

 「俺はもう、人間ではない」。

 復讐に囚われて、死んでしまっている日花里の歪んだ執念に協力しようとしている。

 真っ当な人間なら、やめるべきだ。止めるべきだ。復讐なんて間違っている。しかもその復讐に関係のない少女を巻き込もうとしている。

 今ならまだ引き返せる。地下にいる日花里を置いて家を出ればいいだけだ。その後は自首して、真実がわかるまで裁判で戦えばいい。

 そうすれば、下手に逃げて罪を重ねるよりいい結果が出るかもしれない。

 俺は元々逃げるのが得意だ。

 どんな時でもまずは逃げて、考えて、うまく生きることだけを考えてきた。その結果失敗したことはなかった。警察からも何とか逃げ切れているし、今後もうまくいくと思う。

 ――それでも。

 それでも俺の脚が外に向かうことはなかった。

 自分が殺され、両親が殺され、一人ぼっちでずっとこの家で待っていた。本当は璃咲利夫を殺したいのに、俺のことを考えて譲歩してくれ、眠くも腹もすかないのに待ってくれていた。まだ中学生なのにだ。そんな日花里を見捨てることは俺にはできない。

 だってそれじゃあ、あまりにも報われないじゃないか。

 それに、俺もようやく逃げないで立ち向かえるかもしれない。

 今まで逃げることで失敗したことはなかったが、生き方に後悔したことはあった。逃げ続けることしかできないこの生き方に。

 もし逃げないで立ち向かうことができるのなら――俺は立ち向かってみたい。

 選んだカップラーメンを手に地下へと戻る。そんな俺を日花里は笑顔で迎えてくれた。そしてこう言うのだった。

「そうそう、外に出てなんかあった時、偽名があったら便利でしょ?だから考えてみたんだけど、真城聡志(ましろさとし)なんてどうかな?」

「……ああ、いいと思うよ。ありがとう」

 俺は知っていた。その名前の意味を。

 昨日見た新聞の記事。『真城日花里』のすぐ隣にその名前はあった。

 『真城聡志』

 それは、日花里の父さんの名前だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る