第2話幽霊少女になった理由

 「だから、わたしの復讐に協力して」

 日花里の誘いは、まさに悪魔との取り引きのようだった。

 一見お互いの利点を活かした効率のいい方法のように思えるが、それは大きな間違いだ。

 既に死んでしまっている日花里と、これからの人生がある俺。失敗して失うものは俺にしかない。

 それでも俺はその誘いに乗るしかなかった。

 真犯人を捕まえることでしか俺が真っ当な生き方へと戻る方法はないのだから。

「よかった、契約成立だね」

 日花里と触れ合うことのない握手を交わすと、ある場所に案内される。

 案内されたと言っても、実際に忙しいのは俺で、タンスを横に動かすよう指示された。そのタンスの中はほとんど何も入っていないようで、簡単にずらすことができた。

「何だこれ……?」

 タンスの下にあったのは、床と一体になっている扉のようなもの。強く押すと扉は下に倒れ、地下へとつながるハシゴが現れた。

 ハシゴを下りると、上の部屋を一回り小さくしたような部屋がもう一室あった。置かれている家具は一般的なものばかりだが、上の部屋の者よりさらに古く、あまり使われていないのか部屋中にホコリが溜まっており、蜘蛛の巣も張っている。どうして一般的な家庭にこんな秘密基地みたいな部屋があるんだ……?

「わたしたちが引っ越してきた時にはもうこの部屋はあったんだ」

 俺の考えていることがわかったのか、上の部屋からこちらを覗き込んで日花里は言う。

「前に住んでいた人がだいぶやばいことやってたらしくてね。この部屋を見つけたのもつい最近だし、怖いから使ってなかったんだ。警察の現場検証でも見つけられなかったみたいだから隠れるのにはうってつけでしょ?」

 「よっ」と声を出して日花里はハシゴを使わずに下の部屋に飛び降りてくる。その落下速度は紙が落ちてくるようなふわふわとしたもので、落下の衝撃音も痛がる様子もないのがこの娘が人間ではないということを物語っている。

「まずはわたしが持っている情報を全部伝えるね」

 所々穴の開いた古くさい色合いのソファーに座って日花里は言う。幽霊なのに座る必要があるのだろうか。俺も疲れているのでその横に座らせてもらう。日花里の何気ない行動を見たせいで普通に座ってしまったが、俺が座った衝撃でソファーの上に溜まっていたホコリが舞い上がってしまった。

「げほっ、げほっ」

「そう、あれは三日前の夜のこと――」

 俺が咳き込んでいるのにも関わらず、日花里は話を進めていく。

「三日前の夜、わたしたち家族は上の部屋でご飯を食べてたんだ。その時、家の扉を強く叩く音が聞こえたの」

 語り出した日花里の口調はさっきまでのふざけた様子から一変して、一言一言噛み締めるように声にしている。

「あんまり強く叩かれるとうちの扉は壊れちゃうからね。わたしは急いで訪問者を確認しに向かった。そして――」

 日花里の声が震え出す。身体は震え、目元には涙が浮かんでいる。悔しいのか悲しいのか歯をガチガチと鳴らし、次の一言を絞り出した。


「わたしは、殺された」


 日花里の目元から涙がこぼれるが、その水滴は床へと落ちるとその姿を失った。

「扉を開けたところを包丁で一突き。痛みも感じないままわたしの意識は消えてった。でもそれも一瞬だけ。すぐにわたしの意識は戻ったんだ」

 俯いている日花里の目から涙がとめどなく溢れる。

「日花里……」

 触れようとするが、俺の腕はそのまま身体をすり抜ける。その状態も構わず日花里は話を続ける。

「目の前に広がったのは、ママとパパが包丁で切り付けられている光景。足元にはわたしの身体と、身体からドクドクと溢れ出る真っ赤な血。何が起こってるのかわからないままでいたら、ママとパパもわたしと同じような姿になっちゃってた」

 日花里の言葉に、『もし俺が同じ状況だったら』という状況を嫌でも想像してしまう。

 自分が死に、母さんと父さんが殺されるのを何もできずにいる。

 どんな言葉にしても稚拙に感じてしまうほどの悲しみ、怒り、そして恐怖が押し寄せてくるのだろう。

 それを日花里は実際に感じた。俺よりも年下の、まだ中学生の女の子が。

「着ていた真っ黒のレインコートを真っ赤にした犯人はママとパパを殺すとそのまま家の扉から出ていった。扉の目の前にいたわたしのこの身体をすり抜けて。動かない血を流したわたしの身体をゴミのように踏みつけて!」

 最後に叫ぶと、日花里は顔を上げて微笑んだ。涙を目元に残したまま。

「その後は警察が来るまで家族みんなの死体と一緒にいて、わたしの昔話はおしまい!」

 日花里はソファーから立ち上がり、笑顔を崩さずにふらふらと歩く。

「それでわかったことが二つあるんだ。まず一つは、ママとパパは幽霊にならずにわたしだけがこの世界に残されたってこと。そしてもう一つは、幽霊になったわたしを見ることができるのはこの家に入っている状態でわたしが姿を見せようと思った人だけ。だから現場検証に来た警察の人はわたしを見れない。ま、声は聞こえるっぽいけどね」

