幽霊少女に逃げる俺

松竹梅竹松

第1話幽霊少女に出遭う俺

「はぁっ……はぁっ……」

 なんで、なんでこんなことになってるんだ……!

「くそ、くそっ」

 今は逃げることに集中しなければならない。でも嫌が応にも文句が出てしまう。どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。

「いたぞ!あっちだ!」

 追手の声が後ろから聞こえる。またどこかで巻かなければならない。とりあえず路地裏の角を曲がり、ゴミ箱の中のゴミを放り出し、ゴミ箱の中に隠れる。

「くそ、どこいった!?」

 ゴミ箱の外から声が聞こえてくる。おそらくちょうどゴミ箱の前に追手がやって来たのだろう。

「絶対に逃がすな!この辺りにはまだいるはずだ!」

 そして、俺の心を追い詰める一言を放った。

「殺人犯、積木哲也(つみきてつや)。奴をここで必ず捕まえる!」

 警察官はそう言うと、俺を捜すために駆け足で離れていった。


 俺の生活が一変したのは二日前の夜も明けきらぬ早朝のことだった。

「ちょっと!話を聞いてください!そんなことするわけないじゃないですか!」

 その日、そんな母さんの悲痛な声で俺は目が覚めた。

 朝から何を騒いでいるんだ。まだ寝れるじゃないか。早速二度寝をかまそうとしたが、母さんの次の言葉で完全に目が覚めた。

「うちの哲也が人殺しなんてするはずありません!」

 ……は?

 人殺し?俺が……?

 混乱している暇もなく、俺の部屋のドアが乱暴に開かれる。部屋に入ってきたのは、早朝だというのにきっちりとスーツを着ており、険しい顔をしている屈強な男が数人。そして先頭の、父さんと同じくらいの歳のおじさんが開いた身分証を俺に見せている。その身分証には逆三角形状の中にPOLICEの文字と書かれている記章が付けられていて、事態の深刻性を表していた。

「積木哲也、高校二年生……」

 自分が誰なのか説明などせず、男はずんずんと近づいてくる。

 おそらく男の次の言葉はただ一つ。そしてこのままだと俺の人生は終わってしまう。

 それがわかっているのに、なぜか動けない。

「貴様を逮捕する」

 俺の運命を決める決定的な言葉を言われようとも、俺の身体は動けないでいた。恐怖。困惑。そんな感情が頭の中を巡り、思考を停止させる。男が懐から手錠を取り出してもそれは変わらなかった。

「哲也逃げて!」

 俺を現実へと引き戻したのはその叫び声だった。

「っ!」

 反射的に自分を捕えようとする手錠を払いのけベッドから降りる。

「あなたは人殺しなんてしていない!私が一番よくわかってる!だから今は逃げて!必ず、必ず無実を証明するから!」

 視界の端に警官に抑えつけられながらも叫んでいる母さんを捉えた。目に入ったのは一瞬だったのに、その悔しそうな顔が俺の頭にこびりついた。

「ごめん、母さん!」

 それだけ残し、窓を開けて二階のベランダから外に飛び降りる。

「逃げたぞ!追え!」

 上から指示を出す声が聞こえる。その指示からして待ち伏せはされていないようだ。

 ジャージに裸足。早朝の外は寒い。それでも走るしかない。

 俺は何もやっていない。なら逃げるより一度捕まった方がよかったかもしれない。

 それでもなぜか、ここで捕まるわけにはいかない。そう直感した。きっと母さんも同じことを思ったのだろう。だから俺を逃がしてくれたんだ。

 今は逃げるしかない。俺を逃がしてくれた母さんのためにも、俺自身のためにも。

 とにかく、逃げないと――。


 それからの生活は地獄のようだった。

 少しでも見つかりづらくするためにゴミ捨て場に捨てられていたボロボロの服に着替え、ぶかぶかの靴を履いた。食事は廃棄されていた弁当を漁り、睡眠なんてまともにとっていない。

