ファーストミッション

2−1「ごきげんよう」

 焦点が合ってきて、初めに目にした光景は実に殺風景であった。僅かにのぞく日光によってほんのりと明るい室内は天井が高く、骨組みが見える無骨な内装は倉庫のようである。


 クロ・リースは目を覚ますと椅子に座らされ、ワイヤーのような物で手足を縛られていた。椅子にがっちりと固定されており、全く動くことができない。それに頭や服がびしょ濡れだ。上から水でもかけられたのだろう。前方の床にはバケツが転がっている。ふと、その隣に人影があることに気がついた。


 誰だろう?


 足元から顔までゆっくりと視線を上げていく。華奢な体型にさらりと長い髪、そしてなぜか白衣。クロの正面には眼鏡の少女が腕を組んで仁王立ちしていた。ありったけの憎しみを込め、それだけで呪い殺されそうな視線に、ただただ圧倒されてしまう。よく見ると、体型のわりに幼さはなく、可愛いと言うよりは綺麗な顔をしている。しかし、いかんせん表情が怖い。


「フンッ、温室育ちの中央軍人は活きが悪いな。先が思いやられる」


 少女は栗色の長髪と羽織っただけの白衣の袖をなびかせて、奥にある少しいい椅子にどっかりと腰を下ろした。とても偉そうなのだが、薄汚れた倉庫では滑稽に映ってしまうというか、なんともシュールな絵面である。


「リアクションが薄かっただけで拗ねないでください。それにメイカ様ほどヌクヌク育った方には言われたくないと思いますよ」


 後ろから聞こえてきたのは、落ち着きのあるひどくのんびりとした声。てっきり周りの気配からこの少女だけだと思っていたが、他にも人がいたようだ。


 この声、どこかで聞いたような。


 真相を確かめるべく、どうにか首を捻って声がした方へ顔を向ける。そこには礼服のベストを着た白髪の男が立っていた。年季の入った深いシワの刻まれた顔とは裏腹に、凜とした佇まいは歳を感じさせない。男はクロが見ているのに気がつくと、自然体で微笑んだ。


「ごきげんよう」

「はぁ、どうも……」


 既視感のある笑みに不安を感じつつも、ここへ至るまでの最後の記憶を探る。場所は確か中央近郊の町だった。当てもなくふらふら歩いていたクロはいつの間にか集団に囲まれ、人気の少ない路地裏に引き込まれていた。そこで2、3質問を受けたはずだ。


 それから、あれ?


 クロの記憶はここで途絶えていた。もう一度だけ男の方を振り向いて顔をよく見る。


「あぁっぁ! いきなり腹パンしてきたッ!」


 男が今見せている微笑、それとクロが不意の一撃を受けて、薄れゆく景色の中に見た男の満足げな表情が一致した。間違いなくこの男があの路地裏で話しかけてきた当人である。慌てて立ち上がろうとするも、手足を縛られて上手くいかず、クロの抵抗は椅子を揺らすだけに終わった。


「思い出していただけましたでしょうか。あのときは嬉しさのあまり、つい手が先に出てしまいました。申し訳ありません」

「つい腹パンってどういうこと!?」


 でも、そうか。


 ツッコんでしまった勢いのままに、色々な事を思い出した。中央で帝国軍を辞めたこと。そんなクロにできることといえば、跳甲機の操縦ぐらいである。残された再就職の場はどこかの守備部隊か傭兵ぐらいだ。ここへ誘拐されたのは、西の情勢が比較的穏やかだと聞き、働き口を求めて西部へ旅を始めた矢先の出来事であった。


 というか、僕は誘拐されたのか。


 よくよく考えたら大変なことだが、今はとりあえず置いていく。とりあえずこの少女たちの見当がついた。


 傭兵団ゼンツク。大陸西部に彼らが現れてからまだ3年目だというのに、既に帝国軍の傭兵リストに名前が載るほどだ。しかもその代表者は若い女、この少女である。若者が強い駆人として名を馳せることはあっても、強い傭兵団を率いているのは珍しい。故に情報を閲覧した際、特に印象に残っていた傭兵団であった。


「あの、もしやあなたはゼンツク傭兵団団長メイカさん、でよろしいですか?」

「ん、そうだ。察しがいいな」


 メイカは隣のテーブルに置いてあったモニターを手に取ってから足を組んだ。一向に変わらぬ表情からは考えが読めない。これから一体何をしようというのか。ただ、雰囲気的に殺されないことは何となくわかった。


「今から面接を始める」

「面接……ですか?」

「お前、仕事を探しているんだろう。ここで雇ってやる、喜べ」

「ホントですか。って、えぇぇ!?」

「嫌か?」

「違います違います。えっと、嫌ではないですけど……」


 あまりに突然の成り行きに動揺を隠せない。確かに、次に働くのは守備部隊か傭兵団だと決めていた。しかし、傭兵団に入るのは守備部隊に断られ続けた後の最後の手段である。まさかこうもあっさりと傭兵側の世界へ足を突っ込むとは思いもよらない。断る選択肢がないとはいえ、即決はできなかった。


「すいません。なんで僕なんか?」

「知らん、拾ってきたのはそいつだ」


 メイカが適当そうに顎をしゃくった。


「ご挨拶がお遅れました。私、秋山久五郎あきやまきゅうごろうと申します」


 秋山はクロが振り向くと丁寧なお辞儀を返した。そしてちらりと顔を上げ、茶目っ気たっぷりにサムズアップしてみせる。どうやらクロをスカウトした理由に深い意味はないらしい。


「それで、お前はクロ・リース、19歳。帝国軍学校駆人科卒業で間違いないな」

「間違いありません」

「卒業時の技能評価はA2」

「はい。でも今はたぶん、鈍ってます」


 クロが気絶させられて何日経過したのか定かでないにしろ、長くとも精々3日くらいだ。高々傭兵団がその間に情報を集められるとは驚きである。持ち物から特定できたのは精々名前くらいなはずだが、あの時の質問から跡を辿ったのだろうか。


「当然実戦経験はあるな。 殺しは?」

「あります。跳甲機でも、生身でも」


 メイカはモニターを顔の前から降ろすと、秋山の方に視線を送った。次にクロを見る。


「何故軍を辞めた?」


 その質問に心臓が跳ねた。クロの人生を大きく左右する出来事と言っても過言ではない。起きてからそれ程期間が経っていないせいか、思い出そうとするたびに少しだけ感情が不安定になる。


「はい。卒業後は帝都守護の中央担当軍に配属されましたが、……その、両親が死にまして。それから色々勘ぐってしまって、このままでは良くないと思い、軍を辞めました」

「ほう、詳しく話せ」

「……はい」


 クロは己が不信感を抱くに至った経緯をメイカに語った。

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