 ふらふらと歩いていた日花里は俺の前で立ち止まり、人差し指を立てた。

「で、ここからが大事な話」

「……さっきまでも大事な話だっただろ」

「あんなのはただの昔話に過ぎないよ。やると決めた復讐の理由だもん。今さら蒸し返しても意思は変わらない」

 「でも、ここからは復讐の方法だよ」日花里の口調がまた変わる。俺に復讐することを強要した時と同じ、死を彷彿とさせる恐怖の口調だ。

「わたしたち家族を殺した奴の名前は、璃咲利夫(りさきとしお)。テレビで見たことない?」

「あ、ああ……。確か有名な心理学者の……」

「そう。わたしをすり抜けた時、間違いなくそいつの顔がわたしの目の前にあった」

 恐怖からまともにしゃべれない俺の言葉を拾い、さらに続ける。

「璃咲利夫がわたしたちを殺して、あなたに罪を擦り付けた犯人。まさしく復讐の標的だよ」

 その証言が嘘だとは思わない。四十歳を超しているというのにその見た目は青年のようで、イケメンで金持ちで話もうまいということでテレビで引っ張りだこの人だ。見間違えることはないだろう。

 わからないのはその動機だ。もちろん日花里の家族を殺した動機は俺にはわからないが、何よりわからないのは、面識のない俺に罪を被せたということだ。

 事件があった日、俺はこの辺りにはいなかった。俺の家も通っている学校もここからだと少し距離がある。しかも学校が終わった後俺はコンビニに行き、本屋で立ち読みをし、雑貨店を回った後に家に帰った。俺がそこにいたという証拠こそないが、俺が真城家族を殺害したという証拠もないはずだ。それなのになぜ俺が身代わりに選ばれたんだ……?

「……殺したい」

 考え込んでいると、目の前の日花里がぽつりと漏らした。

「殺してやりたいけど、さすがにそれは望めないよね。実際に復讐するのはあなたなんだし、そんなことしたらほんとに殺人犯になっちゃう」

 軽い感じで言うが、言葉の奥に隠しきれていない悔しさが滲み出ている。

「だから逮捕の方向でいこうと思うんだ。そのためには奴の犯行を立証する証拠が必要になってくる。でもわたしたちにはそれを探すためにできることがほとんどない。あんまり動きすぎると警察に見つかっちゃうかもしれないからね」

 確かにそう思うとできることは少ない。動くとしても、一回で全てを終わらせられるくらいの決め手になる行動がいい。

「そこで!」

 突然大声を出す日花里。

「璃咲利夫の弱点を突こう」

「弱点?」

 あの完璧に見える璃咲利夫に弱点なんてあるのだろうか。あったとしても、テレビで見たことがある程度しか璃咲利夫を知らない俺には知る術はない。だが日花里は自信満々の表情をしている。

「璃咲利夫には愛菜(あいな)ちゃんっていう一人娘がいるらしいの。その娘を誘拐しよう!」

「誘拐!?」

 あまりの突飛のなさに驚きを隠せない。

「さすがに実の娘を誘拐されたとなれば、璃咲利夫も罪を認めるでしょ」

「そうかもしれないけどさ……」

 誘拐……誘拐って……。

 普通に生きていれば聞かない言葉にいまいち現実味を感じない。それよりもさらに重い殺人をしていることになっているわけだが。殺人罪と誘拐罪と逃走罪か……。捕まってしまったら死刑ものだろう。

「璃咲愛菜ちゃんが通っている高校ももう調査済み。せっかく幽霊になっちゃったんだし、この身体を有効活用しないとね」

 ということはその愛菜って娘を尾行したのだろう。ずいぶん行動力のある幽霊だ。

「ってことで、さっそく愛菜ちゃんを誘拐しに行こう!」

 遊園地にでも行くかのようなウキウキさで腕を高く上げる日花里。でもそれは少し待ってもらおう。

「悪いけど少し寝かせてくれないか?この二日間まともに睡眠をとってないんだ」

「もちろんいいよ。計画を始めたら休めないしね」

 お言葉に甘え、そのままソファーに横にならせてもらう。ソファーは固く寝づらいが、ゴミ箱の中よりよっぽどマシだ。

 横になると色々なことが頭の中をぐるぐると廻り出す。

 俺を逃がしてくれた母さんのこと。海外に出張しているのに迷惑をかけてしまった父さんのこと。殺されて幽霊になってしまった日花里のこと。何の罪もないのにこれから誘拐される璃咲愛菜のこと。なぜか俺に罪を擦り付けた璃咲利夫のこと。そして、これからの自分自身のこと。

 頭を廻ることは尽きないが、俺の意識は一瞬で泥の中に落ちていった。

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