 ゴミ箱の中に隠れているだけで睡魔がどうしようもなく襲ってくるが、ここで眠るわけにはいかない。起きたら警察に見つかっていた、なんて洒落にならない。

 寝ないためにもゴミ箱の中から出る。生ゴミの醜悪な臭いが服にこびりつくが、もうだいぶ慣れてしまった。

 さて、ここからが問題だ。下手に動けば警官に見つかってしまう。かといってゴミ箱の中など見つかりづらい場所に隠れるのも見つかった時に逃げ場がなくなるので避けたい。

「くそ、あいつどこに逃げやがった?」

 遠くからさっきの警官のぼやく声が聞こえてくる。声がだんだん大きくなっているのでこっちに近づいてきているのだろう。

 とりあえずまたゴミ箱の中に隠れてやり過ごすしかない。

 ゴミ箱の蓋を開けた時、俺の耳に警官のものとは別の、誰かのか細い声が届いた。

「――きて」

 今にも消えてしまいそうなその声は、ゴミ箱のすぐそばの古くさいボロボロの一軒家の中から聞こえている。

「――こっちにきて」

 その声は、俺を呼んでいる。不思議とそう感じた。

 その声に導かれるように俺の身体は家の中に吸い込まれていった。鍵はかかっておらず、軋んだ音を立てて扉が開く。

 家の中は外観とは違ってそこまでボロボロではなかった。玄関の先にはワンルームの部屋がいきなり広がっていること以外は普通の部屋だが、テーブルの下には割れた食器が落ちており、ソファーの上には乱雑に衣服が置かれている。他にも型は古いが一般的な家具は一通り置かれており、人が暮らしている形跡こそあるが、散らかり方から見て今も誰かが暮らしているようには思えない。

 それなのに、誰かが俺を呼んでいた。だが一通り見渡しても人なんていない。じゃあ一体誰が俺を呼んでいたんだ?

 まぁいい。人がいないならいないで好都合だ。ここで少し休憩させてもらおう。いや、しばらくここを拠点にしてもいいかもしれない。さすがに警察も何も関係ない家に突入してはこないだろう。

 寝転がろうとソファーを見ると、

 「声」がいた。

「やっと、人が来た」

 衣服が散らかっているソファーの上。そこには誰もいない。

 いないはずなのに、声がする。

 そしてその声は間違いなく、ソファーの上から聞こえている。

「あーごめんごめん、見えないよね」

 その声は軽い調子でそう言う。

 すると、ソファーの上に何かが浮かび上がってくる。初めは淡い何かだったが、次第に形を帯びて行き、人型になっていく。やがて完全な人間の姿となった声の主は、笑顔で俺に語りかけた。

「はじめまして、ってことでいいのかな?殺人者さん」

「…………!」

 俺は殺人犯なんかじゃないと反論したかったが、声が出ない。

 突然、目の前に人が出てきた。何か手品やトリックのようなものだとは思えない。確実に、今まで存在しなかったものが現れたのだ。

「あんたは一体……?」

 俺がようやく絞り出した問いに、その人はいとも簡単に答える。しかも、最悪な返事で。

「わかってるでしょ?あなたが殺した、被害者だよ」

「そんな……!嘘だ……!俺は人を殺してなんかいない!」

 必死に抗議するが、その人の冷たい目が俺に突き刺さる。

 俺は……本当は人を殺していたのか?

 俺が覚えていない、忘れているだけで、

 俺が……人を……。

「……ぷっ、あっはっはっはっは!」

 俺の悩みを吹き飛ばすように、その人は大きく笑い声を上げた。

「ごめんごめん、じょーだんだよ、冗談!あなたはわたしを殺してなんかいない」

「…………」

 俺が再び言葉を失っていると、その人は玄関に行き郵便受けを指さす。

「でもね、あなががわたしを殺したことになってるのはほんとだよ」

 郵便受けの中には新聞が一部だけ入っていた。日付はちょうど二日前。俺が警察に追われることになった日のものだ。開いてみるとまず俺の顔の写真が目に入った。見出しは、「高校生、一家全員を殺害する」。新聞にもこんなに大きく乗っているなんて……。これじゃあたとえ無実だということがわかったとしても普通の人生は送れないだろう。

 そしてその横に載せられている三枚の顔写真。殺害された被害者一家の写真のようだ。

 優しそうな顔の父、年齢にそぐわず若々しい母、そして、まだ中学生の娘。

「え……?」

 俺の目を引いたのはその中の娘の写真。

 幼い顔立ち、黒いショートカットの髪、ベージュ色の制服。

 その写真の少女は、今まさに俺の隣に佇んでいる少女、その人だった。

「そう、わたしは死んだ。今のわたしは幽霊ってわけ」

 俺の隣で事件の被害者の少女、真城日花里(ましろひかり)は言う。

「でも犯人はあなたじゃない。だって見たんだもん。他でもない、殺されたわたし自身が」

 日花里は俺の前に立つ。近づいた腕が新聞に当たっているが、紙は折れることなく、日花里の腕をすり抜けている。

「わたしは、わたしたちを殺した犯人を許さない。あなただってそうでしょ?あなたを犯人に仕立て上げた、真犯人を許すことはできないよね?」

 日花里の暗く、どす黒い視線が俺を今までに感じたことのない恐怖に至らしめる。

 殺人犯と宣告された時にも、警官に追われている時にも感じなかった恐怖。

 この感情を例えるのなら、おそらく死に対する恐怖なのだろう。

 今まさに、死の真横にいる。なぜだかそんな気がした。

「でもわたしには復讐するための身体がない。あなたには復讐するための情報がない。だからさ――」


「だから、わたしの復讐に協力して」


 こうして、俺と日花里の復讐の生活が始まった。

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